座間コミニティー

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◆このわたしは荒野で、かわいた地で、

2013年10月31日 12時43分12秒 | 聖書

あなたを知っていた。(ホセア一三・五)

しかり、主よ。あなたは私が堕落していた時の様を知っておられました。その時でさえ、あなたは私をあなたのものとして選ばれました。私が汚れ、自分自身を嫌悪するほかなかった時、子どもとして私を受け入れ、私の燃えるような心の要求を満たされました。この自由な、豊かな、あふれるばかりのあわれみよ。このために私はとこしえにあなたの御名をたたえます。
その後も私の内なる経験は、しばしば荒野でした。しかし、なお私を愛する者として所有され、愛と恵みの流れを注いで私を喜ばせ、実り多い者とされました。ああ、外の環境が最悪であり、私がかんばつの地にさまよい出た時にも、あなたの楽しいご臨在は私を慰めました。嘲笑が私を待っていた時、人々はそれを知りませんでしたが、あなたのみ、逆境の中にいる私のたましいを知っておられました。なぜなら、どのような苦難もあなたの愛の輝きを曇らせることはないからです。いと高き恵み深き主よ。試みの中にあった時、いつも誠実であられたあなたをほめたたえます。そして、私はあなたの柔和と愛に一切を負っているのに、あなたを忘れ、心に高ぶりを覚えていたことを嘆き悲しみます。主よ。あなたのしもべをあわれんでください。
私のたましいよ。おまえが卑しかった時、このようにイエスがおまえを顧みられたとすれば、繁栄している今も、主ご自身とそのみこころの支配下にあることを確信せよ。世の成功によって高慢になり、真理を恥じ、属する教会を恥じてはならない。主に従って荒野に行け。迫害の火の手が燃え上がっている時にも、主と共に十字架を負え。おまえが貧乏と恥辱の中にあった時も、主はおまえをご自身のものとして所有された。決して主を恥じて主にそむいてはならない。おお、私の愛する方を恥じるとは、思うだけでも恥辱である。イエス様。私のたましいはあなたにすがります。
 最も輝かしく、麗しき主よ
 私のたましいはあなたにすがります
 心労の夜にも、また光の昼にも

 


◆人をのろわば穴二つ

2013年10月31日 07時36分01秒 | 聖書

穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、
石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。(箴言二六27)

小さい時、私たちはよく落とし穴を掘って遊びました。原っぱに穴を掘り、その上を木の枝や草でおおって擬装し、人が落ちるのを楽しみにしていたものです。でも次の日に、自分のしかけた落とし穴を忘れて、自分で落ちてしまったということなども、確かあったようです。こんなことは遊びです。しかし、「人をのろわば穴二つ。」――これは、深刻な現実です。
聖書の中に、いくつか顕著な実例があります。ハマンという高官は、憎いユダヤ人のモルデカイを王にざん言し、彼をはりつけにするために、柱を立てておきました。しかし、そのハマンの悪だくみが王妃エステルによってあばかれた時、ハマンは、自分が立てたはりつけ柱にかけられてしまいました。エステル記に出ていることです(五―七章参照)。
ユダヤ人の預言者ダニエルを憎み、彼を落とし入れようとした大臣たちは、ダニエルを投げこもうと計画した獅子の穴に、自分たちが投げこまれる破目になってしまいました。旧約聖書ダニエル書に書かれています(六章参照)。のろいや悪だくみは、必ず、自分自身へののろい・わざわいとなって返ってきます。
そして愛もまた、必ず、勝利と祝福を持って返ってくるのではないでしょうか。聖書は言います。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。……いつまでも残るものは……愛です」(Ⅰコリント一三4―813)。

 


◆ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。

2013年10月31日 07時35分08秒 | 聖書

(詩篇五一・一〇)

