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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

シネコン、只今2317スクリーン

2007年06月27日 20時29分19秒 | 社会
ここ十年ばかりの間に林立したシネマコンプレックス。
そのスクリーン総数が2317だという。

私の地元、大阪なんばの3軒だけを数えてみても22スクリーンもあるわけだから、これが全国となれば2000スクリーンを越えても不思議ではない。
かつて、大阪なんばの映画館は南街会館の5スクリーン、東宝敷島の2スクリーン、国際劇場の2スクリーン、千日前セントラルの1スクリーン、千日前スバル座1スクリーン、松竹座1スクリーン、浪速座の2スクリーン、道頓堀東映の2スクリーンの計16スクリーン(エロ劇場は除く)程度しかなかった。

現在はシネコンだけで22スクリーン。
昔ながらの映画館が8スクリーンあるので、実際は30以上のスクリーンがひしめいていることになる。

これだけ数が多いと過当競争になり、各映画興行会社とも客を呼び込むのにあの手この手を駆使している。

新聞報道によるとシネコン老舗のワーナー・マイカルが6本見たら1本タダというTOHOシネマズとまったく同じサービスを首都圏を中心に開始して、客集めを強化しはじめたという。

確かに私のような映画ファンは一本でも安く見られることは大歓迎。
ビデオソフトの普及で名画座が姿を消して、今や映画を見るためには一般的な入場料を払うしかない状態だ。
1本1800円の観賞料は大の大人にもチト高い。
だから観賞本数に応じて特典を受けられるのは大歓迎。
この特典で私は年に最低3本はタダ見をしている。

シネコンはかつての劇場と異なって画質が良い(一部劇場はデジタルだ)し、音質もドルビーデジタルにTHXと家庭では到底楽しめないハイテクを装備している。
おまけに昔の劇場と違って、客席の配置が洒落ていて前に座っている人の頭が気になるなんてこともない。
「すいません。もっと深く腰掛けていただけないでしょうか。頭、気になって画面が見えないんですけど」
と、かつて松竹座で文句を言われた私のような不愉快な体験もしなくていい。

ところが、これだけスクリーンがあっても私たち映画ファンを満足させない問題が露呈している。
それは、どこの劇場も上映内容が似通っているということだ。

前述のなんばの3館のシネコンは上映内容がほぼ一緒。
どこの劇場もお客を確実に集められる作品ばかりを上映したがり、ちょっとマイナーな作品はビデオにお任せ。
これでは過当競争にもなる筈で、もっと上映作品を選択してはほしい、というのは映画ファンの真面目な希望。
スクリーン数と割引攻勢の激増は、質より量の体質を作り、エンタテイメントビジネスには沿わないと思うのだが.......配給会社にそのへんのセンスはないようで。

爆発

2007年06月20日 05時53分32秒 | 社会
東京渋谷の温泉爆発はその事故の凄まじさはもちろんのこと、渋谷の真ん中で天然温泉を掘り出して営業しているお風呂屋さんがあったことにも驚きを感じた。

都心部での爆発と言えば、私が子供の頃に発生した大阪天六ガス爆発事故を思い出す。

大阪市営地下鉄・谷町線の工事現場で漏れたガスに引火して工事現場を粉砕。
多くの死傷者を出した。
確か千日前のデパート火災(現ビッグカメラなんば店の場所)とセットで語られる大惨事だ。
「大きな鉄板が飛んできたんです」
「お父さんの頭を返して!」
という目撃者の証言や被害者の悲痛な叫びは、小さな子供であった私にも強い印象で記憶に深く刻まれた。

以来、地下鉄の工事現場を通るたびに新聞一面に掲載されていた白黒の凄い写真を思いだし、
「まさか爆発しないよな」
と考えビクビクしながら通るようになった。
今もそうだ。

これから「天然温泉」と聞いたら、その建物を避けて通る習慣がつくかもわからない。

かつて私はNOVA生徒

2007年06月14日 08時10分54秒 | 社会
英会話を習い始めて16年。

一時私もNOVAに通っていたことがある、
理由は、最初に通っていたAmreican Plazaという英会話サロンがバカ高で「安い英会話スクールがあるよ」と教えてもらったのがNOVAだったから。

American Plazaというスクールは2年間で80万円ほどの投資が要り、授業期間が終了してもローンだけが1年間残った。
ローンも残ったが、スクールで知りあった多くの友人が残った。

