たとえば、多くの人は、信仰による喜びと平安というラケルを慕う。しかし彼らはまず、悔い改めという目の弱いレアと結婚しなければならない。だれでも幸福と恋愛関係を結び、多くの者はそれを自分のものにする。七年の二倍を、喜んで奉仕に当てる。しかし主の王国の規則によれば、真の幸福というラケルを得る前に、真の聖潔というレアが私たちのたましいに愛されなければならない。天国は第一の場所ではなく、第二の場所にある。私たちは、終わりまで耐え忍ぶことにより、そこにある相続地を入手することができる。冠を受ける前に、まず十字架を負わなければならない。へりくだりの主に従わなければ、栄光の主とともに安息を楽しむことは決してできない。
私のたましいよ。おまえは天の規則を破りたいと願うほどに愚かなのか。おまえは労せずに報いを求め、苦しみなしに栄誉を望むのか。怠惰な思いを捨て、イエスのすばらしい愛のゆえに、不快と思われるもので満足せよ。そうすればすべてが償われるであろう。その心をもって労働と苦難を迎えるならば、苦いものが甘く、困難は容易になることを知るであろう。おまえはヤコブのように、長年の奉仕も、イエスへの愛のゆえに、数日のように思えるだろう。待ちこがれた婚姻の時が来たら、おまえのすべての労苦は、あたかも存在しなかったかのようになるであろう。イエスとの一時問は、幾十年もの苦痛と労働を償って余りあることを深く覚えよ。