東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

七大戦終了!

2023年07月23日 19時05分00秒 | 七大学戦
お世話になっております。

3年スナイプスキッパーの中静です。

大会後帰省し、おいしいものをたくさん食べたり、愛犬の成分を吸引したりすることでしっっかりと英気を養うことができました



さて、今回は七大学戦ブログということで大会運営をゆるく振り返っていきたいと思います。

準備は去年の暮れあたりからスタートしました。

実際に準備を進めるにあたって、2つの問題が顕になりました。

ひとつは、担当者である僕が、学連レースを含めレース運営経験が一切ないこと。
ふたつめは、七年前に東大が主管を務めたときの資料がほとんど残っていなかったこと。

この時点で投げ出したくなりました笑

レース運営でいえば澤田とかの方が適任なのではと本気で思っていました。

このような感じで何をすればいいかもぼんやりとしていて、モチベーションはほとんどゼロで西尾さんにメチャクチャ迷惑かけてしまいました。

スイッチが入ったのは約2ヶ月前の春イン後くらいです。このころから外部の人と多くやり取りするようになり、七大戦を成功させねばという責任感が芽生えました。

そこからは怒涛の2ヶ月でした。
ミーティングや外部との連絡、資料作成に明け暮れる日々でした。

ただ、僕がやったのは逆にこれくらいで、実際に大会が開催できたのは、本当に周りの人達のおかげです。

特に大会当日、自分はほとんど何もしていないです。
大会中の各フェーズで、それぞれの担当者が想定を超える働きをして、運営が進んでいました。



レース1日目の各自の動き。細かいですが、1年生を含めこれだけ各自が様々な役割を果たしました。ありがとうございました。




レース結果でいえば、スナイプ優勝の瞬間は死ぬほど嬉しかったです。インカレで勝ったらもっと嬉しいんだろうなと思いました。






個人戦とインカレはもう意外と近くに迫っているので、気を引き締めていきたいと思います。



最後に、この場をお借りし、関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。LBの皆さま、アンパイアの皆さま、七大学の方々、船を貸してくださった大学の方々、トラッキング関係者様、メディア関係者様、コーチ、監督、先生、そして、東大ヨット部のみんな。

自分には至らぬ点しかなかったかと思いますが、他にもたくさんの方々に支えられ、何とかここまでやってこれました。

多くの方とやり取りさせていただく中で、いかに自分達が周りに支えられて活動できているかということと、ヨット関係者はやっぱりあたたかい人が多いなあということを再認識できました。


まだまだ未熟者ですが、今後もあたたかい目で見守っていただけますと幸いです。


それでは失礼します。



中静勇輝





おひとりさま天国

2023年07月23日 17時05分33秒 | 七大学戦

平素よりお世話になっております。

SNIPEチームリーダーの大野です。

 

最近は暑すぎて大学に自転車で行く気も失せて電車で向かう毎日で、

ありきたりですけど七大戦も終わり、しっかり試験勉強に追われています。

そんな試験の片手間に七大戦を振り返らせて行こうと思います。

駄文ですが少々お付き合いくださいませ。




まずは七大戦お疲れ様でした!

今回は東京大学が主幹ということもあり、競技以前に運営面での準備が大変でした…

大会関係者の皆様にお力添えいただいたおかげで無事に終えることが出来ました。

この場を借りて改めてお礼申し上げたいと思います。

 

もはや大会に携わってくれた皆様がMVPなのですが、特に七大戦担当として約半年間、準備してきてくれた中静と山本には脱帽です。

2人は本当によくやってくれて、大会当日も選手として頑張ってくれました。

2人の力がなければ七大戦は上手くいかなかったと思います。

ありがとうございます。

 

その他運営面に関しては西尾が振り返っているのでそちらをご覧下さい。

 

私のブログの方では主に競技面について反省していきたいと思います。

 

結果としては東大SNIPEは優勝することができ、無事2連覇を達成できました。

京大の470優勝と総合優勝の陰でひっそりと東大SNIPEも優勝してるんです…。

 

え?なんでそんなに目立ってないかって?

おそらくそれほどまでに京都大学が七大戦ヨット競技において圧巻していたからでしょう。

 

今年の七大戦も去年に違わず、京大SNIPEにギリギリ競り勝った形になり、

盤石の優勝とは行きませんでした。

なんなら今年こそは大勝して総合優勝につなげようとか思ってたのですが、そんな甘くはなかったです…

 

思い返せば大会初日のレース艇抽選から悪い流れは始まってました。

なんともくじ運の悪い僕が引いたのは一番良い船と悪い船のペア。

2年連続で西尾が悪い船でレースに出ることに…

西尾くんから負のオーラをひしひしと傍らで感じながら初日は終えました…

 

迎えた大会2日目、つまりレース1日目。

風は東大SNIPEが比較的得意な強風域。

今日で優勝を決めないと。。。そんな心意気でした。

 

そんなこんなで第1、2レースをこなし、結果は2位の京大と11点差。

ずっと不機嫌だった西尾とのコンビネーションも良く、レースが始まればお互いに声を掛け合って協力してました。

 

「今年は余裕でクラス優勝できるんちゃうかあ。」

 

