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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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祝杯を乾して

2005年01月31日 21時19分30秒 | 書評
とりがら書評

沢木耕太郎のノンフィクション全集、その最終巻「祝杯を乾して」を読了した。
沢木作品のなかから主なスポーツ観戦記を厳選し収録しているのが本書である。

沢木作品のスポーツ観戦記には熱い心で試合を見つめる観客の視線で語られているという特徴がある。
それは著者が得意とするボクシングを観戦するときも、その他のスポーツを見るときも、小難しい技術的な解説をすることなく、私たち一般人の目の高さで語って聞かせてくれるという特徴だ。

私たち一般人が、ある競技に感動を覚えたとしても、その感情の高まりを言葉に表すことは、なかなかできるものではない。
「あー、面白かった」「良かったね」「素晴らしかった」
程度の言葉でしか表現することが出来ないのだ。
沢木耕太郎の巧みな文章は、難しい専門用語を使うことなく、それぞれのスポーツが与えてくれる、多くの人々が受けているであろう感動を、私たちに代わって表現してくれている。
さらに、作品の面白さには、深夜特急に似た紀行文の要素もからんでいることが少なくない。それは読む者にとって、スポーツ観戦をするために、自分自身も旅をしている気分を味わえるという楽しさなのだ。

本書の後半には2002年の日韓共催ワールドカップ・サッカーを題材にした「杯<カップ>」が収録されている。
実のところ、「杯」の単行本が発売されたとき、私は買おうか買うまいか悩んだ末、ついに買わなかった。同時に発売されたオリンピックを扱った「冠<コロナ>」は迷うことなく買い求め二三日で読み終えたのに、「杯」は買わなかったのだ。
なぜなら、もともと私はサッカーに対する興味が薄く、ワールドカップで国中が盛り上がっていたときでさえも、どことなく心が冷めていたからだ。
しかし、それにもまして「杯」を買わなかったのには、別の理由がある。それは「韓国」と共同開催したワールドカップを扱っていたからだという理由がある。
正直私は韓国という国にあまり良い印象を持っていない。
植民地時代の歴史を無理やりねじ曲げて、卑屈なまでに日本を口撃してくる韓国という国が大嫌いだったのだ。その結果として、興味のないサッカーというスポーツと、印象がとびきり悪い韓国との共同開催というワールドカップを扱った作品を、読んでみたいという気持ちには、なかなかなれなかったのだ。
今回、全集に収録されたことをきっかけに「杯」を読んで見ると、意外な事実に心を動かされることになった。

サッカーには相変わらず私の興味をかき立てるものは感じられかったが、著者、沢木耕太郎が各会場を移動するときに接することになる、多くの韓国人の暖かさと力強さに感動を覚えたのだった。
空港からホテルまでの道がわからず、料金を受取ろうとしない律義なタクシー運転手。光州の会場からソウル郊外の新村まで、見知らぬ著者を自分たちの自家用車で送ってくれた学生たち。駅までわざわざ案内についてきてくれた日本時代を知る老人。などなど。
もしかすると、日韓のテレビが報道する韓国は、実際の姿とはかなり違うのではないか、と思えてきたのだった。
飛行機にのれば僅か1時間。一度、韓国を訪れてもいいな、と私に思わせる機会をくれた一冊だった。

問題な日本語

2005年01月11日 20時56分05秒 | 書評
とりがら書評

勤めている会社から歩いて五十歩のところに数年前コンビニエンスストアがオープンした。
近くて便利なことから、飲み物やおやつ、時には昼食の弁当の買い出しにでかける。
店は新しく清潔で従業員もパートだが親しみを持てるいい人たちだ。ただし、一つ気にかかることを除いて.....。

その気になる一つとは、
ここの店に入ると従業員が次のように挨拶するのだ。
「いらっしゃいませ!こんにちは。」
と。
この挨拶を読んで違和感を覚えない人は本書を読んでもピンと来ないかも知れない。
私はこの挨拶が気になって仕方がない。
なぜ「いらっしゃいませ!」と言っておきながら「こんにちは」と二重に挨拶しなければならないのだろうかと。
おいおい、あんたたち、日本語ちょっと変なんじゃない、と言いたくなってくるんだ。

