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◆迷  わ  す  者

2016年11月19日 07時19分32秒 | 聖書

正直な人を悪い道に迷わす者は、
自分の掘った穴に陥る。
しかし潔白な人たちはしあわせを継ぐ。(箴言二八10)
迷う者のほうにも、責任がないわけではありません。つまずく者にも、やはり落度がありましょう。それは不注意だと言われても、仕方がありません。
しかし、イエス・キリストは「また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」(マルコ九42)と言われました。きついことばです。何でそんなにきびしく言われているのかは、マルコの福音書を続けて読むと分かります。「もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです」(マルコ九43)。永遠のいのちの尊さは比べるものがないからです。
私の知り合いのスチュワーデスの娘さんは、指の先がちょっと痛かっただけなのに、病院で調べてもらうと、腕一本切り落とすというのです。がんでした。いのちを助けるために、腕一本は犠牲にすべきです。いのちは、そんなに尊いものです。
鉄道線路の上に面白半分に置いた小石一つが、電車を転覆させ、多くの人が死ぬとしたら、その小石を置いた行為はゆるしがたいことです。それと同じように、純真な人たちを罪にさそい、悪にいざなう人はゆるせません。目の不自由な人の前に石を置いて、倒れさせるのと似ています。霊的精神的なことで何が一番人をつまずかせるかと考えますと、人の偽善ほど、人をつまずかせて人を迷わし、滅びの道へ突き落とすものはないと思います。それに反して、ありのままで正直な潔白な人は、人につまずきを与えません。
 

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