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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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嘘つきはドロボウの始まり

2005年12月16日 22時32分18秒 | 社会
子どもの頃「嘘つきはドロボウの始まり」とよく言ったものだ。
親からもウソをつかないように教育されて、子ども同士でも「嘘つきはドロボウの始まり」と言っては、「正直になろうね」と無意識のうちに啓蒙しあっていた。

しかし大人になって気がついてみると、周りは嘘つきだらけになっていた。

一昨日、帰宅すると一通の封書が届いていた。
なかを開けてみると、不正な保険金や給付金の支払いについての明治安田生命からの詫び状だった。
「金融監督庁からの指導...云々」との文面だったが、嘘つき保険会社が正直者になれるかどうかわからない。

しょぼいゴマカシも貯まれば貯まるという窃盗事件も発生した。
JR西日本の豪華列車トワイライトエキスプレスの車内サービススタッフがコーヒー代を着服していたことが判明した。その額なんと1400万円。
紙コップではなく、ちゃんとした陶器のカップでコーヒーをサービスすることに目をつけて「どうせ数などわからない」という不埒な気持ちで着服を始めたのだという。
せっかく予約のとれた憧れの展望室。コーヒーを頼んだら紙コップで運ばれてきた、ということがないように祈りたい。

こういうしみったれたゴマカシばかりかと思っていると、会社の会計監査を行う監査法人も嘘つきだった。
監査法人最大手の中央青山監査法人は潰れかけの(ホントに潰れた)カネボウと結託し、ウソの会計報告を行って、株主や出資者をたぶらかした。これは明らかな資本主義への挑戦だ。
もしかして監査法人には監査法人をつけなければならないのか。
というようなことになったら、またその監査法人に監査法人をつけなければならないので、監査法人の無限連鎖が始まってしまう。
こういう犯罪行為はシステム以前の問題だ。

で、極め付けは「姉歯さん」とその醜い仲間たち。
「地震で壊れても、どうせだれもチェックしない」とばかりに鉄筋、耐震壁に、構造鋼を自主省略。
誤魔化せるものはぜんぶ誤魔化して「安い、安心、お買い得」をモットーに構造検査をねつ造し、売りも売ったり数十棟。
「買った人が悪いんです」
てな主張を平然と言っているのが恐ろしい。
ウソもここまで行ったら救いはない。
しかし偽造した構造計算書を見抜けなかった役所もマヌケなら、外部審査会社のイーホームズは「合格」というハンコをつくだけのなんちゃって会社だった。
この人たちは、どうも「『与党系』カルト宗教」つながりの仲間だそうだ。
だから国道交通大臣が「税金」で犯罪被害を補填すると宣ったのも理解できる。

それにしても「地震で潰れたら人が死ぬ」かもしれないということを理解しているのであれば、これは詐欺を通り越して殺人未遂といえるだろう。

ついに「嘘つきは殺人事件の始まり」までに成長した。

警備保障

2005年12月12日 20時20分39秒 | 社会
3年前。うちの会社にドロボウが入った。
朝出勤して4階にある自分オフィスに上がって行くと様子がおかしい。
前日ちゃんと閉じたはずの引き出しが開いていて、机の上と床の上に書類が散らばっていた。
私は退社時刻に机の上がグチャグチャしているのが大嫌いだから、見かけだけでもなんとか整理して帰宅しているのでなんだか変だと思ったのだ。

夜の間に送ってこられているであろうファックスをチェックしに1階へ降りる途中、物凄い光景をみた。
2階の総務フロアの書庫の扉が全て開けられて、机の引き出しは中身が散乱された状態になっていた。
「おはようご、ざ、い、ま..」
まで挨拶すると総務の部門長は立ち尽くしたまま「ドロボウに入られたんや」と困惑顔。
結局、被害ゼロのフロアは私の部署だけで、他の部署が使っていた全てのノートPCと小型金庫などの金目のものが奪われた。
私の部署は再三の「ノートPCに買い替えろ」という要求を会社に拒否され続け古いデスクトップを使用していたので幸運にも被害を免れたのだった。

その数日後。
会社にセコムが入ってきて遠隔監視装置を設置して帰っていった。
それまで休日でも鍵さえ持っていれば自由に出勤できて、処理しきれない業務を片づけたりしていたが、それがまったくできなくなった。
セコムのおかげで仕事がやりにくくなってしまったのだ。

