(詩篇二四・八)
私たちの神が、その民のために、その民のうちに、その民により、驚くべきことをもたらされたのを見るなら、私たちの神が栄光のお方として民の目に映るのは、実に当然のことである。
彼らのために、主イエスはカルバリですべての敵を敗走させ、その全き従順のうちにみわざを完成されたので、敵のすべての武器は打ち砕かれた。主は勝利の復活と昇天によって地獄の望みを完全にくつがえし、とりこを捕えて引いて行き、私たちの敵を公然とさらしものにし、十字架によって敵に勝利を得られた。サタンが私たちに対し「罪がある」と責める矢は、砕かれる。だれが神の選ばれた者を責めることができるだろう。地獄の悪意の鋭い剣も、へびの子孫の不断の襲撃もむだである。なぜなら、教会では足の不自由な者も収穫を得、最も弱い戦士も栄冠を得るからである。
主が彼らのうちに征服者となられたことに対して、救われた者が主をあがめるのは当然である。彼らの生来の憎しみの矢は折られ、反抗の武器は砕かれたからである。私たちの邪悪な心の中に、恵みがなんという勝利を得たことか! イエスが私たちの意志を征服し、罪を王座から下ろされた時の主のご栄光の輝きよ! 私たちの中になお残る腐敗も同様に必ず敗北を喫するものであり、すべての誘惑、疑い、恐れはことごとく滅ぼされてしまうであろう。私たちの平和な心のエルサレムでは、イエスの御名はたぐいなく偉大である。主は私たちの愛を獲得し、それを身につけられる。
それゆえ私たちは、私たちによる勝利を確信して待ち望む。私たちは、私たちを愛してくださった方によって圧倒的な勝利者となる。自分の信仰、熱情、聖潔によって、この世にあるやみの力を打ち破るであろう。罪人をイエスに獲得し、偽りの組織をくつがえし、諸国民を回心させるであろう。神は私たちと共におられ、何ものも私たちを妨げることはできないからだ。
クリスチャンの戦士たちよ。今夜、歌を歌い、明日の戦いの備えをしよう。私たちのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる方である。