信仰後退者が、もしその内にわずかでも残りの火をとどめているならば、回復を求めてうめくであろう。彼が再び新たにされるには、回心と同様の恵みの働きが必要である。私たちは回心の時、悔い改めが必要であった。今もたしかに悔い改めが必要である。私たちは最初キリストのもとに来るため、信仰を求めた。今もこれと同じ恵みのみが私たちをイエスのもとに行かせる。私たちはその時、私たちの恐れに終止符を打つため、いと高き方のみことば、愛する者のくちびるより出るみことばを必要とした。私たちは現在罪の意識の下にある時、なおそれを要することを発見するだろう。だれでも、初めに感じたような聖霊の力の真の顕現がなければ、新たにされることは不可能である。なぜなら、それは難事業であり、血肉は今も変わることなく行く手をふさいでいるからである。
クリスチャンよ。あなたの弱いことを、神に熱心に助けを求める理由とせよ。ダビデが自らの無力を感じた時、手をこまねくことなく、くちびるを閉じることなく、恵みの座に駆けつけて、「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」と祈ったことを覚えよ。あなたが一人では何事もなし得ないという教えを、怠惰の理由とせず、イスラエルの保護者に熱心に駆けつける理由とせよ。あなたが命をかけて「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」と神に嘆願する恵みを得られるように。神に向かって真剣にこのように祈る者は、神の働かれる手段を用いることによって、自分が誠実であることを証明するであろう。
多く祈れ。神のみことばに生きよ。あなたから主を追い出した肉欲を殺せ。罪が再び頭をもたげないように警戒せよ。主はご自身の定められた方法を用意される。道のかたわらに座せ。主がお通りになる時、あなたは備えができていよう。あなたの恵みを養い育てる信仰の務めを続けよ。そして、すべての力が主から来なければならないことを知り、「ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」と叫ぶことをやめるな。

 


士師記7章4-8節

2013年10月31日 07時33分46秒 | 聖書

7:5 そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、【主】はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」
7:6 そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。


ギデオンと共にいた民は3万2千人でした。

主はギデオンに、その人々の内で戦いに恐れを持っている人は帰りなさいと言え、と命じました。

そしてその通りにすると、1万人の人々が残りました。

しかし主は、まだ多いと言われました。

そこで、主が示される方法で水を飲む者を、戦いのために選べと言われました。

それは、膝をついて水を飲む者を選んで残すことでした。

そしてその通りにすると、300名の人々が残されました。

主はその人々を用いて戦えと告げられたのです。

約3万人から、たった300人の数に減らされてしまったのです。

通常でしたら、このような人数で勝てるものかと思うことです。

ギデオンにとっても、それは試みでした。


ヘブル人への手紙7章24節(ホセア書2章)

2013年10月31日 07時31分54秒 | 聖書

 ★  しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

■O:今日のコラム

今日の聖書箇所は、メルキゼデクについて書かれています。メルキゼデクとは何なのでしょうか?

メルキゼデクは旧約聖書に登場する祭司で、その出生も死に方もよくわからないとされている人物です。(3節)

しかし、聖書の人物は名前を紐解くとその人の召しや人生が凝縮されていることがあります。ですので、メルキゼデクの名前を詳しく見てみたいと思います。

2節の後半には「その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち義の王です。」と書かれています。

メルキゼデクのメルキとは王、ゼデクとは義、そしてサレムとはシャローム、つまり平和という意味があります。つまり、義と平和の王ということができると思います。

また、信仰の父と呼ばれるアブラハムが一番良い戦利品をメルキゼデクに与えたとあります。(4節)十分の一のものを与えるということは、アブラハムよりもメルキゼデクの立場の方が上ということができると思います。

この7章全体読んでいくと、メルキゼデクとは旧約聖書に現れたイエス・キリストの型だということが見えてきます。キリストは昨日も今日もとこしえまでも変わることがないお方です。キリストが人の形をとってこの地に来られる前からも存在され、永遠に存在されるお方です。

そして、祭司とは神と人との間に立ち、民の罪をあがない、民の罪をとりなすものです。律法が選ぶ祭司は弱さを持った人を選びますが、律法の後に語られた神の約束のことばによって選ばれた祭司の中の祭司、つまりキリストは永遠に代わることがありません。

この大祭司イエス・キリストは、いつも生きていて私たちのためにとりなしてくださっています。(25節)

また、聖霊様もいつも私たちのために言いようもないうめきを持っていつも執り成してくださっています。(ローマ人への手紙8章26節)

私たちはなんと大切な存在として見られているのでしょうか。神様が全力で私たちのことを愛してくださっているのですから、私たちもその愛に応えようではありませんか。

■A:考えてみよう

私たちが神様の愛に応えられるのは何でしょうか。

色々な事があると思いますが、ヒントは神様が私たちの一番大切なものが欲しいと願っておられることにあると思います。

あなたの一番大切なものは何ですか?

