座間コミニティー

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「そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。

2014年12月23日 16時58分01秒 | 聖書

水は彼らのために右と左で壁となった」(出エジプト14:22)

モーセとイスラエルの民は、絶体絶命の窮地に追い込まれた。
エジプトの戦車の大軍が後方から追跡してきて、逃げるにも、前は紅海の断崖絶壁だ。
どうすれば良いのか。進む事は出来ないし、戻る事もできない。
あなたもこんな窮地に陥った事があるだろうか。
ある男性は会社が倒産、貯えもなく、家族を抱え、次の仕事を探し回るが無い。
もう恐れと不安でパニック状態、恐怖だった。
しかし、神に目を向けた。
静まって、心をことごとく打ち明け、自分自身も状況もすべてを明け渡し神に頼った。
その時、思いもよらない所から仕事が与えられたのだ。
まさに海の真中に乾いた道が現れた。
ある人は就職活動、次々と落ち続けて先が真っ暗で何も見えない状況に。
もはや砕かれて、全面的に委ねた時に自分の願いに合った先が与えられた。
目の前に乾いた地が現れた。
御心を歩もうとする時に、目前に妨げが起こり、困難にぶち当たる。
モーセ達は、神の導きに従ってエジプトを出たのだ。
すると絶体絶命の窮地に陥った。しかし、神は、道無き所に道を造られる。
あなたも今困難にぶち当たっているか。神を信頼しよう。
その事態を必ず良きに導いて下さる。
神を信じて進むと、あなたの目の前に乾いた道が現れる。
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私達の絶体絶命の窮地は、神が奇跡をされる好機だ。
海の中に道を造られる神を信じ、決して諦めないで、絶対に諦めないで神を信じよう。
信仰人生、道が造られるのを見て行こう。


今日の聖人の記念日

2014年12月23日 07時33分51秒 | キリスト教

聖ヨハネ(ケンティ)司祭

1390年-1473年

 ヨハネは、ポーランドのケンティに生まれた。1413年からクラクフ大学に学び、卒業後同大学で聖書を教え、1421年から8年間はテンプル騎士団の学校で教鞭を取った。その後クラクフ大学に戻り哲学を教え、神学修士の学位を取得するなど研鑽に励み、哲学と神学の教授として有名になった。学生たちは、彼の導きのもとに大きな影響を受け、高い学位を望む学生はヨハネの残した服を着て成功を祈ったほどだと伝えられている。
 ヨハネ自らは清貧に生き、信仰深く、クラクフ街の貧しい人びとに対して寛大な愛を示すなど、彼らの友として知られるようになった。そしてローマには4回にわたり徒歩で、エルサレムには1回、巡礼を行った。  ポーランドの守護聖人として仰がれている。


◆弱い者を守れ

2014年12月23日 07時32分46秒 | 聖書

あなたはおしのために、
また、すべての不幸な人の訴えのために、
口を開け。
口を開いて、正しくさばき、
悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。(箴言三一8―9)

箴言三一章の初めから少なくとも九節までは、マサの王レムエルのための母親版の帝王学ともいえます。政治が複雑化し分業化した現在でも、やはりよく当てはまることが述べられています。
・ 女に力を費やすな。
・ 酒におぼれるな。
・ 弱い人を思いやり、助ける政治をせよ。
王・政治家・官僚とかぎらず、少しでも人の上に立つ人・富める人・教養のある人は、弱い者をばかにしてはなりません。これは、何回心に言い聞かせても足りないような鉄則です。
私たちは、視力障害の方よりも言語障害の方を疎外しやすいように思います。私の集会などに、時々、耳や口の不自由な方が来られます。通じないのでめんどうくさい、いちいち筆談では大変だ。――私自身、そんなふうに感じる自分がいやになります。
昔、南部の殿さまに仕える武士で、塩川八衛門という人がいました。殿さまに無理やりに押しつけられて、多津という耳の不自由な娘と祝言します。多津の両親もはればれしないし、塩川八衛門の家の者も迷惑顔です。ところが、だれにも好かれなかったこの多津が、その後だんだん明るくなり、幸福に満ちあふれた人となったのです。八衛門はこう言ったといいます。「人という者は、男女の区別なく、大切に扱えば大切なものとなる。」
王の王、主の主にいます神が、みじめで、あわれで貧しくて目の見えない裸の(黙示録三17参照)私たちを愛し、大切にしてくださいます。ここに、私たちが喜びにあふれ、平和を保ち、愛して生きようと努める秘密があります。上に立つ者は、小さい弱い者をばかにしたり、見くびったりせずに、大切にすべきです。

 


◆どうぞもっと上席にお進みください。

2014年12月23日 07時31分57秒 | 聖書

(ルカ一四・一〇)

