トシコロのありのままの暮らし


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僕や同行者たちも元患者の重症者は見ていません

2020-02-13 11:43:19 | 日記
  先の「言論の自由」の後半に書いた事から思い出した事。確かに、僕などもハンセン氏病の療養所・多磨全生園に行きましたが、交流したのは症状・障碍が軽度の人たちに限られていました。その中の障碍が比較的に重い伊藤まつさんでさえも、他界の少し前までは要介護ではなかったし、顔なども崩れていなかったわけです。(それでも、顔面神経痛はあったが)。でも、実際は症状が非常に重く、複数の内臓がライ菌によって腐食していたり、ほぼ全身の皮膚も腐食して、姿形も留めない例、脳も菌に侵されていた例も。それらは特効薬のプロミンで菌は殺せても、以上は後遺症として残るし、手足も腐食した人たちは、当然ながら要介護になるわけです。そのような人たちは療養所の特別の部屋にいたそうですが、僕もそこには案内されませんでした。一つには、当時の日本では、感染疑惑があったせいです。実際は、重症者でも菌は死滅しており、また、ライ菌自体も非常に弱いので、移らないわけですが。もう一つは、普通の病人でも外来者との交流は親戚や友人に限りますね。他人とは交流させない。それと同じで、例えボランティア目的でも、外来者とは交流させないのでしょう。そのようなわけで、僕も、同行者たちも重症者の事は知らなかったわけです。交流できた一部の軽症者だけをイメージして、「ハンセン氏病問題」なる者を論じていた人も思い出されます。それも「最軽症者」を。当然、正しくない論じ方になる。無論、そうなるのも仕方ないし、ムリでもあったわけですが。


  また、元患者たちの書いた本や手記文。それも僕は軽症者が書いたものばかり読んでいた。今になり、気が付きますが、みな重症者の事は書いていません。「私の手記」と明記したものはそれでも構わないですが、中には「ハンセン氏病患者として」と書きながら、重症者の事は書かない例も複数いた。それはおかしかったと今の僕は気が付いています。確かに、そのような人たちも医大で学んだわけではないから、ハンセン氏病問題論述には限界があるでしょう。仕方ないですね。ならば、元患者の代表みたいな書き方はおかしいわけです。更に、元患者の出身地により、差別の実態や原因もかなり違うのに、自分の出身地の事ばかり述べている例もかなり見られる。難しいわけです。


  この僕が脳性まひ問題を書く時も同じ事をやりかねないし、また、僕の知っている脳性まひ問題も全体の一部です。僕も「脳性まひの代表」みたいには述べたらいけないとも思っています。述べられるのは僕の人生と、それに絡んだ事だけです。島田療育園の事は僕の人生に深く絡み、印象にも強く残っているから、書けるわけですね。でも、例えば、1980年ごろから日本で増えた、脳性まひ児の公立学校入学運動の事は僕の人生と絡まないから書けないし、書いてもいけないわけです。

  それと、大事なこととして、一部しか知らないのに、「ハンセン氏病の代表」とか「脳性まひの代表」みたいな話を聞いたり、本や手記文を読むと、読んだ人たちのかなりは「ハンセン氏病や脳性まひはこんなものだ」と思い込み、世間に広まると偏見が生まれる。このような事も起きるわけで、「代表」はおかしいと思います。僕も気を付けたいです。