人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

フォーレ「レクイエム」,シェーンベルク「モノドラマ・期待」を聴く~東響第594回定期演奏会

2011年11月20日 07時31分21秒 | 日記

20日(日).昨夕,サントリーホールで東京交響楽団第594回定期演奏会を聴いてきましたプログラムは①シェーンベルク「モノドラマ:期待」,②フォーレ「レクイエム」の2曲,指揮は東響の音楽監督ユベール・スダーンです.

1曲目のシェーンベルク「モノドラマ:期待」は,プログラムの解説によると「登場人物は名のない女1人.彼女は月夜の森をさまよいながら恋人を探している.森を抜けると,恋敵の家の前で惨殺されている恋人を発見し,錯乱した彼女は,苦悩,回想,性的な欲求,嫉妬,憤り,諦めといった感情を絶え間なく吐露してゆく」という内容です

台本はウィーン大学で医学を勉強して卒業した初めての女子医学生マリー・パッペンハイムによって書かれました.シェーンベルクは義兄で作曲家のツェムリンスキーを通じて彼女と知り合い,台本作成を依頼したとのことです.全体は1幕4場からなりますが,恋人の死体を発見して錯乱して感情を吐露する第4場が全体の4分の3を占めます

オーケストラがスタンバイし,ソプラノのエレナ・ネべラが深紅のドレスで登場します.プログラムに収録された音楽評論家との対談で,スダーンは「歌手には,オーケストラの後方,P席手前の立ち台に立ってもらい,”ト書きどおり”白いドレスを着用するようお願いしようとは思っています」と発言していますが,そうはならなかったようで,赤いドレスで,指揮者の隣で歌いました

ネべラは南ロシア出身で,サンクトペテルブルク音楽院を卒業,2000年ザルツブルク音楽祭にデビュー.01年からドルトムント歌劇場の専属歌手を務めているとのこと.2007年フェニーチェ歌劇場でスダーンの指揮のもと初めて「期待」の主人公を歌って絶賛されて以来,当たり役になっているとのことで,今回の公演でも,錯乱した一人の女の刻々と変化する感情を「一人芝居」で見事に表現していました

シェーンベルクの曲は苦手なのですが,人の声による「期待」は比較的すんなりと耳に入ってくる音楽でした.それだけでも収穫がありました

休憩後オーケストラのメンバーが登壇します.1曲目の時と違って,ビオラのメンバーが向かって左サイドから入場してきたので,あれ?と思いました.よく見ると,向かって左からヴァイオリン(第1,第2ヴァイオリン各6人の混成),その右にヴィオラ(10人),右サイドにチェロ(10人),その後ろにコントラバス(8人)という編成です.スダーンによる”レクイエム・シフト”とでも言うのでしょうか

合唱の東響コーラスが揃ったところで,拍手の中,スダーンとソリストの登場です.ここでも,あれ?と思いました.バリトンの青山貴しか登場しません.ソプラノの森麻季はどうしたのか??と思ってうちに1曲目の「イントロイトゥスとキリエ」が始まりました.ところが,ヴァイオリン・セクションが休んだままで,中低音のヴィオラ,チェロ,コントラバスが中心になってメロディーを奏でているのです.ここでも???でした

後でプログラムを見て理解しました この曲は1888年に初演されましたが,その後,何度か楽器編成が変更されたようで,今回の公演では1900年4月にリールで,さらに7月にパリの万国博覧会で演奏された「コンサート・バージョン」で演奏されたのです.このバージョンではヴァイオリンは第3曲目の「サンクトゥス」になって初めて登場するのです

フォーレ「レクイエム」は,通常のレクイエムとは異なり,「怒りの日」が除外されているため,レクイエム(安息を)という意味を強く感じさせる静かで穏やかな音楽です.第3曲の「サンクトゥス」の合唱による美しさをどのように表現すればよいのでしょうか

「サンクトゥス」の終わりの方で,P席後ろの通路を黒い服を着た女性が歩いているのに気がつきました.曲の途中で気分が悪くなった人が退席するのかな,と思っていると,彼女は中央のパイプオルガンの真下で止まり,正面を向きました.美しい合唱が終わり,女性にスポットライトが当てられました.森麻季の登場です 彼女は第4曲目の「ピエ・イエス(ああ,イエスよ)」を歌いましたが,天上から天使の歌が降ってくるような感覚を覚えました.彼女の声を何と表現すればよいでしょうか ひと言でいえば”穢れのない澄み切った美しい声”とでも表現すべきでしょう.彼女は,先週日曜日にモーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」のヒロインを歌いましたが,オペラも良いけれど,宗教曲の方がもっと良いように思います

歌い終わるとスポットライトが消され,彼女は静かに来た方向に戻り,開かれたドアから退出しました.サントリーホールの特性を生かした素晴らしい演出だったと思います

第5曲「アニュス・デイ」,第6曲「リベラ・メ」,そして最後の第7曲「インパラディスム」と続きましたが,本当に穏やかで素晴らしい曲です 最後に余韻を残して音楽が消えると,拍手とブラボーが会場を満たしました.森麻季が舞台袖から再登場すると会場からはもちろんのこと,合唱団からもさかんな拍手が寄せられました 

