東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

志は高く、姿勢は低く

2023年12月18日 23時46分37秒 | ラストイヤーにかける想い

平素よりお世話になっております。本年度、470級のチームリーダーを務めさせていただきます、新四年生の山本航平です。至らないところも多々あるかと思いますが、今年度も何卒よろしくお願いいたします。

 

 

まずは先日の出来事から。

私ごとで大変恐縮ですが、先日、葉山新港の建物の脇を歩いていたところ、コンクリートの段差に気が付かずに、サンダルから剥き出しになった親指を不意に打ち付け、親指を長さにして1.5cmほど爪もろともざっくり切ってしまう事故がありました。(僕は昔から歩くとき考えごとをしているのか、それとも宇宙から何かを受信しているのか、斜め上空を見ながら歩く癖があり、しばしば電柱にぶつかったり、段差につまずいたりします。去年、旧合宿所の坂を歩いて下っていると、右足を一メートルほど低い新合宿所側の道路に突っ込み大転倒しましたが、そのときは流石に自分自身にドン引きしました。)僕にとってはこのような事故はままあることなので、優しい仲間たちに手当をしてもらった後、毎度の如く痛みを隠してニヤリと、「俺は上しか見てねえからな、目標が高いんだから」などと嘯いてみました。すると、僕の相方こと澤田が真面目な面持ちで一言、「でも前を見て一歩一歩着実に歩かないと、目的地に着かないよ」。昨年度の470チームを思い出してハッとさせられました。さすが医者の卵。この考え方は、競技の上でも大いに妥当すること間違いなしです。

去年の470チームを思い出すと、目標は高いのに無計画、自己評価は高いのにレースでは走れない、レースの結果や内容はよくないのに無反省、といった具合でした。目線や志の高さにつられてチーム全体が浮き足だっており、上振れたときの実力を自分の実力と錯覚する肥大化した自意識によって、各選手の上達が妨げられていたように思われます。地に足をつけて計画を練ったり反省をふまえて計画を変更したりというプロセスが欠如していたと言っても同じことです。何もこれは去年の4年生たちだけに責任があると言いたいのではなく、チーム全体の問題であり、昨年度(準)幹部的な役回りを任されていた自分も薄々勘づいていたのだから指摘する責任があったのだと今になって思います。当時補欠艇だった僕は一選手として上達してレギュラーを取ることに意識が向き、そのような他のチームメイトやチーム全体のムードの欠点は確実に上達の妨げになると解っていましたが、指摘したところで反論を喰らって衝突するのは確実だったし、自分が上手くなればレギュラーを取れる状況だったので、それを他山の石として自戒するにとどめ、自分は自分のやるべきことに徹することにしました。結果はご覧の通りです。衝突を恐れてチームの問題点に気づいても指摘しなかったのは、当事者意識が欠けていたと反省するとともに、今年はチームの問題点に誰かが気がついたときに、それを汲み取って軌道修正できるようなチームにしなければならないと考えました。これは今年の470チームの目標の一つである「コミュニケーション、透明性」に本質的に関わってくる問題でもありますが、今年度は風通しの良いチーム運営を心がけます。

チーム作りについて、もう一つだけ。

先日の神田のブログにもあったように、「勝つために必要なこと」という概念は、結果論にすぎないという側面があります。ある代がその代で勝つことのみを至上目標にして、さしあたり勝利とは無関係に見えることを全て度外視したら、その代が引退したとき何が残るのでしょう。勝利を獲れば、好成績という最高のものをもって帰れます。これは、まさしく「最高」のことであり、競技者として絶対的に価値を置いて目指さなければならないものです。しかし、負けたら。要するに、真の意味での結果論になります。その過程で下の代を大きく切り捨てるようなことをしても勝てばもちろん官軍ですが、負ければ残るのは無様にも「反面教師」というレッテルくらいかもしれません。では何なら確実に残るのか。それは「文化」ではないでしょうか。文化について、「勝つために必要なこと」はわからなくても、「負けに近づくこと」や「勝者に相応しくないこと」なら僕たちにも少しはわかるはずです。これらを踏まえて、今年度の470チームの至上の目標は、「当たり前の基準を上げ続けること」としました。早稲田にせよどこにせよ、強いチームはとにかく当たり前の基準が高いと感じます。バースの整理整頓をとっても、整備状況をとっても、ハーバーでのホースの束ね方をとっても、出廷時間への意識をとっても、とにかく当たり前の基準が高いのです。早稲田が覇者たるのも、基準が上がり切った「当たり前」のなかに、覇者たることが染み付いてしまったがゆえのように見えます。反して東大や、その他の中堅校などは各所で当たり前の基準が低いことがに見受けられます。今の僕たちは、この大して高くもない自分たちの「当たり前」=文化を見直し、いいところは後世に残し、その上で真に強くなるためにどのようなことを習慣づけなければいけないのか吟味して、既存の基準を超越していくような良い「文化」を作り上げたいと考えています。東大ヨット部には幸せなことに、さまざまな方が技術指導のために関わりを持ってくださる機会がありますが、皆口を揃えて生活面の緩さを指摘してくださることからも、そのような基準の高まった「当たり前」の先にしか、最終的な勝利は見えてこないのではないでしょうか。ちなみに、今年の470チームの数値目標における絶対的な価値は「全日本総合入賞」、そのための数値目標は「全日本入賞」であることをここに宣言します。この無謀にも思える高い目標設定に対して、自分を含む各選手は浮き足だつことなく、されど卑屈になることもなく、練習計画や生活面からもちろん技術面に渡るまで総じて「当たり前」の基準を上げ続け、日々着実に良いチーム、総合で強いチームを目指して行きたいと考えています。地面に足がめり込むくらい地に足つけて、日々精進です。そして、僕の理想とするチームを作るにはチーム全員の力が必要だと思っています。皆んながいてこそのチームリーダーだと思うし、誰も取りこぼさないようなチームを作ろうと僕は決めたので、大変なことも多々あると思うけど、一緒にいいチーム、強い東大ヨット部を作っていきましょう。

