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本当は恐ろしいエホバの証人

2018年03月31日 14時42分53秒 | その他

CTラッセル「以下省略のためラッセルと書かせていただきます」とフリーメイソン「またはイルミナティ」

さあいよいよこの人は頭がおかしくなったか 悪魔にとりつかれているのだとお思いのことでしょう 自分も調べてみるまではそう思っていたのですが 全部うそとも言い切れないような......まあ100年以上も前のことですので とりあえず自分の思っていることだけ書きます

さてものみの塔関連の本をいくつか読んでいるうちにものみの塔の創始者CTラッセルはフリーメイソン「またはイルミナティ」であるとの記述がありました 
一例 以下はインターネットの辞典のような ウキペディアからの抜粋です
 

ではフリーメイソン及びイルミナティとは何のことでしょうか 



それでちょっと一言では説明しにくいのですが ボーイスカウトとかの慈善団体を含む非常に大きな組織で その上のほうのごく一部の人たちをイルミナティというそうです そしてラッセルはその一員であったということです

どうしてわかるのか 協会はラッセルの時代にすこしエジプトのピラミッドに凝ってたことがあったくらいにしか書いてありませんが
イエスキリストは (ルカ 6:45) …心に満ちあふれているものの中から人の口は語るからです
とか(ルカ 6:44) …木はそれぞれその実によって知られるからです…
と のべて その人の内面は語ることや行動によってあらわれるといっています

ではラッセルの語ったことや行動にはどんなものがあったのでしょうか

以下はラッセルのお墓でピラミッドになっていますhttp://www.jwic.info/cemetery.htm


以下はスプリングマイヤーさんというもとエホバの証人でそのあと ものみの塔について調べた人の著書
イルミナティと悪魔の13血流 という本からの抜粋ですlllllエノク魔術とフリーメーソンとものみの塔
チャールズ・ティズ・ラッセルが書き記したものを綿密に研究した結果、この男がエノク魔術を実
践していたという事実が浮かび上がってきた。彼の著書はエノク魔術に好意的な趣がある。もっとも、
それを実践した、という記述はどこにもない。しかし人間は心に思っていることを、文章にしたり口
に出したりするものである。彼が陰でウィッチクラフトを実践していたことは、彼が選ぶ言葉や思想
から自然と浮かび上がってくる。この信念は、数年前、私の著書について何も知らない二人の人物が
提供してくれた情報によって強められた。
その二人とは、ものみの塔のべテル本部において、イルミナティに属していた人物だったのである。

中澤啓介さんも ものみの塔の源流からくわしくのべています

 

というわけで 日本語で ものみの塔 英語では ウォッチタワーですけと 実は聖書ではなく 魔術と関係があるなんて 恐ろしいです ものみの塔の源流 229ページあたり 
エホバの証人にとって 協会や統治体ほど光の使いに見えるものはないでしょう 実際イルミナティとは光を掲げるものという意味です
(コリント第二 11:14, 15) …サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。15?したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません。しかし,彼らの終わりはその業に応じたものとなります。
それでその起源は自分は 悪魔サタンだと思います 以前の協会の出版物に 堕落したキリスト教を例えてドブに落ちたアメをあなたは拾って食べますかという 質問がありましたが 協会は堕落したキリスト教ですらなく もともとサタンが植えた雑草 にせ小麦で 最初はいくらか外見は小麦に似ているものの大きくなって明らかに違いが分かるようになったものだと思います
(マタイ 13:27‐30) …,『ご主人様,畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに,どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか』。28?彼は言いました,『敵である人がそれをしたのだ』。彼らは言いました,『では,わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。29?彼は言いました,『いや。雑草を集めるさい,小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。30?収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら,わたしは刈り取る者たちに,まず雑草を集め,焼いてしまうためにそれを縛って束にし,それから,小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい,と言おう』」。


ここでみなさんは でもどうしてサタンが自分に都合の悪い聖書を大勢の人に教えるのかと思うかもしれません 
いくつか理由が考えられると思いますが 
最初に実際にお金が儲かります 考えてもみてください 毎月皆さんが 寄付するお金 大会で寄付するお金 出版物に対する寄付 あとベテル奉仕者や建設奉仕者 など無料に近い奉仕者を用いて手に入れる王国会館などの施設 など しかも宗教法人ですから無税です