私の担当の得意先を辞めてセコムに入社したA氏という親しい人に会ったとき、「もしかして、Aさんところ、ドロボウと提携なんかしていない?」と訊ねてしまった。
それくらいドロボウの数と警備保障会社の業績が増えてきている哀しい時代だ。

昭和40年代。
岡山にあった祖父の家には玄関の鍵がなかった。
いや、鍵はあったがかかっていることがなかったと言ったほうが良いだろう。
子どもであった私は「おじいちゃん!」といきなり玄関をガラッと開けてドタバタと入って行くことができた。
この田舎の家は玄関に鍵がないばかりか、暖かくなると始終開けっ放しだったので、人間だけでなくツバメがヒョイヒョイ出入りして、家の土間の天井の梁に毎年巣を作って子育てに励んでいた。

正月、お盆、春休みなどなど。
身内も含めていつも近所の人がいつも勝手に出入りして、ある意味かなり賑やかな家だった。
そんな家は祖父の家だけでなく、他のところも同じような感じで、まったく珍しくなかったと記憶する。

しかし、今は鍵をかけず、玄関を開けっ広げておくことなど田舎の家でもできなくなった。

ツバメの代わりに警備会社が出入りする。
なんて無粋な時代なんだ。

弁護士

2005年12月09日 22時43分09秒 | 社会
子どもの頃の私は「弁護士」という仕事は正義の味方だと思っていた。
これは私に名前をつけてくださったのが、大阪で弁護士を営むK先生であったことが影響をしている。
K先生は当時、大阪の大手有名企業のいくつかの顧問を務めておられ、大阪弁護士会でもとても地位の高い方であったと記憶する。
季節ごとに母に連れられて堂島にあった先生のオフィスを訪れると、着物姿の先生が執務室でどっしりと腰を落ち着け、私を自分の孫のように嬉しそうに迎え入れてくれたものだった。
その姿は今思えばウヨクの親玉ような迫力があったが、その時の私には「偉い弁護士のおじいちゃん」という印象の優しいお爺さんだった。
先生は東京帝大の学生時代、岸信介元首相と同窓で友人関係であったことから、岸元首相の名前を勝手にかどうかわからないが頂戴し、私の名前を考案してくださったのだ。(私の実名には「信」の字が使われている)
それだけに、凄い先生、正論派、だから弁護士は偉い。という固定観念が私にはあったのである。
この観念は先生が亡くなり大学を卒業しても暫く続いた。
先生のご子息の若K先生(私は若先生と呼んでいたが父よりもひとまわり以上年長だった)が最高裁判所の判事に就任されたこともあり、弁護士に対する私の尊敬の度合いは益々深まったのであった。

このためかどうかわからないが、中学時代や高校時代に度々見ることになったアメリカのテレビドラマに「悪徳弁護士」「人権弁護士」などが登場してくることがよく理解できなかった。
「ドクター刑事クインシー」という番組では、事故死した青年の臓器を移植したことについて、「それは明らかな殺人だ!」と絡んでくる人権弁護士が出てくるエピソードがあった。そんな弁護士は存在するはずはないと腹が立ったし、金を貪るためであれば、人を殺した犯人でさえ無実だと、被告が殺人を犯すように仕向けられたのは社会のせいだ、と主張して無罪判決を勝ち取ろうとする弁護士さえ見られることに
矛盾を感じた。

これらはきっとフィクションの世界の弁護士の話だろう。と、思っていたら違っていた。
1980年代後半から、わけのわからない裁判が次々にアメリカで行われ、釈然としない原告勝訴が続いた。
コーヒーをこぼして火傷をしたのはマクドナルドのせい、で何億ドル。ありもしないセクハラで三菱自動車から数億ドル。ディスクドライブが壊れるのは不良品だからで、東芝から数億ドル。道に段差があってこけて怪我をしたらNY市から数万ドル。
アメリカだからこんなおかしな訴訟を引き受ける弁護士が出てくるのだと思っていたら、いつの間にか日本も似たような状況になっていた。

