座間コミニティー

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◆主は絶えず、

2014年12月27日 17時02分48秒 | 聖書

あなたを導いて……。(イザヤ五八・一一)

「主はあなたを導いて」とある。主はかつて言われた。ご自身が民の先頭に立って荒野を進まないで、一人の使いを遣わして彼らの先に立たせ、案内させるであろうと。しかしモーセは言った。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」
クリスチャンよ。神はこの地上におけるあなたの旅路を、天使の案内にはゆだねられない。主ご自身が先導される。あなたは雲の柱、火の柱を見ないかもしれない。しかし主は、決してあなたを見捨てることはない。「主はあなたを導いて」とあるのに注意せよ。このみことばは、どれほどこのことを確かにしていることであろう。主の尊い約束は、人間の誓いにまさる。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と記されている。
さらに、「絶えず」という副詞に心を留めよ。私たちは、単に時々導かれるのではなく、常に訓戒する者をもつ。時には私たち自身の思慮分別に任せられてしまい、そのために、どうしたらよいか迷うというのではない。不断に偉大なる羊飼いの導きの御声を聞くのである。私たちが、しっかりと主のあとについて進むならば、正しい道を通って、住むべき都に導かれる。
もしあなたが、自分の社会的地位を変えなければならないとか、遠く海外に移住するとか、貧窮に陥るとか、急に今よりさらに責任ある地位に就かなければならないとか、見知らぬ人々や敵の中に投ぜられることになるとかしても、恐れてはならない。なぜなら「主は絶えず、あなたを導いて……」と記されている。もしあなたが神に近く生き、あなたの心が聖なる愛で燃え続けているならば、逃れることのできないジレンマに陥ることはない。神と同行する者は失敗することがない。エノクのように神と共に歩め。そうすれば道に迷うことはない。あなたは、決して誤ることのないあなたを導く知恵と、あなたを慰める不変の愛と、あなたを守る永遠の力をもつ。「主は」――このことばに注意せよ――「主は絶えず、あなたを導かれる」。

 


「サライの女奴隷ハガル。

2014年12月27日 17時01分57秒 | 聖書

あなたはどこから来て、どこへ行くのか」(創世16:8)

サライのもとから逃げたハガルに、主の使いが問うた。
ハガルは本心に立ち返らなければならなかった。
自分は何者で、自分の立場は何なのか。
自分は何をすべきなのか。
本来の自分をしっかり見極める必要があった。
へりくだりが必要であった。
どこから間違ったのか、立ち返る必要があった。
みごもって、女主人を見下げるようになった、自分の立場をわきまえない高慢、横柄さ、わがまま、それらを悔い改めなければならなかった。
自らの立場をはっきり知る必要があった。
それを受け入れ、へりくだる事を求められた。
このままでは、自分もお腹の赤ん坊も自滅だ。
「あなたの女主人のもとへ帰りなさい。
そして、彼女のもとで身を低くしなさい」そうすれば大いに祝福すると。
私達は好き勝手にしたい。
誰にも束縛されたくない。
自由にしたい。しかし、それは肉だ。
自分の好き勝手にしたいという自我は必ず砕かれる。
心正され、本来の位置に、おるべき所に戻らされる。
しかし、その所でのみ、祝福されるのだ。
ハガルは心砕かれ、サライのもとへ、本来の自分の場所へ戻って行った。
あなたにも神は問われる。あなたの今いる位置は?
今、あなたは何をすべきなのか?
もし、神に近くなければ、神のもとへ立ち返ろう。
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どこから来て、どこへ行くのか。一番良い道を知っておられる神様に委ねよう。
自分の好きな方向へ向かって行くならいつの間にか道に迷ってしまう。
本来の道はどっちだろう。


