トシコロのありのままの暮らし


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島田身障園生たちの仲間意識は見られませんでした

2020-02-22 11:24:47 | 日記
   一園生も証言していました。それ以前に「皆、話が合わない」とも。


   当たり前かもしれません。東京都、新潟県、群馬県と、彼らの出身地はバラバラだから。出身地が違えば、話も、価値観も合わないのかもしれません。戦前の日本軍でもあった問題でしたね。


   各自がバラバラだったから、僕も個別に対応でき、親しく付き合えた面はあると思います。何かの新興宗教のように、厚い仲間関係を作っていたら、僕も対応はできず、一度で止めたわけです。その場合、印象には残らず、問題意識も起きず、すぐ忘れると思います。

  因みに、行ったボランティアの見方も様々。僕と同じように園生の個性と違いを認識していた人たちもいました。そのような人とは、今も話が合います。でも、中には、園生を一からげに見た人もいた。昔からそのような人とは話が合わなかった。詳細は省略しますが、僕とケンカになったボランティアもいました。島田関係だけでなく、そのような人は障碍者全部を同様に見ていたわけです。僕も個性抜きで、障碍者と見られていた。今思うと、友人でも何でもなかったし、今の僕ならば付き合いませんね。

  人間は個性があるから、人なのです。それを基盤に人間特有の愛や友情が芽生えるわけですね。まずは、互いの個性や人格を認め合う事から始まると。大切な事ですね。

  (島田小説では、以上の事も述べます)


戦前の日本とドイツに見る仲間意識の暗部

2020-02-21 10:50:25 | 日記
「仲よく」みたいな言葉が羅列されていた教育勅語だが、要するに「日本人としての仲間意識を持ちましょう」と、戦前の天皇の名を借りて、呼び掛けていたわけである。でも、その結果、元々異なる民族である琉球とアイヌを日本人に同化させ、固有の文化を奪い、彼らの人権を迫害するまでに至った。後になり、朝鮮半島でも同じ事をして、特に第二次世界大戦中は「創氏改名」と、名前を日本人風にまで変えさせて、トラウマを与えたわけである。それから、日本人内でも。ハンセン氏病患者の強制収容は何だろうか。ハンセン氏病の人たちは仲間ではないと見える。また、多くの種類の障碍者も、戦後の1979年に至るまで「就学猶予」で学齢に達しても公立校に行く義務はなかった。権利も。79年までは養護学校を卒業しても「就学猶予」扱いにされていたわけである。


  話は戻るが、仲間意識は自分たちの近しい人たちにほど、情が行くものてある。遠い人たちには無関心になる。その結果、政治関係、経済関係、官僚、軍部とあらゆるところで「派閥」が生まれ、昭和初期(1925年以降)になり、大日本帝国は次第に機能しなくなった。巷では離婚が増えていった。更には、軍部も外国に無関心になり、戦争の道になった。確かに、人間は日本人だけではないし、「日本人としての仲間意識」を子供の時から国民が植え付けられれば、やがては戦争になるわけである。

   同じころのドイツのナチス思想も、当時の科学やキリスト教も利用しているが、根本は「ドイツ人の仲間意識」であろう。以上と同様に、ドイツ人以外の人権は全く考慮されておらず、特に利害が対立したユダヤ人とロシア人を大量に虐殺したわけである。ドイツ人内でも、障碍者は「仲間」と見なされず、虐殺された。ヒットラーは日本人とイタリア人は褒めたが、それは軍事的に利用するためのものであり、本心ではなかった。最初から見えていたのに、何故、日本やイタリアの政治家や軍人は気が付かなかったのか。おかしいと思う。

  若い時の僕の経験だが、多くの福祉会や身障会、キリスト教関係などを転々とした。僕のたまたま入った会はどれも仲間意識を会の支柱とするものだった。キリスト教関係も、愛と仲間意識の混同が特に牧師ほど、目立った。その結果、まず、会の中にしか関心を向けなくなるなど、メンバーの視野が狭くなり、次いで、心も狭くなっているから、メンバーの些細な意見の違いも許せなくなり、激しいケンカも多発して、会は潰れていった。「違いを認め合いながら、互いを尊重し、励まし合う」事が友情だろうが、そのような友情は育たないわけである。また恋愛や結婚の基礎の男女交際も、「違いの認め合い、互いの尊重」などが不可欠だが、それが乏しければ、恋愛や結婚もできないわけである。中には、「仲間意識から友情、恋愛、結婚縁ができる」と言っていた人たちもいた。後年の僕はそれははっきり否定したが、昔の僕は勉強不足でもあり、それに反論できなかったわけである。


  そう言えば、僕の行った教会関係で、レイプした一牧師を牧師会が隠ぺいした件。確かに、レイプされた人たちの傷は大きいし、人権も顧みられないが、「隠ぺい」は被害者ではなく、加害した一牧師に味方するものである。レイプされた少女たちは未洗礼で仲間ではない、一牧師は仲間だ、だから、一牧師に味方した面があるのだろうか?とも考えてしまうわけである。

   とにかく、まともな仲間意識があるとして、「違いはあっても、心を持つから人間は皆同じ」、または、「命を持つから、生物は皆同じ」という広いものだけだと思う。国単位だろうが、民族や何かの会だろうが、何かの障碍単位だろうが、仲間意識は持ってはならないと考えるわけである。どうせなら、広い視野を持ちたいものだ。


