現在の隆盛をみれば考えられないことだが、ひところの日本映画は見る作品すべてがつまらなく「金返せ!」コールを甲子園の「あと一人」コールぐらいの大声で叫びたくなるくらいの駄作続きだった。
そのためかどうか、1960年代から70年代生まれの日本人は自国の映画に関する知識に乏しく、時に外国人と接するとき映画という一番身近な文化さえ話題にできないことがあるという。
こりゃいかん!
私の友達がそんなことでは、いかん!
ということで、とりがらカルチャー講座第1弾。
まずは私の得意な映画から「映画発祥の地」を採上げよう。
日本に映画が紹介されたのは明治29年。
持ち込んだのはやはり現在もそのお調子者を文化として継承している関西人である。
公開した場所は神戸。
さすが現在も日本でのJAZZの中心地、アリスやAikoのデビューした地、ハイカラな神戸、といえば聞こえは良いが、公開されたのが非常に中途半端なものであったために「こんなん、日本初の映画とちゃう」と言われてしまうことも少なくなく、現に私の大学では「映画発祥の地は大阪」になっていたのだった。
というのも神戸で一般公開されたのはキネトスコープという一種の覗きカラクリであったからだ。
これはいったいどういうものかと説明すると、よく寂れた観光地や潰れかけの遊園地へ行くと100円入れて眼鏡のようなものをのぞき込むとチャラチャラした動画をみることができるという機械があるが、つまりその機械がキネトスコープなのである。
なに?今どきそんなものない?
黙れ!小生がガキの頃はあったのである。
で、これを発明したのがかのトーマス・エジソンという強欲の塊のような大発明家で、この中途半端なキネトスコープの発明により「ワシが映画を発明したんじゃ」とか抜かして、一味のコダックというオッサンとグルになり特許を盾に映画産業に圧力を加えた。んで、これにたまりかねた映画製作者が都会のシカゴから砂漠の辺境カリフォルニアに引っ越したというのがハリウッドの始まりだった。
以上、余談。
ちゃんとした映画を発明したのはフランスのリュミエール兄弟で、その発明品を「シネマトグラフ」という。
このシネマトグラフが輸入され最初に上映されたのが明治30年。
場所は大阪の南海電車なんば駅前の南街劇場であった。
したがって、ちゃんとした映画史では、スクリーンに投映する映画の日本初公開は大阪となっており、これもやはり関西であった。
ちなみに現在この南街劇場は取り壊され、TOHOシネマズNAMBAとして建替え中である。
こういういきさつから、当初関西には映画の撮影所が多く存在した。
マキノ映画や坂妻プロなどは東大阪に撮影所を所持。
それら独立プロはやがて無くなるも、今もなお京都には東映、松竹、日活などの撮影所が存在し由美かおるの入浴シーンをはじめ時代劇を中心に映画、テレビ番組を供給している。
また私が大学生のころは宝塚映画も健在で、アルバイトで雑用係などをよく募集していた。
なお、日本のメジャー映画会社「東宝」は東京宝塚の略称で親会社は大阪の阪急電鉄である。
このように、関西なくして映画は語れず、また映画なくして関西は語れず。
ということで、とりわけ関係はないが月に一度は映画を見よう!と私は言いたい。
そのためかどうか、1960年代から70年代生まれの日本人は自国の映画に関する知識に乏しく、時に外国人と接するとき映画という一番身近な文化さえ話題にできないことがあるという。
こりゃいかん!
私の友達がそんなことでは、いかん!
ということで、とりがらカルチャー講座第1弾。
まずは私の得意な映画から「映画発祥の地」を採上げよう。
日本に映画が紹介されたのは明治29年。
持ち込んだのはやはり現在もそのお調子者を文化として継承している関西人である。
公開した場所は神戸。
さすが現在も日本でのJAZZの中心地、アリスやAikoのデビューした地、ハイカラな神戸、といえば聞こえは良いが、公開されたのが非常に中途半端なものであったために「こんなん、日本初の映画とちゃう」と言われてしまうことも少なくなく、現に私の大学では「映画発祥の地は大阪」になっていたのだった。
というのも神戸で一般公開されたのはキネトスコープという一種の覗きカラクリであったからだ。
これはいったいどういうものかと説明すると、よく寂れた観光地や潰れかけの遊園地へ行くと100円入れて眼鏡のようなものをのぞき込むとチャラチャラした動画をみることができるという機械があるが、つまりその機械がキネトスコープなのである。
なに?今どきそんなものない?
黙れ!小生がガキの頃はあったのである。
で、これを発明したのがかのトーマス・エジソンという強欲の塊のような大発明家で、この中途半端なキネトスコープの発明により「ワシが映画を発明したんじゃ」とか抜かして、一味のコダックというオッサンとグルになり特許を盾に映画産業に圧力を加えた。んで、これにたまりかねた映画製作者が都会のシカゴから砂漠の辺境カリフォルニアに引っ越したというのがハリウッドの始まりだった。
以上、余談。
ちゃんとした映画を発明したのはフランスのリュミエール兄弟で、その発明品を「シネマトグラフ」という。
このシネマトグラフが輸入され最初に上映されたのが明治30年。
場所は大阪の南海電車なんば駅前の南街劇場であった。
したがって、ちゃんとした映画史では、スクリーンに投映する映画の日本初公開は大阪となっており、これもやはり関西であった。
ちなみに現在この南街劇場は取り壊され、TOHOシネマズNAMBAとして建替え中である。
こういういきさつから、当初関西には映画の撮影所が多く存在した。
マキノ映画や坂妻プロなどは東大阪に撮影所を所持。
それら独立プロはやがて無くなるも、今もなお京都には東映、松竹、日活などの撮影所が存在し由美かおるの入浴シーンをはじめ時代劇を中心に映画、テレビ番組を供給している。
また私が大学生のころは宝塚映画も健在で、アルバイトで雑用係などをよく募集していた。
なお、日本のメジャー映画会社「東宝」は東京宝塚の略称で親会社は大阪の阪急電鉄である。
このように、関西なくして映画は語れず、また映画なくして関西は語れず。
ということで、とりわけ関係はないが月に一度は映画を見よう!と私は言いたい。