また先手必勝とか攻撃は最大の防御という言葉もあるように人間最初に聞いた人のことを信じる傾向がありますから他から聖書のことを知る前に先手を打ってまちがった聖書の教えを与えてそれを信じるようにしておけば救われることがありませんからそれでよいのです 
さらには サタンの支配方法に分割して統治せよというものもあります それぞれのグループを小さくしておけば何か都合悪いことがあったときに 小さいものが自分にはむかってきてもつぶすのが簡単ですし また他のグループをぶつけてケンカさせることもできます 一例としてイギリスがインドのような大国を制御しきれなくなって独立をゆるすときに ヒンズー教とイスラム教をうまく対立させて インドとパキスタンに分割して統治を続けたなどの例があります 
またイルミナティ の人々を支配する方法に ヘーゲル弁証法 というのがあるそうです つまり 正と反 テーゼとアンチテーゼ ある意見をたてそれと反対の意見をたて 両方をコントロールすることにより 全てを支配することができるというものらしいです
例として アメリカなどでは二大政党がありお互いに反対のことを言って戦いあっているように見えますが両方を支配していれば それを応援している国民全員を支配することができます
またナチスドイツと連合軍の戦いとか ソビエトとアメリカ つまり共産主義と資本主義の争いも両方をコントロールしていれば また カトリックもそれに反対する協会とか他の宗教組織の両方をコントロールすれば人類全体をコントロールできます 
それでサタンにとっては いずれも本当のキリストの教えではないのでどちらに属していてもかまわなのです またこうしたものに接して 落胆して もう宗教はこりごりだとか聖書はもういいとなっても サタンにとってはかまわないのです 自分はは607年のことを調べてから本当に聖書は歴史的に正確だと確信することができ よりいっそう聖書に対する信頼を深めることができました ただ聖書にはまだ意味の分からないところがたくさんあるのでそれはイエスキリストとエホバ神があらわれて これはこういう意味ですよといってくれない限り分からないと思います 100人いれば100通りの解釈があるでしょう 不信仰な人間ですみません 
(ヨハネ 20:25) …その手にくぎの跡を見,わたしの指をくぎの跡に差し入れ,手をその脇腹に差し入れない限り,わたしは決して信じない…
どうかみなさんも 協会がニセモノだとわかったからといって 聖書から離れてしまうことがありませんように
聖書もこういっています 
(ルカ 11:9) それゆえにわたしはあなた方に言います。求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます…
(哀歌 3:24) …「それゆえに,わたしは[神]を待つ態度を示すのです…
(ペテロ第一 1:6, 7) …もっとも,現在しばらくの間,やむをえないことであるにしても,あなた方はさまざまな試練によって悲嘆させられてきました。7?それは,火によって試されながらも滅びてしまう金よりはるかに価値のある,あなた方の信仰の試された質が,イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれとなるためなのです…




 


エホバの証人2

2018年03月31日 14時25分37秒 | その他

以下はもと統治体の成員のレイモンドフランズさんが統治体の会合で他の統治体の成員にオロフジョンソンさんの資料を見せたいきさつです 良心の危機より

なんだか 統治体ってエホヤキム王みたいです(エレミヤ 36:22‐24) …ときに,王は冬の家に座っており,第九の月であったので,その前には火鉢があって火が燃えていた。23?そして,エフディが三ないし四ページ分の欄を読むと,[王]はすぐに書記官の小刀でそれを引き裂き,また,[それを]火鉢の火に投げ入れたので,ついにはその巻き物全部が火鉢の火の中で焼けてなくなった。24?それでも,彼らは少しも怖れを感ずることなく,そのすべての言葉を聴いていた王も,彼のすべての僕たちも,自分の衣を引き裂くこともしなかった…

以下は上記の記述にあるレイモンドフランズさんが統治体の会合で他の統治体の成員に見せたオロフジョンソンさんの資料です 考古学や歴史から見たもの  聖句からみたもの 現代の1914年の教理ができたいきさつの3部に分かれています異邦人の時 ウーロフジョンソン

 

