トシコロのありのままの暮らし


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昔の島田療育園が行き詰まった大切な一因

2019-07-24 10:14:36 | 日記
「障碍者関係の法律作りと整備が非常に遅れていた」、これも大事ですね。戦後の日本国憲法では「法の下の平等・基本的人権」などが書かれているのに、戦後の身障関係の法律は旧軍人の戦傷身障者のものばかりで、他の障碍者関係のものは非常に遅れていました。島田療育園なども、児童福祉関係と医療関係の法律の応用で作られていたわけです。児童関係では、18歳以上の身障者・知的障碍者には対応できませんね。それゆえ、成人しても受け皿もなかった。


  また、島田に行った身障運動家たちは法律関係をよく知らなかった。昔の僕もそうでした。だから、法律面の理解もできなかった。一様に、ただ怒るだけでしたが、その理由の一つには、法律関係の無知もあったと思います。ボランティアやサポーターたちの多くもそうでした。

  後年になり、放送大学で少しですが、法律や憲法系の事も学び、昔の島田は法関係の遅れもあったのだなと思います。

  そこだけではなく、日本中の障碍者関係がそうでした。そのような中、静岡県に作られた「ねむの木学園」は腐敗も、紛争も起きず、よくやったと思います。ほぼ島田と同時期に作られたのに。何故、違ったのか、僕には判りません。今ならば両者の園長や職員たちがメールを使い、情報交換もするでしょうが、当時は通信手段も限られていたので、「ねむの木学園」の成功の情報が島田療育園に伝わる事もなかったわけですね。当時は仕方なかったにしろ、情報も大事だと思います。


「神への愛」の難しさ

2019-07-23 13:52:51 | 日記
 「子宮切除発言」の拙文の終わりの方の通り、相当なインテリに違いなかったのに、小林博士は新約聖書・イエスの第一の戒めである「神への愛」を忘れて、いきなり人への愛をして挫折したようである。詳しくは書かないが、教派の別なく、そのような日本人クリスチャンは多いし、日本だけでもないかもしれない。


  僕が80年代に行ったキリスト教関係の人たちもそのような信徒が多かった。牧師でもそうだと。何が「神への愛」か悩んでいる例はまだ良い。「教会組織・それへの献金」と述べる牧師も、いれば、「聖餐式」と述べる牧師も、「聖書を読む事」と述べる牧師も。意見の不統一が目立った。というよりも、牧師たちにも判らなかったのが現状ではないか。内、「教会組織・献金」は中学の歴史の教科書に出てきた免罪符の事を連想させられる。その問題から、教会組織などは神ではない事が歴史的に証明済みなのに。また、聖餐式も、信仰への入口であり、神自体ではない。聖書にも、聖餐=神とは書かれていない。そして、そのような内輪の議論を進めている間に、一牧師が少女レイプを重ねていた。まともな神への愛があれば、絶対にありえない事である。何もその一牧師だけの罪でもないだろう。「神への愛」が牧師たちにも本当は判らないのに、以上の通り、判った振りだけしたから、実質的な不信仰が蔓延し、その結果の一つとして、レイプ事件が起きたと。更には、後年も別の牧師がレイプを起こしたわけだし。レイプは女性や少女の人格・人権を根本的に否定するものであり、戦争と殺人の次に重い罪ではないか。島田でのお仕置きの問題と比べても、非常に悪質である。無期懲役にも値する罪だと。更には、外国だが、アイルランドでの神父の多くの性事件とか。アイルランドの方は僕はよく知らないが、それもまともに「神への愛」を持っていたら、起きなかった事件である。

   因みに、僕はだからと言って、ニーチェの「神の死」を持ち出すつもりはない。歴史によると、ヨーロッパでも昔から、まともに神への愛を持てなかった人たちがいたらしく、その一部は悪魔を崇拝するマモン党を作ったり、多くのカルトになっていった。日本では、1995年に表面化したオウム真理教でカルト対策が叫ばれるようになったが、ヨーロッパやロシアでは中世の昔からカルトが多数出現し、それでカルト対策も進んでいるわけである。