今回のシェーンベルクとフォーレの”声楽曲”による組み合わせは良い企画だったと思います

ところで,今月号のプログラムの表紙は作曲家シェーンベルクの描いた「期待」です.この日演奏された「モノドラマ:期待」を絵にしたのでしょうか.それにしてもプロ級の絵だと思います

 

          

 

 

 

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「怖い作曲家?」の思い出~今日はシューベルトの命日です

2011年11月19日 06時45分18秒 | 日記

19日(土).昨夕はE部長,T君,K君と地下のR,次いでOで飲みました.何時に帰ったのか覚えていません

という訳で,今日はフランツ・シューベルトの命日です。1828年11月19日死去、31年の生涯でした.彼はドイツ・ロマン派初期に600曲以上の歌曲を残し,”ドイツ歌曲の王”と呼ばれています.彼は「アマデウス」の主役アントニオ・サリエーリの指導も受けました

モーツアルトの作品はケッヘルが作曲年代順に整理して振った「ケッヘル番号」が有名ですが,シューベルトの作品はオーストリアの音楽学者オットー・エーリヒ・ドイチュが振った「ドイチュ番号」(1951年)によって整理されています

混乱しているのは,交響曲の番号付けです.ウィキぺディアによると、古い番号付けでは,完成された7曲は順番に7番まで番号が振られました.このうち「未完成交響曲」は4楽章交響曲としては未完だが,2楽章は完成しており,非常に美しい旋律で多くの人に愛好されているため,交響曲第8番の番号が与えられ、「ザ・グレート」は第9番が与えられました

その後,国際シューベルト協会が1978年にドイチュ目録改訂で見直しを行い,第7番「未完成」,第8番「ザ・グレート」とされ、最近ではこれに従う例が多くなっているようです.

シューベルトというと、何故か、昔から敬遠気味でした。”シューベルトは怖い”というイメージがあるのです  その昔、「まぼろし探偵」というテレビ番組があって、ブラック・デビルという悪役が出てきたのですが、”怖い”のはブラック・デビルではなくて、花嫁衣装をきて出てきた女性だったのです  なぜ、その女性が怖かったのか、なぜ、それがシューベルトを敬遠することに繋がったのか、まったく思い出せません

多分、当時、学校の音楽の授業でシューベルトの歌曲「魔王」を聴いて、それが怖かったのを覚えているので、頭の中で記憶が交錯しているのかもしれません。

いずれにしても、クラシック音楽を聴くようになってからも、その”怖さ”が抜け切っていないのです。したがって、所有しているシューベルトのLP、CDは全部集めても100枚に達していないと思います

そんな中でも,好きな曲はいくつかあります.その一つが「ピアノとヴァイオリンのための幻想曲」です.晩年の1828年に書かれたこの曲は,供にボヘミア生まれでウィーンに住んでいた,カール・マリア・フォン・ボックレトとヨーゼフ・スラヴィークとの出会いが作曲の動機だったと言われています.要するにヴァイオリン・ソナタなのですが,シューベルト自身が「幻想曲」と名付けたように,美しく,幻想的な曲です

ミシェル・オクレールのヴァイオリン,ジュヌヴィエーヴ・ジョワのピアノの演奏によるCDで聴いています

 

                           

 

 

 

 

 

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萩原麻未の日本デビュー・リサイタルを聴く~紀尾井ホール

2011年11月18日 06時59分58秒 | 日記

18日(金).昨夕,紀尾井ホールで萩原麻未のピアノ・リサイタルを聴いてきました 国内でソロのリサイタルは今回が初めてです.プログラムは①ハイドン「ピアノ・ソナタ ニ長調」,②べリオ「5つの変奏曲」,③ラフマニノフ「コレルリの主題による変奏曲」,④シューマン「アラベスク」,⑤同「謝肉祭」です.

萩原麻未はちょうど1年前の2010年11月,第65回ジュネーヴ国際コンクール(ピアノ部門)で,日本人として初めて優勝しました.

会場は満席です.見渡す限り老若男女を問わない聴衆ですが,一般のコンサートに比べて若い人が多いように見受けました この辺にも,萩原麻未の魅力の一端が垣間見られるような気がします.自席は1階19列3番,最後列から2番目の左よりです.欲を言えばもっと前の席を取りたかったのですが,人気のピアニストのいい席はすぐに売れてしまいます

さて,満員の観客の見守る中,ソリストが深紅のドレスで登場です.9月27日のジョイント・リサイタルの時と同じように,ニコニコして,緊張している様子がまったくありません.度胸が据わっているというのでしょうか 1986年生まれといいますから24~25歳ですが,まだ,子供子供した顔立ちで,幼ささえ感じます