 中澤啓介さんという方も 独自に調べられましたが ほぼ同じ結論に達しています ものみの塔のアキレス腱

カレブさんのサイトにも大変丁寧に説明されています

いつの間にかわたしたちはイエスの警告を忘れていました
(マタイ 24:23‐26) 23?「その時,『見よ,ここにキリストがいる』とか,『あそこに!』とか言う者がいても,それを信じてはなりません。24?偽キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きなしるしや不思議を行なうからです。25?ご覧なさい,わたしはあなた方にあらかじめ警告しました。26?それゆえ,人々が,『見よ,彼は荒野にいる』と言っても,出て行ってはなりません。『見よ,奥の間にいる』[と言っても],それを信じてはなりません…
見よキリストは1914年以来 天におられると言う者がいてもそれを信じてはなりません
というわけで 協会の607年の教理はまちがいであり さらに協会はとっくの昔にそれを知っているうえで自分たちの利益のために信者にウソを教え続けている偽りの宗教であると自分は思い 聖書の以下の助言に従うことにしました
(啓示 18:4) …「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい… 
  

また 協会や 統治体 の 人間の教えよりも 神に「聖書の言葉」に従いたいと思いました
(使徒 5:29) …それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った,「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません…

組織とエホバ神の両方の主人に仕えることはできません
(マタイ 6:24) …「だれも二人の主人に奴隷として仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか,一方に堅く付いて他方を侮るかのどちらかだからです。あなた方は神と富とに奴隷として仕えることはできません…

補足
あと みなさんは 協会が(ダニエル 1:1) …ユダの王エホヤキムの王政の第三年,バビロンの王ネブカドネザルはエルサレムに来て,これを攻め囲ん… を 否定していることをご存知でしたか だれが どうみても エホヤキムの治世の三年目だと思うのですが 協会は 属国の王としての三年目だといいます

*** 洞‐1 410ページ エホヤキム ***
ダニエルがダニエル?1章1節で言及しているのは,バビロンに仕える属国の王としてのエホヤキムのこの第3年のことであろうと思われます。それはエホヤキムのユダに対する11年間の治世の第3年だったとは考えられません。

また ネブカドネザルが見たとほうもなく大きな像の夢の年代も否定しています だれがどうみてもネブカドネザルの治世の第二年と聖書はいっていると思います

*** 塔07 9/1 18ページ 2節 ダニエル書の目立った点 ***
ネブカドネザルはいつ途方もなく大きな像に関する夢を見ましたか。記述によると,それは「ネブカドネザルの王政の第二年」のことでした。ネブカドネザルが王になったのは西暦前624年ですから,治世の第二年は西暦前623年に始まったことになります。これは,ネブカドネザルがユダに侵入する幾年も前で,そのような早い時期に,ダニエルがバビロンにいて夢の解き明かしをしたとは考えられません。それで「第二年」は,バビロンの王がエルサレムを滅ぼし,世界支配者となった西暦前607年から数えた二年目であるようです

協会はもっともらしい理由をのべていますが 実は隠れた動機があって 上に出てきた中澤さんの 説明によるとなんとしても607年を 正当化するために 聖書の年代をを否定しているわけですね それで レイモンドフランズさんの 協会はこの手の事柄については素人ではない という言葉の意味が よく分かると思います

それでも まだあなたは 協会を信頼しますか 
だって協会は 自分は間違いなくエホバとイエスキリストに任命されている といっているし 組織に従順に従っていれば安全だというし というかもしれません

それはそうでしょう 詐欺師が自分は詐欺師だとかウソをついているというはずがありません 必ず自分の言っている事は絶対に本当だ信じてくれ悪いようにはしないからというに決まっているのです

それでぜひここまで述べたことを 霊の剣である聖書と比較してご自分の頭で考えて判断してください
 

(ヘブライ 4:12) …神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです…

(ペテロ第二 3:1) 3?愛する者たちよ,わたしはこれで二度目の手紙をあなた方に書いています。この中でわたしは,最初の[手紙]と同じように,思い出させるためにあなた方の明せきな思考力を呼び起こしているのです…
(ヘブライ 5:13, 14) …乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。14?一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです…
(テモテ第二 2:26) …そして彼らは,悪魔の意志に仕えるべくその者に生きながら捕らえられていたことを知り,…

