キリスト者よ。あなたの生活を、あざやかな証しとせよ。あなた自身を、川底の石がみな見えるまでに澄み切った小川のようにせよ。ただ表面のみが見える濁った流れのようにではなく、底まで透き通る流れとなれ。こうして、神と人とに対するあなたの愛をすべての人に見せよ。あなたが自ら「私は真実だ」と言う必要はない。真実な者となれ。自分の正しさを誇らず、正しい者となれ。人々はあなたの証しを見ないわけにいかなくなる。
弱い人間を恐れて、証しをやめるようなことが決してあってはならない。あなたのくちびるは祭壇の炭火で熱くされたのだから、天の炎に触れられたように語らなければならない。雲を見つめず、風にも問うな。時が良くても悪くても、救い主のために証しをせよ。
キリストと福音のため、何らかの苦難を忍ばなければならなくなっても恐れるな。むしろ、主とともに苦しむに足る者とされた栄誉が自分のものになったのを覚えて喜べ。さらに、あなたが受ける苦難、損失、迫害があなたを講壇とし、そこからあなたが以前にまさる熱情と力とをもって、キリスト・イエスのために証しのできることを覚えて喜べ。主の偉大な模範を学び、主の御霊に満たされよ。
自分の証しが主の栄光のためになることを願うなら、あなたはさらに多く教えられ、支えられ、恵まれ、へりくだらなければならないことを心に銘記せよ。