NOVAは当時200レッスンとVoiceサロンを50回ほど購入して約45万。
期限はAmerican Plazaと同じ2年間で随分安いと感じたものだった。

通い始めたのはオープンしたての学校で、講師は三人しかいなかったが少ない講師で少ない生徒なので非常にアットホームな雰囲気であったことを思い出す。
「NOVAっていいなあ」
というのが最初の正直な感想だ。

問題は入学半年目くらいに発生した。
生徒が増えて、最初の講師が次々に転校や帰国をして、新しく入ってくる講師の質が見るからに落ちていっていることだった。
思えば、このあたりからNOVAが有名になり始めていた。
トーザやアイザックといった競合先を次々になぎ倒したのもこの頃だったと記憶する。

期限の2年目を迎える頃には講師は「バックパッカー」、ネイティブな「イスラエル人」や「スコティッシュ」ということで、自分のスキルがあまり上がらなくなっていることも感じていた。
期限終了間近になると、
「継続しませんか」
「継続しませんか」
とチェックインの度に言われて嫌気がさした。
レッスン時間もバラバラなので親しい友人はできにくいし、レッスン時間も60分から40分に減っていた。
「これではダメだ」
趣味で始めた英会話だったが、スキルアップが楽しくなっていたのでNOVAの継続はしないことにした。

で、ケイコとマナブで見つけた今の月謝制英会話スクールに通い始めて12年ちょっとが経過した。

今回のNOVAのドタバタの兆候は、そんな頃からなかったとは言えないと、つくづく感じるのである。

鉄を馬鹿にするな!(鉄=鉄道マニア)

2007年06月11日 21時39分35秒 | 社会

FM大阪で毎週土曜日に放送されている「Suntry Saturday Waitting Bar」は私の大好きなラジオ番組だ。
この番組はFMにしては珍しく、毎回ゲストに色んな人を迎えてよもやまの話しを楽しむという、音楽よりもトークを重視する番組だ。

このWatting Barの今週の話題は「鉄子」。
なんでも、鉄道大好きな「女の子」のことを「鉄子」と呼ぶらしく、いうなれば「鉄」の女の子版。
ManとWoman、ActorとActress、さくらと一郎みたいなもんなのである。
ともかく、昭和枯れススキなんぞを思い出している場合でなく、鉄子という言葉を聞いて、私はかつて自分が「鉄」であったことを思い出したのであった。

「鉄」であった、といっても大人になってからカメラを構えて駅のプラットフォームの端っこで電車が来るのを待っているという、ちょっとばかし情けない「鉄」ではない。
子供の頃、男の子のだれもがそうであるように、私も鉄であった。
ただそれだけではある。

確かにカメラを持って出かけたこともある。
まともなカメラは持たせてもらえなかったので「ポケットカメラ」という今ではフィルムを手に入れることさえ難しいカメラを買ってもらい、友達と京都や奈良に出かけたりした。
写した写真は今では、どれもこれも見るに耐えないものばかりであるが、その時の私は鉄界の篠山紀信気取りでカメラ小僧ぶっていたのであった。
ちなみに、その時私は小学校4年生であった。

番組を聞いていると、列車の中で時刻表を見つめていた鉄らしき男性が、列車と列車がすれ違った瞬間「よしっ!」と叫ぶところを目撃したことがある、などと言っていた。
このような人は市販のJR時刻表などを元にして、自分でダイヤグラムをグラフに書き込んだりしている人だ、とも言っていた。
そんなケッタイな人は、私は目撃したことはないのだが、私は鉄道模型を走らせるのに、ダイヤを作成し、運転したことがある。
ある意味、ケッタイな子供だったのだ。

小学生高学年になった私は鉄道の写真にはすっかりと飽きてしまい、次のステップ「鉄道模型」へと進んでいた。
しばらくは、買ってもらった基本セットのレールの上を小さな列車をチンタラ走らせていただけで満足していたが、次第に物たらなくなり、私はついにダイヤグラムと時計を使って時刻通り走らせることにチャレンジし出したのであった。

まず、周回しているレールを一周回るために要する時間を計測し、続いて、自分に親しみのある国鉄の駅名と、その駅間時間をJTBの時刻表から抜き取って、藁半紙にオリジナル時刻表を汚いガキの字で書き記した。
で、その時刻にそって模型の列車を走らすのだが、これが難しい。
なぜ難しいかというと、それには様々な要因が作用していた。