1曲目のハイドンの「ピアノ・ソナタ ニ長調」が始まります.この曲は1783年~84年に出版された3曲セットのソナタ集の中の1曲です.明るい基調の曲で,萩原は軽快に演奏します 2曲目の「5つの変奏曲」は,べリオ初期の1952年~53年にかけて書かれた曲です.現代曲の典型みたいな曲で,すごく演奏が難しそうなのですが,萩原は緩急自在に演奏します 相当のテクニックがなければ弾けないでしょう.完璧です

3曲目のラフマニノフ「コレルリの主題による変奏曲」は,作曲者がフランス滞在中の1931年夏に完成された曲です.ロシア的なメロディーと技巧的なピアニズムに溢れた曲で,萩原は情感豊かにラフマニノフの世界を再現します

休憩後の最初はシューマンの「アラベスク」です.この曲は1838年から翌年にかけてウィーンで作曲された小品です.萩原は,この曲の明るく軽妙な感じを肩の力を抜いて表現していました

最後の曲はシューマンの「謝肉祭」です.1834年から翌年にかけて作曲されました.謝肉祭における仮面舞踏会の情景に結びつけられた小品を連ねた作品です.萩原は,ほとんど頭や身体を必要以上に動かそうとはせずに,自然体で演奏しますが,時に腰を浮かせて上からピアノを叩きつけて,この曲の真髄を掘り起こします

会場いっぱいの拍手に応えて,アンコールにショパンの曲を演奏しました.この曲を聴いて席を立った人がいました.「もったいない,もう1曲くらいアンコールしてくれそうなのに」と思ったのですが,終演後ロビーの「本日のアンコール曲」の案内に「ショパン:告別のワルツ」とあるのを見て,この曲を聴いて帰るべきだったな,と反省しました 彼女はアンコール曲に「これで最後」というメッセージを込めたのに,われわれ聴衆がそれに気がつかなかったのです.結局,彼女はもう1曲ショパンの「黒鍵のエチュード」を弾いてくれましたが,あれだけのプログラムをこなした後に,アンコールを2曲も求めるのは酷だったかな,と自戒しました.「黒鍵」の後に,さらにアンコールを求めたらリスナーの「コケン」にかかわるでしょうね

萩原麻未という人は,抜群のテクニックを持っていながら,実にアッケラカンとしていて,難なく難曲を弾いてしまうところがあります 女性ピアニストの中には,不自然に身体を大きく動かしたり,髪の毛を掻き揚げたりして”ええかっこしい”の人が少なくありませんが,萩原麻未は必要以上に頭や身体を動かさず,無理のない姿勢で,しかし,ピアノで語るべきところは語り尽くすことが出来る,数少ないピアニストです.これからも彼女のコンサートは追っかけて聴きに行こうと思っています

 

         

 

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モーツアルト「ドン・ジョバンニ」のドン・オッターヴィオは政治家志望か?

2011年11月17日 06時49分40秒 | 日記

17日(木).昨日は今度の日曜日(20日)の過ごし方をどうするかで悩みました ひとつは午前10時から新宿ピカデリーでMETオペラライブビューイングのモーツアルト「ドン・ジョバンニ」を観ること,もう一つは午後4時から紀尾井ホールで「バロックダンスと音楽のスペクタクル=ヴェルサイユ~現代」を観ることです.後者は古楽器の演奏をバックにモーツアルト作曲パントマイム「パンタローネとコロンビーネ」K.446などに振付をしてダンスを踊るという企画です.バッハ・コレギウム・ジャパンの弦楽器の主要メンバーも参加します

時間的には両方をハシゴして観るという選択肢もありますが,2つ合わせると6時間くらい座って観ることになります.腰への負担が大きすぎるので,一つに絞ることにしました 結論としては大好きな「ドン・ジョバンニ」を観ることにしました.さっそく仕事帰りに新宿ピカデリーに行って指定席を取りました.(本当は”何も観ないで家で身体を休める”という選択肢があって,それを優先しなければならないのですが,できないのですね.これが

「ドン・ジョバンニ」といえば,いま石戸谷結子さんの「マエストロに乾杯」(2004年発行)という本を読んでいるのですが,フランシスコ・アライサという往年のリリック・テナーへのインタビューの中で面白いやり取りがあります

ムーティー指揮のスカラ座でのライブ盤「ドン・ジョバンニ」でアライサがドン・オッターヴィオを歌っていたこと関して,石戸谷さんがインタビューした時に,アライサは「ドン・オッターヴィオは,ある意味でドン・ジョバンニに対抗できる人物なんです 政治家になりたいと努力している人です.だからドンナ・アンナに対する関心もその手段なんです.彼女を愛してはいるけれどもね.アンナがドン・ジョバンニと関係がある,というようなことを言っても,驚きはするけれど,そのままアンナの恋人である方が政治的に有利であると,そう思っている だから,アンナが,1年待ってくれといっても,いいですよ,1年待ちましょう,と」と答えています.

それに対し石戸谷さんは「なーるほど.どうも,あの1年というのが,理解できなかったんですが,なるほどそう言われてみれば」と,しきりに関心しています.

私はモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」についてはLPやらCDやらの解説などをいろいろ読んできましたが,アライサのような考えに接したのは初めてです.正直言って,果たして彼の言うことに根拠があるのかどうか疑問です ただ,あまりにも説得力がある説なので石戸谷さんのように「なるほどそうか・・・・」と感心してしまいますが

日曜日のMETオペラライブビューイングの「ドン・ジョバンニ」ではドン・オッターヴィオはどういう役作りがされるのか,演出を観る楽しみが増えました

 

       

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「ドナルド・キーン先生日本人となる」を観る~記者クラブ映写会

2011年11月16日 06時37分10秒 | 日記

16日(水)。昨夕、記者クラブの主催で「ドナルド・キーン先生日本人となる~その半生に込められた日本への想い」の映写会がありました これはBS-TBSで10月に放映されたもので、日本永住を決めたドナルド・キーン氏の半生を描いたドキュメンタリーです。2部構成になっていて,後半は芥川賞作家・平野啓一郎との対談です.今年1月から制作が始められ、その過程で「3.11大震災」が発生、キーン氏が日本人になる決心をするという巡り合わせがあったようです

キーン氏は1922年ニューヨーク生まれ。学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱きました。戦後、ケンブリッジ大、コロンビア大、京都大で日本文学を学びました。今年4月,コロンビア大学名誉教授を退官し,9月1日,日本に帰国,永住を始めました

上映前に、プロデューサーの塩澤喜代彦氏から「10月にBS-TBSで放映して以降,再放送や上映会の要望がありましたが,同じ局で12月30日の9時から2時間の再放送が決まりました.是非,ジャーナリストの皆さん,とくにラ・テ欄担当者の皆さんに広めていただき,多くの日本人に観ていただきたいと思います」とあいさつがありました

次いで,ドナルド・キーン氏から「これまで,テレビ番組でいろいろインタビューなどを受けてきましたが,2時間収録して,放送はたったの3分ということが多かったので,今回の撮影もそんなものかと思っていました().しかし今回はそのまま放送されることになりました.テレビ制作上の都合で,立ち位置を指定されたりして,なぜなのかと疑問に思ったりしましたが,後で出来上がった番組を観てなるほどと納得できました.初めてテレビ芸術を理解した思いがしました.私は今年89歳になりました この番組には現在までの自分のすべてが描かれています.制作者の塩澤さんに感謝します」とあいさつがありました.

第1部は,ドナルド・キーンのアメリカ時代から来日以降の半生を描いたドキュメンタリーです.会場が暗いのでメモが取れなかったのが残念でしたが,いくつか断片的に印象に残ったことを書いてみます

太平洋戦争でアメリカの捕虜になった日本人が,後に日記を書いていて,その中に「コーン(キーンのこと)が,ある日蓄音機をもってきて,SP盤の歌謡曲やベートーヴェンの交響曲第3番”英雄”をかけて聞かせてくれた なぜ,”英雄”を聞かせたのか?アメリカの自由を知らしめようとしたのか,ほかに意図があったのか,わからない」という記述がありました.これについて,キーン氏は「思想を押し付けようとか,そういった意図はまったくありませんでした.純粋に,いっしょに音楽を聴きたかっただけです.今でも音楽といえばベートーヴェンの英雄が頭に浮かびます」と述べています.その時,映像に写し出されていたのはイタリア出身の指揮者アルトゥール・トスカニーニのレコード・ジャケットでした.実際にキーン氏が聴いていたレコードかどうかの説明はありませんでしたが,あのころの代表的なレコードといえばアメリカのオーケストラ(NBS交響楽団)を振っていたトスカニーニ盤でしょう

キーン氏は日本人の書いた日記に興味を持っており,高見順の書いた日記の中に,震災のときの記述として「この人たちと共に生き,共に死にたい」というくだりがあって,今回の大震災を受けて,一層この言葉に共感し,そのように生きたいと思うようになったと述べています.その想いが日本永住という結論につながったようです

 

後半の平野啓一郎との対談で面白かったのは,松尾芭蕉の「奥のほそ道」に関する対話です.キーン氏は解説します

 

夏草や 兵どもが 夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

 

という岩手県平泉で詠んだ句について,日本の文学者たちはいろいろと解釈しますが,彼らが指摘していない点があります.それは「母韻の繰り返し」です.ローマ字で表記すると分かり易いです

 

natukusaya tuwamonodomoga yumenoato

 

つまり,「O」の母音が多い.「お」というのは悲しみを表します.

 

もう一つ例に挙げれば,山形県立石寺で詠んだ

 

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 (しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

 

sizukasaya iwanisimiiru seminokoe

 

これは「 i 」の母音が多い.

