あれから1年・・・瓦礫すらまだその姿をあらわにし、海岸沿いから家並みが消え去ったままで
何も始まらず、すべてが消え去った事だけは依然ととして被災地の景色であり続けている。
しきりにテレビでは、3.11を間近にして、元気を取り戻した様子ばかりを映し出すけれども
それはたぶん、テレビに映して差し支えないところだけを切り取った映像に過ぎないことを想像する。
政治の空白と無力さは、そのまま行政の手を止めて、被災地のすべての人を救い出すことなど全くできてもいない。
奪われた多くの人の命とともに、まだ多くの人がその日から時計を止めたまま
もう一年にもなるのに、まだ一年にも足りない実感がより遠くなった未来の展望に、
震災直後にもまして、失望しているように思えてくる。
それはそのままこの国自体の憂鬱につながって、次世代へ未来をつなげずにうろたえている気がしてしまう。
3.11は大きな意味を持って、1年を迎えようとしています・・・
今更しみじみ思う事がある。学校という場所で、毎年毎年同じ事を黒板に機械的に書き綴ってきた教師の
教科書の棒読みを、きくともなしに・・・あるいは試験のためだけにうすらぼんやりと記憶に残る知識に・・・
地政学的に言えば地球の太平洋のプレートと大陸のプレートがぶつかり合って
せり出した地球の「しわ」のような所で、しかもそれ故にあちこちに火山が口を開いている場所がこの日本だと
教えられ、さらに現代史の中で、唯一の被爆国である事実を認識していながら・・・
それは実際はこの国に住むものとしての教訓などと意識もされずに、ただクイズの答えのように薄っぺらい知識の
一つぐらいに覚えてきたような話にされてきた。・・・
そのあげくに、結局逃げ場もない狭いこの国土に50基の原発をこしらえてきた現実は、「想定外」などという適当な言い訳で
ごまかしようのない想像力の欠如であって、取り返しようのない愚行であったことを思い知らされる。
この大津波で知ることになったとはいえ、少なくともこの国に核などと言うものをコントロールできうるものは、
誰一人としていない事実も改めて露呈した事を含めて、今更悔やんでも意味がないほど
我々は、何にも責任を持たずに、なにも考えようとしなかったことをも思い知る。
今原発をなくそうとしても、今ある原発の廃炉と、核廃棄物の処理には、福島第1原発跡地の処理の
数十倍のコストと手間もかかる事実もある。やめるにしても、「やめる」という前に
我々には我々の後の世代に引き継ぐべき膨大な責任が、原発事故の以前からあることを自覚して
誰もの無責任を反省して取り組むべきなのだと改めて思う。
誰かが作ってきたのだが、作らせてきた責任は誰にもあるのが、実は「事なかれ」で責任を曖昧にする
全体的主義の国民性のなれの果てでもあるのだから・・・
自分たちの子供たちに、原発の後始末と核廃棄物の処理を託し、その仕事を引き継がねばならないということを
自分だけのエゴを離れても伝える責任が少なくとも現世代にはある。
それは東北のおびただしい瓦礫を受け入れることを拒否する前に
その現状と十分な検証に対する知識もないままに過剰なまでの放射能に対する反応と
地域エゴだけでは物事を進められない現状にも重なり合う・・・
福島にあった原発は、東北の人たちが使っていたわけではない
あれほど危険なもののであればこそ、首都圏の人間はコストにだけ目をつぶり、ありあまる電力を使い尽くしてきたくせに
結局は、自分らが避難できうる場所に作り付けて、被災まで押しつけた今の事実を正視していない。
そして、平和に鈍感にあった我々は、ちょうど内戦に苦しむ国家のように
これから戦地に向かう兵士と同じ、ひょっとすればそれ以上に厳しい任務を背負わす人材を作らねばならないのだ。
これから先、どう生きて行くか、どう責任を果たすのか
何をすべきか、何を考えるべきかを問い続けて、ここを岐路に変えていかなければならない
ターニングポイントにありながら、結局今までの延長線上にただ過ごしてきた1年であったことも
自分を含めて、情けなくも思う。
そうしたことにまともに向き合うほどの思考も想像力もないことに
たとえば、一政治家の「勇ましい改革論」についつい寄りすがろうとするけれども
「維新」などという相当に古くさいセンスと旧来の日の丸信奉まで持ち出してはばからない姿勢には首をかしげる、
彼らが目指す社会の有り様は、多様な価値観に支えられた新しい地域社会にはとても想像ができない。
この大きな分岐点に立って、考えているにも思えず、本当の民意に支えられているかも怪しくて
彼は万能でもなく、彼の視野は全方向に向いてるほどの器量もない・・・
一人のカリスマを作り上げて、寄りかかるムードは危なっかしい・・・
この国に住み、この国に生きて、この国で子を育てていく覚悟とは
こうした「大震災」が必ずくるということを前提に考えていかねばならない。どこに暮らそうが何を仕事にしていようが
震災は必ず来ることを前提に、暮らしを立て、生き方を思わねばならない
明日に思いを積み残さない暮らし方は確かに厳しい。
それが一人一人に突きつけられたことを「東北の他人事」と済ますほどのんきに受け止めていては進めない。
我々が生きて行く上で、明日にも大地震が起こりうるという考えの上に成り立つ社会
それにつながりうる未来はどういう考えとどういうものかを考え出すこと、それでも前向きにいて
今をどう生きるかにつながっても行く。・・・それが無理なのだろうか
一人一人が心の中のともすそれぞれの「鎮魂のろうそく」に手を組んで、祈る日がやってくる。