しかし、好事魔多し。

絶好調で迎えた第3レース。

下有利のスタートラインで下1を狙うは西尾艇。

ここで調子こいた僕は

「拓ちゃんと僕のコンビネーション見せたるよい~」

って感じで下ピンからポートスタート。

 

直後に見たのは鬼リフトする上スタート船団。

「その日人類は思い出した、七大学の底力を…」

って感じで慌てて即タック。

 

↑西尾三上と大野佐藤の怒涛のクロスファイヤー

 

 

スタートを見事に失敗した大野と佐藤は必死に順位を上げました。

ふと西尾艇を見ると明らかにスピードが遅い。間違いなく浸水している。

実際に陸に上がったらハッチ内に大量の水。

 

結果として第3レースを僕たちは5位9位と大失敗した一方で、京大は1,2フィニッシュ。

1点差にまで迫られていました。

 

こんなおどけて書いてますけど、実際のその日の夜は最悪の気分でした。

 

自分が全レーストップフィニッシュしなきゃと思っていたのに、

結果を開けてみれば4-3-5と不甲斐ない結果。

ただひたすらに情けなかったし、自分を許せなかった。

みんながみんな自分の持ち場で頑張っているのに、自分だけ何してんだろ。

 

僕はこんな感じで引退するんじゃないか。

そんな考えまでよぎりました。

 

決戦の最終日。

 

風は不安定と言うこともあり、できて1レース。

2位の京大とは1点差。

 

思い返せば自分の人生はこんな局面で負けてばっか。

高校の時のレギュラー選考も、現役のときの東大入試も。

 

しかし、今年だけはこんな所で負けるわけにはいかなかった。

自分の人生の中で何度も訪れる勝負の分かれ目。

そこで勝てる人間になりたい。いや、ならなければならなかった。

 

そんな感じで鼻息荒くしながら出艇。

西尾艇の調子は気になるけど、他の心配してる場合じゃない。

「絶対にトップフィニッシュしてやるぅ…」

 

そんな気持ちとは裏腹に風は安定しない。

北風で1レースやるも1上でN旗。

一瞬も気を抜けない状況でした。

 

35度近い炎天下でただ僕を突き動かしたのは勝利への執念。

もはやクラス優勝ではない。昨日までの情けない自分への勝利。

昨日の不甲斐ないレースのままでは絶対に終われない。

 

灼熱の太陽の下、皆で風待ちしていると急に強い南風が…

そしてその南風のまま、第4レース開始。

 

レース状況は東大と京大のマッチレース。

大野佐藤と西尾三上がそれぞれ京大SNIPEと1on1。

 

人生で一番集中してました。

レースの1時間弱が永遠のように感じました。

 

西尾艇は気になったけど、自分がこの京大に勝てばいい。ただそれだけを考えてました。

 

結局2上まで1位を守りましたが、あっけなく2下で抜かされちゃいました。

最後はやはり西尾がしっかりもう一方の京大艇に勝ってクラス優勝。

 

それはそれは嬉しかったです。

みんなで優勝が決まった瞬間に海に飛び込んで喜びを爆発させました。

 

でもその一方で何かに引っかかる自分もいました。

 

結局自分は京大艇に勝てず、最後まで西尾と三上に頼ってしまった。

昔よりは善戦するようになったけどやはり勝ちきれない自分。

そんな弱さを痛感しました。

 



「ここまで来た。けどここまででしかない。」

 

僕が入部した時の東大ヨット部のスローガン。

まさにその通り。

 

東大SNIPEは七大戦クラス優勝なんかじゃ、満足しない。

もっと高みを目指します。

 

そして自分もセーラー、いやスポーツ選手としてもっと上のステージに行きたい。

 

僕の最後の夏が来る。

高1の時からずっと夏はヨットしかしてなかった。

それも今年で終わり。その最後の夏に一皮剥けたいですね。

 

最後になりますが、レースに参加してくださった皆様、ありがとうございました。

僕として言いたいことはただ一つ。

「ナイスゲームでした!」

 

どの大学の選手からも七大戦に懸ける思いも伝わってきましたし、

その熱意がこのレースをより一層盛り上げてくれたんだと思います。

 

また全日本の舞台で戦えるようお互いの場所で頑張りましょう。

そのために僕らはまず秋インカレ。。。

絶対に突破して、更に大きくなった東大SNIPEを全日本で御覧にみせます。



また会う日まで…

 

P.S. 

東大SNIPEチームのみんな、お疲れ様でした!