この607年が聖書とも歴史とも違い 協会はすべてを理解した上で みなさんに間違った情報を与えているのです 知らないで単なるまちがいでこんなにも巧妙に歴史と聖書の意味を操作することはできません つまりうそつきなのです(ヨハネ 8:44) …彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです…
一方エホバ神は偽りを語ることがありません (テトス 1:2) …,偽ることのできない神が… 


このことを はっきり自分の頭で理解できない限り 絶対に協会のマインドコントロールから抜け出ることはできません 考え方が 協会は エホバ神とイエスキリストから任命されている それで だれが何と言おうと それがたとえ聖書とちがっていたとしても 現在の協会のいっていることの方が正しいのだ それが神に仕える方法だと考えてしまうのです
またたとえ 他の何かの事で協会につまづいて離れたとしても またしばらくたつと やっぱり協会が正しかったかもしれないとかんがえるようになってしまうのです

しかし 607年が間違っていることさえ理解できれば 協会はエホバ神に任命されておらず いっていることは単なる人間の意見にすぎないので 初めて聖書と協会の教えの違いをみとめて 聖書の方が正しいと健全な判断を下せるようになるのです

自分の頭で考えろ

考えることを統治体だけにまかせてはいけません

あなたはうそをついたのよ


エホバの証人について

2018年03月31日 14時17分03秒 | その他

協会の文書における不誠実さ「しらなかった まちがい」 ではなくわかっていて行っている悪質なウソの例

(ヨハネ 9:40, 41) …パリサイ人のうち[イエス]と一緒にいた者たちがこれらのことを聞いて,彼に言った,「わたしたちも盲目であるというわけではないでしょうね」。41 イエスは彼らに言われた,「あなた方が盲目であったなら,あなた方には罪がなかったでしょう。しかしあなた方は今,『わたしたちは見える』と言います。あなた方の罪は残るのです」。

(ヨハネ 8:44) …真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです…

ネットをみると協会の出版物に引用されている協会以外からの本や人物の言葉などがそれらが本来主張していることとは違う意味で協会に都合のよいように引用されているという 批判も多いようですが

一例 進化と創造の本について http://www.jwic.info/life_1.htm

*** 創 9 1 生命―それはどのようにして始まったか ***
また,最もよく知られた,進化論の唱道者チャールズ・ダーウィンでさえ,自分の説の限界に気づいていたことを示しており,それも注目すべき点です。「種の起源」の結びの中で,ダーウィンは,「幾つもの機能を持つ生命が,当初は創造者によって幾つかの,もしくは一つの形態の中に吹き込まれた」とする壮大な見方について記し,こうして,起源の問題がさらに検討されるべきものであることを明らかにしていました。3

ここでは、最初の『創造』の本の引用の欺瞞が示されている。ダーウィンはどのような前後関係で上の言葉を述べたのだろうか。この引用は「種の起源」の一番最後の段落であり、岩波文庫からその部分を引用し、『創造』の本の引用した部分を下線で示す。

 いろいろな種類の多数の植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞い、湿った土中を蟻虫ははいまわる、そのような雑踏した堤を熟視し、相互にかくも異なり、相互にかくも複雑にもたれあった、これらの精妙につくられた生物たちが、すべて、われわれの周囲で作用しつつある法則によって生みだされたものであることを熟考するのは、興味ふかい。 これらの法則は、もっともひろい意味にとれば〈生殖〉をともなう〈成長〉、ほとんど生殖のなかに含まれるとしてもよい〈遺伝〉、生活の外的条件の間接および直接の作用によって生じる、また用不用によって生じる〈変異性〉、〈生存闘争〉を生じさせまたその結果として〈自然選択〉をおこさせ、〈形質の分岐〉と改良の劣った種類の〈絶滅〉とを随伴する、高い〈増加率〉である。このようにして、自然のたたかいから、すなわち飢餓と死から、われわれの考えうる最高のことがら、つまり高等動物の産出ということが、直接結果されるのである。生命はそのあまたの力とともに、最初わずかのものあるいはただ一個のものに、〈造物主〉によって吹きこまれたとするこの見かた、そして、この惑星が確固たる重力法則に従って回転するあいだに、かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつあるというこの見かたのなかには、壮大なものがある。