お金ですか? 時間ですか? あるいは他のものですか? あなたが喜んでその大切なものを神様に差し出す時、神様は言いようもない喜びを持って答えてくださると信じます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。


◆庭の中に住む仲間たちは、

2013年10月30日 16時03分00秒 | 聖書

あなたの声に耳を傾けている。私にそれを聞かせよ。(雅歌八・一三)

主イエスは、ゲツセマネの園を去り、今主の教会の園の中に住んでおられるが、あの園のことをよく覚えておられる。そして今住んでおられる教会の園においても、主の幸いな仲間に加わっている者に、御心を打ち明けてお語りになる。その御声には、すべての人間の音楽も及ばない愛のメロディーがある。
地上における何万の人々、天上における何百万の人々が、その調和のある音楽を楽しんでいる。私がよく知り、うらやましく思っていた人々は、今なつかしい御声に耳を傾けている。おお、私もその喜びにあずかることができたなら! これらの人々のうち、ある者は貧しく、他の者は長く病床にあり、さらにある者は死の門に近づいている。しかし、おお、私の主よ。あなたの御声さえ聞くことができるならば、私は喜んで彼らと共に飢え、やせ衰え、共に死にたい。
かつて私は、しばしばあなたの御声を聞いていました。しかし、あなたの御霊を悲しませました。私をあわれみ、私のところに帰ってください。再び「わたしがあなたの救いだ」と御声をかけてください。他のどのような声も私を満足させません。私はあなたの御声を知っています。私に御声を聞かせてください。あなたが何と言われるかは知りません。そして、条件をつけることをしません。愛する主よ。ただあなたの御声を聞かせてください。それが叱責ならば、そのためにあなたをあがめます。私の鈍い耳をきよめるために、肉にとって非常な苦痛である手術を要するかもしれません。しかし、どんな犠牲が必要でも、ただ、御声を聞くことができない者とはしないでください。
今夜、あなたの卑しいしもべの、この願いを許してください。私はあなたの血で贖われ、あなたのものなのですから。あなたが私の目を開き、あなたを見ることを得させてくださったために、私は救われました。主よ。私の耳を開いてください。私はあなたの御心を読みました。今、あなたのくちびるの御声に耳を傾けさせてください。

 


◆巧言令色すくなし仁

2013年10月30日 07時37分56秒 | 聖書

声を和らげて語りかけても、それを信じるな。
その心には
七つの忌みきらわれるものがあるから。(箴言二六25)

「人を見たらどろぼうと思え」ということばがあります。
人間をそのことばどおり信じるな。人のことばは表面上のもので、「その心の中には七つもの忌まわしい思い・悪い心がひそんでいる」というのです。悲しいことです。しかし、悲しい現実ではないでしょうか。
ソロモンは、ことばがじょうずで、心が悪い人の姿を「銀の上薬を塗った土の器のようだ」(箴言二六23)と言いました。銀むくだと人に思わせますが、中味が違うのです。中国でも、「巧言令色すくなし仁」といって、ことば巧みな人は警戒せよ。真実の人は少ない、必ずといっていいほど裏があると警告しています。私たち人間には裏表がある、口と心の不一致がある。――このことは、人を判断するためによく知っておくべきでしょう。しかし、何よりもこれを自らに当てはめてみて、反省材料にすべきではないかと思います。
いったいどんな、いやな心・みにくい心・神に忌みきらわれる心が、私たちのうちにあるのでしょうか。
イエス・キリストは、こう言われました。「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。……内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」(マルコ七15―23)。
イエス・キリストは、またこう言われました。「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ四14)。忌まわしい、人をけがすものではなく、こんな新しい泉を心の中に持ちたいものです。

 


◆私は心を尽くして主に感謝します。

2013年10月30日 07時37分00秒 | 聖書

(詩篇九・一)