今回は各自持ち場があって一体感が無かったと感じる人もいるかもしれません。

でも僕はメンバー一人一人が責任もって自分の役割をしっかりこなす姿を見て頼もしく感じ、

皆の頑張る姿は間違いなく僕たちの力になりました。

それだけは言わせてください。

 

颯真もお疲れ様…

いつもメンタル面でサポートしてくれて有難う。

今回も助かりました…

 


七大学戦(完)

2023年07月21日 10時01分28秒 | 七大学戦

お世話になっています。

 

 

ディンギー班主将の西尾です。

 

卒論の中間発表が今週の火曜に終わり、

それから大掃除に、試薬整理と、

夏休み前の諸々の作業を終わらせているところです。

 

今週末でこんがり焼けたと思ったら、皮がどんどんむけちゃって、

なんとも研究者らしくない顔で教授陣を前に発表しました。実験サボってるって一瞬でばれた気がします、、、

なにはともあれ、無事終わってよかったです。

 

さて、先週末七大学戦が行われました。

 

成績は470が4位、snipeが1位、総合が2位でした。

 

皆さんもご存じのとおり、我ら東大が主幹校で、

正直に言うと、本当に大変だったたなあと感じます。

 

大会運営面、競技面、両方とも書きたいことがいっぱいあって、何から書き始めようかと、、

 

まずは、なーしーと、やまこうへ。

この二人をなくしては、今大会を成立させることはできなかったです。お疲れ様。

 

時を戻して、昨年の東北大学が開催して下さった、七大学戦。

僕らは当日、閖上ハーバーに行って、チャーターもらって、整備して、大会でて。

横目で、東北大学さんが必死になって大会運営されてる姿を見て、来年本当に僕らでこのような大会をできるのかなあ、と不安でした。

 

思えば、代替わり直後から八景島開催or葉山開催論争があり、、、

新クラブハウスの工事の進捗によるけど、どう転じるか全くわからない、、

それに加えて、いつ開催するのか?、

これもなかなか決まらなかったです

 

ともあれ、七大学の主責任を中静、山本が務めてくれることになり、、、

七大の運営の全権を与えるから、うまくやってほしい、という

おおざっぱで、しかも難しいリクエストを二人にしました。

 

はじめのうちは何をすればいいのか、どこまで僕が介入すべきなのか、距離間がうまくつかめなくて、苦労しました。

 

でも、気づけば僕の想像をはるかに超える、リーダーシップを発揮し、この大会を無事成功させてくれました。

予算作成、アンパイアフリート制に始まり、トラッキングシステムの導入、当日の運営、人員配置に至るまで、本当にたくさんのことがあったと思います。

一つ一つ、僕なりの思い出もありますが、きっと後で

なーしーがたっぷり書いてくれると思うので、そっちに期待しましょう。

 

本来であれば、僕をはじめ4年生が担うべき仕事だったと思いますが、

やり切ってくれたこと、本当に感謝してます。ありがとう!

 

他にも今大会を通して、多くの人がこの大会を支えて下さったことを身に染みて感じました。

 

運営委員長を務めて下さった植地様をはじめ、運営委員のLBの皆様。大会の数か月前から度重なるmtgをしながら、入念に準備して下さりました。何度も何度も失礼なことを致しましたが、最後まで温かく支え続けて下さったこと、感謝しています。

また、大会当日には大会委員長の松下先生、レース委員長の戸沢様、そのほかたくさんの若手LBさんが今大会のレース運営を担って下さいました。

また、観覧艇をご準備下さり、陸と海との両方で熱い声援を送ってくださったLB様、

本当に今大会には数多くのLB様が駆けつけて下さり、現役とLBさんが一体となって作り上げることができたのではないか、と思います。ありがとうございました。

 

小松コーチに、矢野さん、本多さんと、コーチでありつつも、今大会の海上運営の要を担って下さり、より質の高い運営ができるようにしてくださいました。

レースについてはのちほど触れますが、これから秋に向けてより一層よろしくお願いします。

 

そして、アンパイアフリート制の導入に大きく貢献いただいた岡部様、チーフアンパイアの渡邊様、プロテスト委員長の浅田様をはじめアンパイアの方々のおかげにより、

慣れない制度ではありましたが、無事にアンパイアフリート制でレースをすることができました。SIの作成から、当日のブリーフィング、海上ジャッジに至るまで丁寧に行ってくださったこと、大変感謝しています。

 

また、本大会のもう一つの特徴は、トラッキングシステムを導入したことです。このシステムを導入できたことで、レースに出た選手がレース反省に便利だけでなく、陸に残る部員や応援して下さるOBさんが多いこの七大学戦で、多くの人がライブで楽しむことができたのではないかと思います。関係者の皆様、大変ありがとうございました。さらに、今大会ではメディアボートをだして、海上で多くの写真をとってもらいました。川田さん、羽田さんありがとうございました。

(メディアボートの運転手、2年のゆうた。悠太が笑顔で写真を撮ってくれると、こっちも笑顔になります。ありがとう。やっぱりあざとい(笑))

 

大会調整、また陰ながら今大会を支えて下さった葉山新港の職員の皆様、チャーター艇を貸してくださった葉山・江の島の大学の皆様、ありがとうございました。中には無理なお願いも多々あったと思いますが、ご対応頂きありがとうございました。

 

そして、七大学のみなさん。

葉山までおいで下さり、ありがとうございました。事前から関係者mtg等しましたが、僕らが想定してなかった質問やご指摘をたくさん頂きました。中には、そこまで準備しているんだ!とか、めちゃくちゃSI読み込んでるなあ!とか、驚くものもあり、他大学が大会にむけて本当に入念に準備されていることを今大会で学ぶことができました。