  無論、以上の答えや対策などは僕にできる訳もない。もし、答えは「〇○」と答えたら、それこそ「判った振り」になり、以上挙げた人たちと同じになってしまうから。判らないものは、判らないと答えるのが良いと今の僕は思う。

子宮切除発言の正体

2019-07-22 11:19:14 | 日記
これも以前、断片的に書いた事ですね。1982年ごろ、当時の身障ミニコミ紙が、身障団体機関紙の転用という形で伝えたものです。「女子園生は子供を産む事もなく、生理の後始末は職員たちの手を煩わせるだけだから、切り取っても構わない」と、退職後の小林博士が漏らした事だとか。「ナチスみたいだ」と身障者たちからの反応があったとか。実際に実行はしなかったものの、あってはならない発言です。


  そのような発言が出た根はいくつかあります。一つは、身障女性たちの性行為を予測していなかった事。恋愛とか結婚を。いつまでも園生を「子供」と見ていたわけです。これはすでに小説に書いた、聖書の愛と親子愛を混同していた事に原因があると思われます。それゆえ、園生への愛はどうしても半人前になってしまう。子供への愛はどんな場合でも、半人前になるし、我々も小学生以下の子供の人格をどうしても半分しか認めない傾向があり、今の保育士の低賃金の問題にもつながっているでしょう。

   それ故、小林博士の愛は職員たちに偏っていました。1977年、その講演会をある福祉団体で行ない、僕も聞きましたが、「職員たちには御殿みたいな所に住まわしてあげたい」と言っていましたが、大人園生の事は一つも語っていませんでした。これも以上とは別の聖書誤解があるのかもしれません。まず、イエスは「神を愛せよ」と第一に説き、次に「隣人を愛せよ」と。神への愛は広辺無大のもの。気持を無限に広げて、多くの隣人を公平に愛せよ、という意味になると思います。でも、島田の例に限らず、日本人クリスチャンはいきなり人を愛する例が目立つ。その場合、偏った愛し方になっていくものです。それでトラブルも起こし、挫折もしていく。難しい問題ですね。これは我々も無意識的にしている事かも知れません。

  それと、「切除」は人体を単なる機械としか見ていない。人体を有機体とは見ていない事も察せられます。19世紀以降発達し、特に日本では明治期に取り入れられ、そのまま医学関係で純粋培養されてきたものです。機械だから、取り外しもきくと思っている。その考えを深めると、かつての日本軍が極秘に行ない、どこの国の軍隊でも軍医たちがしてきた人体実験の問題にもつながります。現に、島田療育園でも、歪みがひどくなった1975年ごろには、そのような実験的手術が行われました。医者ではない僕が書く事は限界があるにしろ、その事も盛り込みます。

  因みに、特に近代医学の発達したドイツでさえ、ずっと漢方医学に似た伝統治療も併用されて来ました、伝統医学を近代期に捨て去った国は日本だけです。日本はおかしいです。

  最後に、「偏愛」の恐ろしさの最たる例はナチスでしょう。その愛はドイツ人、それも健康なドイツ人に偏っていました。「アーリア民族の為に」と色々しましたが、他の民族とか、遺伝子病のある人たちは愛さなかった。それゆえ、行動がアンバランスになり、果てはユダヤ人を虐殺し、他の国々とは戦争し、遺伝性障碍者や精神障碍者を抹殺したわけです。そのような例は歴史にいくらでもあります。偏愛の恐ろしさも述べて、終わりにします。

今の島田療育園

2019-07-20 14:50:33 | 日記
「S園の正体」の大事な補足ですが、インターネットで検索すれば判る通り、地域に根を下ろした貢献施設になっています。養護学校も併用されたとか。「お仕置き」みたいな事もありません。


