座間コミニティー

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◆このようにして、主の栄光が現わされると、

2014年12月24日 17時18分32秒 | 聖書

すべての者が共にこれを見る。(イザヤ四〇・五)

私たちは、全世界がキリストのもとに帰る幸いな日を心待ちにしている。その時、異教の神々はもぐらやこうもりに投げやられ、三日月(イスラム教)は形を失い、その有害な光を再び諸国民の上に投ずることはない。諸国の王は平和の君の前に頭をたれ、すべての国民は贖い主を賛美する。
ある人々はこの話に失望する。彼らはこの世を、壊れ果てて再び浮かび上がらない船のようなものと見る。私たちは、世界とその中にあるすべてのものはいつの日にか焼き尽くされ、その後、新しい天と新しい地の来ることを知る。しかし私たちは、
「イエスは、大空を渡る太陽の
照らす限りを支配される」
という確信がなければ、聖書を読むことはできない。私たちは、主がおいでになるのが遅くても、失望はしない。主が教会に与えられた長い時の中で、私たちの戦いがほとんど成功せず、大部分が敗北であったとしても、私たちは落胆しない。私たちは信じる。神は、かつてキリストの血が流されたこの世界が、常に悪魔のとりでとなるのを決して放任されることはない、と。
キリストはこの世界を憎むべきやみの力から救うために来られた。人と天使が声を合わせて、「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた」と叫ぶのは、いかにすばらしい光景であろう。
その日、戦いに参加した者、敵の弓矢を折ることを助けた者、私たちの主が勝利を得られるのに力のあった者の満足は、どれほどであろう。この常勝の主に自らをゆだね、主と共に戦い、主の御名と御力によっていくぶんかでもなす者は幸いである! しかし、悪の味方となった人の不幸はどうであろう。それは、敗者の側にあり、永遠に敗北し、失われた者となる。あなたはどちらの側につくか。

 

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『「わたしに何をして欲しいのか」すると、盲人は言った。

2014年12月24日 17時17分47秒 | 聖書

「先生、見えるようになることです」』(マルコ10:51)

バルテマイは、主に「わたしに何をしてほしいのか」と問われ「目が見えるようになることです」と明確に答えた。
彼は盲目ゆえ、社会生活が出来なかった。
当時は今のような充実した福祉など無く、物乞いで、人からの憐れみで生活していた。
人の手がなければ何一つできない、まるで生けるしかばねだ。
それは惨めで、辛くて、哀しくて、プライドが何と傷つく人生であったろう。
これらの苦しみ、すべての根、原因が、目が見えないところから来ていると理解していた。
それで、その解決を主に求めた。
私達も様々な悩み、困難が色々な形で表面に表れて来る。
しかし、その問題の本当の原因はどこにあるのだろう。
いつも同じような状況でトラブルを起こすなら、自分の内に何かの誘因があり根がある。
特定の状況になった時に心がざらつくなら、そこに何か解決の必要なものが潜む。
自分の心の奥にあるプライド、虚栄心、体面…何に触れるのか。
何が原因なのか。欲が潜んでいる。
同じような場面で起こるトラブルは、相手でなく環境でなく、自分に問題がある。
そこを主は解決して下さる。
「わたしに何をして欲しいのか」と問われる主に、「~~です」と明確に答えられるように、まず祈ろう。
----------------
主は「何をして欲しいのか」と問うて下さる。
「~をして欲しいです」と答えるためには、自分を直視して真実に自分の状態を知る事が必要だ。
ふたをしたり、あいまいにしているなら答えられない。

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今日の聖人の記念日

2014年12月24日 06時34分21秒 | キリスト教

聖シェーベル・マクルーフ司祭

?-1898年

 シェーベルは、熱心なカトリック信徒であり、聖ヨハネ・クリゾストモの友人聖マロの名前をとったマロン教会のグループに属していた。このグループの信徒たちの多くは、レバノンに住み、12世紀から西方教会と一致して、西方教会にキリスト教会の伝統、特に節制の規律をもたらしたといわれる。この伝統を明らかに示したのがシェーベルであった。
  19世紀に、彼は他の修道士とともに、初代教会の教父たちが荒野で行った厳しい祈りと修行の生活を続けた。質素な食事と沈黙、祈りの生活によって、ますますシェーベルの心は研ぎ澄まされ、神と人びとを求めていった。23年間の修行の生活を全うし、彼は降誕祭(12.25)の前夜に天に召された。