人を殺したら精神障害を装い無罪を主張。
人を殺したら未成年だからと無罪を主張。
世間のほとんどの人が「それっておかしんじゃない?」と思っても、言えない社会、言えないマスコミ、口封じが巾を効かせている。
昨日山口県光市の母子殺害事件の裁判が最高裁で争われることになったが、犯人が少年だったと主張して、もし極刑に処さなければこの国家には正義はない。
最近の殺人事件は「精神鑑定」を弁護士が主張して「キチガイ」だからと罪を逃れるように「指導」する。
麻原裁判も然りである。
このような弁護士たちのどこに「正義」があるというのだろうか。
犯人を弁護するのが仕事だから、犯人を守ろうとするのは義務であることはわかっている。しかし誤った守り方は反社会的だということがわからないのだろうか。
そうこうするうちに、ついにアメリカ型弁護士が登場した。
広島県で少女を殺した偽日系ペルー人カルロス・ヤギ(偽名)の弁護士だ。
容疑者に面会した弁護士は、本来守秘義務のある被告との会見内容を記者会見を開き公表した。
ひとえに「犯人は悪魔が自分に入ってきたというようなキチガイです。だから無罪です」と言うがために。

「弁護士は正義の味方」は遥かいにしえの時代に過ぎ去ってしまったのだろうか。

個人情報保護から殺人事件

2005年12月05日 20時31分33秒 | 社会
唐突ではあるが、個人情報保護法に賛同する人には疚しいことがあるのではないかと思えてならない。

個人の年収が他人に知られるのは恥ずかしいことかも知れないが、それが己の甲斐性であるというのであれば、それはそれで仕方がないであろう。
それに30歳、40歳を越えても独身であるならば、それはそれで仕方がない。
異性から見ると魅力がないのかも知れないし、性的に不能なのかも知れないし、実はゲイなのかも知れないので、それはそれで仕方がない。
勤めている会社が真当な会社でなければそれはそれで仕方がない。
北朝鮮にあくせく送金しているパチンコ屋に勤めているのも仕方がないことかも知れないし、児童売春を助長しているテレクラに務めているのも仕方がないことかもわからない。
また、国籍を公にできないのも仕方がないのかも知れない。
学生ビザで入国してきて、自国の年収よりも遥かに大きな月収が稼げることがわかった某国留学生であっても仕方がないし、永住資格を持つ自国人を頼ってやってきたら、ビックリするような給料が稼げることがわかって不法滞在を繰り返すこれまた南北某国人であっても仕方がない。
さらに、実は人を殺して服役したことがバレるのが困る人かも知れないのだが、それはそれで仕方がないだろうし、実は成人女性にはまったく興味が持てず、重度のロリコンであってもそれはそれで仕方がないだろう。

個人情報保護法というのは、こういう「仕方がない人たち」を、暗に保護するための法律であるのではないかと思われてならないのだ。

今居住しているマンションの理事会で「うちのマンションも年寄りが多いので、連絡を密にとる必要があるんじゃないだろうか」という意見が出された。
「個人情報保護法があるから、安易につきあうことができませんね」
という驚くような意見が出てきたのにはビックリした。
国勢調査で「すいません。調査票を回収にきました」と自治会の会長が訪問したら「なんで、アンタにうちの家族事情を報告せんといかんねん!」と扉をガチャリと乱暴に閉ざした人がいる。
近所の人を知るにはまずは個人情報をある程度共有する必要があるだろう。

広島県で小学校1年生が日系人を装ったペルー人に斬殺された。
栃木県でも小学校1年生が何者かに刺殺された。
数年前には大阪教育大学付属の小学校で8人が殺傷されて、同じ年に新潟県で9年間も監禁されていた少女が発見された。
15年前には今田祐子と名乗るロリコン男が4人の幼児の命を奪い、昨年は同じような手口で小学生の女児を殺害。被害者の親を愚弄する輩が現れた。
そして今日。大阪で若い姉妹を刺殺して放火した犯人を捕まえてみたら数年前に自分の母親を撲殺した人だった。

どれもこれも個人情報をきっちり「公開」しておけば、犯罪を防げたり、早期解決のできたことばかりだ。

むかし隣組という制度があって、近所の情報を共有していた。
これを声のデカイ一部の人たちは「人権侵害制度」「思想統制制度」などと呼んでいるが、この制度は実は江戸時代からの住民自治と自衛のシステムだった。
「人権」「思想」のキーワードを叫ぶ人たちが実は特殊な人たちであることは、今なら誰もが知っている。
この特殊な人たちが叫んでできた法律が「個人情報保護法」。

犯罪が増えるのもさもありなん、ということか。

外国人「単純」労働者は必要か?