今日の聖人の記念日

2014年12月27日 07時33分41秒 | キリスト教

 聖ヨハネ使徒福音記者

1世紀ごろ

 ヨハネは、イエス・キリストの12使徒の1人であり、使徒ヤコブと兄弟で、ともにゲネサレト湖畔のベトサイダで漁師をしていた。ヨハネは、ヤコブと漁の網を繕っているときにイエスに呼ばれ、彼の弟子となるためにすべてを捨てて、イエスに従った。ヨハネは、イエスから最も愛された弟子の1人とされ、イエスの処刑のときにも十字架のもとに立ち、イエスから彼の母マリアを母として世話するように委ねられた。
 その後ヨハネは、エルサレム教会の指導者としてペトロとともに活躍し、パウロが殉教した後にエフェソの司教として小アジア教会を司牧したといわれている。そしてヨハネ福音書と3つの手紙、黙示録を著わした。彼の福音書は、四福音書のうちで最後に著わされた(90~100年ころ)。  ヨハネ福音書の中で、キリストは神でありながら真の人間であることが表現され、友のために涙を流すイエスの姿や、弟子に対する友愛、ヨハネに対する愛などが浮き彫りにされている。ヨハネ福音書の中には、ヨハネの名は出てこないが「イエスの愛された弟子」と表現されている。またヨハネの3つの手紙には、キリストの愛の掟についてあふれるばかりに述べられている。  ヨハネは伝説によれば、その後、ローマ皇帝ドミチアヌスのキリスト教迫害が始まったときに、パトモス島に流され、そこから小アジアのキリスト信者たちに「ヨハネの黙示録」を書き送り、エフェソで亡くなったといわれている。


◆勤勉な家庭のマネージャー  Ⅰ

2014年12月27日 07時32分29秒 | 聖書

彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、
喜んで自分の手でそれを仕上げる。
彼女は商人の船のように、
遠い所から食糧を運んで来る。
彼女は夜明け前に起き、
家の者に食事を整え、
召使の女たちに用事を言いつける。
彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、
自分がかせいで、ぶどう畑を作り、
腰に帯を強く引き締め、
勇ましく腕をふるう。
彼女は収入がよいのを味わい、
そのともしびは夜になっても消えない。
彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、
手に糸巻きをつかむ。      (箴言三一13―19)

きょうは、すばらしい妻の第二点です。一三―一九節までは、すばらしい妻の理想像ではなく、ドキュメンタリー映画を見ているような現実的描写がなされています。しかも、羊・ぶどう畑・食糧の輸入などに、中近東のそれもイスラエルの文化や風土がよく表れています。そこは分化された現代社会でなく、自給自足の農業牧畜社会の家庭生活です。私も、昔の母のことを思い出します。父をはじめ、家族の一人一人に、四季それぞれの着物を洗い張りし縫い直して着せていました。冬に備えてどっさり漬物を清けこんだり、大掃除や障子の張り替えもきちんきちんとしていたのです。いにしえのよい時代のことです。
ここに示されているすばらしい妻の姿は、ひとことでいうなら、「よい、勤勉なマネージャー」ではないでしょうか。マネージャーというと、響きが悪いかもしれません。管理者といっても、あまりニュアンスがぴったりしません。しかし、すばらしいよい妻が「忠実に勤勉に家庭を管理する者」であることは、注目すべきです。
「神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(Ⅰペテロ四10)。

 


◆葦は水がなくても伸びるだろうか。

2014年12月27日 07時31分32秒 | 聖書

 (ヨブ八・一一)

葦は弱々しく、中が空虚なので、実質も安定性もない偽善者に似ている。葦はあらゆる風に揺り動かされ、形式主義者はあらゆる勢力に屈服する。それゆえ、葦はあらしによっても折られないし、偽善者も迫害によって悩まされることがない。
私は人を欺くことを望まないし、また人から欺かれることも欲しない。今日の聖句は、自分が偽善者であるかどうかを試すのに役立つであろう。
葦は水の中に生える植物であって、泥と湿気の中に根を下ろして成長する。泥が乾くならば、葦はすぐに枯れ果てる。今青々としているのは全く環境のためであり、豊かな水のゆえに繁茂しているのである。しかし一度かんばつにでもなれば、たちまち枯死する。私の場合もそうではないだろうか。私はよい仲間があり、信仰生活が利益となり、体裁のよい時にのみ神に仕えているのではないだろうか。私はこの世的な慰めが主の御手から得られる時にのみ、主を愛しているのではなかろうか。もしそうなら、私は卑しい偽善者であって、葦が枯れるように、死が私から外面的な慰めを奪い去る時には滅びてしまうであろう。逆に私は、肉体的な慰めがほとんどなく、周囲が私に恵みを与えるよりむしろ私に逆らうような時にも、なお信仰を堅く保つと、正直に告白することができるだろうか。もしそうであるならば、私のうちには真の生きた信仰があるのである。
葦は泥がなければ成長することができない。しかし、主の右手が植えられた植物は、かんばつの年にも繁茂する。信仰深い人のたましいは、しばしばこの世的な環境が朽ち果てる時に最もよく成長する。お金を目当てにキリストに従う者はユダである。パンと魚のために従う者は悪魔の子である。しかし、主を愛するゆえに主に従う者は、真に主の弟子である。
主よ。私のいのちをこの世の好意と利益の泥の中に見いだすのではなく、ただ、あなたのうちにのみ見いだすことができますように。

