悟りの道から迷い出る者は、
死者の霊たちの集会の中で休む。 (箴言二一16)
孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、現代日本の有名な小説家は、「四十にして初めて惑う」「四十初惑」と言いました。人生に迷いは、つきもののようです。今のあなたはどうでしょうか。
迷いには、いろいろの理由があると思います。
第一に、人生には多くの分かれ道があります。以前私の住んでいたところは駅から近く、歩いてたった七、八分でした。ところが、私の家の前まで来る道がいろいろありすぎて一本道でないので、多くの方が迷ってしまいました。右に行ったらよいのか、左に行ったらよいのかを選択しなければならない多くの場合に、私たちは迷います。
第二に、私たちにいろいろ違った助言がされます。親はこう言うが、友人はああ言う。そして、自分の心の欲求はまた別なことを言う場合もあります。「船頭多くして舟山に上る」式で、いったいだれのことばに聞き従ったらいいのか分かりません。
第三に、私たちの判断力には欠陥があることです。何がよいことなのか、ほんとうに益になるのか、一番幸せなことなのかを判断する力が、多分、罪深いエゴイズムにさえぎられて鈍くなっているのです。
迷っている初めのうちは、ほんとうの道と大してへだたりがないように見えます。「悟りの道」と「迷い出た道」の間に、そんなに差はないように思われるのです。逆らう道を歩いて、平気でいます。ところが聖書は、その終点は大違いだと語ります。「死者の霊たちの集会の中で休む」=地獄に定住するようになる、とでも意訳できましょうか。
迷い出ることから何とかして免れる方法はないものでしょうか。参考になるような聖書のことばをあげておきます(マタイ六22―24、七13―14)。これらはみな、イエス・キリストのみことばです。
迷いには、いろいろの理由があると思います。
第一に、人生には多くの分かれ道があります。以前私の住んでいたところは駅から近く、歩いてたった七、八分でした。ところが、私の家の前まで来る道がいろいろありすぎて一本道でないので、多くの方が迷ってしまいました。右に行ったらよいのか、左に行ったらよいのかを選択しなければならない多くの場合に、私たちは迷います。
第二に、私たちにいろいろ違った助言がされます。親はこう言うが、友人はああ言う。そして、自分の心の欲求はまた別なことを言う場合もあります。「船頭多くして舟山に上る」式で、いったいだれのことばに聞き従ったらいいのか分かりません。
第三に、私たちの判断力には欠陥があることです。何がよいことなのか、ほんとうに益になるのか、一番幸せなことなのかを判断する力が、多分、罪深いエゴイズムにさえぎられて鈍くなっているのです。
迷っている初めのうちは、ほんとうの道と大してへだたりがないように見えます。「悟りの道」と「迷い出た道」の間に、そんなに差はないように思われるのです。逆らう道を歩いて、平気でいます。ところが聖書は、その終点は大違いだと語ります。「死者の霊たちの集会の中で休む」=地獄に定住するようになる、とでも意訳できましょうか。
迷い出ることから何とかして免れる方法はないものでしょうか。参考になるような聖書のことばをあげておきます(マタイ六22―24、七13―14)。これらはみな、イエス・キリストのみことばです。