まずオモチャの列車は低速運転が出来ない。
模型の電車はほとんどの場合、電圧の強弱によってスピードに変化を生じさせるのだが、低電圧だと、レールの抵抗やモーターが低性能(おもちゃだから)なので、動いたり、止まったりを繰り返し、スムーズに動かない。
丁度、列車でGo!で上手く停止位置に止まれずイライラするような現象が起こるのだ。
リアリズムを要求する私としては、走っている電車をいきなり停車させることはできないので、じんわりと停車させることができないことは、我慢ならない要素だった。

そして、これが最も時間を遅らせる要因になるのだが、模型列車は情け容赦なく脱線するのであった。
普通、実際の鉄道の場合はレールの継ぎ目は数百メートルおきにあり、それも継ぎ目を車輪がスムースに通り抜ける工夫が成されている。
ところが模型列車のレールは30センチおきぐらいで継ぎ目があり、その継ぎ目も隙間が多い。
したがって、カーブなどで頻繁に脱線し、復旧するために手で電車を持ち上げてレールに乗せ直さなければならないのだ。
この走行、脱線、復旧の繰り返しが、ダイヤを守れない最大の要因になったのであった。

考えてみれば、脱線の最大の原因はレールを畳の上に敷いていたからで、普通、畳のようなポヨンポヨンするような基礎の上にレールは敷かないものであることは、大人になるまで気付かなかった。

ダイヤが守れるようになったのはメルクリンと言う西ドイツ製の鉄道模型と出会ってからであった。
メルクリンは19世紀に設立された模型メーカーだが、その完成度は高く、とりわけ走行性は模型のくせに交流モーターを使っているので安定度抜群なのであった。
レールの継ぎ目で脱線することも、ドイツ職人の智慧によるレール継ぎ目により、ほとんど解消したのであった。

ところが、このメルクリンには大きな欠点があった。
JTBの時刻表で作った架空時刻表で走らせると、まったく持ってリアリティが感じられないということだった。
電気機関車のヘッドマークに「DB」なんて書れている特急つばめや急行鷲羽は存在しないのであった。

そんなこんなで「鉄」なのであったが、鉄道のダイヤグラムの自由研究(ガキの遊びとも言う)は、やがて仕事のスケジュール管理に活かされ、鉄道のメカニズムの知識は商品の設計やデザインを考えるうえではことのほか役にたつことになったのであった。
鉄道は現代技術の基礎なのである。

いかに鉄道が権威あるものかというと、それは世界最高の技術系大学マサチューセッツ工科大学の中で鉄道模型クラブが最も権威あるクラブだということが証拠でもある。
それに鉄は男だけのものではないことも「鉄子」の存在がきっちりと示してもいる。

鉄を馬鹿にするな!
と私はちょこっと言ってみたい。
(ただし、プラットフォームの端っこでカメラを構えている人たちは除きます。なお、あれは「鉄」ではなく「オタク」です)

ホントのことを言われると怒る人「中国人」

2007年06月09日 20時47分51秒 | 社会
「笑いは「緊張」の「緩和」である。」
というのは、故桂枝雀さんの笑いの理論。

「人は、本当のことを言われると怒る」
というのは、私の理論。

たとえば、
「あんた、そんなに節約せんでもええやろ。もしかして、嫁さんから小遣い減らされたん?」
と訊いて、相手が普通の人なら、
「アホなこと,,,,,,小遣い減らされてんと、ちゃいます」
という所を、本当に減らされている人は、
「..............(怒)」
か、
「.......うるさいわい!」
となってしまうのが人間だ。

先週から来日していた台湾前総統の李登輝さんが、
「靖国問題は国内に問題を抱えた中韓が、自分たちの都合で勝手に作った問題だ」
と言ったり、
「戦争のために亡くなった若い人たちを祀る場所(靖国神社)があるのは当然だ」
言ったことは、中韓の人たちには怒りを呼び起こすために十分な意味を持つ言葉だったらしい。

今夕、台湾に帰国しようと成田空港に到着した李登輝先生に中国人の会社員がペットボトルを投げつけた。
「独立を目論む李登輝に腹が立ったから」というのが理由だそうだ。

つまり、「ホントのことを言われて、腹が立った」と言うのが真相だろう。

李登輝先生は日本の首相でも言わない、日頃うっ積していた日本国民の意見を代弁してくれた。
日本国民の意見は、国際的に常識的で本当のことだったので、中国人は怒ってしまったということだろう。