 

これらは声に出して初めてそのリズム感,良さがわかります

 

キーン氏の最初のあいさつこそ”アメリカ人の話す日本語”で若干分かりにくい点もありましたが,「日本人になる」という強い想いはよく伝わってきました.彼の言葉を聞いて,日本に生まれた正真正銘の日本人として,自分は果たした「源氏物語」や「徒然草」や「枕草子」など,日本の古典をどれほど真剣に勉強してきただろうか?と自問してしまいました.これを機会に日本の「古典」を読んでみようかな,と思いました

 

                        

                〔新潮社のパンフレットより〕

 

 

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奥田英朗「オリンピックの身代金(上・下巻)」を読む

2011年11月15日 06時34分43秒 | 日記

15日(火).昨夕はテナントFのHさんと,わが社のE部長とで地下Kで飲みました もちろん仕事上の情報交換ですが,いつもOやRばかりで飲んでいるので,たまにはKで飲もう,ということになりました.E部長はこの日インフルエンザの予防注射を打ったばかりで,クリニックの先生から「当分お酒は”あまり”飲まないように」と言われたと言っていましたが,うそでしょう.先生が”あまり飲まないように”とは言わないはずで”飲んではいけません”と言ったはずです.にもかかわらず飲んでいる訳で,気の弱い私には止められません 2時間くらい飲んでHさんと別れて帰ろうとすると,いつも飲んでいるRのWさんに呼び止められ,結局2次会になってしまいました.そんな訳で,今朝も頭痛です.月曜日から飲んだ週は1週間が長くて辛いです身体中痛いし・・・・・自業自得

さて,ここでクイズです.インフルエンザの注射を打ってはいけない”腕のある部分”があります.それはどこでしょうか?・・・・・・・・・・・答えは「ひじ」です.その理由は・・・・・・・・・・・「曲がり角はちゅうしゃ禁止」なんちゃって・・・・・・山田くーん,座布団・・・・・やっぱ,いらないや

 閑話休題 

最近読んだ本から紹介します.奥田英朗著「オリンピックの身代金(上・下巻)」を読みました 著者の奥田英朗は1959年生まれ.1997年に「ウランバーナの森」で作家デビュー,2002年「邪悪」で大藪春彦賞,04年「空中ブランコ」で直木賞,07年「家日和」で柴田錬三郎賞,そして09年にこの「オリピックの身代金」で吉川英治文学賞を受賞しています.ほかにも「最悪」「イン・ザ・プール」「サウスバウンド」「ガール」などの著作があります

東京オリンピックは昭和39年に開かれました.スポーツの祭典であり,日本が戦後から立ち直り,高度成長を果たすことを世界に印象付ける国家的イベントでした.「オリンピックの身代金」は,東京オリンピックを目立たぬところで支えた地方からの出稼ぎ労働者たちの苦労を背景に,拡大する格差に歯止めをかけようと国家に挑戦しようとする東大生の物語です

秋田県の貧しい農家の生まれではあるが,わけあって東大経済学部の大学院に在籍する島崎国男は,オリンピックのための工事現場で死んだ兄の真の原因を突き止めるべく,兄が働いていた現場に行き肉体労働に従事します.そこで,大企業の下請けの下請けという社会の底辺で働く肉体労働者の厳しい現実を目の当たりにして,現状を打破しなければならない,と決心します 国家を転覆することができなくても,国家に一泡吹かせることはできるだろうと,「8000万円を渡さなければダイナマイトでオリンピック会場を爆発させる」と警察を脅します.そして旅の途中で知り合った同郷のスリ村田とともに10月10日にオリンピック会場に乗り込みます 

主人公の島崎国男は正当性はあるものの人を殺した犯罪者です.しかし,いつの間にか,島崎ガンバレ警察の検問を潜り抜けてダイナマイトを爆発させろと応援している自分がいます.奥田英朗の作品は「邪悪」も「最悪」も「イン・ザ・プール」他いろいろ読みましたが,どれもが,どこかトボケタ味がある,それでいて息もつかせぬ作品でした.それに比べてこの「オリンピックの身代金」は格差社会と正面から戦おうとする一人の真面目な青年の真摯な生き方を描いており,いままでとは若干作風が違うな,と思いました.とは言え,読み出したら止まらないエンターテイメント小説には違いありません 余談ですが,同じ直木賞作家の向田邦子は,確かこのオリンピックの開会式の10月10日に家を出たのでしたね

ところで,ほぼ同世代が昔を振り返る話になった時,必ず話題になるのが「東京オリンピックの時にどこで何をしていたか?」ということです.私は埼玉県狭山市の公立中学の2年生でした.オリンピックを迎えるために,東京を中心に高速道路が整備され,数々の競技場がオープンし,新幹線が開通しました.教室にはオリンピックの5輪マークや陸上選手のスタート場面のポスターが飾られ,学校でも家でも話題はオリンピックだらけでした.陸上部で短距離を走っていたので,興味はロバート・ヘイズの100メートル走でした.ヘイズが10秒の壁を破ることに挑戦していたときに,こちらは12秒の壁に挑戦していました.当時の記録は100メートル12秒3で,200メートル26秒0でした

オリンピックの次の年だったか,隣の家のKさんが「娘が京都に修学旅行に行ったんだけど,向こうで熱を出してしまって,これから新幹線で迎えに行くんですよ」と悲しいような,嬉しいような顔で言っていたのが忘れられません

「オリンピックの身代金」はそんな昔のことを思い出させてくれる材料があちこちに散りばめられています

 

          

 