今大会の実施にご協力くださって、本当にありがとうございました。

この七大学が小戸でもう一度対面して熱い戦いができること、願ってます。

そして、京都大学さん、総合優勝おめでとうございます。(悔しいですが、完敗でした、、、また出直してきます)

 

そして、何より部員のみんなへ。

2年生以上は、ほぼほぼ全員がなんらかの仕事を任され、中には二つ、三つ、と仕事を掛け持ちしている人も多くいたと思います。

チャーターの引き渡しから、海上運営、陸上本部、レセプション等々、数えきれないタスクがあって、それらを着実にこなし、臨機応変に対応してくれたみんなを誇りに思います。

今大会の本船は、なんとギョウシュウ。

そう、クルーザー班からも連日お手伝い頂きました。ディンギーのレースにクルーザー班が来てくれるの嬉しかったです。ありがとう。

 

そして、一年生。入部したてて、葉山に来るのは新勧以来だったと思います。何がどうとか分からない中でも、楽しそうにレース手伝いしてくれたことが印象的でした。

僕は閉会式が終わったあと、これらを全部今から片づけるのかと思い、途方に暮れていましたが、部員57名の底力は偉大でした。それぞれが先回りして、効率よく終わるように、またパワーで押しきるところは押し切って、、、このチームなら、これから何でもできる気がします!

 

連日、うだるような暑さ。そして、それぞれがテストに追われてるときなのに、全力を注いでくれたこと、本当に本当にありがとう。

 

みんなの活躍、ここには書ききれないけど、僕はたくさん見たし、たくさん聞いたし、たとえ僕が気づけてなくても、きっと誰かが見てくれています。

 

なんか、引退ブログみたいになっちゃったけど、僕はまだまだ部にへばりついているので、ご安心を、笑

新クラブハウスへの引っ越しに、お披露目会、六大学戦とまだまだ部として乗り切らないことたくさんあります。これからもよろしく!

 

さてさて、こう振り返ってみると、今大会が多くの人の手によって成功へ導いてくれたこと、改めて実感します。

一人でできることは限られているけれど、みんなでやればどんな大きいことでもやり遂げられる、そういうことを体感できました。

 

最後にちょっこっと、競技面を。

 

大野の見事なくじ運により、今年も無事14艇の中で一番古い船に僕が乗ることになりました。

 

 

実は昨年の七大学は27番台で、化石といわれた船。

今年は、29番台。去年よりはだいぶ艇番が新しくなりました(笑)

 

でも、船をよく見ると、、、あれ?メインカムがない。

トラベラーがない、、、トラベラーつけるには船に穴開けないと無理やん、、、

ということに気づき、バンガーになるという、スナイパーになってからの初の挑戦でした。

 

大野を恨みに恨みました。

 

なんちゃって、

 

でも、この3日間だけは、この船を労わろう。そう思って、すべての時間をこの船に注ぎました。

そのおかげで、ほぼほぼ運営はみんなに丸投げしてしまったんだけど、、、

 

色々工夫はするけれど、バンガーと、ザブンザブン浸水してくる水は、僕にはどうしようもなかった。

 

1, 2レース目。なんとかリカバーしつつ、2, 1位とまとめて、いい兆しが見えてきたーと思ったところで、3レース目。1, 2レース目の貯金がすべて消え去った。

 

正直、僕のキャパが限界でした。それをなんとか誤魔化し、周りの助けももらいながら頑張ってきたけど、3レース目が終わったあと自分の中の何かが途切れてしまった。

 

ランニングはスピードでないし、クローズのスピードは自分が一番遅く感じる。

ただでさえ、さまざまなストレスがかかってる中で、、

絶望してたと思う、というか、絶望してた。もう、どうしていいのか、正直わからない。

 

感情が外に現れやすくて、帰着後やレセプション中、負のオーラが表情に出てたかな、、、ごめんなさい。

 

「50%の力しか出せないんだったら、その50%の100%を出せ」

 

つまりは、どんな状況であっても、自分のベストを尽くし続けよう、ということ。イチローさんの言葉です。やっぱり、イチローさんは人格が違います。

 

実はすごく感情の起伏が激しいと僕は思います。おそらく、それは三上が一番わかってると思いますが、、、

 

50%しか出せないかもって思ってるときというのは、なんかどうでもよくなって、

10%しか力出せなかったり、そもそも0%になったり。

 

今回もあろうことか、ここで勝負から下りたら楽だろうなって。そんなことをぼやいてました。

この大会、みんなが必死になってる中で情けない、、、

 

まだまだだなあ、、、メンタル的にも、技術的にも

 

そんな中、とある先輩に助けてもらい、なんとかその夜気持ちを落ち着かせて、、、

何度も何度も何度も励まされて、、、

 

 

そして次の日。気持ち入れ替えて、落ち気味の北風でスタート。

東大2艇はまずまずの順位で1上を回るも、ノーレース。

 

南に回って、再レース。右に風がシフトしていく中で、左に取り残された自分。焦りに焦りました。でも、大野がなんとか前を走ってくれてる。点数計算をしつつ、前を大野にお願いし、僕はやるべきことを淡々とこなす。

 

最後、ゴールした瞬間。そして、スナイプ優勝が確定した瞬間。

最高でした

 

 

これだからやめられない

 

 

レースメンバーだけでなく、サポートしてくれてる部員、運営してくれてる方々、応援してくれる方々、と喜びを共有できること、やっぱり最高にうれしい。

 

 

そして、残りラスト、無我夢中で頑張ろう、そう誓えた。

全日本インカレで総合入賞する、その瞬間をこのチームで迎えよう。

 

そのためには、どんなことがあっても、くじけず、ただただ前だけをむいて頑張っていこう。

 

今後とも応援のほどよろしくお願いします!