2005年12月01日 20時55分14秒 | 社会
広島市で小学校一年生の女の子が殺害された。
その犯人として昨日逮捕されたのがペカルロス・ヤギという名のペルー人労働者。
「日系人」という身分を利用して南米ペルーからやってきた出稼ぎ労働者だ。

ここ一ヶ月ほど、南米からの出稼ぎ労働者が話題に上るニュースが続いた。
先々週は名神高速道路で大手メーカーに務めるペルー人労働者の乗ったワゴン車が故障で路側帯に停車中、居眠り運転の大型トラックが突っ込んで、7人以上が犠牲になった。
聞きところによると、彼らは工場で働く単純作業の労働者としてペルーからやってきた者たちだったということだ。
ペルーに限らず、バブル以降、外国人労働者が増えてきた。
日本は基本的に「単純労働のための出稼ぎ外国人の労働ビザは出さない」という方針を貫いてきたが、バブル以降、日本国籍を自国籍と二重に持っている南米の日系人を労働者として入国させてきた。
始めのうちは、確かに日系だと思われる人がほとんどだったが、今や容姿も言葉もまったく「白人」の日系人が働いていたりして、疑問に感じることが少なくなかった。

韓流関係の悪評ではないが、この日系人で稼ぎ労働者に対する意見を述べるのも、どこかタブー視している風潮が現在の日本にはある。
外国人出稼ぎ労働者のことを語ると、「人種差別だ!」「民族差別だ!」と宣うマスコミや市民団体が大勢いらっしゃるのだ。
ところが冷静な目で見てみていみると、街にはニートが溢れ、一方働きたくても職が見つからない失業者も増えている。
そこに出稼ぎ外国人を雇い入れるのは、どこか変ではないか、と誰も思わないのだろうか。

「日系人」は日系人であって日本人ではない、と私は思っている。
「おじさん、おじさんは日本人としてのアイデンティティで物事を考えていますか」という質問を親戚の日系二世アメリカ人の伯父に訊いたことがある。
「わしゃ、日系人じゃが、そのまえにアメリカ人として生きているつもりじゃ」
と岡山弁で答えてくれた。
アメリカ人は豊かだから、南米の人とは異なるのは当然だ、という意見もあるだろうが、果たしてそうか。

先月、フランス全土で暴動が発生。国家非常事態宣言が出された。
先進国フランスで、である。
原因は旧植民地からの移民と外国人労働者の不当なる待遇。
この騒ぎをドイツやその他周辺諸国がかたずを呑んで見守っていた。
賃金単価の安い単純労働は外国人へ、ということで、ドイツはトルコ人を雇用し、フランスやイギリスは多くの旧植民地から安価な労働力を確保した。
この外国人労働者が治安を乱す元凶の一つであることは、避難される人もいるかも知れないが事実である。
そういうこともあり、日本はそれでも外国人には頼らない社会体制を整ってきた。

今回の事件は哀しい。
しかし、ある意味、外国人労働者は必要なのか(カルロス容疑者は職を転々とし、日系申請も虚偽だという)、ちょっと真剣に考えてみてもいいのではないか。

盲判

2005年11月28日 19時42分42秒 | 社会
今世間は姉歯さんの話題で持ち切りだ。

見るからにカツラ姿の一級建築士「姉歯」氏がデータを改ざんして設計した建物が首都圏を中心に20棟以上あることが発覚し、世間が今大騒ぎしている。
その多くの建物は震度5程度の地震で倒壊する可能性があるといい、なかには何もしなくても倒壊するかもしれないという、朝礼に参加した貧血気味の小学生のような建物があるそうだ。
これではどこかの国のデパート崩壊事故を非難できない。
大部分はマンションなので、知らずに購入した人は気の毒だ。
ローンを抱え、引っ越し先もままならず、怒りをぶつける術が無い。
またいくつかのビジネスホテルも問題建築だというので、知らずに宿泊したことのある人は地震が来なくて良かったと胸をなで下ろしているところだろう。

建築物は役所の建築指導課に必要書類を提出して認可を受けなければ工事に入ることが出来ない。
当然のことながら構造計算書は、そのなかでも最も重要な書類の一つで、今回その書類が偽造されたのがわからなかったということが、一番問題だということができるだろう。
きっと担当の役人は書類を受け取り、パラパラと捲って、施主名と設計事務所名、建築会社名を確認してハンコをついただけに違いない。