気がつけば、このような「変な言葉」は巷に溢れてきていることに気付かされる。
それは単に「若者言葉」の域を超え、新しい言葉として創造されているのではないかと思われるくらい、バリエーションに富んでいる。
私のこの挨拶に対する疑問の答えは本書には書かれていない。
この疑問は一年ほど前に、とあるコラムニストが新聞に寄稿していて、自分と同じ感覚を持つ人が居るとこを知ったのだ。

そして今回、この他にも変な言葉がたくさんあることを本書を通じて再確認したり、知ることになった。
たとえば、
「こちらきつねうどんになります」

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
といった、ファミリーレストランでよく耳にする言葉は、「いらっしゃいませ、こんにちは」に匹敵するインパクトがある。
また、「仏教の修業」と「仏教の修行」どちらが正解か。「山に登った」と「山を登った」の違いは何か、などなど、気にし出したらきりがない言葉がたくさん収録されている。

多くの気になる話言葉や書き言葉が例と、その文法的、意味的な解説が本書ではたくさん紹介されていて、とても面白い。
アカデミックな内容の書籍ではあるが、易しくまとめられている点と、いのうえさきこさんという漫画家の二コマ、あるいは四コマ漫画が随所に挿入されていて肩が凝らないのがとてもいい。そしてこの漫画自体も内容が秀逸なのある。

書籍を読まない人が多い昨今、本書で現在の国語を学習するのも、「わたし的には、いいのではないか。」と思えるのである。


問題な日本語 北原保雄編 ~大修館書店 発行~

2004年読書総決算

2004年12月29日 20時27分41秒 | 書評
至極平凡に、2004年度中に読み漁った書籍の総決算を試みよう。
他人の読んだ本の総決算なんか読みたくない、と言う人は速やかにこのブログから離脱するように......。

今年読んだ書籍はマンガと雑誌と再読本を除きおおよそ六十冊。その六十冊からいくつかをピックアップして振り返ってみたい。
今年は元旦に雑誌「諸君!」を購入し、それにのめり込んだために、最初に読んだ書籍は一月の中旬。初代ビルマ(現ミャンマー)首相バー・モウが執筆した「ビルマの夜明け(太陽出版)」であった。
今年は早くからGW頃にミャンマーへ行こうと決めていたので、ミャンマーの知識を得るために買い求めた一冊であった。
ミャンマーの独立は一般に1948年といわれていて、現ミャンマー政府もそれを公式の独立としているが、実際のところ1944年に大日本帝国の後押しにより独立したのが最初の独立であった。このとき首相に就任したのが弁護士で独立指導者であったバー・モウであった。
バー・モウはノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー女史の父君であられるアウンサン将軍の実質的な指導者であった。
ミャンマーに今も語り継がれる「三十人の志士」を生み出したのもこの人で、本書はバー・モウ氏が戦後、新潟県での亡命生活から英国軍に自首し、解放された後に著した一種の回顧録である。
現在のミャンマーでは発禁書物に指定されているようだが、なかなか興味深い記述があり、日本の戦中戦後史を研究する上では、必読の資料といえる。
とりわけ我々日本人から見て外国人であるバー・モウが客観的な視点で日本人を評価しているのが興味深い。
もっとも印象に残った一ヶ所が泰緬鉄道に関する記述だ。
泰緬鉄道は映画「戦場にかける橋」で有名な悪名高き日本軍を描いたストーリーで知られている。
ところがバーモウの記述によると、泰緬鉄道は地元住民に歓迎されたプロジェクトであり、この鉄道がインフラとしてタイからミャンマーにかけて、絶大な効果をもたらしたことがほんの数行であるが書かれていた。
これは当時、タイのカンチャナブリなどで雇用されたタイ人労働者が通常の1.5倍から2倍の賃金を受取り、地域経済に多大の潤いをもたらしたという証言と一致する。
そのほか、日本軍将校でありながらミャンマー語を巧みに扱い、ミャンマー独立軍の指導者として活躍したジョ・モウ(本名 鈴木大佐 だったと思う)がミャンマー人になりきってしまい、度々自国、つまり大日本帝国陸軍の将校とぶつかりあったエピソードなど、歴史教科書や小説では触れられない内容が一杯だ。