祈りが答えられた時、いつでも感謝がなされなければならない。それはちょうど天上の愛の太陽が地を暖める時、地の感謝の霧が立ち上るようである。主はあなたにあわれみ深く、あなたの訴えに耳を傾けられたか。それならあなたは生きている限り主に感謝せよ。熟した果物を、それにいのちを与えた源である肥えた地の上に落とせ。あなたの祈りに答え、あなたの心の願いをかなえられた方に歌をささげることを拒んではならない。神のあわれみに対して沈黙を守ることは、忘恩の罪を犯すことになる。それは、病をいやされたのに、いやし主に感謝をしに帰らなかった九人と同様、卑しいことである。
神に対する感謝を忘れるのは、私たち自身を益することを拒むことである。なぜなら感謝は、祈りと同様、私たちの霊的生活の成長を促進する有力な手段だからである。感謝は私たちの重荷を去り、希望を盛んにし、信仰を増進させることを助ける。それは、信者の活力を盛んにし、主の御用のため新しいことを企てる勇気を与える、健全な、また活気ある活動である。
神に対し、受けた恵みを感謝することは、私たちの友をも益する道である。「貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。」もし私たちが「私とともに主をほめよ、共に、御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった」と言うことができれば、私たちと同様な事情の下にある者は慰められるであろう。私たちの「救いの歌」を聞いて、心の弱い者は強められ、うなだれた聖徒は力づけられるだろう。私たちが詩と賛美と霊の歌とにより、互いに教え、互いに戒めるならば、彼らの疑いや恐れは消え去るであろう。私たちが、主の聖なる御名をあがめるのを彼らが聞く時、彼らもまた「主の道について歌う」であろう。
クリスチャンの義務の中で最もすばらしいのは感謝である。天使は祈ることはしないが、昼も夜も感謝をやめない。贖われた者は白い衣を着、しゅろの枝を手に、うむことなく「小羊はふさわしい」とたたえる新しい歌を歌う。

 


士師記7章1-3節

2013年10月30日 07時35分33秒 | 聖書

7:2 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」


ギデオンは、主が自分と共にいてくださるという確信を与えられました。

そこで彼は、ミデアン人と戦うために敵の陣地へと赴いていきました。

彼は戦いのために、必要と思える人材をそろえたようです。

ところが主は、あなたと一緒にいる民は多すぎると言われました。

また、このままではミデアン人をあなた方の手に渡さないとも言われました。

それは彼らが、ミデアン人との戦いに勝った時に、彼が自分たちの手によってミデアン人に打ち勝ったのだと語って、誇るようになってしまうからでした。

主がギデオンを戦いのための指導者としてたてたのですから、ギデオンは、その戦いの力は主にあり、また勝利も主にあるということを証しすべき人でした。

ですから、そのようなあり方を持って戦うように導かれたのです。

悪との戦いは、主の御力にこそ、頼るべきなのです。


ホセア書1章7節(へブル人への手紙6章)

2013年10月30日 07時33分31秒 | 聖書

★  しかし、わたしはユダの家を愛し、彼らの神、主によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣、戦い、および馬、騎兵によって彼らを救うのではない。

■O:今日のコラム

現在、ユダヤ人たちは、自分の国、イスラエルが国として存在し続けられるよう必死に守っています。サタンはイスラエルという国を消すために、必死にイスラエルの周りの国々を使ってイスラエルを攻撃してきます。その方法は、様々ですが、目に見えているのはテロ、暴力、戦争、などなどです。

それにイスラエルの政府も必死に対抗しようと、スパイを送ったり、水面下で敵国をいろんな方法で反撃しています。話によると、イスラエルの情報機関、モサドは、世界一優秀だと。攻撃される前に情報をいち早く受け取り、それに対処ができる情報機関のエキスパートです。けど、自分たちの国を自らの力で守りきろうとしているので、いろんな人の血を流し、手を汚しています。

今のイスラエルの状態をみると、軍事力を用いて対抗しないとイスラエルはなくなってしまう、だから、手が汚れてしまうのはしょうがないと思われます。

しかし、今日の箇所にはっきりと神様は語られています。
ユダヤ人、イスラエルの救いは、弓、剣、戦いなどによるのではないと。

実際に近代のイスラエルの歴史を見ても、それが見えてきます。六日戦争の時、イスラエルは四方八方から攻撃を受けたにも関わらず、勝利を得ました。

ある戦場では、あり得ないことが起こったのです。明らかにイスラエル軍の方が人数が少なかったのに、敵が近づいてきたと思ったら、途中で退却し始めたのです!!あとで、何が起こったのかを聞いたら、敵はイスラエル軍が彼らより圧倒的に多い軍に見えて恐ろしくなり、退却したそうです。

そう、今の時代でも、主はイスラエルを軍事力ではなく、主の方法によって救うことができるのです!

