座間コミニティー

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◆あなたがたは、

2014年12月29日 16時35分49秒 | 聖書

キリストについて、どう思いますか。(マタイ二二・四二)

「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。」これは、あなたのたましいの健康状態を見る大いなるテストである。主はあなたにとって、「人の子らにまさって麗しく」、「万人よりすぐれ」、「すべてがいとしい」方であられるか。キリストがこのように重んじられるところでは、人のすべての霊的能力は力強く働く。あなたにとって、キリストの存在は高いか。それとも低いか。このバロメーターによって私はあなたの信仰を見極める。
もしキリストのことをほとんど考えず、そのご臨在なく生きることに満足しているならば、もし主の栄光を現すことをほとんど心にかけず、その戒めを顧みないならば、私はあなたのたましいが病気にかかっていることを知る。しかし、もしあなたの第一の思いが、「私はどのようにしてイエスの栄光を現したらよいか」であるならば、また日ごとの願いが、「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り」たい、であるならば、私はあなたに告げる。「たとえあなたに多くの弱点があり、神の子どもであるかどうかもほとんどわからなくても、あなたは安全である。なぜならイエスをこの上なく重んじているから」と。
私は、あなたの着ているぼろを気にしない。あなたは王なるキリストの装いをどのように考えているだろうか。私は、たとえあなたの傷口からどくどく血が流れていても、あなたの傷を気にしない。あなたはキリストの御傷をどのように考えているか。それはあなたにとって、輝くルビーのように尊いか。たとえラザロのように掃きだめの中にいても、私はあなたを低く評価しない。あなたは、美しい王を何と考えているか。主はあなたの心の中で、栄光の高貴な王座を占めておられるか。できれば、主をさらに高くあがめたいとあなたは願うか。主を賛美するメロディーに、もう一つのラッパを加えることができるならば、喜んで死にたいと思うか。あなたが自分自身についてどう考えようと、もしキリストがあなたにとって偉大であるならば、遠からずあなたは主と共になるであろう。

 


「私には、水がかき回されたとき、

2014年12月29日 16時34分51秒 | 聖書

池の中に私を入れてくれる人がいません」(ヨハネ5:7)

ベテスダの池には大勢の病人が集まっていた。
その池は、主の使いが降りて来て、水を動かし、その後一番先に入った者は、どんな病気でも癒されると言われていた。
そこに38年、病気の人がいた。主は彼を見て言われた「よくなりたいか」と。
「よくなりたい」と言えばよかったが、彼は、自分には、池の中に自分を入れてくれる人がいない、いつも先を越されると答えた。
他の人が我先にと、先を越して入ってしまうので、自分は直らないと。
病気が直らない事を、他の人のせいにしていた。
その心を見て取られた主は、では、わたしが池に入れて上げよう、ではなく「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われた。
人に責任転嫁するのでなく、自分の足で立って、しっかり自分の責任で歩めと。
彼は主の言葉を心に受け入れ、信じた。
それゆえ、すぐに立って床を取り上げて歩き出した。
もし、主の言葉を信じなければ、決して起きようとしなかったろう。
意志を向けて、起き上がろうとした時、主の力が臨み、奇跡が起きた。私達はどうだろう。
人がああしてくれない、こうしてくれない、だから自分はこうなのだと、人のせいにし、いつも言い訳し、愚痴と不平不満、自己憐憫の中にいるか。
そもそも、その態度が問題なのだ。人依存でなく、自分の足で立って、神依存で歩もう。
その時、生きている事の、喜びと、実感を得る。
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自分が信仰を持って一歩踏み出すことが必要だ。
信じる事をしないで、その場にとどまり続けず、信じる方を選ぼう。
必ず神様の栄光を見る。
変えられて行く。


今日の聖人の記念日

2014年12月29日 08時28分06秒 | キリスト教

聖トマス・ベケット司教殉教者

1117/8年-1170年

 トマスは、イギリス、ロンドンのノルマン人の商家に生まれた。ロンドン、パリで学んだのち、1141年にカンタベリー大司教テオバルドゥスに見いだされ、彼の片腕となって教会のために貢献した。その後、国王ヘンリー2世の顧問となり、国政の改革に力を尽くした。
 大司教が亡くなってから、王は英国教会を王権下に置こうとして、1162年トマスを大司教として選出した。そのころまでトマスは、栄華と名誉を求め王と親交を保っていたが、生活を一変し聖性への道を歩むとともに、教会の権利を王権から守ろうと努めた。そのため王の怒りを買い、フランスに亡命した。時の教皇アレクサンドル3世がトマスの主張を認めたため、王も自らの非を認めて、両者は和解し、1170年にトマスはイギリスに戻った。だが争いは再び起こり、トマスはカンタベリ大聖堂で王の配下によって暗殺された。トマスの死は全ヨーロッパに衝撃を与え、のちに王は彼の墓前で罪を悔い改め、教皇権に従った。  トマスの墓は、巡礼地となっている。


◆ここまで主が私たちを助けてくださった。

2014年12月29日 08時26分32秒 | 聖書

(Ⅰサムエル七・一二)