 

そして、この七大学戦に関わってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました。

 

 

 

ディンギー班主将 西尾拓大

 

 

 

 

P.S. 1年の芸だしのおかげで、ちょっと気持ちが晴れました。お疲れさま。なかやまキンニク?を知らないのは僕だけなのか、いつか確かめたいです

この写真からでも必死に取り組んでくれてたことが伝わりやす!

 

この船にも愛着湧きました。でも、やっぱり308が一番だね。

あと、三上お疲れさん。こっから、全スナ、全個、頑張ろう。

 


不甲斐なさ

2023年07月21日 01時46分00秒 | 七大学戦
お世話になっております。3年470スキッパーの澤田です。

先日、7/15-17で七大学戦が行われました。470クラスが4位、スナイプクラスが1位、総合2位という結果でした。詳しい成績はFacebook の方に載っていますのでご覧ください。

自分は4レース中、前半2レースに出場しました。1レース目がUFD、2レース目が7位という結果でした。4662という何ら文句のつけようのない船に乗っていただけに不甲斐なさが募るばかりです。たらればになってしまいますが、UFDがなければ470クラスも2位と、去年と同等の結果を残すことができていました。団体戦におけるUFDの重みというのを身に沁みて感じます。

2レースとも6-7m/sで1ピンオーバーくらいの南風順風が吹いていていいコンディションでした。ただ、岸が近く東よりの風が結構頻繁に入ってくるというのが、普段のレースとの違いでした。共通して言えるのは、ランニングが絶望的に遅かったということ。ロッキングをするもやり方が下手くそ過ぎて逆に遅くなる始末でした。これはもう夏合宿で克服しようと思っています。

さて、個々のレースを振り返ってみようと思います。

1レース目のスタート。下3に並んでいた。1分前の待つ位置は全然問題なく、下のスペースもあるしあとはメインを引いて出るだけ。ただ、下は空いていることもあってどんどん前に出れた。20秒前にはラインとの距離が割と近くなっていることに気づいた。とは言ってもまだ加速する余裕はある。10秒前、いつも不安になって前に出ようとしない自分の背中を押すかのようにクルーからのゴーサインが出る。しかしこの時加速しやすい環境が完璧に整いすぎていた。もういつでもベストスピードでクローズになれるけど、ラインとの距離がそんなになかったことを思い出して3秒前にベアした。これはいい判断だった。しかし下には東北大がいてこれ以上ベアできないので仕方なくラフした。この時、メインセールごしにアウターがバッチリ見えて、ああやっちまったと思った。フィニッシュして順位表を見ると案の定UFDになっていた。

このリコールには続きの話があります。翌日の朝、先輩からスタートの動画を見せられました。意外にも本当にギリギリのジャストスタートに見え、これならばギリギリリコールしてないと言い張ることもできると思い、プロテスト委員会に救済要求を出しました。しかし門前払いでした。それはなぜかというと、アンパイア制ではフィニッシュ後のB旗掲揚中に抗議、救済を受け付けるが、それ以降は全く受け付けないからです。アンパイア制でなければ陸上で審問が行われ、要求が通っていたかもしれないです。少しでもリコールしてない可能性があるならリコールの救済要求は海上て出しておくべきだという考えがなかったことが、自分の落ち度でした。

2レース目。スタートはまた下3にいて直前に左にふれたことにより結果的にまずまずのスタート。1上はラッキーパンチで1位回航。2下はランニング遅くて1艇に抜かされる。問題は2上。クローズのボートスピードはそんなに悪くないのに4艇に抜かされてしまった。あとで振り返ると、これはおそらく右からリフトブローをつかんで伸びてきた艇団に対して受けずに後ろを通ったことが原因だと思われる。これによって負けが確定した。

うまくいかないことばかりでしたが、4〜7月でたくさんレース経験を積みました。レースでこうするとうまくいく、うまくいかないなど、いろいろなことがわかってきました。しかし、レース中にそのことに気づけない、一瞬一瞬でその判断ができないということが多くあります。

今後、この代での目標を達成するためにはもう一段階上に行く必要があります。この夏で一皮剥けることができるよう練習に励みたいと思います。

最後に、大きなトラブルなく無事に大会を築き上げることができたのは、七大学戦の運営に携わっていただいた関係者の方々のおかげであります。ありがとうございました。中静もお疲れ様でした。

それでは失礼します。


レセプションの焼き鳥が美味しかったです。ただ、忙しくて全然交流できませんでした。来年は、ゆっくりしたいです。

2023年07月20日 22時00分49秒 | 七大学戦

お世話になっております。470スキッパーの成相です。

 