コムスンと厚労省

2007年06月07日 23時12分58秒 | 社会
大阪府枚方市の談合事件で、建設大手の大林組がやり玉に上がって、創業家一家の追放か、と騒いでいるが、きっとそんなことは起こりえない。
というのも、建設業界の談合体質は今さらマスコミがワイワイ騒ぎ立てるほどのものではなく、一般ビジネスマンも合点承知の介の慣例だからだ。
これで大林組は公共事業の応札権をしばらく失うが、きっと傘下の企業名で、入札に参加し、被害は最小限度に留まるというのが、なんとなく疑われてならない。

コムスンというお水系創業者が経営している「エセ福祉産業系企業」もそういった「詐欺師系企業」の一つ。
介護保険制度に寄生して、金のネコババを欲しいままにしていたら、さすがに一般人にバレっちゃった。
で、もしかすると役人にその分配金を渡すのは忘れていなかったが、マスコミに渡すのを忘れたために、「こいつ、悪いことしてまっせ」と告発されてしまった、というのが今回のケース。

厚労省も国民から疑われては困るから「コムスンの免許を採上げる」と昨日宣言。
ところが、「コムスンが同じ系列の子会社に事業譲渡する」といったらOKした。

「国民からの批判の声が大きくなったので、譲渡の件は認めません」
今日の夕方、お役人様はこう宣った。
じゃあ、国民から批判されなければ、事業の譲渡は認めたのか?
マスコミにはそのへんを突込んでいただきいが、マスコミの偉いさんとお役人様はだいたい同じ学校の出身なので、そこまでさらけ出させることはない。

コムスンと厚労省。

なんとなく、その関係が理解できた2日間だった。

横山ノック

2007年05月10日 21時33分43秒 | 社会

GW期間中、旅行をして帰ってきたら、様々な出来事が、それこそ様々な格好で発生していた。
その様々の出来事の中での最大の驚きと言えば、やはり最下位に落っこちていた阪神タイガースのていたらくだ。
たった10日間、私が日本を留守にしている間に最下位に落っこちるとは。
これだから、なかなか海外旅行に出かけられないのだ。

正直、タイガースファンの私としては阪神の最下位は懐かしくないことはない。
しかし一方に於いて、悪夢の再来を思えないこともなく、帰国早々私は「なんでじゃ!」と新聞のスポーツ欄を持って叫んでしまったのは言うまでもない。

この阪神の最下位ニュースと同じくらい悲しいニュースは、やはり訃報である。

GW中に俳優の北村和夫が亡くなった。
この人、私には米国製テレビシリーズ「ドクター刑事クインシー」のクインシーの声で馴染となったが、その独特の声質はその後見たテレビドラマなんかでも、かなり強い印象として残ったのだった。

でも、訃報といえば、やはり横山ノック元大阪府知事を挙げねばなるまい。

今考えて見ると、あのセクハラ事件はノックが知事を務めていると利権が危ういと感じた、利権屋の策略じゃなかったんではないかと思われてならない。
なぜなら横山ノックも知事としては酷かったかも知れなかったが、太田房江現知事よりは遥かにマシだったような気もするのだ。

そして、さらによくよく考えて見ると、歴代大阪府知事にはろくな輩がいなかったことが思い出され、そういうろくでなしの中では変態ノック先生の方が、いくぶんマシだったのではないか、と思えなくはないのだ。

もう、朝日放送の探偵ナイトスクープでタコの格好をしたノックさんを見ることはない。

そういうことで、今日は横山ノックを追悼してたこ焼の提灯の写真をアップして見ました。
欲しい人は大阪千日前の道具屋筋に行って下さい。

ボウリング・フォー・ヴァージニア

2007年04月18日 06時52分46秒 | 社会
この国、つまり米国では個人が銃を所持することは憲法に定められている権利ということで、これを是正しようとか、これに規制をかけようとかといった論議は生まれては打ち消され、また生まれては打ち消されるという堂々巡りが繰り返されている。

ヴァージニア工科大学で発生した韓国人留学生による大学襲撃事件は、再びこの国の銃社会という異常な側面を露呈させた。

しかし、今回の犯人が米国人にとって外国人の韓国人であったことから銃規制に関わる運動は活性化しないのではないか、とも思われるのだ。
むしろ外国人による犯罪であるからこそ、一般市民の銃によって武装しなければならない、などという議論が沸き起こる危険性すら存在する。
米国は自らを守るためなら手段を選ばないという性格を有するからだ。