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モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」を観る~寺神戸亮指揮レ・ボレアード公演

2011年11月14日 06時26分30秒 | 日記

14日(月).昨日,北とぴあ・さくらホールで寺神戸亮指揮レ・ボレアードによるモーツアルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」を観てきました北トピアは北区の施設で,JR王子駅のすぐ近くにあり,巣鴨の自宅からは都電を利用してドア・トゥー・ドアで25分弱です.自宅から一番近いコンサートホールかもしれません 何年か前に一度何かのコンサートを聴いたことがあります.第9だったかも 自席は1階M列30番で,前から13列目のやや右サイドの通路側,会場はほぼ満席です

レ・ボレアードは北とぴあ国際音楽祭から生まれた古楽オーケストラです.リーダーの寺神戸亮はバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)がマタイ受難曲など大曲を演奏するときにコンサートマスターを務めています.古楽ヴァイオリンの第1人者といってもいい存在です その関係もあってかB.C.Jで活躍しているオーボエの三宮正満,フルートの前田りり子等も参加しています.今回公演のコンサートマスターは,イギリスのジ・エイジ・オブ・エンライトゥメント管弦楽団等の古楽オーケストラでコンサートマスターを務めてきたエリザベス・ウォルフィッシュです

キャストはドラベッラ=ロベルタ・マメリ,フィオルディリージ=森麻季,フェルランド=櫻田亮,グリエルモ=大山大輔,デスピーナ=高橋薫子,ドン・アルフォンソ=フルヴィオ・ベッティーニという面々で,合唱は北区民混声合唱団(女性20人,男性9人)です.今回の公演はコンサート形式で催されました.歌手はオーケストラの手前,指揮者の横で譜面を見ながら歌います

オペラの第1関門は序曲です.寺神戸のタクトが振り下ろされて軽快な序曲が始まります.古楽器特有のくすんだような音,モーツアルトのテンポ.この序曲を聴いて,この公演の成功を確信しました

第1幕が始まり,ドン・アルフォンソ対グリエルモ+フェルランドの”賭け”の重唱が歌われ,フィオルディリージとドラベッラが加わって四重唱になったところで,指揮者の寺神戸が指揮棒を落としてしまいました グリエルモ役の大山大輔が,それに気がついて,歌って演技しながら拾い上げ,寺神戸に手渡しました.これには舞台上の歌手陣も観客も目には見えない拍手を送りました コンサート形式とは言え,歌手陣は分厚い譜面を持って右に左に動き回らなければならないので大変です.

歌手陣は男性も女性も申し分ない素晴らしさです.森麻季は澄みきったきれいなソプラノで聴衆を魅了しました マメリはちょっぴり浮気な妹役を好演していました.大山はよく通るバリトンで堂々と歌い,B.C.Jでもソリストとして歌っている櫻田は絶好調のテノールを聴かせましたベッティーニは,”賭けの仕掛け人”ドン・アルフォンソを素晴らしい演技力とともに,いい声を聴かせてアピールしていましたまた,デスピーナ役の高橋薫子は,まじめな役柄が似合うと思っていましたが,今回のコケティッシュな役柄も自然に歌い,演じていて好感が持てました

アリアや重唱が終わるたびに,うしろの方の真ん中の席の男性が「ブラボー」「ブラビー」と叫んでいました.一人だけなのですごく目立ちました その時,頭をよぎったのはこのホールの名前でした(1行目).観客の拍手の大きさを聞けばそんな人は必要ないと思いますが

プログラムの曲目解説によると,このオペラは18世紀のオペラの中では珍しく,単独のアリア以上に重唱曲の方が多く,二重唱6,三重唱6,四重唱1,五重唱2,六重唱1で合計16になるといいます.重唱は,違う台詞を旋律に乗せて歌うことことによって,オペラならではの対話を可能にするといわれます.そうした意味で「コジ・ファン・トゥッテ」は「アンサンブル・オペラ」と評しても差し支えないといわれています.どれもがモーツアルトらしく,思わずいっしょに口ずさんでしまいそうなメロディーに溢れています

フィナーレの六重唱が終わるや否や会場は熱狂的な”ブラボー”との嵐となりました.モーツアルトの曲を聴いた時にいつも想うことは,作曲家としてのモーツアルトの素晴らしさを認識させてくれるかどうか,ということです.そういう意味で,今回の公演は”これぞモーツアルト”という素晴らしいパフォーマンスでした

 

〔写真左はコンサートのチラシ.右はロビーに掲示されていたリハーサル風景写真.左からロベルタ・マメリ,高橋薫子,森麻季〕

          

 

〔追伸〕

夕べ,野球好きの息子がテレビで「日本シリーズ=中日対ソフトバンク」第2戦を観ていました.得点は「中1:ソ1」となっていました.そこに娘がやって来て「中国とソ連で試合やってるの?」・・・・・・・・・・・・・今の世界のどこにソ連がありますか? 「中華:ソバ」に決まってますよねぇ,みなさん

 

