人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

百田尚樹著「クラシックを読む3 天才が最後に見た世界」を読む ~ リヒャルト・シュトラウスを評価、マーラーを否定する理由は?

2021年11月25日 07時08分44秒 | 日記

25日(木)。「おばあちゃんの原宿、おじいちゃんの下北沢(?)」で有名な地元、巣鴨の地蔵通り商店街は毎月4のつく日(4日、14日、24日)が縁日です 昨日いつも通り、高岩寺(とげぬき地蔵)近くのコーヒー・チェーン店Tの2階で新聞を読みましたが、下を見下ろすと高齢者を中心にかなりの人が往来していました コロナ前の 顔の踏み場もない、もとい、足の踏み場もない混雑まではいかないまでも、密に近い状況でした 商店街には「ベビーカステラ」「こんにゃく玉」「お好み焼き」「落花生」「500円均一シャツ」「コンピュータ手相占い」など種々雑多な露店が所せましと出店し、呼び込みをしていました コロナ前と違うのは、行きかう人々の全員がマスクをしていることです コロナ感染が再拡大しロックダウンをしたりしている欧米諸国と異なり、日本は感染者が減少の一途にあるのは、緊急事態宣言が解除された後も、多くの人がマスクを着用して外出していることが大きな要因になっているような気がします

ということで、わが家に来てから今日で2511日目を迎え、政府は24日の閣議で国家公務員のボーナスについて、人事院の勧告通り、支給額を0.15か月分引き下げることにしたが、引き下げが民間の給与にも悪影響を与えかねないとし、適用は来年6月の夏のボーナスまで先送りする異例の対応をとった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     民間企業に配慮するのは分かる一方 これで優秀な人材が国家公務員を志望するか?

 

         

 

昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」「生野菜サラダ」を作りました ハッシュドビーフは牛バラ肉を使っていますが、安くて美味しいです

 

     

     

         

 

百田尚樹著「クラシックを読む3 天才が最後に見た世界」(祥伝社新書)を読み終わりました 百田尚樹は1956年、大阪市生まれ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛ける。2006年に「永遠の0」で作家デビュー 2013年に「海賊と呼ばれた男」で第10回本屋大賞を受賞しました

 

     

 

本書は「クラシックを読む」シリーズ3部作(「1 愛・狂気・エロス」、「2 生きる喜び」、「3 天才が最後に見た世界」)の1冊です 3冊同時に発売されましたが、私は書店で「目次」を立ち読みして一番面白そうな「シリーズ3」を選びました 本書を読むまで著者がクラシック通であることをまったく知りませんでした

本書は次の3章から構成され、それぞれの作曲家の代表的な名曲を紹介しています

第1章「光り輝く才能」・・・モーツアルト「交響曲第25番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番」「交響曲第7番」、ヘンデル「水上の音楽」、R.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」、シューベルト「魔王」、ショパン「12の練習曲」

第2章「運命に抗う」・・・ベートーヴェン「交響曲第5番」、「ピアノ・ソナタ第8番」、シューベルト「弦楽四重奏曲第14番」、ヴァーグナー「ヴァルキューレ」、ブラームス「交響曲第1番」、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」、R.シュトラウス「英雄の生涯」、モーツアルト「ピアノ協奏曲第24番」

第3章「天才が最後に見た世界」・・・モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番」「レクイエム」、ブラームス「クラリネット五重奏曲」、チャイコフスキー「交響曲第6番」、シューベルト「ピアノ・ソナタ第19~21番」、スメタナ「モルダウ」、ドヴォルジャーク「交響曲第9番」、ベートーヴェン「後期弦楽四重奏曲」、バッハ「フーガの技法」、R.シュトラウス「4つの最後の歌」

