座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆そのとき、

2014年12月05日 16時29分06秒 | 聖書

主は四人の職人を私に見せてくださった。(ゼカリヤ一・二〇)

この章に記されている幻の中で、預言者は四つの恐ろしい角を見た。その角は方々へ突進して、最も強い者、最も力ある者を倒していた。そこで預言者が「これらは何ですか」と尋ねると、「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ」という答えであった。彼は、神の教会を圧迫する力の象徴を目の前に見た。角は四つあった。教会は四方から攻撃されていたからである。預言者がろうばいしたのも無理はない。しかし、突然彼の前に四人の職人が現れた。彼は「この者たちは、何をしに来たのですか」と尋ねた。神はそれらの角を粉砕するためにこれらの人々を見いだされたのである。
神は常にそのみわざに必要な人々を見いだされる。しかもちょうど必要な時にである。預言者は何もすることがない時に、まず職人を見たのではない。まず「角」を見、そして「職人」を見たのであった。しかも、主は十分な人数を見いだされる。主は三人の職人ではなく四人の職人を見いだされた。角は四つあった。職人も四人でなければならない。神はまた適材を見いだされた。字を書くためにペンを持つ四人の者でも、設計図をひく四人の建築家でもなかった。神は荒っぽい仕事をする四人の職人を見いだされたのである。
安心せよ。神の箱舟のことを気遣う者たちよ。「角」が暴威を振るう時には、「職人」が見いだされる。どんな時にも、あなたは神の教会が弱いといって気を落とす必要はない。諸国民をゆさぶる勇敢な改革者が、ひそやかに成長しているかもしれない。貧しい人たちの中から、聖人が現れるかもしれない。主はしもべを見いだす場所を知っておられる。彼は無数の強い兵士を待ち伏せさせておられる。主の命令の一声で、彼らは戦いに出て行く。なぜなら、「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」である。そして主はご自身に勝利をもたらされる。
私たちは忠実な主に従っていよう。そうすれば、教会の危機にも、私たちの個人的な必要にも、神は折りにかなう守りを私たちのために起こしてくださる。

 


今日の聖人の記念日

2014年12月05日 07時19分34秒 | キリスト教

聖サバス修道院長

438年-532年

 6世紀ごろの修道生活は、隠遁生活であった。
 エウティミオという有名な隠遁者が、エリコとエルサレムの間の荒野の洞くつに住んでいると聞きサバスは、18歳のとき彼のところへ行って弟子にしてくれるよう頼んだ。しかし、エウティミオは30歳になったら来るようにと告げた。サバスは聖テオクティトスの修道院で修練を積み、30歳になったとき、エウティミオのもとで生活を始めた。エウティミオはサバスが祈りにだけふけることを許さず、週5日は洞くつで暮らし、週末は修道院に帰るという生活であった。  エウティミオが亡くなると、サバスは4年間荒野で孤独の生活を送り、その後、隠修士たちが時々一緒に集って祈る修道院を創立した。またパレスチナのすべての隠修士の長上に任ぜられた。エルサレムの総主教はサバスのすぐれた知恵を重んじ、度々教会の任務を依頼した。  最も大きいマール・サバ修道院には、今でも正教会の修道士たちが住んでいる。


◆根  の  生  活

2014年12月05日 07時18分30秒 | 聖書

しもべをことばだけで戒めることはできない。
彼はそれがわかっても、反応がない。(箴言二九19)

部下の中には知恵のある者もいようが、愚かな者もいて、ことばだけでは分からない。むちで、こらしめて教えなければだめだという意味かもしれません。
しかし、人の上に立つ者が、いやおうなく体験することは、自分の子どもにしても、部下にしても、兵隊にしても、口先だけの命令や教えでは、けっして動かないということです。昔、軍律のきびしかった日本の軍隊でも、戦場で味方の兵に撃たれたきらわれ者の将校があったと聞きます。上に立つ者として、人をほんとうに動員することができる、育てることができる、教えることができる、訓練できるようになるために、必要なものは何でしょうか。
それはその人のことばではなく、ことばを裏づける生活・いのち・心の実態ではありませんか。大切なのは、人に聞かせる口先のことばではありません。人に見せる行為でもないのです。イエス・キリストは、人に見せたり聞かせたりするためにパリサイ人たちが街頭で行った長い祈りや施しや断食をきらわれ、そんなことは人の見ていないかくれたところでしなさいと言われました。
そうです。人に見られない、私たちのかくれた生活、――実は、これが人生の根なのです。人の目に、根は触れません。この根のような生活の部分が、人生を支え、人生をつくりあげ、人生の力の源となっています。ですから、ほんとうに人の上に立ち、人を動かすことができるようになりたいと思うなら、このかくれた根の生活を大切にしなければなりません。人の上に立つ者の力の源は、ここにあります。
あなたの人生の根の部分は、どうなっているでしょうか。

 


