6日(月)。わが家に来てから180日目を迎え、独り言をつぶやいているモコタロです
tora家に来てから半年も経つのかァ ゴハンさえあればいいや
閑話休題
昨日、上野の東京文化会館小ホールで東京春祭マラソン・コンサート「古典派~楽都ウィーンの音楽家たち~音楽興行師ザロモンと作曲家ーハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン」の第Ⅱ部「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」と第Ⅲ部「ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト」を聴きました
午後1時からの第Ⅱ部のプログラムは①ハイドン「ピアノ三重奏曲第25番『ジプシー・ロンド』」、②ヘンデル「オラトリオ”メサイア”」より「シオンの娘よ、大いに喜べ」、③ハイドン「オラトリオ”天地創造”」より「今や野はさわやかな緑を」、④ハイドン(ザロモン編)「交響曲第96番~第2楽章」、⑤プレイエル「ピアノ三重奏曲」です。出演はヴァイオリン=松山冴花、チェロ=門脇大樹、ピアノ=津田裕也、湯浅加奈子、ソプラノ=佐竹由美です
自席はG列20番、センターブロック左通路側です。会場は前方左右と後方がスカスカです。半分も入っていないでしょう。寂しいです ヴァイオリンの松山冴花、チェロの門脇大樹、ピアノの津田裕也が登場します。松山冴花の演奏は何度か聴いていますが、彼女の演奏は好きです 津田裕也は最近、松山とコンビを組んでデュオの演奏会を開いています。共に仙台国際音楽コンクールの優勝者であるという縁があるからでしょう。門脇大樹は神奈川フィルの首席チェリストです
1曲目のハイドン「ピアノ三重奏曲第25番」はハイドンが2度目のロンドン滞在中の1795年に作曲した3曲のピアノ三重奏曲の2番目の作品です ハイドンはハンガリー領の生まれであることから、ロマ(ジプシー)の音楽も手掛けていますが、この曲の第3楽章にも取り入れています。そのため「ジプシーロンド」というニックネームが付いています
この曲は3つの楽章から成りますが、ハイドンらしい明るく軽快な曲です 松山冴花のヴァイオリンが冴えています。門脇大樹のチェロも明るく響きます。津田裕也のピアノも弾んでいます
ここでヨーロッパ文化史研究家で横浜国立大学教育人間科学部准教授の小宮正安氏が登場、この日のマラソン・コンサートの趣旨を説明します
「ドイツ語圏で育ちヴァイオリニストとして活躍したザロモンは1781年にロンドンに渡り、音楽興行師としても活動を開始します。彼は自ら主催する音楽会(ザロモン・コンサート)に、ウィーンを代表する音楽家ハイドンをヘッドハンティングします その結果、ハイドンは1791年~92年と94年~95年の2度にわたりロンドンで成功を収めました。その地でヘンデルの影響を受け、オラトリオを作曲しています」
2曲目はハイドンに影響を与えたヘンデルのオラトリオ「メサイア」の第1部で歌われる「シオンの娘よ、大いに喜べ」です。ソプラノの佐竹由美とピアノの湯浅加奈子が登場し、イエスの降臨を讃える歌を高らかに歌い上げます
3曲目はハイドンのオラトリオ「天地創造」の第1部で歌われる「今や野はさわやかな緑を」です。佐竹、湯浅のコンビで歌われます
4曲目はハイドンの「交響曲第96番”奇跡”」をザロモンが室内楽用に編曲した版の第2楽章です。小宮氏の説明によると、この第2楽章ではヴァイオリン独奏が活躍するが、これはザロモン自身が初演の際にコンサートマスターを務め、独奏を披露したことに由来しているとのこと 松山、門脇、津田のトリオにより演奏されました。ここでも松山のヴァイオリンが冴えていました
ここでまた、小宮氏の解説があります
「現代のコンサートでは、楽員が入ってきて、その後コンサートマスターが登場した時に拍手が起こりますが、その習慣を始めたのがザロモンだったのです 彼は自分がコンサートマスターだったことから、自分が脚光を浴びるためにそういう習慣を始めたのでした 次の曲はプレイエルの曲ですが、今でこそ彼の名は『プレイエル・ピアノ』のピアノ創業者として残っている訳ですが、当初はハイドンに師事した作曲家だったのです 次に演奏されるピアノ三重奏曲はプレイエルが作曲した『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』に、ハイドンがチェロのパートを書き足して、自分の三重奏曲とともにロンドンに送って出版した経緯から、長い間ハイドンの作品と思われてきました。その後、プレイエルの作曲によるものと判明しました」
プレイエルの「ピアノ三重奏曲へ長調」から第1楽章が同じメンバーによって演奏されます。聴いている限り、ハイドンと言われればそのように聴こえます。素晴らしいアンサンブルでした
