トシコロのありのままの暮らし


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「シマハタの光と陰・第13章」を書いて

2020-02-04 10:51:44 | 日記
これは後援会の一人の「園児の一人が大病にかかり、必死で看護して、命を取り留めた」の証言をヒントにしたものです。僕は「ならば、そのまま病死した例もたくさんあったはず。治ったのならば、ハッピーエンドに決まっているが、他界した場合、初期の島田療育園ではどのような事が起きるのだろう」と推察をして、大体はこの通りではなかったかと書いてみました。書いた園児などはおらず、フィクションには違いありませんが、そのような事は何度も繰り返されたに違いありません。でも、それから14年くらいした1980年ごろには、他界された園児の死体に一職員が「死ねば、冷たさも感じないでしょ」とか言って、冷たい水を掛けたり、死体遺棄事件も起こしている。段々島田全体が時を経て、心が腐っていくわけです。悲しい事です。


  それから、文中にある気候は正確です。気象庁関係の1966年1、2月の東京の天候と温度をインターネットで調べましたから。今後もその手法を使います。当時としては、暖冬だったわけですね。でも、インフルエンザは流行りました。

  一園児の「高熱の後の強い口内炎」。実は、僕の小学時代の経験も絡めて書きました。大体、高熱の後にそれができた。光明養護学校の同級生にも同様な子供たちが複数いた。ある医者からも「脳性まひの人達は、熱が出た後、強い口内炎にかかる例が多い」と聞いた事がありましたし。口内炎の患部付近を触ると、熱がある事がわかります。漢方医学(中医学)では、熱を取る成分の入った漢方薬を、体質に合う種類のものを選んで、服用させる事になっていますが、残念ながら島田の医者たちは全員、それをしらなかったと見えます。だから「ビタミン注射」しか、打つ手はなかった。特に、ビタミンB類。それはいくら注射しても、許容量以上は体外に尿となって、放出されるわけです。(因みに、解熱剤でも、アスピリンは逆効果です。胃腸は勿論、口内も荒らすから、口内炎はひどくなるだけです)

  以上です。