私たちのたましいに恵みの生涯が始まる時、大きな恐れとおののきをもって神に近づく。罪を意識し、そのためにへりくだるたましいは、自分の立場がいかに厳粛であるかを知って圧倒される。主の前に立って、その荘厳さのゆえにたましいは地にひれ伏す。偽りのない内気な思いをもちつつ、たましいは最も下座に着く。
しかし、後の人生で恵みのうちに成長するにつれて、もちろん自らの厳粛な立場を決して忘れないし、また生殺の権をもっておられる神の御前に立つ時の聖なる畏れも失わないけれども、一方でこの畏れはすべての恐怖を取り去るのである。畏れは聖なる畏れに変わり、もはや恐怖によって暗くされることはない。彼はキリスト・イエスにあって、さらに神に近づくために上座のほうに招かれる。
その時、神の人は神性の光の中を歩み、ケルビムのように主イエスの血潮と義の二つの翼で顔をおおい、敬虔にへりくだって御座に近づく。こうしてそこに愛と善とあわれみに満ちた神を見いだし、絶対的な神性をもたれる恐るべき方としてよりも、むしろ彼と契約を結ばれた親しい方として神を認めるのである。
彼は、神の中に、その偉大さよりはむしろ善を見、威厳よりは愛を見るであろう。このような時、たましいは以前の謙遜な態度を失わないが、さらに、聖いとりなしの自由を楽しむ。なぜなら、無窮の神の栄光の前にひれ伏しつつも、たましいは果てしないあわれみと無限の愛の前にあるというさわやかな意識をもち、「愛する方」に受け入れられているとの自覚によって支えられているからである。
こうして信者は上座に進むように命じられ、神にあって喜ぶ特権を与えられ、聖なる信頼をもって神に近づいて、「アバ、父」と言う。
 こうして私たちは力から力ヘと進み
 日ごとに恵みの力に育ち
 ついに、御姿に似るようになり
 顔と顔とを合わせて神にお会いするようになる

 


第1列王記9章15-22節

2014年12月23日 07時30分46秒 | 聖書

9:19 ソロモンの所有のすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、ソロモンがエルサレムや、レバノンや、すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した。



 ソロモンは主の宮と自分の宮殿を建てただけでなく、他にもいろいろなことをしました。

彼が願っていたことを実現させたのです。

それぞれに町を作りました。

食料を保管する町々、戦車を保管して管理する戦車の町々、それらを戦車で戦いの時に乗る騎兵達の為の町々としました。

その時に用いられた人々は、金銭の支払いを受けたイスラエルの民でありましたが、その他には、イスラエル人が聖絶することのできなかった人々の跡を継いで、この地に生き残った彼らの子孫を、ソロモンは奴隷の苦役に徴用して、それらの建物を建てさせました。

彼らの労働力によって作られたのです。

ソロモンの政策は、秩序を持たせて、必要なものを作り、そこに備えるという、堅実なあり方で国の体制を整えていったことが見てとれます。

彼に与えられた知識と知恵は、こうした建設の面でも生かされていたことがわかります。


ヨハネの黙示録13章全体(詩篇118篇)

2014年12月23日 07時28分05秒 | 聖書

★省略します

■O:今日のコラム
この13章で登場してくるものは、悪の三位一体です。
・    竜であるサタン = 父なる神のマネ
サタンは偽りの父です。 
・    最初の獣 = イエス様のマネ
この獣は致命的な傷が癒されるというしるしを見せ、イエス様の復活のようなことをします。
偽りの父であるサタン(竜)から、イエス様が全てを任されたように全権を任されます。
天では4つの生き物がイエス様の4つの側面を象徴していたように、3つの側面の象徴が記されています。
イエス様が3年半の公生涯で御言葉を宣言し、勝利していったように、彼は、3年半(42ヶ月)の間、汚し事を宣言し、神の民に勝利していきます。
・    第二の獣 = 御霊のマネ 
御霊がイエス様を拝ませるように、彼は、獣を拝ませる。
ペンテコステに天から火のような分かれた舌が降ってきたように、天から火を降らせる。
御霊が神の民に証印を押すように、獣の刻印を押す。
なぜ、主は、この三位一体を許されるのでしょう?この働きを許されるのでしょう?悪の部分的な勝利に思える事を許されるのでしょう?
一つには、神の栄光を表すためと言えるでしょう。『同じようなことをしても、同じ結果にはならないのだよ。』とハッキリとサタンに分からせるためです。ヨブ記の中で、主がサタンにその力を振るうことを許したのは、ハッキリさせたかったからと言えます。ご自身の正しさ、栄光、勝利をです。
私たちは、自分の勝利さえあれば良いと考えてしまいます。しかし、神の勝利は、私たちの感じている以上のスケールの大きな勝利です。私たちの地上での成功によっても、主はご自身の栄光を表されるでしょうが、主のイメージしている勝利、表そうとしている栄光は、もっと大きなものです。たとえ部分的に敗北しているように見えたとしても、それによって表されるスケールの大きな主の勝利があるのです。悪はマネをすることが許されます。しかし同じ結果にはならず、主が勝利されるのです。
また、一つには主の憐れみのゆえにと言えるでしょう。天の父は、悪人にも太陽を昇らせる方です。立ち返らないことを悟りつつも、サタンへのラストチャンスを忘れないのです。イスカリオテ・ユダにラストチャンスを与え、最後まで友として扱ったようにです。
 私たちも、人を見た目で判断したり、チャンスを与えずに見捨てることをしていないでしょうか?どんな人にもチャンスを与えるのが、父の心です。


■A:考えてみよう
この地に主の栄光が表されることを求めよう!たとえ、それが自分の感じ方、考え方と違っても主に信頼しよう!また、この季節は伝道の季節です。見た目で判断せず伝道し、その人にチャンスを作ろう!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


12月22日(月)のつぶやき

2014年12月23日 01時46分28秒 | キリスト教