ダーウィン著・八杉龍一訳 進化論(下)岩波文庫261頁

ここで前後関係を読めば直ぐにわかるように、ダーウィンは確かに「創造者」あるいは「造物主」という言葉を使ってはいるが、決して生命が創造者によって吹き込まれたことが壮大な見方であると言っているのではなく、彼の「種の起源」で論じた進化の現象を要約して、「かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつある」その現象が壮大であると言っているのである。もちろんダーウィンはこの19世紀半ばの時代には、他のほとんど全ての人と同じように「創造者」の存在は信じていたわけで、彼のこの言葉は、彼の進化の理論がいかに創造者の存在と調和していると考えていたかを示すものに過ぎない。彼は創造者が造った「単純な発端」から生命の幾つもの機能が発展してきたことを壮大であると感動しているのである。この前後関係には『創造』の本が述べるような、ダーウィンが「自分の説の限界に気づいていた」ことを示す言葉は一切語られていないし、彼が「創造者によって・・・吹き込まれた」ことが壮大であると言っているのでもない。

と 上記のように書いてありましたので 自分も直接本を調べてみました 以下がそれです これをみてどちらの主張が正しいのかご自分の頭で判断してください


今日の聖人の記念日

2018年03月31日 09時32分47秒 | キリスト教

聖バルビナおとめ

2世紀

 バルビナは、ローマに生まれた。父クイリノはローマの職業軍人であった。バルビナは、美貌と才能に恵まれ、結婚の申し込みが多かったが、あるとき顔に腫瘍ができて以来治らず、醜い容貌となってしまった。

 途方にくれていた親子は、キリストとその弟子たちの行っている奇跡を知り、バルビナの病気が治るならば家族でキリスト信徒になることを誓った。

 そのころローマは、皇帝ハドリアヌスのキリスト教迫害下にあり、教皇アレクサンデルも牢獄につながれていた。クイリノはバルビナを連れて牢獄を訪ね、教皇とともに神に祈ると、バルビナの顔はもとの美しい顔に戻った。家族はすぐに洗礼を受け、キリストの宣教に力を注いだ。バルビナは、キリストに生涯をささげたいと願い、終生独身を守ることを決意し、貧しい人々や、苦しむ人々の助けに力を尽くした。

 しかし迫害の手を逃れることはできず、法廷に連行された父とバルビナは、信仰を守りぬき殉教した。信徒たちは、彼女を記念してローマのアヴェンチノの丘に聖堂を建てた。



◆正しい者の祝福

2018年03月31日 09時31分15秒 | 聖書

正しい者の頭には祝福があり、
悪者の口は暴虐を隠す。      (箴言一〇6)
暴虐と祝福、何というコントラストでしょう。
自分の運転手を次々と殺して保険金をごまかしていた会社社長の犯罪が、新聞に出ていました。海に連れていき、酒を飲ませて水の中で殺し、事故に見せかけたのです。ブラジルまで逃げて、とうとう警官隊に射殺されました。
暴虐な世相になってきました。自分の子を伸び伸び遊ばせられないような寂しい冷たい世の中です。
しかし私は、あるクリスチャンを知っています。その人は、金持ちでも有名でもありません。小ぢんまりした家に住んでいます。ところが、近所の人は、悩み事があるとこの家を訪ねていきます。この人の前に出ると、何でも打ち明けられるのです。話をよーく聞いてくれます。いけないことは、それはいけないとはっきり言ってくれるけれど、励まして自信を持たせてくれます。相談に来た人は心の重荷がおりて、ほっとして帰っていきます。まわりの人は、この家を尊敬をもって見ています。この家から祝福が流れてくるからです。神がその方の頭に祝福を注ぎかけ、その祝福が流れ出して、ご近所の人々までうるおしています。
神は、あなたを祝福の泉とされたいのです。そのためにイエス・キリストは十字架にかかり、あなたの罪をゆるされました。そのために、イエス・キリストはあなたを造り変えてくださいます。あなたを祝福のもとにし、神の国の仕事のため有用な存在とするために、生まれ変わらせてくださるのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント五17)。
 