例えば、今回の事件は、とらえようによれば、米国内で航空機を乗っ取りWTCビルへ突っ込んだイスラム原理主義者と同類だと受け取られる。

犯人の韓国人留学生は航空機の代わりに拳銃を入手して、WTCビルの代わりに自分が通う大学を攻撃した、ということになるからだ。
しかも、攻撃の動機も個人的なもの。
イスラム原理主義者は自己の信条に合致しないアメリカ合衆国という存在に対する攻撃であり、韓国人留学生は極めて個人的な理由により、気に入らない大学の関係者への無差別攻撃であった。
一部で報道されているように韓国人留学生は大学の学生や関係者を一列に並ばせ、一人づつ処刑していったというのだから、まさにテロルの形式ということができるだろう。

韓国にとっても今回の事件はショックであったはずだ。
米国ではアジア人は日本人を筆頭に優秀な人種であることが暗に認められているが、実際のところ日本人以外の例えば中国人や韓国人という米国にとって政治的、経済的、軍事的に敵性要素の強い国の出身者についてはビザ発給の規制をかけているという話も耳にする。
実際、先日私が訪問したシカゴでも「中国人などの入国は様々な理由を付けて規制されているんです」との説明がコンベンションの関係者が語っていた。

この事件を契機に銃規制を実施するのであれば理解できるが、そういうことにはならないだろう。
むしろアジアからの人の流れを規制する運動が起こりかねない危険性がある。

我が国のように銃規制を徹底的に行っている国でも、昨夜のような事件(長崎市長銃殺事件)が発生する。

銃規制阻止のためにヴァージニアの事件で報復攻撃を受けるのは一体誰か?
米国の今後が注目される。

なお、昨日付けの読売新聞夕刊の「銃器犯罪被害、日本では減少傾向」という記事は笑わせる。

「小さなニッポン」には要注意

2007年04月09日 21時21分37秒 | 社会
「ニッポンは小さな国です」
と講習会や講演会で話す人を信用してはいけない、ということに最近気付いた。

ニッポンは小さな国です、という意味合いのことを言うのが大好きな「週間金曜日」風に述べると、「信じちゃいけない」というところだろうか。

二月ほど前、私の会社のトップが信じて止まないアホな企業コンサルの講義を受講した。
なんでも、この人の言うことを聞いていれば会社は良くなり上場する日も近くなる、ということだが、私に言わせれば中小企業の2代目3代目をだまくらかして、不安にさせて、信じ込ませて金を巻き上げ、ガッポガッポという魂胆見え見えなのだ。
(私の親友(とりがら時事放談顧問)たちのように「洗脳」とは何かを、知っている者はダイジョウビ)
言っちゃなんだが法の華三法行だとかオウム真理教となんら変るところはなく、対象が個人か企業の違いだけ。
お人よしのうちのトップが早くその詐欺性に気付くことを期待しているが、ま、無理か。

このコンサルのAというオッサン。
ベアリング最大手のN社の元工場長で、「モノづくり革命」を標榜し、自分の考えに陶酔し、反対意見を述べる受講者には、
「社長の方針は私の方針です。私に意見のある人は会社を辞めてもらいます」
と豪語する。
トンデモコンサルなのだ。
で、「なんだかヘンだ」と経歴を調べてみると、このオッサン、N社の労働組合委員長を結構長く務めていたではないか。しかも昭和40年代前半に、なのだ。
つまりこのオッサンは、「あれ」である。
どうりで、礼節と平等を声高く叫びながら自分が頂点に立つと絶対主義をとりたがるのも当然だ、と納得した次第ではあった。

このコンサルの講義を受けろとトップの一人が私に煩く言うものだから、2時間だけ受けてみた。
結果は、このコンサルの講習会で初めて緊張が走る(同僚談)という事態に発展した。
というのも、私がコンサルの指導がちっとも論理的でないしい加減なので、到るところでツッコンだところ、
「君は生意気だ」
といわれたのだ。
で、こっちも腹が立つので、
「生意気とは誰に向かって話しているのか。私は当社の○○部を預かる人間である。あんたの説明が悪いからダメだと言ってるんだ。その私に向かって生意気とは良く言った。Aさんとやら、覚悟はできているんだろな」
と言ってやった。
すると、会場にいとも稀なる雰囲気が漂った。つまり緊張感というヤツが漂ったのである。