七大戦の振り返りブログ。

 

全然納得できる結果ではありませんでした。

個人としては、2日間しっかりレースに出て、個人成績3位、470チームとしては、クラス優勝、そして、東大ヨット部としては、総合優勝を目指していました。

ですが、一つも達成できませんでした。

 

思えば、代交代が行われた東北大学戦でレギュラーから外れ、その後の春イン前でレギュラーに復帰して92に乗ってから、目標と実力の乖離に苦しんでいる気がします。春インでも悔しいというか、呆然とするような結果で終わってしまいました。もちろん、新歓とレギュラーとしての責務みたいなものでなかなか練習に集中できなかったから、春インが爆風1レースであったからという言い訳もあります。しかし、個人戦では、練習期間もあったし、92にも乗りまくっていたと思うし、レース数も多かったし、要は言い訳がほとんどない中で、よくない成績で終わってしまいました。その後は、オリンピックウィークであったり、関東470決勝であったり、フリートレースが続く中、29という素晴らしい船になぜか乗る機会をもらいましたが、思うような成績を残せないで29の時期も終了しました。

そのような状況で、七大戦を迎えました。七大戦に向けての個人としての思いは強かったと思います。チームがあまりうまくいっていない中で、何か形を残して、いい方向性にもっていきたい。そして、自分が3日間出ることは、濃厚であったので、七大戦でチームの目標を達成するには、自分の努力が必要、そんな気持ちで七大戦に臨みました。

 

まず、1日目。

明治の4430と日大の46何たらの船を高天さんがくじで引いてきました。くじ運はよかったのではないかと感じました。もちろん、2日目に澤田が出ることは決定していたので、自分と丸山さんが艇番の低い方に乗ることは金曜日の夜に澤田には伝えていました。なので、明治の4430にしました。整備して、午後から意外と吹いている中、プラクティスレースを1レースやりました。結果は、2位でまずまずのできでした。プラクティスレースは、結果よりも、船の不具合の確認の方が主だったので、船の整備項目がたくさんあることに気づいたのは、よかったです。センターがささらないし、カニンガムが引けないし、トラベラーが引けないし、整備項目が多く見つかりました。七大戦は、整備力や即応力みたいなものも問われるので、そういった意味で整備をすることは重要でした。整備が終わり、どの大学も休憩している中、東大だけはブリーフィングの後に出艇し、整備項目の有無や船の感覚を確かめました。そういった意味で、澤田も僕も言葉にはしていませんでしたが、この大会にかける思いがあったのではないかと思います。着艇後、整備をして、船に文句がない状況にして、この日は終了しました。

 

2日目。

意外と吹いている中、3レースを行いました。1レース目、下1でスタートして、色々失敗したけど、2位フィニッシュ、そして、澤田も6番くらいでフィニッシュしたので、合計点も一桁で最初にしてはまずまずでした。しかし、実際は、澤田がリコールしていたので、芳しくない結果でした。2レース目、スタートの準備ができてなかったり、下有利であることを把握できていなかったりと、自分たちは最悪のスタートをしてしまいました。今回のレースで今まで課題であったスタートの改善も達成しなければならないことの一つであったので、悔やまれるスタートでした。しかし、澤田が1上でトップで回っているのを見て、自分たちも頑張らないといけないと感じ、勇気をもらいました。3レース目は、澤田とひろきが交代することになり、スナイプのレース中の約2時間弱を船の感覚やレース海面の調査に費やしました。このレースは、どちらの船もまずまずのスタートをして、あとはコースやボートスピードの戦いでした。結果は、合計11点でよくありませんでしたが、このレースで2日目のレースを終了しました。実は、僕はレセプション担当だったので、レセプションの準備を着艇後しました。その後、船の整備を行いました。諸々の片付けをして、疲れたので、この辺で就寝しました。

 

3日目。

この日は、微風予報で、レースができないかと思われていましたが、北風が案外吹いていたので、北風の中、470はレースを行いました。この日は、高天さんも出ているので、二人で合計一桁台をキープして2レース行えば、妥協点の目標には達成するだろうということで、とにかく前を走ることを意識しました。スタートも自分が下ピンで、高天さんが上ピンでスタートをしているのを見て、ピンを二人でしっかりと抑えてスタートできたのはよかったですが、その後のコースの選択ミスや抑えるべき船を抑えられずに、フィニッシュしてしまいました。その後は、風が凪ってしまい、南風の中スナイプが1レースやって、終了してしまいました。大野さんがフィニッシュして、西尾さんが京大の前でフィニッシュするかがスナイプがクラス優勝するかどうかを決定するので、みんな固唾を呑んで待っていたのが印象的でした。スナイプが優勝した時、もちろん嬉しかったですが、それと同時に総合優勝できなかったのは、470のせいだと感じていたので、申し訳ない気持ちもありました。さらに、470の賞状獲得もなくなり、いまだに賞状を手に入れていないのは悔やまれる気持ちです。

 