◆彼の打ち傷によって、

2018年03月31日 09時30分32秒 | 聖書
私たちはいやされた。(イザヤ五三・五)
ピラトは主を兵士に渡してむち打たせた。当時ローマのむちは最も残酷な拷問に使われた。それは牡牛の皮で作られ、あちこちにとがった骨が入れてあるので、打ち下ろされるたびに、骨の小片が恐ろしい裂傷を与え、肉を骨からむしり取るのであった。救い主はもちろん柱に縛りつけられて、このようにむち打たれたのである。主はその以前にもむちで打たれたことがあった。しかしおそらく、このローマの兵士のものが、一番耐えがたかったであろう。私のたましいよ。ここに立ち、打たれた救い主のおからだのために泣け。
主にあるたましいよ。イエスがあなたの前に苦悶という愛の鏡を立てられる時、あなたは涙なしにイエスを直視することができるだろうか。純潔なゆりよりも美しい主が、ご自身の鮮血のために、ばらよりも赤くなられたのである。イエスがむち打たれたことによって、祝福に満ちたいやしが与えられたことを感じる時、私たちに愛と悲しみが共にわくのではないか。もし私たちが主を愛しているならば、今主の燃えるような愛を感じなければならない。
 見よ。忍耐深い主がいかに立たれるかを
 見よ。主は侮辱の極みを受けられた
 罪人らは全能なる主の御手をしばり
 造り主である主の御顔につばきした
 主の額には深くいばらがくい込み
 傷口より真紅の血がほとばしる
 背に鋭いむちを受けられたが
 そのむちが主の心を引き裂いた
一室に閉じこもって、私たちは泣いていたい。しかし日々の仕事をもっている。それなら、主が血潮を流された御姿が心に深く銘記されるように祈り、夕べには主との交わりのために帰り、私たちの罪が主をお苦しめしたことを思って嘆こう。
 

詩篇96篇1-6節

2018年03月31日 09時28分55秒 | 聖書

96:1 新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。


「新しい歌を歌え」と言っています。

新しさというのは、新しい発見がある時に生まれてきます。

主の恵みは、毎日の起こっていること、また主にある人が経験していることの中に、与えられています。

しかし人は、そのことに気がつきません。

自然に起こった、当然の結果であると思ったりするのです。

ですからそこには、主の恵みに対する新しさを自覚することがありません。

 しかし、作者は語るのです。

主の恵みは、日々の生活の中で豊かに与えられていて、その救いの恵みは数知れないというのです。

それらに心を留め、その救いの新しさに目を留めようというのです。

そうすれば、心に讃美の歌がわき出てくるのです。

信仰の目を持って、日毎の物事を見ること、それが主への新しい讃美へと導くのです。


ゼカリヤ書8章2節

2018年03月31日 09時24分46秒 | 聖書

万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。 」

ヨハネの黙示録12章15節
「ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。」


■O:今日のコラム
先日、イスラエル宣教から帰国した姉妹が証しをしてくれた時に「主は愛してやまないイスラエルの民に覆いをかけてまで、異邦人である私たちにも救いをもたらしたいと願われました。主はなんと寛大なお方だろう、その主の愛はどれほどに大きなものなのだろう、と思います。」と涙ながらに語っていました。

「主はイスラエルを妬むほどに、激しく愛している」とゼカリヤ書に書かれています。
イスラエルは夫である主を捨てて、偶像礼拝(霊的姦淫)を犯しました。律法においては、唯一離婚が認められるのは、相手が姦淫の罪を犯した時です。そのまま見捨てられても仕方のないはずのイスラエルを、主はそれでも悔い改めて自分のもとに戻ってきて欲しいと、願われました。それほどに、主はイスラエルを愛しておられるのです。

パウロはローマ人への手紙の中で、イスラエルの民をオリーブの台木、栽培種と例え、異邦人を野生種と例えています。
「もしも、 枝の中のあるものが折られて、 野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、 そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。 誇ったとしても、 あなたが根をささえているのではなく、 根があなたをささえているのです。」(ローマ11:17,18)

そして、続けて以下のように、異邦人に警告しています。
「枝が折られたのは、 私がつぎ合わされるためだ、 とあなたは言うでしょう。
そのとおりです。 彼ら(イスラエルの民)は不信仰によって折られ、 あなた(私たち異邦人)は信仰によって立っています。 高ぶらないで、 かえって恐れなさい。
もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、 あなたをも惜しまれないでしょう。」(ローマ11:19~21)