次に印象深かったのは「イラク便り(扶桑社)」である。
これは昨年、イラクで殉職された外務省の奥大使が同省のホームページに寄稿していたイラクの現状に関する短いレポートをまとめたものだ。
昨今、日本の官僚の出来の悪さに辟易することしきりではあるが、本書は、外務省の中はアホな外交官(例:元駐ペルーの青木大使)ばかりでないことを私たちに伝えてくれた。
しかも優秀で義侠心のある「普通の」外交官はアメリカとか欧州には勤務せず、イラクとかソマリアとか、アフガンとか、とかく危険なところへ勤務させられる、または本人が望んでいくことを知ることの出来る一冊であった。
ちなみにこの一冊と先日読了した「武士道の国から来た自衛隊」が妙にリンクしていて、読む者、つまり我々に日本国民に何やら考えさせるものが訴えられているのであった。

今年はビジネス書も読んでみた。
パコ・アンダーヒルの「なぜ人はその店で買ってしまうのか」と「なぜ人はショッピングモールが好きなのか」(どちらも早川書房)の二冊だ。
マーケティングという考え方はまだまだ私のように中小企業に勤務する者にとって身近なものとは言えない。ところが本書を読んでみて、それは明らかに間違いであることに気がついた。
中小企業であっても、商品を販売する、しかも効果的にという意味で、マーケティングの分析というものは不可欠であるということを痛感させてくれた。
とりわけ中国や韓国、インド、東南アジアの国々にが猛烈に日本を追撃してくる現在の世界市場の中で、私たちが生き残るには何をすればよいかを考えると、それはマーケティングと製造開発の二人三脚以外にないということだった。
作る、ということにおいてはコストの点で中国にはとてもかなわない。
品質、ということにおいては韓国、台湾がかなり肉薄してきている。
そこで日本が生き残る方法は高い教育水準(少々疑問もあるが)と好感の持てる性格(これも疑問があるが)を駆使して、マーケティング技術を向上させ、他社、他国が追いつけない企画開発を行うことということだ。
もともと、こういうビジネス書は知ったり顔で書かれたものや、お説教まがい、自慢まがいのものが多くて大嫌いなのだが、たまたま愛読する雑誌に紹介されたことから読み始めていくと、いわゆるデータ集めした教科書のような書物ではなく「読み物」であった点が私を夢中にさせた原因だろう。

結果的に一年で読了した六十冊のうち、ノンフィクションが全体の七割ぐらいであった。
ノンフィクションというジャンルでは沢木耕太郎のノンフィクション全集(文藝春秋社)がこの十二月に最終巻が発行されてグランドフィナーレを迎えたが、夏前に発行された「1960」というタイトルの巻がとりわけ面白かった。
この巻では高度成長期における池田勇人についてのルポルタージュ(今回初掲載)が収録されていて、非常に興味が惹かれた。
社会党稲沼書記長刺殺事件(テロルの決算)などとリンクして当時の世相や政治家の姿を現在と比較して考えると、じつに面白いものであった。

ということで、来年はどのような書物に出会えるか。
ワクワク楽しみにしている年末である。

武士道の国から来た自衛隊

2004年12月18日 15時14分21秒 | 書評
とりがら書評

本書の帯の部分に「石原慎太郎東京都知事推薦」と書かれていたが、これでは生ぬるい。「文部省推薦・小中高校生必読の書」とすべきである。

のっけから過激な評価と思うなかれ。本書は現在イラクのサマーワで展開している自衛隊のイラク復興援助活動について書かれている。
多くは自衛隊員からの取材をもとに、新聞や雑誌では読むことの出来ない、冷静で公平な目で見た自衛隊の素顔、そして現地の実情が描かれている。
読み進むうちに読者は自衛官の努力に涙し、感動し、このような軍隊を持つ国民として、日本人の私たちは誇りを持つようになるだろう。