私は、このたくましい姿の神様、そしてこの力強い御言葉が大好きです。

主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
「やめよ、わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(詩編46編9-10節)

■A:考えてみよう

このように、イスラエルを神様の方法で救われる方は、神様を愛している私達をも救われるお方です。なので、今日、自分の力を置き、神様に委ね頼っていきましょう。

そして、ぜひ今日、イスラエルの国の為に祈っていきましょう。その国が、真の神様だけに頼っていくことができるように。自らの力を置き、全能なる神様がイスラエルを守ってくださることを祈っていきましょう。

また、ユダヤ人のうちに、本当の平安、イエス様が心のうちに明らかにされ、住まわれますようにとも、祈っていきましょう!!

■P:祈り

ハレルヤ!! あなたの方法は私たちが思っているよりも遥かに素晴らしくベストなものです。あなたは軍事力ではなく、あなたの力で戦いをやめさせることがおできになるお方です。

そして、あなたは、必ず勝利を与えてくださるお方。私の人生にも、すでに勝利を与えてくださっていることを感謝します。あなたの御名をほめたたえます!!

主よ、今日もイスラエルに目を留め、その国を守り、そして、ユダヤ人たちにあなたの素晴らしさが語られていきますように!!!

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


◆しかしふたりの目はさえぎられていて、

2013年10月29日 15時50分14秒 | 聖書

イエスだとはわからなかった。(ルカ二四・一六)

弟子たちは、イエスを当然知っていなければならなかった。彼らは絶えず主の御声を聞き、御顔を見ていたのに、主を見分けることができなかったとは、むしろ不思議である。しかし、あなたも同様ではないか。あなたは近ごろ、主に会っていない。あなたは主の食卓に列しながら、主にお会いしていない。今夜あなたは暗黒の苦悩のうちにあり、主がはっきりと、「わたしだ。恐れることはない」と告げられるのに、あなたは主を見分けることができない。
ああ、私たちの目はさえぎられている。私たちは主の御声を知り、御顔を眺め、自分の頭を主の胸にもたせかけてきた。しかし、キリストがすぐ近くにおられるのに、私たちは「主がどこにおられるかを知ることができたなら」と言っている。私たちはイエスを知るべきである。私たちは主の御姿を示す聖書を愛している。しかしそれを開きながら、自分の愛する主を一目見ることさえできないとは、どういうことか。
愛する神の子たちよ。あなたはこのような状態にいるか。イエスはみことばのゆりの中におられる。あなたはそのゆりの中を歩きながらも、主を見つけることをしない。主は常に聖書の中を歩み、そよ風の吹くころ、御父がアダムと交わられたように、その民と交わられる。あなたは聖書の園の中におり、主が常にそこにおられるのに、あなたは主を見ることができない。
なぜ私たちは、主を見ないのか。不信仰のゆえである。弟子たちは、明らかに、イエスにお目にかかることを期待していなかった。そのため、彼らはイエスであることがわからなかった。私たちにイエスを見ることができるようにさせるのは、信仰のみである。「私の目を開いて、私と共におられる救い主を見させてください。」これをあなたの祈りとせよ。主にお目にかかることを願うのは幸いである。しかし、おお、主を見つめることは、はるかにまさる。ご自分を求める者に対して、主は親切であられる。しかし主を見いだした者には、主は表現できないほど親愛なお方である。

 


制定を許さない!11.12緊急市民集会

2013年10月29日 07時21分43秒 | 平和・基地

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命と安全を脅かす「秘密保護法案」に反対するかながわ集会
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★日時:11月12日(火)午後6時30分
★会場:かながわ県民センター301号室

