グッパイ goo.gl/1hH2Ux
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月26日 - 12:52
出会いと別れ goo.gl/wK6UKr
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月26日 - 15:45
グッパイ goo.gl/1hH2Ux
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月26日 - 12:52
出会いと別れ goo.gl/wK6UKr
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月26日 - 15:45
創世記45章28節 goo.gl/o3jCyK
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 07:51
詩篇105篇1-7節 goo.gl/nGxKzq
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 07:57
◆今は聖徒たちと同じ国民であり……。 goo.gl/ruKJd5
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 08:01
◆閉ざされた心・開かれた心 goo.gl/6Z91ti
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 08:02
今日の聖人の記念日 goo.gl/iK92f6
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 08:04
おはようございます。 goo.gl/RY4BBj
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 08:05
箴言4:23 goo.gl/bRcWB4
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 20:15
◆こうして夕があり、 goo.gl/bFQijP
— 大西利幸 (@tosi_o) 2018年7月10日 - 20:17
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」(箴言4:23)
自分の心を見張るのは誰だろう。誰かが見張ってくれるのだろうか。
そうではない、他人が見張ってくれない。
自分が自分の心を見張らねばならない。
自由意志が与えられており、神もそこを支配されない。
あなたの心の態度は、あなたの自由な選択の結果だ。
神はあなたの態度をコントロール出来ないし、されない。どこまでも自由だ。
次から次へと問題は起きる。私たちを悩ませる対人関係が出て来る。
環境を変えれば何とかなるのでは、職場を変われば・・、相手が変われば何とかなる・・、
又、困難な事態が目の目に生じると、ちょっと時間を置けば何とかなる・・、環境、相手、時の問題にしようとするが、そうではなく、最大の問題は自らの心の態度だ。
苦難の人ヨセフは、兄達の妬みを買い、エジプトに売り飛ばされ、大変な苦しみに会う。
そこで、主人の好意を得、認められるが、又、苦難が来て、無実の罪で投獄される。
しかし、そこでも、模範囚となり、監獄長に認められる。
「主はヨセフと共におられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた」。
神がそのようにされた。しかし、そこに、ヨセフの神の御前における正しい態度があった。
環境、状況がどうであろうと、どんなに悲惨であろうと、心を歪ませないで、屈折させず、真っ直ぐに神を見て行く時、立って行ける。
ヨセフが自分の心を歪ませないよう、心をガードしたように、私たちも心を堅く見張っていよう。
-------------------
信仰生活で重要なものが、心の態度だ。自分次第だ。
心を屈折させて、いじけたり、すねたり、反抗する事ができる。
しかし、どんな中でも、自己憐憫、自己卑下せずに、主を信じて行こうとすることができる。
態度は自分の選択だ。
苦しい中で、素直に主を信じて行く選択が出来るよう祈ろう。
16世紀
当時、オランダでは宗教改革のさ中に、多くのカトリック信者が弾圧を受け、殺された。このとき、ゴルクム市では、4人の司祭、修道士を含む19名が捕えられ、ひどい拷問ののちに処刑された。
彼らの遺体はのちにブリュッセルに移され、彼らは「ゴルクムの聖殉教者」と呼ばれ、人々から崇敬されるようになった。
105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
105:5 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
作者は主を褒め称えよ、主を讃美せよと語ります。
その讃美のあり方は、主が行われた奇しいみ業を思い越すことによってであると言います。
私たちは日常生活で苦しみや困難に遭いますと、主を褒め称えることが出来ず、讃美もなくなってしまいます。
それは、自分に降りかかっている現実に、圧倒されてしまうからです。
これは、旧約の時代の人でも同じでした。
ですから、そうした中にあって、讃美をもたらす力を与えられ、また励ましを与えられたのは、主がなされた素晴らしい御業を思い起こすことにあると言っているのです。
その主の素晴らしいみ業を思い起こす時に、讃美が湧いてくると言うのです。
私たちは今までに、沢山の恵みを与えられています。
それを数えることによって、心の内に感謝と喜びと讃美が湧いてくると言うのです。
主の恵みを数えること、それが私たちに主への讃美の歌をもたらすのです。
★ イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」
■O:今日のコラム
ヨセフはもう死んだと思っていたヤコブでしたが、そのヨセフがエジプトで生きているということを聞いて元気を取り戻しました。
それは、年老いたヤコブに飛び込んできた思いもかけない希望のニュースでした。ヤコブは元気を取り戻し、気を取り直して、これから待っている新しい人生、希望の人生に期待を寄せているそんなヤコブの姿が目に浮かびます。
息子たちからは、「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」(創世記45:26)そのような報告を受けた時も、信じることができないでいたヤコブでしたが、そこには息子ヨセフがエジプトから子どもたちを遣わしたという事実がありました。
おそらく話を聞くだけでは、相変わらずヤコブはボーっとしていたことでしょう。しかし息子たちは、話だけではなくヨセフがヤコブを乗せるために送ってくれた車を見せたのです。するとヤコブは元気づいたのです。
現実を受け入れるのに多少の時間が必要だったでしょう。しかし、納得と同時に彼の心の中には新しい希望の光が差し込んできたのです。
神様のなさる事は本当に不思議です。人生はいつどのように進んでしまったとしても、そこには希望があります。人生の土壇場にいる状態から、信じられないほどの大逆転を神様が用意しておられることを私たちは期待して信じていきましょう。
暗いニュースから一変して、年老いたヤコブの生活に明るい希望のニュースが飛び込んできて、ヤコブの中には希望の光が差し込み、信じられないくらいの元気を取り戻したことでしょう。心の中で神様をほめたたえたのではないでしょうか。それと同時に、ヤコブの霊が生き返り、神様との関係が復活したと信じます。
飢饉という緊迫した状況の中で大切な息子を1人失い、また1人失うという家族の崩壊の危機から一変して、失った息子までが回復して、完璧なかたちで家族が回復されるという希望の世界へと移されたのです。
■A:考えてみよう
人生の大逆転は神様を信じる者への特権です。どんな下り坂でも神様が用意された最後の大逆転があることを私たちは信じ、期待して、主に委ねていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。