たとえば「自衛隊が監督する工事現場のイラク人労働者だけが、夕方五時になっても働いているし、必要があれば残業もいとわない」とアメリカ、イギリスを始め他国の軍隊から驚愕の目で見られているというくだりがある。
日本以外の国の軍隊が監督する現場では、地元イラク人労働者は午後三時か四時にでもなれば早々に仕事を終業し、家路に着く。にもかかわらず、どうして日本の自衛隊のもとで働くイラク人だけがまじめなのか、各国が不思議がっているというのだ。
理由は、どの国も請け負った仕事は現地イラク人に丸投げで監督するのみ。それはあたかも刑務所の囚人を監視する刑務官のようにさえ見える。
ところが自衛隊は隊員がイラク人労働者に混じって一緒に作業をする。
一緒に汗を流し、一緒に食事をする。
この日本流のやり方が、現地の人々に感銘を与え、「日本人がやるのであれば、我々もやらねば」というイスラムの、いや人間としての義侠心が働いて、他国の管理下では起こりえないことが起こっているというのだ。
この話を聞いて、今年の夏、ミャンマーへ行ったとき現地の人から聞いた次の話を思い出した。
日本企業はミャンマーにもたくさん進出してきている。
最近の傾向として、同じアジアの国でも日本と同じ、いや時としてそれ以上の勢いで進出してきている国に韓国や中国がある。
でも現地のミャンマー人は日本企業で働くことを一番に希望するらしい。というのも、労働環境がまったく違うというのだ。
その最も大きな違いが管理職の態度だという。
例えば勢いのよい韓国企業や中国企業の現地法人では、本国から派遣されてきている工場長や、現地法人社長などの管理職は、従業員と絶対に食事をしない。部屋も区切られている。使用人と雇用者の地位の上下の区別をはっきりとする。
管理職は威張るのだ。
一方日本企業では、日本から派遣されてきた現地法人の責任者や技術者は、現地ミャンマー人と同じ場所で同じ昼食をとり、時として夕食まで一緒だというのだ。
日本人は寂しがりやが多いからかも知れないが、それだけでは理由にならないものがある。
役職のけじめはきっちりとつけるが、身分の差などは気にしない。トイレさえも綺麗に保ち、時に自分で掃除をする。
畢竟、ミャンマー人と日本人の間には一体感が生まれるが、他国はそうならない。
今回の自衛隊の活動は、まさしく日本企業が過去数十年に蓄積し、自然に身についてきた「日本流」のやりかたを実践し、成功していることを本書は物語っていた。

このほかに紹介されている「ユーフラテス川の鯉のぼり」や「自衛隊に協力しようデモ」など、新聞テレビが伝えない、また伝えたがらないエピソードでいっぱいだ。

本書を読んで、「もしかすると、戦中のほんの短期間を除いて、日本の軍隊はなにもおかしなことはしていないのではないか」と思えてきた。「日本流」が帝国主義や植民地主義、キリスト文明優位時代に「都合が悪い」ものだけだったのではないかと。

読んでいくうちになんだか日本人としての誇りがよみがえってくる、そんな一冊であった。


「武士道の国から来た自衛隊」~産経新聞社 発行~

国境なき医師団

2004年12月09日 21時46分00秒 | 書評
今、タイトル欄に「こっきょうなきいしだん」と入力したら私のMacは「国境なき石段」と変換した。
相変わらず「アホ」である。
しかし私は最新のEGBRIDGE15を使っとるんだがな。