★お話 海渡雄一さん(日弁連秘密保全法案対策本部委員)
「市民の生命と安全を脅かす秘密保護法案―厳罰化と処罰の早期化―」

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安倍政権が今国会で成立をめざす「特定秘密保護法案」は、市民の生命や
安全を脅かすような危険な法案です。市民団体、報道関係、法曹界と反対の
声も日々に大きくなっていますが、公明党も修正案に合意していよいよ国会
に提出されます。
この法案は、1980年代に中曽根政権が制定しようとして、世論の大きな
反対で挫折した「国家秘密法」の内容をさらに拡大し、重罰化したものです。
政府・官僚が安全保障上、重要とする外交、防衛、安全脅威活動(スパイ活動)、
テロ活動の防止、に関わる情報を「特定秘密」とし、これらの情報を公務員な
どが漏らしたり、漏らすように唆したり、煽動、共謀した者も、最高懲役10
年の厳罰が科されます。
福島原発事故における情報隠しを見れば、原発情報などは、まずテロ対策を
理由に広範に「秘密」とされるでしょう。
政府は、この法案を外交・安全保障政策の司令塔となる「国家安全保障会議
設置法案」とともに今国会で成立させるため、公明党が要求した「知る権利」
や「取材の自由」を明記し、秘密指定の基準作りに有識者が意見を述べる場をつく
る等の修正をしましたが、小手先のごまかしに過ぎず、根本的な問題は残ったま
まで法律の危険性が解消するわけではありません。
「特定秘密保護法案」は、市民の知る権利、表現の自由を侵害し、民主主義を否
定し、私たちの生活と安全そして平和を脅かす違憲の法案です。世論を盛り上げ
て何としてもこれを廃案に追い込みましょう。
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★共催団体
盗聴法に反対する神奈川市民の会 (久保 090-2669-4219)
日本国民救援会神奈川県本部 (050-3310-1368)
日本キリスト教団国家秘密法反対特別委員会
住基ネットに「不参加」を!横浜市民の会
すべての基地にNO!を・ファイト神奈川
さよなら原発・神奈川
★後援:神奈川平和運動センター

★参加費:500円

★集会賛同団体募集:11.12 緊急市民集会への賛同を呼びかけます。
安倍内閣、特別委員会、神奈川県選出国会議員、マスコミ等
に賛同団体の名簿を添えて集会決議を提出します。
<連絡先> e-mail:h2kubo@jcom.home.ne.jp FAX:045-788ー0838


◆ストップ、陰口

2013年10月29日 06時55分08秒 | 聖書

たきぎがなければ火が消えるように、
陰口をたたく者がなければ争いはやむ。(箴言二六20)

確かに「陰口」は、争いの火にたきぎをくべるようなものです。それなのに私たちは、よく陰口をたたきます。どうしてでしょうか。
第一に、人のよしあしを言う品定めにはこたえられない楽しみがあります。
第二に、人間には、面前にいる人を喜ばそうという気持ちが働きます。そして、いない人の悪口を言うと、人は一番喜びます。「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ」と、箴言二六章二二節は言います。
第三に、これは一番強力な陰口の動機です。人はうらみにかられて陰口をたたきます。憎い、うらめしい、怒りでいっぱいだ、怨念を晴らしたい。――そこで、あることないこと陰口をたたきます。
私自身が体験している「陰口のストップ法」を二つ紹介しましょう。第一は、陰口を言いたい時、ことにうらみの気持ちから言いたい時は、待てよ、本人に面と向かって言うとしたら、私は何と言うだろうかと考えます。必要なら、本人に面と向かえばこう言うという文章を実際に書いてみます。そして、本人の面前で言えないことは言わないと、ストップをかけるのです。こんなやり方をして、しばしばよく分かったのは、陰口の槍玉にあがる相手よりも、私自身の高ぶり・怒り・うらみ・憎しみこそ問題だということでした。
第二は、人が陰口を話すのを面白がって聞かず、ストップをかけてしまうことです。ピョートル大帝のところへある貴婦人が来て、自分の主人の悪口を言い始めました。ピョートル大帝は、「私の知ったことではない」と言いました。すると、その女は「でもピョートル大帝、私の主人は陛下の悪口も言いますの」とさそいをかけました。すかさずピョートル大帝は、「それはあなたの知ったことではない」と言ったそうです。