◆求めなさい。

2014年12月05日 07時17分35秒 | 聖書

そうすれば与えられます。(マタイ七・七)

英国には、だれでも希望するならパンをもらえる所がある。旅行者はだれであろうと、セント・クロス病院の戸をたたきさえするならば、いつでもそこにパンが用意されている。イエス・キリストもこよなく罪人を愛され、同じようにセント・クロス病院を建てられた。そのため罪人は、飢える時にはいつでもただその戸をたたきさえすれば、その必要を満たされる。
イエスはさらによいことをされた。主はそのセント・クロス病院に浴場を備えられたのである。黒く汚れたたましいは、いつでもただその浴場に行って入浴しさえすればよい。その霊泉は常に満々とたたえられていて、著しい効力を発揮する。これに浴した罪人の中で、その汚れを洗い落とすことのできなかった者は一人もいない。深紅の罪もすべて消え去り、罪人は雪よりも白くなる。
なお、これでもまだ十分でないかのように、主のセント・クロス病院には衣装部屋がある。そして、単純に罪人として申し出た者には、頭から爪先まで新しい衣が与えられる。彼がもし兵士になることを望むなら、普通の衣だけでなく、足の裏から頭の先までの武具をも与えられる。剣を求めるなら、それに添えて盾も与えられる。彼にとってよいものは何一つ拒まれることはない。彼の生きている限り、必要な金銭も供給され、さらに主の喜びに入る時には、光栄ある永遠の資産を受け継ぐ者とされるのである。
もしこれらのすべてのものが、単に恵みの戸をたたくことによって得られるとすれば、私のたましいよ、今朝、強く戸をたたけ。そして、恵み深い主に大いなることを求めよ。すべてのおまえの必要を主の前にくり広げ、信仰によって、これらのすべてが満たされたという確信が訪れるまで、恵みの御座を離れるな。イエスが招かれるゆえにためらうな。イエスが約束しておられるのであるから、不信仰によって妨げられるな。このような祝福が与えられようとしているのに、なお冷ややかな態度をもってそれを見過ごしてはならない。

 


第1列王記6章14-22節

2014年12月05日 07時16分15秒 | 聖書

6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに主の契約の箱を置くことにした。
6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。



 神殿の建物が完成した後、神殿内部の制作が進められました。

まず、至聖所の制作です。

神殿自体は堅固な石で作られましたが、その至聖所の内部は、石が見えないようにしました。

天井も床も板で覆ったのです。

壁面は高価な杉の板でした。

また、床面はもみの木で覆いました。

さらに、そこに純金をかぶせました。

内部をはじめに板で覆った理由は、そこを純金で覆うためであったようです。

そこに、主の契約の箱が置かれました。

 神殿の最も中心となる内部を、ソロモンは、最も良い物、また高価な物で覆いました。

それは、主なる神が共にいてくださるという、その印である契約の箱を置くためでした。

契約の箱こそが、主なる神と民の契約の印であって、最も大事なものであったからです。

彼の心の内には主のみを敬う、その心があふれていました。


ユダの手紙1章3節(詩篇98)

2014年12月05日 07時13分08秒 | 聖書

★愛する人々。私はあなたがたに、
私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、
あらゆる努力をしていましたが、
聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、
あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。

■O:今日のコラム
今日の箇所にあるように、
ユダの手紙は信仰の戦いについての書物です。

私たちは信仰によって神を信じています。
信仰の土台をどこに置くかは、クリスチャンとして生きて行く上で
非常に大切なことです。

ローマ人への手紙10章17節にこうあります。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、
キリストについてのみことばによるのです。」

私たちは最初に福音を聞きました。
福音とは十字架の恵みのことです。

イエス様が私たちの為に十字架で命を捨ててくれた。
イエス様が私たちのことを本当に愛してくれている!
この確信が聖霊様によって与えられたときに、
「私は愛されている」という信仰がやってきます。

信仰は自分の力で成長できるものではありません。
ただ、父なる神の愛を知るときに信仰は大きくなります。

愛されているという信仰を持つと希望も合わせてやって来ます。

ローマ人への手紙5章2節にこうあります。
「またキリストによって、いま私たちの立っている
この恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、
神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」

「私は愛されている」という信仰に土台を置き、
この信仰を守る為に私たちは敵と戦って行かねばなりません。
敵は私たちを神の愛から離すのに必死です。

しかし、私たちが絶えずイエス様の愛の中に留まり続けるならば、
信仰は成長して行きます。

第一ヨハネ4章18節にこうあります。
「愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。」

イエス様の愛の中に留まり続けるならば、
必ず信仰の戦いに勝利していくでしょう。


■A:考えてみよう
イエス様の愛を知るときに信仰は強くなります。
絶えずイエス様を見続けましょう。


■P:祈り
イエス様あなたの御名を賛美します。
イエス様の愛の中で私の信仰を強めてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


12月4日(木)のつぶやき

2014年12月05日 02時06分53秒 | キリスト教