こういうのを一般に「盲判」と言う。

ウチ会社の総務担当者はいつも小難しいことを言うのだが、私の出した経費明細書に文句をつけたことがまったくない。
それがたとえ「○○商店」とか「○○商事」と書かれたキャバクラの領収書であったとしても文句をつけられたことがないのだ。
これも「盲判」のご利益だと考えられる。
しかし、役所の盲判はいただけない。
極端に言うと、役所というところは「ハンコをつく」のが仕事なのだから盲判はいかにもまずい。
我々市民は国や自治体に高い税金を支払って、その道のスペシャリスト役人として雇っているはず。
そういう選ばれしお役人様が捺したハンコが「盲判」とは信じたくない。

「阪神大震災で建物が崩壊したことで、誰かが建築会社や役所に文句をつけましたか。ウチはちゃんとした設計事務所と建築会社と思ってマンションを造らせて販売しているんです。ウチに責任はありません」
と欠陥マンションの販売会社ヒューザーの社長が昨日の朝、フジテレビの時事番組で吼えていた。
この社長の態度と言動には「役所がハンコをついた建物だから、役所が責任持ちなさい」というニュアンスがプンプンしていた。実に不快な言い訳だった。

私は一番悪いのは姉歯建築士と建築会社だと思っているが、販売会社もグルだと思う。
でも、この事件でちゃんとしなくちゃいけないことは、ハンコをついた役所の「担当役人」にも懲戒解雇や諭旨免職などの処分を下してもらわなければ納得できないということだ。
責任逃れの得意なお役人様似は逃げられて、アホな犯罪者のツケを自分たちのお金「税金」で悖ほど、バカらしいことはない。

カード社会の困ったもんだ

2005年11月26日 18時40分21秒 | 社会
カード社会と言われ出してすでに久しい。
かくいう私も複数のカードを所持しており、紛失しないようにするのが大変になってきた。

所持しているクレジットカードも銀行系のカードが3種類。
そのほか映画館のクレジット機能付き会員カードが1種類、全日空のクレジット機能付きマイレージカード、ガソリン給油用コスモ・ザ・カード、クレジット機能付きTSUTAYAの会員カード、ダイエーのOMCカード、なんばシティのショッピングカード、スポーツクラブ・エクザスの会員カードなどなど。
これらは紛失すると大変な目に遭うカードだ。

どうしてこんなにカードがあるのかというと銀行系のカード以外は「これに入ると年会費が要りません」とか「常時5~10%でお買い求めいただけます」といった特典につられて作ったカードなのだ。
だから維持費はまったくかからず便利なのだが、目的に合わせて持ち変える必要があり、すこぶる面倒なのである。
そして実際は無駄遣いしないように、注意しなければならない。

カードの類いは、もちろんこれらだけで終らない。
クレジット機能付きカード以外に映画館の会員カードを2種類、新星堂、タワーレコード、HMVのスタンプカードを各1枚、クイックマッサージ店の会員カードを1種類、TSUTAYA以外のレンタルビデオ店のカードが2種類、ラーメン屋のスタンプカードを1種類、スーパー銭湯の割引カード、バンコクのCDショップのスタンプカードを1枚、ヤマダ電機とビックカメラとミドリ電機、ヨドバシカメラにソフマップのポイントカードを所持している。
さらにNTTのテレホンカード、タイLENSOのテレホンカード、スルッと関西カード、Jスルーカード、クオカードなども所持しているので、正直、財布に入っている枚数は紙幣の枚数より多いくらいである。

そしてそして、作っただけで使いもしていない日本航空とユナイテッド航空のマイレージカードに、その存在価値の分らないJTBの旅カード、献血登録者証カード、旭屋書店のメンバーカードなどなど。
驚くほどの種類と枚数だ。

その昔、関西テレビの「わいわいワイド」のメンバーカードや、少年ジャンプ連載の「トイレット博士」のマタンキカードなど、小学生だった私が欲しくて仕方のなかったカードは手に入れることができなかったのに、大人になってから、ほんとは持ちたくないカードが増殖してとても困っている。