さて、それはともかく本題に入ろう。

今日、仕事から帰宅すると私の机の上に一通のダイレクトメールが届いていた。封筒の差出人を見てビックリ。
そこには「国境なき医師団」と記されていたのだ。
封筒の窓には私の住所と私の名前。その下に「緊急事態 スーダン・ダルフール地方」とある。

国境なき医師団は世界で最も有名な非営利民間組織の一つである。1999年にはノーベル平和賞を受賞している。
この世界的に有名なNPOがどうして私の住所と名前を知っているのか。理解できない。
これだけ立派な組織なのだから、どのようなルートで私の名前と住所を入手したのか、挨拶文に書かれていてもいいのではないかと、封を開けてみたものの、そのような記述は一切なかった。
クレジットカードでの寄付を募っているところを見ると、私は変に疑いたくなってしまったのだ。
なんで寄付金にJCBやVISAなのか、と。
文面を見る限り本物の「国境なき医師団」のように見えるし、具体的に「スーダン」という国名を挙げて、支援を要請しているところをみると、信じても良いのかな、とも思ってしまう。

私が今通っている英会話スクールがユニセフを支援しているので、ここから私の名前を教えてもらったのかも知れないが、それならそれで、しっかりと断り書きを入れておくべきた。
冬のボーナスも満足な額をもらえない貧乏サラリーマンの私なので、本当のところ私が支援してもらいたいくらいなのだが、このダイレクトメールが本物なら少しの寄付も惜しむものではないが、どうも疑いたくなってしまうのだ。
なぜなら、この「国境なき医師団」のダイレクトメールの雰囲気が、時々私の手元に届く「香港から」の「世界の宝くじで儲けよう」ダイレクトメールに似ているからだ。

これが本物である証拠はどうすれば入手できるのか。
ちょこと思案しているところである。

モーターサイクル南米旅行記

2004年11月26日 21時51分50秒 | 書評
とりがら書評

チェ・ゲバラ、という人をご存知だろうか?
フィデロ・カストロとともに一九六〇年代キューバ革命を成功へと導いた指導者の一人だ。
本書はそのチェ・ゲバラが医学生であった時、友人と二人で南米を一年ばかし旅行した時のことを記した旅行記である。

この秋、ロバート・レッドフォードが製作総指揮をとった、本書を原作とする映画「モーターサイクル・ダイアリース」がミニシアター系列で公開され大きな話題となった。
私は残念ながら映画の方は仕事が忙しく見逃してしまった。
また一部地域では「チェ・ゲバラ展」なる展示会も催され、多くの人々が今は亡き革命家に思いをはせたことと思う。

ゲバラが革命指導者になったのは、レーニン主義に共鳴していたわけでもなく、社会に不満のある生活を強いられていたからでもない。
そもそもゲバラはアルゼンチンの中産階級の家庭に生まれ、決して乏しい生活を営んでいたわけではないのだ。むしろ医学校に進学できるくらいの財力は持った家庭にいたわけだ。
この医者、とりわけハンセン病の専門医を目指した青年が、なぜ革命運動に関わっていったのか、ということについてのヒントが本書には随所に散見することができるのである。
たとえば彼が訪れた山間部の乏しい村には、十分な医療を受けることもできず、ただ死を待つだけのインディオの人々が存在し、彼は医師としてまったく無力であることを度々彼は思い知らされることがエピソードとして紹介されている。
多感な二十代前半に、当時は珍しかったこの放浪旅行を行ったことにより、南米が抱える多くの社会的矛盾に直面し、革命家チェ・ゲバラの基礎ができあがるのだ。

この日本語訳はスペイン語の原書を使用しているとのことだが、多くの箇所が、スペイン語の言い回しをそのまま使っているのか、翻訳に携わった人の日本語構成力が乏しかったのか、日本語の文章という意味合いの上では、随分と読みにくい書物になってしまっている。
しかし、一人の若者が、どのような経験を経て、どのような人物に成長してくのかを知るためには、たいへん貴重な紀行文になっていると思わずにいられないのだ。
漠然と、何をして良いのやらわからない若者や、何かしたいがどうしたら良いのかわからない若者に是非読んでもらいたい一冊である。