午後3時からの第Ⅲ部のプログラムは①モーツアルト「歌劇”魔笛”~なんと魔法の音は強いことか」、②同「結社員の旅K.467」、③クレメンティ「ピアノ・ソナチネ作品36」より第3番、④ザロモン「6つのカンツォネッタ」より「なぜうるんだ瞳が」と「愛しき乙女よ」、⑤サリエリ「室内小協奏曲ト長調、⑥モーツアルト/フンメル編「交響曲第40番ト短調K.550」です 出演はヴァイオリン=白井篤、猶井悠樹、ヴィオラ=中村翔太郎、チェロ=市寛也、フルート=神田寛明(以上N響のメンバー)、テノール=鈴木准、ピアノ=佐藤卓史、湯浅加奈子です
自席は第Ⅱ部と同じG列20番です。会場は第Ⅱ部より若干多くの聴衆が入っているようですが、半分にも達していません 小宮正安氏がこの回の趣旨を説明します
「興行師ザロモンは、ハイドンに続き、彼の後輩だったモーツアルトをロンドンへ招聘する計画を立てていました モーツアルトは子供の頃にロンドンに演奏旅行に行っていますが、この計画はモーツアルトの早すぎる死によって実現しませんでした しかし、ザロモンはモーツアルトの作品をロンドンの聴衆に積極的に紹介し、イギリスにおけるモーツアルト受容に大きな役割を果たしました」
1曲目はモーツアルトの歌劇「魔笛」からタミーノのアリア「なんと魔法の音は強いことか」です。湯浅加奈子のピアノ伴奏により、テノールの鈴木准が、まだ見ぬ恋人への想いを切々と歌い上げます
2曲目はモーツアルトの「結社員の旅」です。結社員というのはモーツアルトが所属していた友愛結社『フリーメーソン』のメンバーのことです。ハイドンもザロモンもフリーメーソンでした。歌劇「魔笛」の序曲の冒頭で鳴らされる3つの和音に象徴されるように、フリーメーソンは「3」がキーワードです。鈴木准は、新たな世界を築くべく前進する結社員を励ます歌を高らかに歌い上げます
3曲目はクレメンティの「6つのソナチネ」から第3番です。クレメンティはイタリア生まれで後半生はロンドンで活躍しましたが、彼はモーツアルトを評価していたのに対し、モーツアルトはクレメンティを酷評していたと言われています 「作曲やめてクレ 免停!」とでも言ったのでしょうか ソナチネ集は今でもピアノ学習用に用いられているテキストです
「ソナチネ第3番」は3つの楽章から成りますが、現在シューベルトの演奏で売出し中の佐藤卓史により、軽快に演奏されました
4曲目はザロモンの「6つのカンツォネッタ」から第1曲「なぜうるんだ瞳が」と第4曲「愛しき乙女よ」です。このカンツォネッタは1801年に出版された英語の歌曲集ですが、鈴木准が恋の切なさを歌い上げます
5曲目はサリエリの「室内小協奏曲」から第3楽章、第4楽章です。小宮正安氏の解説が入ります
「サリエリは映画『アマデウス』に描かれたような凡庸な人ではありませんでした。ウィーンの宮廷楽長にまで登りつめた実力者でした 主にオペラの分野で活躍しましたが、室内楽も作曲しました この『室内小協奏曲』はフルートと弦楽合奏のために書かれた作品ですが、サリエリが凡庸な作曲家だったかどうか、ご自分の耳で確かめてください」
フルート、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロの5人によって演奏されます。第3楽章は、とくにフルートの速いパッセージがいかにもサリエリらしい曲想だと思いましたが、第4楽章はどこが彼の特徴なのか分かりませんでした
最後はモーツアルトの「交響曲第40番ト短調K.550」をモーツアルトの弟子フンメルがフルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのために編曲した版によって演奏されます 1788年の作曲といいますから、まだモーツアルトは生きていたことになります(1791年没)。当時は著作権など無かったのでしたね。その当時は、人気のオーケストラ曲を室内楽用に編曲したものを愛好家が家庭で楽しむことが流行していたようで、フンメルはその流れに乗って編曲したのでした
フルートがメロディーを奏で、弦楽とピアノがバックを務めるというスタイルです 管弦楽によるト短調交響曲が宇宙だとすれば、このクァルテットによる室内楽版の演奏は小宇宙とでも呼ぶべきものでしょうか
という訳で、今年のマラソン・コンサートは終わりましたが、音楽興行師ザロモンが古典派の作曲家の音楽の普及に大きく貢献したことがよく分かりました
本当は午前11時からの第Ⅰ部「ベルリンVSウィーン」、第Ⅳ部「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」、第Ⅴ部「ウィーン&ロンドン」も含めて全プログラムを聴きたかったのですが、現在12日間連続コンサート(途中1日を除く)の真っ最中につき、身体を壊さないために2つの公演を厳選して聴きました
【追伸】5日付のtoraブログで4日のワーグナー「ワルキューレ」公演のコンサートマスターを「音楽コーチ=トーマス・ラウスマン」と書きましたが、krellさんからウィーン・フィルのコンマス、ライナー・キュッヒルさんが客員していたとのご指摘を受けました。あらためてkrellさんにお礼を申し上げるとともに、お詫びのうえ訂正させていただきます