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み言葉の糧

2023年12月02日 20時32分35秒 | 聖書

「彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした」(使徒3:7)

ペテロとヨハネが宮に上った時に「美しの門」で、生まれつき足のきかない男性に出会った。
彼は、毎日、門の前に「運ばれ」「置いてもらった」。
自分では何もできず、人にすがらなければならなかった。
人に依存した人生であった。
人からの施しとお恵みで生きていた。
辛さ、怒り、悲しみや寂しさは、諦めになっていたかも知れない。

ペテロとヨハネを見た彼は、施しを求めた。
「私を見なさい」と言われ、お金がもらえるものと、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは「金銀は無い、しかし私にあるものがある。
それを上げよう。イエス・キリストの名によって歩け」と言われた。
生まれてから一度も歩いた事が無いのに。
だが、彼はその言葉を信じ、主にすがった。
すると、足とくるぶしが強くなり、おどり上がり、まっすぐに立ち、歩き出した。

歩き出した彼は、神を賛美した。今まで、人に運ばれて、置いてもらっていたのが、自分の足で立ち、歩き出した。
「イエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、この人を強くした」。
彼は主を信じ、いやされた。
私たちも、主を求めていると思いながら、実は、他のものを求めているかも知れない。

名誉、地位、人からの賞賛、自己実現・・・だろうか。
しかし、それも同じく依存の人生だ。
主は、御名を信じる信仰に立って歩めと言われている。
主を信じ、主にのみ拠り頼むことが、私たちの真の自立だ。
そして、そこにこそ本当の生きがいと喜びがある。
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信仰を持ちながらも、人からの「お恵み施し」を求めて座り込んでいるところを示される。
主にのみ頼る生き方だろうか。
すでに主に頼れる祝福に預かっている。
喜び賛美しながら主について行きたい。

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