ミッドナイト・エクスプレス

2004年11月16日 22時35分44秒 | 書評
とりがら書評

数年前、書店の文庫本コーナーで「深夜特急」という気になる題名の書籍を見つけた。
作者は沢木耕太郎。
恥ずかしながら、書籍の類いは特定の作者を偏読する癖があるため、この時点でまったく知らない作家だった。
後に優れたノンフィクション作家ということを知り、手当たり次第に沢木作品を買い求め読みあさっていったのは余談。
さて、初めて見てから、実際に購入するまで半年ぐらいかかったかも知れない。なんせ偏読癖を持っているため「深夜特急」などという題名からは面白いという雰囲気をつかみ取ることができなかったのだ。
そしてある日、理由は不明だが、この書籍の第一巻を買うことになった。
一ページ目を開き読み始めると、表現できない期待感が胸を包み込み始めた。なんかワクワクするのだ。そしていつの間にか読むことを止めることができないくらい「深夜特急」の世界にはまり込んでいた自分がいたのである。

本書は一九七三年に筆者の沢木耕太郎が一年半をかけて香港からロンドンまでユーラシアを旅した時の出来事や街・人の様子、社会状態などを記した戦後紀行文の傑作である。
ミッドナイト・エキスプレスは今回改めて刊行された全集としての題名だ。

一九七三年と謂えばベトナムから米軍が撤退を決めた年だった。ヒッピーが社会現象として存在し、日本では大阪万博の余韻がまだ少し残っていた頃だろう。
その混沌とした七十年代のアジアからヨーロッパを筆者はバスで旅をするのだ。

今回改めて読んでみると、通過している(できる)国が現在とは微妙に違うことに興味を魅かれる。
筆者は当時戦火の中心であったインドシナと鎖国状態だったミャンマーは飛行機で飛び越え、まだまだ平和だったアフガニスタンの真ん中をバスで突っ切っている。
現在はインドシナが安全地帯で、アフガニスタンは極めて危険な地域となった。
9.11事件以来、アフガニスタンとイラクに世間の注目が集まっているためか、本書を初めて読んだ時感じた前半のマカオのカジノでのギャンブルの興奮よりも、今回はバスの車窓から眺めた平和なアフガニスタンの風景の描写の方が、はるかに印象に残ったのだった。
筆者が実行したインドからロンドンまでのバスの旅は現在ではほとんど不可能なルートにあたる。
真似をしようとは思わないが、もし誰かが本書に感銘を受けて、真似をしてみたいと思っても、それはほとんど出来ない相談なのだ。

「深夜特急~ミッドナイト・エクスプレス」を読了して感じた最も大きなことは、最初の時も、今回も共通している。
「畜生! もっと若いうちに、しっかりと旅をするんだった。」
という後悔である。

ロバート・キャパ 最期の日

2004年10月15日 22時02分23秒 | 書評
とりがら書評 その4

白いアオザイを纏ったスタイリッシュな女性が雨上がりの通りを横切る一瞬を捉えたファッショナブルなスナップ。
その有名な一枚の写真を表紙にしたフォトエッセイ「サイゴンの昼下がり」の著者、横木安良夫の最新刊が本書である。

ロバート・キャパといえば報道写真家集団マグナムの創設者として知られているが、なんといってもスペイン内戦の一コマを捉えた一葉の写真「くずれゆく兵士」を写した写真家として有名だ。
そのキャパが1954年にインドシナ(ベトナム)で地雷を踏んで世を去るまでの数週間をルポルタージュしながら、筆者が今年〔2004年)、その場所を探し出すまでを描いている。

イラク戦争で再びフォトジャーナリズムが注目されるようになった現在、キャパはその先駆者であるといえるだろう。
キャパはあらゆる意味において戦場写真家の先駆けだ。
彼の死があまりに象徴的であるために、その後にベトナムを取材した多くのジャーナリストの死を代表するものとなってる。