 

ここまで長々書いてきた上で恐縮ですが、一選手としての意気込みも少し書かせていただきます。昨年度は一年間を通して同期の澤田とペアを組みました。他のスキッパーたちが目先のレギュラーを求めて4年生のクルーを選ぶ中、文字通り一切の文句を言わずに僕と乗ることに決めてくれた澤田には本当に感謝しかありません。澤田は本当にどんなことでも自分の責任において結果を捉える選手で、結果が出なくても自分の技術に向き合い船のせいにもクルーのせいにもしませんでした。二番艇を決めるフリートレースでも一切ライバルを気にせず自分のセーリングをしていた姿にはとても惹かれました。僕はどちらかというと競争相手が気になってしまう質でしたが、彼に触発されてクルーとしての自分の技術や判断に向き合えるようになりました。今年は澤田以外のスキッパーと乗ることが増えるでしょうが、誰と乗ったとしても、どの船に乗ったとしても、何が良くて何が悪かったのかを自分の責任において「考え抜く」ことを徹底します。「考え抜く」こととは「考え、(他艇を)抜く」ことなのかもしれません。(そういえば、昔4303に乗っていたときに、調さんに「遅いのを艇番のせいにして思考停止したら終わりだよ、新艇乗ってると思って振り返ってごらん」と言われたのを思い出したり。)

そして競技面以外について。ここまでたいそうなことをつらつらと書いて、「じゃあお前はそんなに立派な人間なのかい」と聞かれば、即答で「否」。普段の生活での当たり前の基準がここには書けないくらい低すぎて、主に私物管理能力や整理整頓能力などにおいて、僕の「左」に出る者はいないでしょう。指摘されても基本的にそれがどうして汚いのかすらなかなか理解できないわけですが、そのような自分の弱さとも向き合って、一競技者としてはもちろん、一人の人間としての成長にも繋げられればと思っているし、絶望的に苦手なお片付けを頑張る姿を通じてチームに良い影響を与えられればなお良いとも考えています。次いで僕に欠如している能力といえば、事務処理能力です。興味のない一見単純そうな雑務をとりあえず後回しにする癖があり、その結果は部室の没収、部活資格停止危機、七大学戦での西尾さん・中静への大量の仕事の横流しなど、この悪癖の弊害は見るに堪えないものがありました。仕事面に関しては確実に「迷惑系のトンデモ野郎」でした。この類の能力的欠如は治すのが難しいのですぐに大幅に改善できるとは思っていませんが、大事なのは気の持ちようです。「雑用は最上級生の仕事やでー」と言いながら文字通りの雑用をこなしていた崇さんや、その弟子筋で八景島で僕が壊した船を黙々と直してくれていた郁さん工藤さんたちの顔を思い出しながら、「自分にできる限りの雑用や手伝いがあったら率先して行う」心意気だけは絶対に忘れずに、一年間頑張りたいと思います。後輩諸氏も、ぜひ助けがほしいときは声かけてくださいな。機嫌良かったらプラスでなんか奢ってくれるかもよ。

最後に、部全体の目標について少しだけ。

部活動をするにあたって、ほとんどの瞬間は楽しくない、辛いことばかり、本当に楽しいのは勝つ瞬間だけ。確かにそれは一つの事実だと思います。でも、事実が真理とは限りません。もちろん、本気で勝利を目指すにあたって、強風時の練習であったり、着艇後のトレーニングであったり、寝付けないまま起床を迎えたときであったり、辛いことはあげればキリがないです。しかし、今、保護者やLB様、そして仲間たちの支えがあって、こうして部活に励めていることは何か奇跡に類することであって、この日常があと一年で僕の中からはなくなるのだと思うととても不思議な感覚になります。これを楽しまないわけにはいかないでしょう。別に烏合の衆的集団の楽しさを言っているのではなく、自分たちの可能性を切り開いていかんとする楽しさ、大学スポーツ特有と思われるこの刹那的な楽しさを噛み締めて引退したいのです。それに、言葉には口外しないことの美学があります。辛さは大勢の前でそれを表現した時点で「自分を可哀想に思う気持ち」の発露と堕してしまいます。歯を食いしばりながら皆んなで楽しくないことまで全てを楽しんで、最後に「良い四年間だった、楽しかった」と心底から笑って自らの部活生活に幕を閉じることが叶えば、僕たちはとびきりの幸せ者です。



2023年12月18日

銀杏の黄葉も禿げ、冷たい空気に包まれた本郷の某所にて

新四年 山本航平



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