私は今初めて、主に信頼する人の祝福を見いだすのではない。はるか以前、サタンと私の罪が追いかけてきた時、私は、岩であるキリスト・イエスの裂け目に逃れ、主の裂かれた脇腹を楽しい安息所とした。
私の心よ。おまえの現在の悲しみがどのようなものであっても、今夜、新たに主のみもとに走って行け。イエスはおまえに同情し、慰め、助けてくださる。
難攻不落の要塞にたてこもる君主も、岩間にいる岩だぬきほど安全ではない。一万の戦車の将軍も、岩の裂け目の小さな居住者よりも安全とは言えない。イエスにあるなら、弱い者は強く、防御のない者も安全である。たとえ彼らが天国にあっても、それ以上に安全なわけではない。信仰は、地上の人々に天上の神の保護を与える。彼らはそれ以上のものは要せず、また願う必要もない。
岩だぬきは城を築くことができない。しかし、すでにそこにあるものを利用する。私は自分で避け所を作ることはできない。しかし、イエスはそれを備えてくださる。御父がそれを与え、御霊がそれを啓示された。
見よ、今夜再び私はその中に入る。そして、すべての敵から安全なのである。