ドラエモンの浮世絵

2020-02-17 10:53:04 | 日記
   もちろん、現代で作られたものですね。広重の「雨の東海道」を基に、ドラエモンたちが江戸時代に行き、歩いている姿ですね。浮世絵に当てはめても、ドラエモンたちの姿は違和感はなく、自然に楽しめます。他に、江戸時代の日本の町の上をタケコプターで飛んでいる姿など、ドラエモンの浮世絵はたくさんあります。後で、手塚治虫氏が作った鉄腕アトムの浮世絵についても調べてみます。


  パリやニューヨークを舞台とした浮世絵があっても違和感はないでしょう。世界にも通用すると思います。 やがては、月面や火星など、宇宙を舞台とした浮世絵も作られる事でしょう。





僕が選んだ浮世絵一つ

2020-02-14 11:12:15 | 日記
 インターネットで検索し、「赤富士」などの有名なものを別として、選んだものである。


   まず、深い青は夜空を表わし、その上に浮かぶ月が良い。

   江戸時代の日本に多く見られた小舟。このような舟で漁をしたり、船上宴会も行なったわけである。小舟だから、外国には行けなかったが。

   芸者と思われる女性の顔や姿はドラエモンなどの現代日本のアニメを僕は連想せずにはいられない。見方にもよるが、どことなく通じるものがある。そう言えば、現代に作られた浮世絵の中には、本当にドラエモンやのび太君たちを登場させたものもあった。やがては、ご紹介したい。

   その女性の姿は肉体を正確に描いた同時期の西洋画とはかなり違う。19世紀、浮世絵の一部を見たフランスのゴッホが惚れこんだのも判る気もする。現代の感覚で言えば、ゴッホは宇宙人の書いた絵みたいに感じられ、非常に面白く感じたに違いない。


   僕も中学か高校の美術の教科書で、富士山の浮世絵を見た覚えがかすかにある。とは言え、実際の浮世絵は多様。紹介するかはまだ決めていないが、愛し合う男女のセックスの姿の絵もある。実際はそのような絵が多かったわけで、徳川幕府は時々取り締まったようである。それでも、作られ続け、今はそれも芸術品になっている。ならば、今のアダルト系動画は百年後には芸術品になるだろうか。ならないと見ている。二つの理由で。一つは、そのようなものの中には本人の承諾がないのに無理やりやらされる例が多く、人権にひっかかるから。もう一つは、合意の上でも、関係者たちは単にお金の為にしているわけだから。男女の愛を描いたそのような浮世絵とは訳が違うからである。金の為と、愛の為は大違いである。当たり前だ。


  以下、楽しんで下さい。


僕や同行者たちも元患者の重症者は見ていません

2020-02-13 11:43:19 | 日記
  先の「言論の自由」の後半に書いた事から思い出した事。確かに、僕などもハンセン氏病の療養所・多磨全生園に行きましたが、交流したのは症状・障碍が軽度の人たちに限られていました。その中の障碍が比較的に重い伊藤まつさんでさえも、他界の少し前までは要介護ではなかったし、顔なども崩れていなかったわけです。(それでも、顔面神経痛はあったが)。でも、実際は症状が非常に重く、複数の内臓がライ菌によって腐食していたり、ほぼ全身の皮膚も腐食して、姿形も留めない例、脳も菌に侵されていた例も。それらは特効薬のプロミンで菌は殺せても、以上は後遺症として残るし、手足も腐食した人たちは、当然ながら要介護になるわけです。そのような人たちは療養所の特別の部屋にいたそうですが、僕もそこには案内されませんでした。一つには、当時の日本では、感染疑惑があったせいです。実際は、重症者でも菌は死滅しており、また、ライ菌自体も非常に弱いので、移らないわけですが。もう一つは、普通の病人でも外来者との交流は親戚や友人に限りますね。他人とは交流させない。それと同じで、例えボランティア目的でも、外来者とは交流させないのでしょう。そのようなわけで、僕も、同行者たちも重症者の事は知らなかったわけです。交流できた一部の軽症者だけをイメージして、「ハンセン氏病問題」なる者を論じていた人も思い出されます。それも「最軽症者」を。当然、正しくない論じ方になる。無論、そうなるのも仕方ないし、ムリでもあったわけですが。


  また、元患者たちの書いた本や手記文。それも僕は軽症者が書いたものばかり読んでいた。今になり、気が付きますが、みな重症者の事は書いていません。「私の手記」と明記したものはそれでも構わないですが、中には「ハンセン氏病患者として」と書きながら、重症者の事は書かない例も複数いた。それはおかしかったと今の僕は気が付いています。確かに、そのような人たちも医大で学んだわけではないから、ハンセン氏病問題論述には限界があるでしょう。仕方ないですね。ならば、元患者の代表みたいな書き方はおかしいわけです。更に、元患者の出身地により、差別の実態や原因もかなり違うのに、自分の出身地の事ばかり述べている例もかなり見られる。難しいわけです。


  この僕が脳性まひ問題を書く時も同じ事をやりかねないし、また、僕の知っている脳性まひ問題も全体の一部です。僕も「脳性まひの代表」みたいには述べたらいけないとも思っています。述べられるのは僕の人生と、それに絡んだ事だけです。島田療育園の事は僕の人生に深く絡み、印象にも強く残っているから、書けるわけですね。でも、例えば、1980年ごろから日本で増えた、脳性まひ児の公立学校入学運動の事は僕の人生と絡まないから書けないし、書いてもいけないわけです。

  それと、大事なこととして、一部しか知らないのに、「ハンセン氏病の代表」とか「脳性まひの代表」みたいな話を聞いたり、本や手記文を読むと、読んだ人たちのかなりは「ハンセン氏病や脳性まひはこんなものだ」と思い込み、世間に広まると偏見が生まれる。このような事も起きるわけで、「代表」はおかしいと思います。僕も気を付けたいです。