上記の見出しを見るだけでもわかる通り、筆者の取り上げている作曲家には相当の偏りがあります 3つの章すべてに登場するのは、ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、そしてリヒャルト・シュトラウスの4人です 古典派から初期ロマン派にかけてのベートーヴェン、モーツアルト、シューベルトの3人については誰も文句のつけようがない選択だと思います しかし、個人的にひっかかるのはリヒャルト・シュトラウスです。なぜ筆者はリヒャルト・シュトラウスを高く評価するのか

筆者は「ツァラトゥストラはかく語りき」の解説の中で、次のように述べています

「シュトラウスは歌劇の舞台上にある杯を表現するのに、『金製か銀製かの違いまで音で描ける』と豪語したほど、自分の音楽表現に自信を持っていました 彼はあまりにも才能がありすぎた不幸を背負った男ではないだろうか。というのは、何でも表現できるので具体的な何かがないと逆に何も音にできないという欠点を持っていたのではないか 彼の作品に抽象的な交響曲や協奏曲や弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタといった曲がほとんどなく、多くが標題のある交響詩や、歌詞のある歌曲や、台本のあるオペラなのは、そのせいではないか

鋭い指摘だと思います 個人的には「英雄の生涯」や「家庭交響曲」に代表される彼の作品は極めて誇大妄想的で好きになれません 私がリヒャルト・シュトラウスの作品の中で唯一評価するのはオペラ「ばらの騎士」です すべての作曲家のオペラの中でベスト10に入れても良いくらい素晴らしい作品だと思います

一方、筆者は本書の中でR.シュトラウスと同時代に活躍したマーラーの作品は1曲も取り上げていません(シリーズ1,2も同様らしい)。これについて彼は、

「私はマーラーの交響曲は全曲聴いていますし、コンサート会場でも何度も聴いています 交響曲全集のCDは何組も持っています。マーラーに関する本は何冊も読みましたし、妻アルマの自伝も読んでいます

と書いたうえで、次のように述べています

「私はマーラーの交響曲にはあまり惹かれません(歌曲は別です)。交響曲第1番と交響曲第2番以外はどれも退屈な曲に感じます マーラーの曲には構成力の欠如が見られるように思います。それと統一感のなさを感じます。まるで美意識で作られた曲を繋ぎ合わせたように聴こえるのです 乱暴な譬えをすると、1枚のキャンバスに水墨画と水彩画が描かれた絵のように見えるのです。部分的には美しい音楽がいくつもあるのですが、全体として聴くと、凄くアンバランスな曲に聴こえるのです

マーラー・ファンの一人としては反論したくなりますが、筆者は「聴かないで感想を述べているのではなく、聴いたうえで書いている」ので「惹かれない」というのは仕方のないことだと思います 私がリヒャルト・シュトラウスの作品に惹かれないのと同じことです

本書にはこれまで知らなかったトリビア的な情報も紹介されています 筆者はドヴォルジャーク「交響曲第9番『新世界より』」の中で、次のように解説しています

「ドヴォルジャークは51歳の時アメリカに招かれて、2年の契約でニューヨークのナショナル音楽院の院長に就任します 当時、ドヴォルジャークはプラハ音楽院の教授に就任したばかりで、オファーを受けた時は生まれ故郷を2年間も離れることに躊躇しましたが、ナショナル音楽院の創設者ジャネット・サーバー夫人の熱心な要請を受け入れて渡米しました ちなみに年俸はプラハ音楽院の25倍でした

当時の貨幣価値がどんな状態だったか分かりませんが、現代の日本に置き換えて考えてみると、例えば年俸が500万円だとすれば25倍は1億2500万円です これは行くでしょう 大好きな蒸気機関車も現地で見られるとなれば、願ったり叶ったりではないかと思います

本書は、プロの音楽評論家ではなく、ひとりのクラシック音楽愛好家が書いているということで、非常に読みやすい文章になっています それぞれの作品解説の後には筆者の推薦するCDが紹介されています 全般的に一時代前の いわゆる「名盤」的なCDが多いようですが、それだけにクラシック初心者には安心して推薦できるCDが揃っています


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