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松本幸四郎主演「アマデウス」を観る~ル・テアトル銀座

2011年11月13日 07時07分16秒 | 日記

13日(日).昨日,ル・テアトル銀座でピーター・シェファー作,戯曲「アマデウス」を観ました 「アマデウス」は1979年にロンドンで初演され,映画化されると世界的な大ヒットになりました.日本初演は1982年で会場は池袋のサンシャイン劇場.この時,主演サリエーリに松本幸四郎,モーツアルトに江守徹,コンスタンツェに藤真利子というキャストでした.私はこの公演を観に行きました 30年近く前になりますが,初めて「アマデウス」を観たあの時の感激は今でも忘れられません.松本幸四郎も,江守徹も,藤真利子も若かったこちらも独身で若かった

松本幸四郎は初演以来,サリエーリを400回も演じ,今回のシーズンを第401回からスタートしたとのことです モーツアルトは武田真治,コンスタンツェは内山理名が演じます.会場はほぼ満員.中には和服姿のご夫人もチラホラ見受けられました.幸四郎ファンなのでしょう自席は13列9番で中央ブロックの通路側です.舞台は「傾斜舞台」のように見えました.観客から見やすいように奥が高く客席側が低くなるように傾斜している舞台です.新国立オペラでの舞台で同じような演出が多いように思います

舞台では2つの時間が同時進行していきます.老いたサリエーリがモーツアルト暗殺を告白する現在(1823年)と,その告白をたどって見せる回想の過去(1781~91年)です.

1823年,晩秋のウィーンで「モーツアルトの死はサリエーリの暗殺によるもの」という噂がささやかれていました.その噂の出所はサリエーリ自身であるといいます その時すでにモーツアルトの死後32年が経っていました.全身を覆うマントのような衣装を着た年老いたサリエーリが独白を始め,途中で服を脱ぎ捨てて若き日のサリエーリに転身するシーンは,演出の見せ場でしょう.1982年の日本初演のときには,このシーンで拍手が起きました.この日のお客さんはおとなしい人ばかりだったようです

1781年,宮廷作曲家の地位にあったサリエーリには,一つの不安がありました.それは弱冠25歳の作曲家モーツアルトの存在でした.音楽上の高い評判に対し,その日常は,フィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走る,行儀の悪い,軽薄な青年でした サリエーリはそのギャップに驚くとともに,なぜ,神はあんな軽薄な小僧に音楽の才能を与え,神のために身を尽くしている自分には才能を与えてくれないのか,と嘆きます

サリエーリが劇中で最初に接するモーツアルトの音楽は「十三管楽器のためのセレナード」の「アダージョ」です.何の変哲もないメロディーだと思っていると,オーボエのメロディーが天から降ってきます 次いでクラリネットが地上から湧き上がってきます これを聴いたサリエーリはモーツアルトの”天才”に気がつきます.ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの「アマデウス」は「神に愛されし者」という意味.神が音楽の使者として選んだのは宮廷楽長のサリエーリではなく,軽薄青年モーツアルトだった.これを境に,サリエーリは神に対する復讐を誓います

公演プログラムで松本幸四郎と指揮者・佐渡裕の対談が載っていますが,その中で佐渡が,このシーンで使われた”十三管楽器のためのセレナーデ”について触れ「素晴らしい選曲ですね.もっとポピュラーな曲がいっぱいあるのに,劇作家自身が選んだのか,音楽専門家の助言者がいたのかわかりませんが,モーツアルトの天才性をこの曲で表現しているところが,音楽家から見てすごいと思います・・・あの曲は変ホ長調.神々しさを感じる調性なんです」と語っています.専門的なことはわかりませんが,選曲のセンスの良さについてはまったく同感です

松本幸四郎は最初から最後までほとんど出ずっぱりで,正味2時間半を喋り通しです.どうしてそんなに集中力を持続することが出来るのか,不思議なくらいです.「ラマンチャの男」とともに,「アマデウス」がロングランを続けているのも頷けます 彼は演出もしています.

武田真治は,現代若者気質そのものといった感じの元気で軽薄なモーツアルトを演じていました.内山理名はオキャンなコンスタンツェを好演していました

プログラムの中で横浜国立大学准教授の小宮正安さんが「サリエーリVSモーツアルト?」という文章を書かれていますが,意外な事実が書かれていて驚きます.それは,1824年にベートーヴェンの第9交響曲が初演された時に,第4楽章の合唱に参加していたのが,サリエーリが指導する合唱団だったということです また,サリエーリとモーツアルトの本当の関係は,決して敵同士ではなく,むしろよき同業者としてお互いを認め合っていたことが,最近の研究では判明しているとのことです

初演から30年も経っているのに,今でも同じ主役で上演が続き,観るたびに新鮮な感動を覚える「アマデウス」.ル・テアトル銀座では11月25日午後1時半からが千秋楽です

 

       

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第一生命ホール10周年記念ガラ・コンサートに向けて予習開始