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◆す ぐ れ た 妻

2014年12月24日 06時33分16秒 | 聖書

しっかりした妻を
だれが見つけることができよう。
彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。(箴言三一10)

箴言三一章一〇―三一節までは、「しっかりした妻」というより、むしろすぐれた妻の姿が描かれています。マシュー・ヘンリーは、「貴婦人の姿見である」と解説しています。
悪妻を持つと、「六十年の不作」とも「七十年の不作」ともいいます。今は、一、二年の不作くらい、日本ではそれほど重大なことと感じないかもしれません。しかし昔は、冷夏が二、三年続くと、ばたばたと飢え死にする人が出ました。ですから、「七十年の不作」とは相当な意味があります。
聖書では、しっかりした妻は夫の冠だが、恥をもたらす妻は、夫の骨の中のくされだとさえ言っています(箴言一二4参照)。また、争い好きな女といっしょに住むのは長雨の時に、雨もりがする家に住むようだとか、そんな妻といっしょに住むより屋根のすみにうずくまっていたほうがいい、荒野にひそんでいたほうがましだとも書いてありました(箴言一九13、二一919参照)。江戸時代の庶民の残した都々逸にも、「夢でもいいから持ちたいものは金の成る木とよい女房」とあります。
いったい、よい女房・すぐれた妻とは、どういう婦人でしょうか。昔も今も、男の人は、美しくてかわいい人を好んできました。「男は度胸、女は愛きょう」と、昔から言い習わされています。しかし、この標準がいいか悪いかは、はっきりしていますか。ある人は、これは相対的なもので、こういう婦人がいいというより、一人一人の男に合った人がいいと言います。「つり合わぬは不縁のもと」ともいいます。また、「われなべにとじぶた」などということばもあります。
すぐれたよい妻とは、どんな人であって、どうしたら見つかるのか。――これは、興味ある大切な問題です。続いて箴言を見ていきましょう。

 

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◆あなたがたのために貧しくなられました。

2014年12月24日 06時32分22秒 | 聖書

(Ⅱコリント八・九)

主イエス・キリストは、永遠に富み、栄光ある、尊いお方であられた。しかし、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました」。富んでいる聖徒は、自分の財産をもって貧しい兄弟たちの必要を満たすのでなければ、彼らと真の交わりに入ることはできない。(肢体を支配するのと同じ法則が、かしらをも支配する。)それと同様に、私たちの主なる神は、そのあふれる富を与え、私たちを富ませるためにご自身が貧しくなられるのでなければ、私たちと親しく交わることは不可能だったのである。
もし主が栄光の御座にとどまり、私たちが主の救いを受けることなく、堕落の廃墟の中にいたとするならば、交わりはどちらの側にも不可能であったろう。ベリアルとキリストとに何の調和もないように、私たちは堕落の結果、恵みの契約なくして神と交わることは不可能となった。それゆえ、交わりをなすためには、富んだ贖い人が貧しい親族に財産を分けることが必要であった。また義である救い主が、罪を犯している兄弟に、その完全を分かち与え、私たちのようなあわれな罪人が、主の満ち足りた恵みを受け入れるようにすることが必要であった。
このように、与え、また受けることによって、一つは高きより下り、他は低きより上って、互いに真実な心からの交わりの中に入ることができる。貧しい者は無限の富をもたれる方との交わりに入る前に、その方によって富む者とされなければならない。たましいがきよい交わりをなす前に、内にある罪は、転嫁された義、与えられた義の中に消失しなければならない。イエスは、その民をご自身の衣で包むのでなければ、彼らを栄光の宮に迎え入れることができない。主との交わりに入るには、彼らはあまりにも汚れているために、主はご自身の血潮で洗わなければならなかった。
信者よ。ここに愛がある。あなたのために主イエスは「貧しく」なられた。それは、あなたが主との交わりに入れられるためであった。