つい数年前、沢木耕太郎が「一号線を北上せよ」のなかでキャパが遭難した場所を探し求めてついに発見できずにハノイに戻ったことを書いていた。その文章を読んだ時、それだけインドシナ紛争は歴史の彼方に去りつつあると感じたのだった。
本書で著者はキャパの最期の地をついに発見するのである。しかしそれよりも本書で注目されるべきポイントは、キャパという「偉大な」写真家が、「人生の区切りである四十才を過ぎて、何をするべきなのかを見つめていたのではないか」という点にスポットライトを当てていることだ。
二十代で名声を手中に収め、放蕩ともいわれる青年期を送ってきた男が、果たして次の人生になにを求めていたのか。それは現代の私たちにも相通ずる永遠のテーマと云えるだろう。

激しく生きることを、ともすれば忘れそうになる私たちの世代への何らかのメッセージを秘めているような気持ちにさせる一冊であった。

ドイツ人のバカ笑い

2004年09月19日 20時42分00秒 | 書評
とりがら書評 その3

笑わせていただく新書はあまり目にすることがない。
本書は、その稀な「笑わせてくれる新書」の一冊である。

二十年以上以前、アメリカのジョークや、イギリスのジョークといった、海外のジョークを集めた書籍がたくさん出版されていた時期があった。
当時、この種のお笑い本を積極的に買い求めたものだ。
しかし、いつの頃からは宝島社の「VOW」のような類いの書籍が主流となってしまい、ジョーク集というのは少なくなっていた。
ニューヨークのタクシードライバーのジョークを集めた洋書を買ったことがあるものの、やはり英語は読む前に考えてしまうことが多くのめり込むことができなかった。
そいう意味で、本書は「まじめな国」というイメージのあるドイツのジョークを旨く厳選し、日本語に翻訳して読者を楽しませてくれる。
また東西冷戦の影響をもろに受けたドイツの特殊性が過去のジョークに反映されて、笑いながらも考えさせてくれるエッセンスも効いている。
楽しい新書である。

最後に、数あるお気に入りのジョークから無断転載します。もっと読みたい人は書店で買うように。

●二人のアメリカ人女性が話をしている。
「ちょっと聞いて。フォルクスワーゲンというあの変なドイツ車、買ってみたのよ。ところが前を開けたら。エンジンが入っていないじゃないの。」
「だいじょうぶ、あたしが協力してあげる。うちのVW、うしろにスペアのエンジンだついてるから。」

センセイの鞄

2004年09月12日 19時47分30秒 | 書評
とりがら書評 その2

ここのところノンフィクションばかり読んでいて小説というジャンルの
読み物はとんとご無沙汰でした。
本書の作者である川上弘美さんについの知識は恥ずかしながらまったく
ありませんでした。かなりの人気作家のようですね。
では、なぜこの小説を書店で買い求め読むことになったのか。
それはこの小説を原作とした映画(テレビに近い)があったためです。
そこでは二人の主人公のう、センセイを柄本明が、ツキコさんを小泉今
日子が演じており、キョン2ファンの私としては映画を観る前に是非原
作を読んでおきたいと思ったのでした。

かつて自分の高校の国語の先生であったセンセイと三十才を過ぎても未
だ独り身のツキコさんの居酒屋での遭遇は、ある意味においてとても幻
想的でもあります。
この物語では場所や時間が特定されておらず、読者個々が持つ自身のバ
ックグランドをもとに、小説の背景を想像し、のめり込んで行くことが
出来ます。
そして読むものをして魅了する根底にあるものは大人の恋物語であるこ
とでしょう。
センセイとツキコさんの間で交わされる何気ない会話が時として胸にキ
ューンと迫って来るものがあるのです。
しかもその瞬間は言葉ではなく「間」という文字で表す分学ではとても
難しい表現によっていることにも驚きを感じるのです。

読了して、もしかしてイメージを壊さないためにも映画を観ないほうが
いいのでは、と思えるような一冊でした。