全員が私の方を振り向いた。
トップの二人も振り向いた。
そのトップにこき使われている取締役二人も振り向いていたが、私の顔を見て「ニヤッ」と笑った。
コンサルは顔色は赤と青が交互に点滅した。
私はいんちきコンサルの首根っこを捕まえて、玄関から外に放り出してやろうかと考えたが、そこまでやると「あれ」のことなので「暴力反対!」(「あれ」の多くは昭和40年代意味も分らずベトナム戦争反対!などと宣い、警官に暴力を振るった)などと言い出すかも知れず、実力行使に移すのは我慢して「ま、黙って聞いてましょう」と私が引いたので、事態は大きく発展しなかった。
ちょっと残念ではある。
が、以来、トップも含め、誰も「出席してくれ」と言わなくなったのでセイセイしている。
後で出世の道が閉ざされたのかも知れないとということに気付いたが、自分の信条および正義に反してイエスマンとして生きるより、よっぽど人生豊かである。

で、話はやっと本題に入る。

このインチキコンサルがこのインチキ講義の冒頭で、
「ニッポンは小さな国です。その小さな国の中小企業は私の言葉を聞かなければ、将来大変なことになります。」
と、語ったのだ。
私にはこのオッサンの言葉に耳を傾けている方がよっぽど将来大変なことになると思ったのだが、この時点では突込まなかった。

このコンサルのように「あれ」に属する人たちは、よく「日本は小さな国」と言う。

私が子供の頃も、小学校や中学校の授業で一部先生が、
「日本は小さな国です」
と言うのを聞いてきた。
子供なので「日本は小さい」を鵜呑みにし、大人に成長したわけだが、いいオッサンに成長した今日、「日本は小さい」は「果たして正解か?」という疑問が湧いてきた。
その疑問に対して決定的な解答を偶然にもインチキコンサルから頂戴することになったのであった。
そういう意味では確かに「優秀なインチキコンサル」ということができるだろう。

実際「ニッポンは小さな国」の根拠になるのもをじっくりと考えてみると、あまり見つからないことに気付く。

まず、良く言われる面積だが、日本は小さな島々が集まって構成する島国なので確かに陸地の面積の合計は小さい。
しかし、その島々が構成する領海や領空といった三次元で捉えると、日本は地球上のとてつもなく大きな領域を占めていることに気付きビックリするのだ。
その大きさは航空機を利用するとよく分る。
関空からタイのバンコクまでは約5時間30分ほど要するが、そのうちの約3時間は日本の領空を飛行する。
国内線でも羽田から石垣島まで3時間。那覇から千歳も3時間。
アメリカ大陸横断が6時間なので、その半分はあるということだ。

人口に目を移しても、日本の人口一億二千万強。
これは中国、インド、米国、インドネシア、ブラジル、パキスタンなど陸地の大きな国に続いて第10位。
日本語も使用人口比率では英語、中国語、スペイン語などに続いて世界第6位のポジションだ。
さらに経済になると、国民総生産は一位アメリカの約半分の4兆4千億ドルで世界第2位。アメリカと日本の2カ国で世界経済の3分の1を賄っている計算だ。
軍事力も小さくなく、年間予算は米国、ロシアに次いで世界第3位。(中国が不明)

これが果たして小さな国か、大きな疑問である。

ともかくインチキコンサルのオッサンのように、「あれ」な人々の共通点が「小さなニッポン」。
自国を矮小化、卑下して自分のビジネスや主張を続けるのが特徴なのだ。

つまり「小さなニッポン」と言う人には要注意ということが学べて良かったということだ。

大江健三郎にイグ・ノーベル賞を授与しよう

2007年04月04日 18時36分36秒 | 社会
「集団自決」検定は遺憾 大江氏、岩波が抗議(共同通信) - goo ニュース

作家の曽野綾子さんや元帝京大教授の高山正之さんたちが指摘しているように、沖縄の離島に於ける集団自殺は軍の命令ではなかったことがはっきりしている。
島の村長が「遺族年金がもらえるように」ということをお願いして、軍の指揮官が命じたことになっていることは、ずっと昔に判明していることなのだ。

この、真心を持った遺族への処置を理解できず、逆に糾弾する材料に使う大江は何者か?
ノーベル作家の文章が「実は取材不足のでっち上げ。朝日新聞風の内容なんです」と言えないから、逆ギレしてほざいているのだろう。

このチンケナ物書きにはノーベル文学賞より、イグノーベル文学賞の方が相応しい。
なお、受賞理由は、
「自ら書いたでっち上げ記事で無実の軍人と国家の威信を貶めることに功績をのこした『ノーベル賞受賞の純文学者』に対し」
ということで、いかがだろう。