信仰によって主にお仕えすることは、なんと幸いなことか。たましいは信仰の道を疲れることなく走り、くじけることなく歩むのである。キリスト・イエスはいのちの道であられる。主は平坦な道であり、楽しい道であり、罪におののく人々のよろめく足や弱いひざにもふさわしい道である。私はこの道を見いだしているであろうか。それとも、宗教家や学者が約束するような他の小道を捜し回っているのであろうか。聖なる大道は、そこを通る人がたとえ愚かであっても、迷うことのない道だと記されているのを私は読んだ。私は学問の高慢から救われているだろうか。そして、幼児のようにイエスの愛と血潮の中に憩う者とされているだろうか。それなら、他の道を選んでいる最も強い走り手をも神の恵みによって追い抜くであろう。この真理を覚えて、日ごとの関心や必要において益としたい。
友の間を駆け回るよりも、すぐに神のみもとに行くのが、私にとって最も賢明な道である。主は私の乏しさを知り、そこから私を助け出すことができるお方である。私は率直な祈りをもって神に嘆願し、神の明白な約束に基づいて求める。「まっすぐ走るのが最高の走り手である。」私はしもべたちと口論しないで、まっすぐに主人のもとに行く。
この箇所を読んで気づくことは、もし人が些細な問題で争っているならば、他の者に追い越されるということである。私は真剣に走らなければならない。
主よ。私が心を引き締め、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走ることができるよう助けてください。