先日、新聞の一面に「ピタパ」の広告が掲載されていた。
「ピタパ」正確には「PiTaPa」というカードは、関西圏の私鉄や地下鉄、バスなどで利用できる無線ICカードなのだ。
すでに首都圏のSuica、JR西日本のIcocaが出回っているが、新たにこの1枚が加わることになった。
幸いなことにPiTaPaとIcocaは相互利用が可能だそうで、Piataを持てば、Jスルーカードとスルッと関西カードは必要なくなる。
またSuicaとIcocaも互換性があるので、どのカードが一番便利なのか悩ましいところだ。
しかし、紛失したらひどい目に遭うカードがまた新たに加わることになるので、個人的にはあまり歓迎したくない。

誰か、たった一枚でなんでもOKのカードを作ってくれないだろうか?

テレビを見ないことへの弊害

2005年11月22日 20時42分27秒 | 社会
10年少し前、中学校の同窓会の席で大阪府職員になっていた友人Tが言った。
「最近忙しくてや~、テレビ、全然見えへんねん(大阪弁で「見られない」の意)。テレビに出てるTRFちゅうのおるやろ? オレ、あれって「トリフ」って読むんか、言うて、入庁したてのヤツに笑われたわ」
思わず「トト、トリフの大爆笑♪」というフレーズが浮んだが、こちらも仕事が忙しく、テレビを見る機会が少なくなっていたので、状態はTとあまり変らなかった。
ついでながら、わたしもTRFとはその時、なんのことやらサッパリ分らなかったのだ。

その後、Tは結婚し、口の廻りお菓子ベタベタの洟垂れ娘も生まれたので、少しはテレビを見るようになったかと思う。
しかし、私の方はというと、普通のテレビをほとんど見なくなってしまい話題について行けないことが増えてしまった。
見る番組はニュースか一部のドキュメンタリー。ヴァラエティショーは「なんでも鑑定団」と「探偵!ナイトスクープ」ぐらいしか見なくなったのだ。
一方、ケーブルテレビのドラマ「スピンシティ」やディスカバリーch「パワーゾーン」、ヒストリーch「バイオグラフィ」などはよく見てるのだが、この辺の番組は会社や宴会の席で話題に登ることはほとんどない。

先日、会社の仲間と近所の中華屋で昼食をとっていると、店のテレビで「笑っていいとも」が放送されていた。
テレホンショッキングのコーナーは今話題のお笑い芸人が出てきたということで、会場内は大歓声。
一緒に食べていた会社の連中も「おお!」と言いながら画面をみつめていた。
「誰?これ」
という私の質問に、同僚のMさんは言った。
「これ知らん、ていうことはよっぽどテレビ見てないんやな」
登場してきたのはレイザーラモンHGというゲイをネタにした芸人だった。
最近話題の人気急上昇中の若手芸人の一人だという。
「フォー!」
と登場後すぐに叫んでいた。
最近雑誌や新聞の小ネタ欄で「フォー!」と書かれていることが多かったので、私はてっきりベトナムうどんが流行しているのかと思っていたのだが、これでやっと疑問は氷解したのだった。
なるほど「フォー!」はベトナムのフォーではなく、こいつの叫び声だったのか。

それにしても「.....」な芸人だ。
ヴィレッジピープルよろしく一時代前のゲイファッションに身を包み、お昼の番組だというのに自著の書籍をパンツの股間に挟むところは、トルコで非難を浴びた江頭某と変らない。
しゃべりも際立った冴えはないし、特別な芸もないらしい。
それとも「ゲイ」であることが「芸」なのか。

「どこが面白いん?」
ラーメンを啜りながら訊いた私に、みんなの目が点になった。

これもテレビを見ないことへの弊害と言っていいのやら。もしかすと、「フォー!」の前後と併せて見たら面白いのかも知れない、と思ったが、未だ見たことはない。

B777最長航続記録

2005年11月12日 12時34分21秒 | 社会
現在、ノンストップで世界最長の距離を飛行するエアラインはシンガポール航空のシンガポール~ニューヨーク便だそうで、所要時間は19時間ほどかかるのだという。
便利なのか、苦痛なのかはともかくとして、乗り換えなしで北米まで飛んで行けるのは、シンガポールのビジネスマンにとっては結構なことだろう。