レースは、自分にとっては、あまり喜ばしいものではなく終了してしまいましたが、今回の大会を無事に成功させたのは、中静をはじめ、多くの部員のおかげであると思います。中静とかが平日にミーティングをしていたり、準備をしていたことは知っていました。また、この大会中でも夜遅くまで準備していたことも知っていました。その努力の甲斐もあって、無事終えられたのは、よかったと思います。ありがとうございました。

 

もう残すは、秋のインカレのみになってしまいました。最後にこのチームで良い結果を残せるように今後も練習していきますので、今後ともよろしくお願いします。

 

成相悠喬


←Virtual Regatta ガチ勢なので、スタート前は必ず本船に挨拶に行きます。(7月第2週練習報告)

2023年07月13日 00時57分01秒 | 通常練習

よくスタート前にチャットで「良いレースを!」と発言している人がいますが、あれ僕です。きもちいセーリングはきもちい挨拶から。みなさんもマナーを守ってエンジョイ・セーリングしましょう。

先週末の練習報告をします。

7/6(木)

自主練終わりに大学セーラー御用達のヨット用品店・海洋サービスに買い出しに行きました。今まで仮店舗の仮店舗(森戸海岸の近く)だったのが、リニューアルした本店舗(橋を渡ったとこ)に移っていたので結構遠くなってしまいました。まあ、推しの店員さんと話せたのでよかったです。いつもふわふわしていて、僕たちの癒しでございます。閉店時間までありがとうございました。

↑連日の自主練でなかなか黒くなってしまった同期たち。駒場では人目が気になっても、葉山に来たら普通です。

そのあと夢庵に行って、夢庵御膳を食べました。美味しかったです。

↑ドリンクバーでコーラフロートを自作してきて、あざとく頬張る悠汰。食べ合わせが心配。

7/7(金)

自主練しました。葉山港にかなり濃い霧がかかっており、出艇を1時間ほど延期しました。市毛くんこと、エイの裏側と一緒に乗りました。中静艇を含めた4艇でのコース練の1本目でトップフィニッシュしました。エイと「タックロスがなかったのかな?」とか「コースがよかったのかも!」とかウキウキ話していると、中静艇にゴミが引っかかっているだけでした。

その後、かなりフラストレーションの溜まるタクティクスを仕掛けてきた天野/遠藤艇に憤死しそうになりながら、14時着艇して八景島に向かいました。因縁の場所に...。

その前の週に八景島の新入生練習で起きた諸々の珍事について、ここで書くことは憚られます。雄弁は銀、沈黙は金、森崎はウィン。気になる人は滝沢ガレソにでも聞いてください。

消灯後に冷凍ポテトを揚げて、夜遅くまで自販機コーナーで勉強していた1年生たちにあげました。不評でした。萎えました。

↑横国に売ってもらったセンターボード。サイズは...。

↑ピッタリはまった!ありがとうございました。

7/8(土)

強風で海に出られなかったです。午前は整備や七大戦の準備をして、午後は広場でサッカーをすることにしました。ロコモコ丼(写真撮るの忘れてしまった)を食べていざ広場に向かうと、そこには見慣れた顔ぶれが...。横国が先に来ていました。

ちょうどええわい!ってことで、センターボードをかけて横国と試合しました。勝ったらタダ、負けたら3万。試合前の円陣で気合注入。これほどまでに団結したヨット部を見たことがありませんでした。

木村くんのスーパーゴールをはじめとして、本当に1年生はみんな運動神経が高くてびっくりしました。若いっていいなあ、来年以降もヨット部は安泰だなあ、と、若手LB化した僕たち上級生は後輩に羨望の眼差しを送っていました。

結局GKだったはずの荒井のたくちゃんがゴールを空けていた隙に向こうの決勝点が決まり、惜しくも負けました。

↑第1回センターボード争奪サッカー大会、試合前の集合写真。荒井くん、守屋くん、あとでPayPayの番号送っときます。

晩御飯は油淋鶏でした。めちゃくちゃ美味しかったです。ごちそうさまでした。

7/9(日)

七大戦前の引っ越しをしました。楽しかったです。

↑書くことがないので、オシャレの意味を履き違えていそうな五熊くんの写真を載せておきます。

7/10(月)

家庭教師のバイトをしました。楽しかったです。

7/11(火)

そーまと疾風の回航をしました。富津岬の方にもちょこっと行きました。

↑絶好の回航日和で満面の笑みを浮かべるそーまと。新しく買ったという、「あうくりー」の「じゃうぶれいかー」をかけてご満悦の様子。

葉山で47が自主練していたので、昼休憩の時に47スキッパーをやりました。でもそれほどハイクアウトしないのであまり面白くはなかったです。スナイプクルーの性でしょうか。

今週も楽しかったです。おやすみなさい。

2年 スナイプチーム

三上瑛司


新入生自己紹介 2023 part19 山本丈夫

2023年07月11日 22時23分30秒 | 新入生自己紹介
守屋紹介ありがとう。

初めまして。理科一類の山本丈夫と申します。丈夫と書いて「じょう」と読みます。初対面だと8割くらいの人に「じょうぶ君」と呼ばれますが、会話のきっかけになるので助かってます。

生まれは埼玉で、2歳のころ東京の三鷹市に越してきました。「三鷹に住んでます」と言うと5割くらいの人に「三鷹寮なの!?」と聞かれますが、会話のきっかけになるので助かってます。