主が、熱烈に愛している選びの民であるイスラエルの民を、その霊的姦淫(神以外のものを自分の主人とすること)のゆえに切り離されたのだとしたら、私たち異邦人はどれほどに主に誠実を尽くさなくてはならないでしょうか。
今日はそのことを覚え、主を恐れ、主の恵みと憐れみを放縦に変えることのないように、自分たちの心を見張りたいと願います。

黙示録で、今日の箇所に出てくる「女」は教会を指しています。サタンは大水によって、その女を押し流そうとしますが、彼女は押し流されることがありません。

山上の垂訓では、イエス様は大水に押し流されることのない者について、次のように語られています。
「だから、 わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:24~27)

「神のことばを聞いてそれを行う者」こそが、終わりの時にサタンが大水によって押し流そうとしても、堅く立つことが出来ると信じます。
それは一日にして成らずです。いつ終わりの時がやってきても、私たちが大水に押し流され、倒されることがないために、日々、神を神として恐れ、誠実を尽くし、神のことばを聞いて、それを守り行う者となっていきましょう。


■A:考えてみよう
今日、自分の心を見張り、主に誠実を尽くせていないところは無いかを点検しましょう。
そうすることによって、大水も押し流すことが出来ない主の大きな愛の中に、また、主を愛し主に愛される関係の中にとどまり続けましょう。
「大水もその愛を消すことができません。 洪水も押し流すことができません。 」(雅歌8:7a)
「イエスは彼に答えられた。 『だれでもわたしを愛する人は、 わたしのことばを守ります。 そうすれば、 わたしの父はその人を愛し、 わたしたちはその人のところに来て、 その人とともに住みます。わたしを愛さない人は、 わたしのことばを守りません。』」(ヨハネ14:23,24)


■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


3月30日(金)のつぶやき

2018年03月31日 02時33分09秒 | 仏教

◆私たちの道を尋ね調べて、

2018年03月30日 16時35分10秒 | 聖書
主のみもとに立ち返ろう。(哀歌三・四〇)
旅にある夫を優しく愛する妻は、その帰りを待ちわびている。主人と長く別れていることは、彼女のたましいにとって死に等しい苦痛である。救い主を愛するたましいにとっても同様である。彼らは主の御顔を見なければならない。主が険しい山々に出て行かれて、二度と彼らと交わりをされないのは、彼らには耐えられない。優しい父を怒らせることを恐れ、その笑顔を見る時にだけ幸福を感じる子らにとって、叱責のまなざしや上げられた手は悲しいのである。
愛する友よ。あなたもかつてはそうであった。聖書の一節、脅し、苦難のむちのために、「なぜ私と争われるかを、知らせてください」と叫びながら、父なる神の足もとに走った。あなたは今もそのようであろうか。それとも遠く離れてイエスに従うことで満足しているか。キリストとの交わりが中断されていても、平気でいられるのか。あなたが主と反対の方向を歩いているため、愛するお方が次第に遠ざかっていかれるのに耐え得るのか。あなたの罪があなたと神との間を隔てているのに、心の平安を得ることができるのか。
あなたが救い主の御顔を見なくても満足しているとは、悲しむべきことである。十字架の私たちの救い主の御顔を見なくても満足していることは、悲しむべきことである。私たちのために死なれた救い主に対してほとんど愛をもっていないこと、私たちの尊いイエスに対してほとんど喜びをもっていないこと、神の愛される御子とほとんど交わりをもっていないこと、これらがいかに悪いことであるかを感じるように努めよう。
自らの心がかたくななのを嘆き、たましいの中で真の受難節を守れ。悲しむだけでやめてはならない。あなたが初めて救いを受けた場所を思い出せ。ただちに十字架に行け。そこにおいてのみ、たましいは生かされる。いかに無感覚であり、また死んでいても、ぼろをまとった、貧乏な、汚れたままで、再び行こう。十字架を抱き、主を見つめ、血の泉にひたろう。そうすれば、私たちは初めの愛に帰り、単純な信仰と優しい心とを取り戻すことができるであろう。