東北地方も梅雨が明けたとのことで、北海道を除いてすべて梅雨明けとなったようですね。関東地方は昨夜は熱帯夜で寝苦しかったです。で、その北海道のINOBOOさんから、以前にリペイントをしたPEN-Wが帰っています。ファインダーだけは、そのままとしたのですが、やはり、ハゲが気になるとのことです。う~ん、暑い時に塗装は辛いですが、なんとかやりました。焼付塗装のため、内部のレンズ関係はすべて取り除いてからの塗装となります。長期に腐食がありましたので、ダイカスト本体角にはピンホール状に表面が荒れています。それらを研磨と塗装を繰り返して消して行きます。あ~暑かった。これからは再組立になります。
そこで、ファインダーだけの塗装では半端なので、手持ちのセイコー・スーパーの文字盤を塗装することにしました。元々は、白塗装仕上げですが、劣化が激しく(ジャンクだからね)全面にピンホール腐食があります。インデックスは銀色と考えていましたので、まず真鍮の母材ニッケルメッキをしましたが、これが後に意味がなくなります。
焼付塗装のため、塗装後にシンナーで溶かしてインデックスを磨き出すということが不可能なのです。(カメラサイズなら可能ですが)そこで、焼付後に研磨剤で磨き出す手法を取りました。よって、下地のニッケルメッキは無くなっています。針を確認したところ、金めっき針でしたので、インデックスは金めっきとも思いましたが、面倒なので、真鍮の磨き出し後にクリアーコートをすることにします。クリアーの研磨を繰り返せば、ピンホールも目立たなくなるという寸法です。しかし、SEIKOとSは浮き出し文字ですが、本来ある「SUPER」の印刷文字は再現出来ません。今後の課題ですが、リダン屋さんじゃありませんからね。
今日の日中も気温が上がって暑かったですね。幸い、朝から体調は悪くは無かったので、外出は頑張れました。始まったばかりの夏ですが、この猛暑がどこまで続くのでしょう。PEN-Wのファインダーはレンズを接着して硬化待ちになっています。セイコー・スーパーの文字盤のインデックスは酸化防止のため、やはり金めっきをしておきました。画像ではあまり違いは分かりませんね。後はクリアーで保護塗装をする予定です。で、文字盤の目途が立つと機械を仕上げなくてはなりません。部品は洗浄済みですが、1955年製造とかなり古い個体で、しかも不動のジャンクでしたので、地板や歯車に錆が発生したりで、あまり状態は良くありません。果たして安定して作動してくれるのか? まぁ、スーパーなら部品はありますので、あまり心配はしていません。では、ゼンマイの入った香箱車から注油をして組み込んで行きます。
巻上げ系や香箱真のネジ部の腐食などがあって、何点かの部品は交換しなければならない状態でした。しかし、17石の機械なので、この個体をベースに組んでいます。テンプを取り付けると、振れ角も大きく、大変調子が良いですね。しかし、この後に落とし穴が待っていたのでした。
PEN-Wですが、ファインダーのレンズを接着してあります。ここで、作業は終了と思ったのですが、シャッターの調子がちょっと気になります。そこで、シャッターもO/Hをしておきました。
PEN-Wは完成しています。セイコー・スーパーですが、あまりに調子が良いので、勢いでゼンマイを最後まで巻上げたところ・・・「バチッ」いつ聞いてもイヤな音です。ゼンマイが切れてしまいました。画像は、過去に切れたゼンマイ。当時のゼンマイは鋼製で、長期に時間が経過したゼンマイですから、注意をしないと(しても)金属疲労で切れやすいのです。あ~、どなたかスーパー用のゼンマイ分けて頂けないでしょうか?
今日も暑い一日でしたね。扇風機だけでは限界に来ています。セイコー・スーパーはゼンマイを交換して仮組みの状態にしてみました。文字盤はHondaのデガールを貼るかも知れませんのでクリアーは吹いていません。秒針は茶の塗装針でしたので、剥離をするとステンレス針で、長短針とは合いませんが、まぁ、仮ということで。巻芯とリューズが欠品していますので、こちらも仮です。手持ちのベルトを添えてみると・・意外に雰囲気がありますよね。古いオメガのよう。(言い過ぎ)
で、最近は体調のこともあって、夜中はラジオを点けて寝ているのですが、民放は若手芸人のくだらない放送の垂れ流しのため、NHKのラジオ深夜便を聞いてます。深夜にはやっとまともな番組がありました。昨夜は中継の音に起こされましたら、ロンドンオリンピックの開会式だったのですね。高い放送権料を支払っている関係か、マスコミは盛り上げに必死です。テレビでも少し見ましたが、いつの時代からか、開会式のスタジアムが劇場と化したのでしょう? 選手入場もだらだらと歩いてくるだけ。私たち「東京オリンピック」知っている世代には当時の感動的な入場行進が懐かしいです。確かに参加国数は当時は93カ国と地域でしたが、今回は204カ国と倍以上に増えています。当時は植民地であった地域が独立したことや、選手を派遣する財政的な余裕が出てきたことが要因でしょうから、それだけの選手が入場行進するだけでも多くの時間が必要になるのでしょう。東京大会でも閉会式は各国選手が入り混じって行進して来ましたが、これは本来は開会式と同じ予定が、選手たちのハプニングにより、あのようになったと聞いています。戦い終わった選手たちが自発的に取った行動はそれはそれで感動でした。私が気になるのは、水泳、体操など日本の有名選手が世代代わりをしていないことです。東京大会の時も水泳を始め女子80mハードルや体操もすでにピークを過ぎた選手により惨敗した記憶があります。スポーツでは、経験よりも若さが勝るのは時代が教えています。まぁ、日の丸を背負ってプレーする日本選手の健闘を祈りましょう。