以前、タイのアユタヤで知りあったNY在住の日本人ビジネスマン山口さんの話によると、NYからバンコク近郊にある自社工場までチェックにやってくるためには、まずNYから成田に13時間ほどかけて飛び、そこで数時間時間を乗り継ぎのために潰して、バンコクまでの6時間を移動しなければならないので24時間以上かかってしまう、ということだった。

今ではタイ国際航空もシンガポール航空に対抗してか、バンコクからニューヨークへの直行便を飛ばしているので便利になったことだろう。
所要時間は17時間。
これも、快適なのか苦痛なのかは私は利用したことがないのでわからない。

新聞報道によると、B777-200LRという機種のジェット旅客機が世界最長飛行記録を達成したという。
その距離なんと20300km。
香港を飛立った同機は、太平洋を横断し、アメリカ大陸を通過して、さらに大西洋を横断し、ロンドンのヒュースロー空港に下り立った。
所要時間23時間。
地球を半周以上飛行した計算になるそうで、これでこの機を使うと世界中、どこへでもノンストップで飛んで行けることになる。

ところで、昔、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語のような言葉が流行っていた時代があったように記憶するが、この世界最長航続記録の記事を読んで思わずその標語を思い出した。
狭い地球、そんなに急いでどこへ行く?

こんな燃費抜群、長距離飛行OKの飛行機よりも、地上の景色を楽しみながら快適な空の旅を楽しめる「窓が広くて」「座席がゆったり」「美味しい機内食」に、「安い運賃」の飛行機を、旅を楽しみたい私は是非とも開発して欲しいと思うのだが、無理か、それは。

飛行機メモ:タイ国際航空の日本向けホームページのオープニングムービーが面白い。おすすめです。
http://www.thaiair.co.jp/

世界人口、ランク10位

2005年10月13日 20時34分51秒 | 社会
今日の産経新聞朝刊の記事によると、世界人口はなんと64億を突破したのだという。
記事以外の資料からの情報で、その実態はほとんどが中国人とインド人で占められるのだと思うと、正直言って空恐ろしいものを感じるのは私だけだろうか。
中国という国は、アメリカ合衆国程度の面積の中に、合衆国の5倍以上の人口がひしめいているのだから、普通ではない。
しかも、合衆国は国土が肥えていて農作高は多く、なおかつ天然資源に恵まれている。
さらに一部の人たち(ジョージ・ブッシュ、ビル&ヒラリー・クリントンなど)を除き、民度も決して低くない。
これに対し、中国は一部の土地をのぞき、天然資源に乏しく、土地は痩せていて農業に適していない。おまけに虚偽の歴史と共産党一党支配による愚民政策で、民度は劣悪だ。

最近の急速な地球温暖化の原因は「人類が作り出した二酸化炭素」だと言われているが、これは間違いで「中国人が作り出した二酸化炭素」だというのが正しいと私は思っている。
地面に唾を吐き捨てて、ゴミをそこらに散乱させても平気な中国人。
他人が損をしたり迷惑しても、自分さえ儲かればそれで良いフェレンギ人(知る人ぞしる)のような中国人。
そんな困った中国人の人口が世界の第1位か2位を占めるのであれば、ニューオリンズを水没させてしまうような巨大ハリケーンが出現するのも納得できる。

さて、この記事によると、日本の人口は世界ランク9位から10位に転落したのだということだ。
記事のニュアンスには、なんとくランクダウンを寂しがる雰囲気が漂っていたが、私は違う。
このちっぽけな島国で、その8割以上が人の住めない山林である我が国の人口が世界第10位。
これもまた異常と言わねばならないだろう。
なんせ首都東京都の人口密度は1平方キロあたり5500人だという。
しかし、お隣の中国と異なるのは、長年の水田開発で土地は痩せておらず民度は高い、という点だ。
天然資源に関しては、陸上のものには恵まれていないかもしれないが、海洋資源には恵まれている。
ドロボウ中国が、東シナ海の地底のさらに底から、我が国の富をかすめ取ろうとしているのが良い証拠だ。

少子化、高齢化で日本の人口は減ると言われているが、むしろ減って明治時代程度の人口になったほうがいいのではないか。
食料自給率は向上し、ロボットなどを駆使して生産性の高い産業を維持し、高い教育水準で世界一級の科学技術を構築できれば、多くはないけど少なくもない人口で、国民個々が豊かさを感じられる。
日本はそんなとっても住みよい国になるのではないかと、記事を読みながら思ったのであった。