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縄文時代(日本の太古時代)は

2019-05-14 14:06:33 | 日記
   一連の続き。更に歴史の針を戻してみよう。縄文時代(紀元前16000年から300年)の事である。旧友に勧められて、最近読み始めた「日本社会の歴史・上(網野善彦著・岩波新書)」の13ページに以下の事が記されている。一部引用。





   「人と人のあいだの矛盾よりも、自然と人間との矛盾が主たる意味をもっていたといってよかろう。(中略)身分、階級などはまだ生まれる余地はなかったと思われる。人間の生活がきびしい自然に圧倒されていたことは、平均寿命が三〇歳余と極めて短いことに端的にあらわれているが、それだけに生命の貴重さは大きく、身体障害者がかなりの長寿を保っている例のあることから見て、障害者や病人に対する差別などもなかったと考えられる。」。




   この個所を目にして、僕も色々と考えています。無論、我々現代人は太古の生活には戻れないし、「身体障害者」とは記されていても、現代日本に存在する身障者とは障碍の性格も違うとは思いますが、特に厳しい状態の下では、障碍や病気を持った人たちは仲間に非常に大切にされないと生きていけません。早い話、狼に襲われても、足の不自由な人や盲人はまともに逃げられないわけだし、そのままでは確実に死ぬわけですから。

   「生命尊重」は勿論、以上から人々の心の交流の豊かさ、それから、健康な人と身障者や病気持ちの人達とも非常な心の絆があり、愛の世界が作られていたことが読み取れます。現代においての介護も、介護者と要介護者の間に心の交流が欠けると、そのまま介護事故やケンカになるわけですし。恐ろしいわけです。縄文時代の場合は、どうだったのでしょうか。文献は残されていないので、よく判らないですが、健康な人たちも、身体が不自由な人たちも、心の垣根は作らなかったし、そのような発想はなかったと思われます。心の垣根ができると、中途半端にしか関わり合えず、障碍を持つ人たちは見捨てられ、健康な人たちもその間に垣根を作り、次第にケンカになっていくわけです。

   以上のような事は、日本から遠く離れたヨーロッパの更に太古のネアンデルタール人たちにも見られる現象だと聞いています。彼らも身障者を一生懸命介護していた。太古研究が進めば、やがてはクロマニョン人や北京原人にも同様な福祉の痕跡が見つかるかもしれません。

   因みに、僕が中学や高校の時はまだ縄文関係は研究が進んでおらず、土器の説明しか教科書にも載っていませんでした。それでも、小学5年か6年の時、担任の先生が「太古の時は病気したら、医者もいなかったから、助からなかった。それゆえに、病人が出たら、食べたいものを聞いて、皆で一生懸命取ってきて、食べさせるなど、大事にした」と教えて下さったのを覚えています。

   付け加えるならば、日本の縄文人にしろ、ネアンデルタール人にしろ、現代人よりも密度の濃い心つなぎをしていた以上、それは我々の遺伝子の中に書き込まれているはずで、それが何かの拍子に現れ、発揮されれば良いと思います。福祉も、国際対立も解決していくのかもしれない。夫婦不和などもなくなり、政治無関心も消えていく。そのようなシナリオが我々の遺伝子の中に眠っているのかもしれません。遺伝子科学の進展にも期待したいです。