 


第1列王記10章11-13節

2014年12月27日 07時30分15秒 | 聖書

10:11 オフィルから金を積んで来たヒラムの船団も、非常に多くのびゃくだんの木材と宝石とをオフィルから運んで来た。
10:12 王はこのびゃくだんの木材で、【主】の宮と王宮の柱を造り、歌うたいたちのために、立琴と十弦の琴を作った。今日まで、このようなびゃくだんの木材が入って来たこともなく、だれもこのようなものを見たこともなかった。



 オフィルの地から金を運んできた船団は、同時に白檀を運んできたと語っています。

この白檀で宮と王宮の柱を作り、また楽器などを作ったと語られています。

 この白檀というのは大変貴重なもので、栽培することが難しかったために得ることが難しく、それがこのようにたくさん用いられたということは、ソロモンの豊かさを示す証拠であったと語っています。

 ところで、この白檀は、当時はインドが原産地でありまして、その関係からオフィルはインドではないかと言われていることです。

また、この白檀はとてもよい香りを出す木で、心地よい香りを人々に与えましたので、当時は大変高価な資材として用いられたのでした。



黙示録17章6節 (詩篇119篇97~128節)

2014年12月27日 07時22分52秒 | 聖書

★そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。

■O:今日のコラム
黙示録17章には大バビロンの霊的な支配者、大淫婦が登場します。彼女は大水の上に座っていると聖書に記されています。

大水とは世界の諸国や、この世の価値観を意味する言葉です。現在、様々な宗教を認め合い一つになる運動や、同性愛を容認する事など、その様な価値観を持つ事が愛の行動であり、より優れた信仰者の姿勢だと言う国際的な流れがあります。もちろん私達はどの立場にある人々をも愛し、とりなし、救いを願う必要があります。しかし、聖書がYESと言う事を私達はYESと言い、聖書がNOと言う事を私達もNOと言う信仰を持つ事が、今の時代において本当に必要です。

さらに彼女と共に、この地の指導者や人々は不品行のぶどう酒に酔っていた。と聖書に記されています。ヨハネは彼女の実体を見分ける為に、3節で「御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。」と記しています。

私達はこの世に生きている中で、自分でも気付かぬ内にこの世の満足や楽しみを追い求め、不品行のぶどう酒に酔った様な状態になっています。その酔いから覚める方法は、御霊に満たされる事です。「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」(エペソ5:18)

しかしヨハネの様な使徒であっても、この大淫婦の実体を見た時「非常に驚いた。」と言っています。これは別の訳では「とても魅了された。」と言う意味があります。

この世に働く霊的な力は、信仰に燃える聖徒達を世の物で魅了するでしょう。強い誘惑やまどろみの力が働く時、ぜひ私達は繰り返し黙示録を読みましょう。そうすればこの世のものは一時的であり、神の御国こそが永遠だと言う事を悟ります。そして主に忠実に仕える時、莫大な報いが用意されているという事を知り、聖さに対する力強い励ましを受けます。

主イエスの勝利を覚え、共にこの御言葉を宣言しましょう。
「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」(黙示録17:14)


■A:考えてみよう
今年の最後に今一度、黙示録を通読し、私達の向かうゴールをしっかりと心に定めましょう。


■P:祈り
天のお父様。日々私の人生をあなたにお捧げ致します。世のものでは無く、神の国とその義を第一に求めます。イエス様に対する純潔を保ち生きる事が出来る様、聖霊様導き続けて下さい。


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


12月26日(金)のつぶやき

2014年12月27日 01時46分34秒 | キリスト教