  今は悪い面はなく、おかしく思う人もいないので、悪く思わないで下さい。

  「お仕置き」になるまで、職員たちも追い詰められていたわけです。低賃金は勿論、法整備がなされなかったから。また、施設は年齢別に細かく分けなければならないのに、大きくなった障碍児の受け皿がないから、一括していつまでも療育しなければならなかった。


  つまり、一番の問題は法整備の遅れであり、政治の怠慢です。弁護士などの法律関係者の怠慢でもある。

  「麻薬」は、明治以来、伝統医学を捨て去った日本の医療の問題にもなってきますね。医学だけでなく、心の面も伝統的なものを捨て去ったようで、そのひずみの現れの一つがそこの「麻薬」でもあったらしいです。


S園の正体

2019-07-20 13:49:30 | 日記
  島田療育園である。1961年(昭和36年)設立。初代園長は、小林提樹医学博士。小説では「林田」としてある。


  ねむの木学園よりも少し早くに作られたそうだ。一応は日本初の障碍児施設になっているが、あるいはそれよりも非常に早くに作られ、歴史に埋もれたままになっている所もあるかもしれない。歴史は常に変わるものだから。

  インターネットで調べると、島田療育園の評価は両極端である。「日本の障碍児を福祉のない時代に救った」というものもあれば、「園児へのお仕置き、殴り、絶食などが常に繰り返された。大人園生への子供扱いも当たり前だった」というものもある。

  当然、時代によっても違ってくるわけである。今までの拙小説にも輪郭を描いたが、設立当初は園長以下、一生懸命障碍児の世話をしていた。それが新聞やテレビ、ラジオにも載った。好評価する人たちは創立期の事を中心に見る例が多い。

  それに対し、次第に低賃金に耐え切れず、職員ストが多発もして雰囲気は荒れた。また、園児たちは、身障にしろ、知的障碍にしろ、成長するにつれ、自我も芽生えて強くなり、職員などの言う事も聞かなくなり、いつまでも子供に見られていたため、園当局も、職員たちも対応ができなくなり、感情的な性格の職員ほど、「お仕置き」して、虐待にもなっていったわけである。丁度、親は我が子が成人になっても、小さい時の感覚のまま接するが、そのような事が島田療育園でもあったわけである。小林博士はプロテスタントの信徒だったし、職員たちもキリスト信仰を持つ者が多かった。キリスト教の「愛」は親子愛とは異質で、はるかに大きなものだが、日本人クリスチャンにはその辺が受け入れられず、親の愛を隣人に施して中途半端になり、挫折する例も多いわけである。その辺のこともすでに小説に書いた。「みんな可愛い」という林田博士のセリフも。それも狂った理由の一つだと見ている。

  1980年ごろ、ある身障ミニコミ誌が島田を取材し、「お仕置き」などの事にスタッフが心痛め、そのミニコミを読んでいた当時の八代英太参議院議員も知り、そこを視察した後、国会で「そこは障碍児の自立がなされていない。国としても指導する必要があるのではないか」と、時の厚生大臣に代表質問するなど、大騒ぎにもなった事もありました。そのミニコミは当時としては、非常によくやったと思います。但し、書き方が悪口ばかり。それも立場上当然ですが、それからかなりの時がたった今は僕がそのような書き方をしても始まらないわけです。良いものは良い、悪いものは悪いと両方書くわけです。


  僕も少しだけそこを訪問しましたが、それに目を奪われ、同時に行ったハンセン氏病の多摩全生園の事も何も見えない状態でした。当時の全生園には「お仕置き」はなかったから、「島田よりもマシだ」と思ってしまったわけです。伊藤まつさんというおばあさん患者が僕を可愛く感じてくれて、それで全生園にも行き続けましたが、まつさんなる人がいなければ、全生園もすぐ止めていたわけです。それだけ当時の島田療育園は根が深い問題がありました。

  また、小林博士は西洋医学ばかりで、漢方医学を知らなかった。それゆえ、脳性まひの身体硬直には対応できず、一時的にそれを緩和させる医療用麻薬を常に脳性まひ児に服用させてもいたわけです。当然、体に悪いですね。それも付け加えておきます。