「ここまで」とのことばは、過去のすべてを指すように思われる。二十年あるいは七十年の間、それぞれ「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。貧しい時、富める時、病気の時、健康の時、国内で、外国で、陸上、または海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。
並木道の端から端までの長い景色をながめるのは楽しい。それは、枝の柱、葉のアーチでできた緑の宮である。あなたも過去の長い年月を振り返り、その頭上をおおうあわれみの緑の大枝、あなたの喜びを支えるいつくしみと誠実の強い幹を見よ。かなたの枝には多くの小鳥がいて、みな「ここまで」受けたあわれみについて歌っているに相違ない。
しかし、このことばはまた前方をも指し示している。なぜなら人がある目標まで来て、「ここまで」と書く時、まだ終点まで来ているのではなく、なお進むべき道のりをもっているからである。なお多くの試練と喜び、誘惑と勝利、祈りと応答、労苦と支え、戦いと凱歌を経験してから、病気、老衰、そして死が訪れる。
それで終わりであろうか。否、まだ先がある。イエスに似た者になって目を覚まし、御座に着き、たてごとをとり、賛美し、白い衣をまとい、イエスの御顔を拝し、聖徒と交わり、神の栄光を受け、永遠の満たしを与えられ、無限の祝福にあずかる。
おお、信者よ。勇気を出せ。そして感謝に満たされ、確信をもって「エベン・エゼル」と呼べ。なぜなら、
 これまであなたを助けられた方は
 あなたが旅を終えるまで伴ってくださる
からである。
天国の光に照らして見る時、あなたの「ここまで」はなんと輝かしく、またなんと驚くべき前途の眺望を、あなたの感謝に満ちた目の前に展開することであろう。

 


第1列王記10章23-29節

2014年12月29日 08時23分54秒 | 聖書

10:24 全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。
10:25 彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサ
ム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。



 ソロモンが獲得した豊かさは、彼自身の賢さに基づく有能な経営手段のみによっているのではなく、別の面もあったと語っています。

それはシェバの女王がそうであったように、多くの国々の王たちに彼の賢さが知れ渡った結果、彼らが皆このソロモンに謁見することを求め、その時に彼らが携えてきた様々な贈り物によっても潤ったと語っているのです。

そうした贈り物も馬鹿にならないものでありまして、王に謁見するのですから大量の名品が彼の元に届けられたことでした。

 彼はそれらを用いながら、石地である自分の国では得ることができない馬や、馬につける戦車などをエジプトから輸入して、それを各地に配置しました。

防衛に当たらせたのです。

こうして神様から与えられた知恵の賢さとそれに基づく名声が、彼に繁栄をもたらす手段ともなっていったのです。

驚くべき豊かさが到来したのでした。


黙示録19章7節

2014年12月29日 08時20分46秒 | 聖書

★私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。

■O:今日のコラム
2014年ももうすぐ終わろうとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
この時期に黙示録を通読することが出来るのは神様の恵みです。

ここの箇所では花婿と花嫁の婚姻の場面が描かれています。
父なる神のご計画は花婿であるイエスキリストに花嫁を設けることです。
これは創世記が始まってから黙示録に至るまでの主の計画です。
主の計画の成就がここで見る事ができるのです。
私たちクリスチャンの最終目標もここにあります。

イエス様と永遠に一つになること、この地上では味わう事の出来ない
最高の喜びと楽しみがここにあるのです。
私たちはこの婚姻の時まで、日々成長し続けなくてはなりません。
7節には「花嫁はその用意ができたのだから」とあります。
イエス様は再びこの地に戻って来られます。
どのようなときに戻ってこられるのでしょうか?

それは花嫁が成長し、イエス様の結婚相手として成熟した時に戻ってこられるのです。
私たちは早くイエス様が戻って来て欲しいと願いますが、その為にはまず教会が一つになり、一人の花嫁として整えられなければなりません。
結婚するのは複数の花嫁ではなく、あくまで一人の花嫁だからです。
その為に教会は一つになり、イエス様の愛の中で一致することが必要です。

この婚姻のときに花嫁は「きよい麻布の衣」を着ていることがわかります。
この衣は「聖徒たちの正しい行い」で作られています。
私たちがこの地上で行った「正しい行い」が婚姻のときに着る服になるのです。
正しい行いにはいろいろあると思いますが、主の命令に従い、みことばに忠実に歩むことが大切なことであると思います。
この地上では様々な苦しみや忍耐があります。神を第一にするがために迫害を受ける者もいます。しかし、主のこのような素晴らしい計画が約束されているので、それらのものにも耐えることが出来るのです。

神様が私たちにこのような素晴らしい計画を用意していることを感謝します!
来年もさらに主を愛する者として、キリストの花嫁としてともに成長していきましょう。


■A:考えてみよう
主を愛するためには飢え渇きが必要です。
主に対する飢え渇きが与えられるように祈り続けましょう。


■P:祈り
主よ、キリストの花嫁として成長させてください。
主の愛の中で互いに愛し合う事ができますように。
全ての恵みを感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


12月28日(日)のつぶやき

2014年12月29日 01時47分39秒 | キリスト教

◆いま私が、この世に生きているのは、 goo.gl/Hp1mZW


◆勤勉な家庭のマネージャー  ? goo.gl/TPBGqM


◆わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。 goo.gl/8fLZ9t