 

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第1列王記9章23-28節

2014年12月24日 06時30分49秒 | 聖書

9:26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。 9:27 この船団に、ヒラムは自分のしもべであり、海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちといっしょに送り込んだ。



 かつてイスラエルの地には、船で貿易をすることはありませんでした。

ところが、ソロモンは船団を作って、それを紅海の岸辺にあるエツヨン・ゲベルに備えました。

イスラエルの民は、船を使っていませんでしたので、航海術がわかりませんでした。

そこで、ヒラムから航海に巧みな水夫を送ってもらい、彼らの指導の下で船を操る術を学ばせました。

こうして彼らは南の方に航海をして、オフィルの国に行き、そこから多くの金をソロモンの下に持ちこみました。

このオフィルというのは、どこであるのかというのは明確にされておりませんが、しかし、当時その地は、金を産出する地として有名でありました。

そしてこの地からもたらされた金によって、ソロモンは大変裕福な王となり、また様々な建築物を建設するために資金を
得ていったようでした。

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詩篇119篇1~3節

2014年12月24日 06時27分19秒 | 聖書

★幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。
幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。
まことに、彼らは不正を行わず、主の道を歩む。

黙示録14章3~5節
★彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。
彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。

■O:今日のコラム
12月23日の朝です。メリークリスマス!!喜んでイエス様の誕生を礼拝します。今日1日も、主の御言葉を求め、イエス様にどこにでもついて行きましょう。

主の道を歩む者の幸いは、この地では味わえないものを味わえる特権が与えられることです。子羊なるイエス様にどこにでもついて行く贖われた者たち以外には隠された新しい歌があるのです。

この歌を知りたいです。主に教えてもらいたいです。そのためには、純粋に主を愛し、主の愛を受け取り、主の贖いを体験し、主について行き続け、口をきよめられ、傷がない者でなければなりません。

僕ら、人間の力では難しすぎる問題です。そのためにイエス様が誕生されたことを感謝します。自分の力ではなく、主の十字架と復活によって贖いを体験し、傷を完璧に癒していただけます。

イエス様の十字架と復活の救いは無条件の愛によって用意されています。僕らがするべきは、イエス様を信じる告白をし続けることです。

子羊なるイエス様にどこにでもついて行く者たちは童貞であると書かれています。神様の童(子供)として貞(自分の信念をかたく保って変えないことを貫く)する決心をする者です。自分の身体を、イエス様を知るためにきよく保つ者です。花婿なるイエス様のために、花嫁として自分のきよさを守る者です。心と思いと力をきよく保つ者です。

イエス様は、きよさを保っていた処女マリヤさんに聖霊様によって身ごもり誕生しました。イエス様は、きよさを保つ者から新しいモノを産み出していくのです。

どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。(詩篇119篇9節)

だから、求め続け、たたき続け、探し続けるのです。御言葉を宣言し続けるのです。主に自分の弱さを訴え続けるのです。そして、主の偉大さを賛美し続けるのです。僕らの口を、御言葉を宣言し、主を賛美することできよめていきましょう。

これらのことを守ることは、僕らを縛るものではなく、僕らを自由にするものです。真理は自由を与えてくださいます。「何て幸いなんだ!!こんな幸せ見たことない!!」という祝福が満ち溢れるのです。心を尽くして主を尋ね求めていきましょう。


■A:考えてみよう
詩篇119篇1~32節を朗読し、宣言してみましょう。主を求め続けるためには、あなたに必要なことは何ですか?


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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12月23日(火)のつぶやき

2014年12月24日 01時49分42秒 | キリスト教

ヨハネの黙示録13章全体(詩篇118篇) goo.gl/RCn0WO


◆どうぞもっと上席にお進みください。 goo.gl/Poh0Lc


「そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。 goo.gl/54c7Pc


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