女性を「繁殖用」のような表現で物議をかもした人がいたが、フイールド内には「繁殖用母樹」として考えている木が何本かある。
棚田を復元したのは絶滅危惧種の「ミズアオイ」の復活に役立ったが、これは肋骨骨折というケガの功名だった。
絶滅寸前、あるいは確認できなくなったのもここ数年でいくつかあるが山菜の人気種「タラノキ」は絶滅寸前だ。種子を撒き散らす前にほとんどが成長点を取られて枯れ死していく。
写真のタラノキは幸運なことに一昨年までは「まさか」の場所故に気づかれなかったため花を付ける親木にまで成長してくれたのだった。しかし昨年から採集者が出て、今年は高く伸びた先端の芽を採集するために幹の上三分の一を切り取られてしまった。
そしてこの秋、また上三分の一ほどを伐られてしまった。花が咲いて種子が熟しないうちに処理された。もちろん芽を採るためではない。伐ったのは下に捨て置かれたままだ。
思うに「丈を切り詰め春の新芽の採集を容易にしたい」というような思惑なのだろうと推察している。私的には、みっともないし嫌がられるのは目に見えているが「繁殖用母樹につき採集禁止」の立て札をしなければと思っている。禁止や注意の看板は景観をぶち壊す。
この母樹のお陰かどうか確認は出来ないが、周辺のフイールドには今年発芽したタラの幼木が既に3尺を越えるまでに生長しているのが二桁の本数で存在するようになった。
行き帰りにこの姿を見て思うのは「パブリックとプライベート」の行動だ。野生に生きたい小生の活動はプライベートそのものであるがパブリックな視点や立場を外すわけにはいかない。会友だってこのタラの芽を賞味してはいないのだ。
一方「ヤマアラシ」は全くの市民だからプライベート一辺倒、というところだろうか。この種族の言い分は「これは公有地だし、私は県民です」と、押しなべて同じ論調というのも腹立たしい。
野生に生きたい小生が手かせ足かせに縛られて、そうでない輩が自由奔放だなんて「人生だなあ!」と嘆息せずにはおれない。
ぼやいていたら今、地震があった。少し家がガタついた。「つよし!、しっかりしなさい!」と肩を揺すられたようだネ。