これらのすべての望みの多い季節は、来て、また去っていった。――あなたの刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。――しかしあなたはまだ救われていない。歳月は次々と来て、また去り、永遠に至る。そしてあなたの最後の年も、すぐにやって来るであろう。青年期は過ぎ、壮年期も過ぎようとしている。しかし、あなたはまだ救われていない。
私に質問させていただきたい。あなたは結局は救われるのか、と。そのような見込みがあるだろうか。最も幸運な季節はすでに去ったが、あなたはまだ救われていない。これから先、他の社会があなたの状態を変えるだろうか。あなたに対して尽くされた数々の手段は失敗に終わった。忍耐強く、この上ない愛情をもって尽くされた最善の手段が、失敗に終わったのである。
あなたに対して、これ以上いったいどうすればよいであろう。患難も繁栄も、あなたに何の印象も与えなかった。涙も祈りも説教も、あなたの荒れ果てた心にはむだであった。あなたが救われる可能性は、もうなくなってしまってはいないか。あなたは、死が希望の戸を永久に閉ざしてしまうまで、現状を続けるのではないか。このような想像から、あなたは後ずさりするのか。しかし、それは最も合理的な考え方なのである。何度となく入浴を拒んだ者は、結局最後まで汚れたままでいるのではないか。好機がこれまで決して来なかった人間に、どうしてこれから先、それが来ることがあろう。それが決して来ないとして恐れることは、論理的である。そしてあのペリクスのように、あなたは地獄に行くまで好機を見いだすことはないであろう。
おお、その地獄はどんなものか。そしてあなたが、まもなくそこへ投ぜられる恐るべき可能性について考えてみよ!
読者よ。あなたが救われないで死んだと想像してみよ。あなたの運命は、どのようなことばによっても描写することはできない。あなたの恐るべき状態を涙と血をもって書き、うめきと歯ぎしりをもって語れ。あなたは主の栄光からの、そして主の御力の栄光からの、永遠の破滅をもって罰せられるであろう。私は願う。主にある者としての私の声が、あなたを驚かせ、神の必要をあなたに悟らせるように。
おお、賢明になれ。遅くならないうちに……。そして新しい年の始まらないうちに、全く救うことのできるイエスを信じよ。この最後の時間を黙想のために聖別せよ。そしてもし、深い悔い改めの心があなたのうちに起こされればよい。そしてもしその結果、イエスにある謙遜な信仰に導かれるならば、それにまさるすばらしいことはない。あなたの罪が赦されないうちに、この年を去らせてはならない。真夜中の新年の鐘の音を、喜びのない霊の上に響かせるな!
今、今、今、信じなさい。そして生きなさい。
いのちがけで逃げなさい。
うしろを振り返ってはいけない。
この低地のどこででも立ち止
まってはならない。
山に逃げなさい。
さもないと滅ぼされてしまう。