2011年11月12日 06時57分27秒 | 日記

12日(土).昨夕は,隣の隣に11月1日オープンした飯野ビル地下飲食街の視察に行きました メンバーはE部長,T君,K君と私の4人です.視察といっても,夕方5時半から6時頃にかけてのビル間の客の流れはどうかということを見るものです.こちらのビルの地下にもテナント飲食店が3店舗あるので,影響が気になるのです ”情勢分析”ということで,6時から当ビル9階のクラブ・レストランで「きりたんぽ鍋」を囲みました.詳細に渡る情勢分析のあと,地下Oに移動して,さらに情勢分析”その2”を,そして,同じくRに移って情勢分析”その3”を・・・・言い換えると,早い話が,世間話をしながらひたすら日本酒を飲んだ訳です.9時半過ぎまで いつものパターンです ”情勢分析”の内容は企業秘密なので書けません.「もったいぶって,それ程のことでもないだろう」 という声が複数あり. それにしても頭痛が・・・・・

 閑話休題 

昨日のブログで11年11月11日の「1」並びについて書きましたが,今日の朝日朝刊に,昨日横浜で11.1度を記録したという記事が載っていました.記事に曰く「11年11月11日午前11時11分11.1度 @横浜」.雨のため一昨日と打って変わって急に気温が下がったとのことです

 閑話休題 

11月26日(土)に晴海の第一生命ホールで、同ホール10周年記念ガラ・コンサートが開かれます サブ・タイトルに「モーツアルトに寄せて」とあるとおり、オール・モーツアルト・プログラムです。チケットは入手してあるので、今日からぼちぼち予習を開始しようかと思います。第一生命ホールでコンサートを聴くのは今回が初めてです。コンサート当日は、ザルツブルク国際モーツアルテウム財団が所蔵する、モーツアルトの自筆譜(きらきら星変奏曲K.265、ピアノ・ソナタK.331等)が展示されるとのことで、こちらも楽しみです

プログラムは①「ああお母さん聞いてよ」による12の変奏曲K.265(きらきら星変奏曲):ピアノ=仲道郁代、②フルート四重奏曲第1番K.285:フルート=工藤重典、ヴァイオリン=堀米ゆず子、ヴィオラ=川崎和憲、チェロ=山崎伸子、③ピアノ・ソナタイ長調”トルコ行進曲付き”K.331:ピアノ=清水和音、④歌劇「後宮よりの誘拐」K.384よりアリア”どんな拷問が待ち受けていようと”:ソプラノ=佐藤美枝子、ピアノ=泉博子、⑤ヴァイオリンとピアノのためのソナタホ短調K.304:ヴァイオリン=矢部達哉、ピアノ=横山幸雄、⑥幻想曲二短調:ピアノ=児玉桃、⑦ヴァイオリンとピアノのためのソナタ変ロ長調K.378:ヴァイオリン=堀米ゆず子、ピアノ=児玉桃、⑧ピアノ三重奏曲ホ長調K.542:ピアノ=仲道郁代、ヴァイオリン=川久保賜紀、チェロ=長谷川陽子です 見たとおり出演アーティストは錚々たるメンバーです 演奏を楽しむのはもちろんのこと,初めてのホールの音響効果も体験してこようと思います

 

        

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2011年11月11日~今日は何の日?

2011年11月11日 06時53分26秒 | 日記

11日(金).今日は2011年11月11日です.昨日の日経夕刊に「”11年11月11日”記念切符 鉄道各社が発売」という記事が載っていました

記事によると~「1」が6つ並ぶ2011年11月11日を記念し全国の鉄道会社が競って特別な切符を売り出す.日付が刻印されるだけでなく,東日本大震災の被災地支援につなげたり,切符の形を「1」にしたりと工夫が凝らされ,鉄道マニアの注目も集めそうだ~というもの.近江鉄道,西武鉄道,伊豆急行,名古屋鉄道,近畿日本鉄道,JR九州などで,それぞれ独自の記念切手を発売するということです.値段や発行枚数も1110円だったり,2011セット限定だったりと,こだわっています

日本人って,いちいちいうのもなんですがいちいちいちいちが並ぶの好きですよね このブログで紹介した日経の広告企画「11月1日は本格焼酎・泡盛の日」もそうでしたが,同じ数字がいくつも並ぶと,勝手に「〇〇の日」と名付けたりもします.多分,今日の新聞各紙を見れば,「1」の6つ並びに便乗した商魂逞しい企画があちこちで見られるのではないかと思います.時間を持て余している人は読み比べて見てはいかがでしょうか 

さて,「数字」というと,私は車のナンバー・プレートを見ると反射的に計算する癖があります例えば「品川あ98-65」という車を見ると,98引く65は33というように計算してしまうのです.これが「品川あ65-98」だと,65引く98だから33の赤字ね,と,どこかのお店の売上と経費のような計算をしてしまうのです.これは元の職場で11年間経理の仕事をやっていた頃についた癖です.一種の職業病だと思います 計算に夢中になって,信号を無視しそうになることもあります こういう時は自分が恐くなりますが,それは計算外のことです

写真がないと淋しいので,娘が「シェルちゃん」と呼んでいる「シエルギエール」(ジャンガリアン/モルモット)の登場です.

         

 

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