父親の影響で小一の時に剣道を始めました。最初はチャンバラっぽくて楽しかったのですが、徐々にワクワク感が消えていき、惰性で続けている感じでした。小五の時に漫画「六三四の剣」を一気読みし、漫画とか映画とかそういうものに影響されやすい僕は「剣士、めちゃめちゃカッコよくね!?」となり剣道が楽しくなっていったのですが、結局数ヶ月で熱が冷めてしまい、また惰性で続けるようになりました。そのままの流れで中学でも剣道部に入部したのですが、同期が4人でゆるい雰囲気だったために、不完全燃焼のまま引退してしまいました。

高校受験で筑波大学附属駒場高等学校に入学しました。パソコン研究会という部活に入り、競技プログラミング(競プロ)という数学とパズルとプログラミングを組み合わせたようなものに熱中しました。入学時はコロナでずっとオンライン授業だったこともあり、一日中パ研の同期と競プロをする日々でした。初めのうちは勉強するたびに新しい問題が解けるようになり成長を実感できましたが、徐々に実力が停滞し、その間に頭の良すぎる同期たちはどんどん実力を伸ばしていってしんどかったです。結局高二の冬に学校行事や受験を言い訳にして競プロからは離れました。

大学に入学した当初、運動部に入部するつもりは全くありませんでした。高校の時からものづくりが大好きで、大学でもやりたかったので、ロボコンに出場するサークル(RoboTech)に4年間打ち込み、あとはゆるいサークルで交友関係広げてのんびり大学生活送りたいなと考えていました。ただ新歓期間はとにかく色んな団体に行ってみようと考えていたので、テント列では声をかけられたら絶対に話を聞きに行くというルールを決め回りました。テント列終盤、魔のテニサーゾーンをすり抜け、その先にいたヨット部もテニサーの流れでスルーしそうになりましたが、半ば強引に連れ込まれ話を聞きました。「毎週合宿!?楽しそう!!」とヨットとは関係ないところに興味を惹かれ、テント列を抜けたところにいた友達と一緒に試乗会に申し込みました。二人乗りのディンギーだと先輩と一対一になって気まずくなりそうだと考えたのでクルーザーに申し込みました。

試乗会当日、三崎口駅からうらりマルシェに向かう車の中で、ヨット部の人たちの仲の良さや、海の男感あふれる温かい雰囲気に感動しました。この部活、ワンチャンあるぞ、と思いました。その日は運良くクルーザーもディンギーも乗れたのですが、どちらも細いワイヤーしか掴むところがなくて怖かったです。レスキューは想像の3倍速くてもっと怖かったです。

先輩に言われるがまま翌週の試乗会も申し込みました。ヨット自体は怖い印象が強かったので、正直あまりいきたくありませんでしたが、当日の天気が雨予報で急にワクワクしてきました。結局ヨットにはあまり乗れなかったのですが、雨の中レスキューに乗ってるのが海軍っぽくて楽しかったです。ヨット部の雰囲気は先週同様最高でした。

その後色んな団体の新歓に行ったものの、雰囲気が合うところになかなか出会えず、ヨット部入部がだいぶ現実的なものになってきました。RoboTechの活動も自分がやりたいことと完全に一致してて最後まで悩んだのですが、ヨット部に入部することに決め、三回目の試乗会で入部宣言しました。

ヨット部入部を決断した理由を考えると、一番は先輩たちの雰囲気かなと思います。僕は正直(参加した試乗会のコンディションの影響もあると思いますが)ヨットで風を切る爽快感みたいなものがあまり感じられず、「海広くて気持ちいいな」くらいでした。ただ、試乗会で感じた学年を超えた仲の良さや、海の男のカッコいい雰囲気などに魅了され、ここなら四年間本気で活動できると確信しました。僕は昔からアクション映画が好きで、そこに出てくる屈強でタフな頼り甲斐のある人たちにどこか憧れがあったのですが、先輩たちの姿がそれに重なったというのもあります。

試乗会ではヨットの楽しさがあまりわからなかったのですが、八景練で目覚めてしまいました。最近はディンギーセーリングやネット記事などで知識を詰めてバーチャルレガッタでヨット欲求を発散する日々を送っています。

これで今年の新入生自己紹介は終わりです。19人全員でこれから頑張っていきます。まだまだ未熟ですがどうぞよろしくお願いします。

新入生自己紹介 part18 守屋僚祐

2023年07月10日 20時56分49秒 | 新入生自己紹介
藤本くん紹介ありがとう!クルーザーのとあるレースで3位になりましたが、やったことといったら船に必死にしがみついたことくらいです。全て先輩方のおかげです。

 

出身は兵庫県の西宮です。甲子園球場があります。小・中学校では、市の総合運動大会で甲子園で組体操をすることができました。甲子園といえば、惜しくも敗退決定した高校球児が、泣きながら甲子園の土を持って帰るシーンが有名です。なので組体操中に球場の土を持って帰ろうとする輩が必ず現れます。僕もその1人でした。しかし僕の立ち位置は芝生の上でした。ピラミッドしながら土を持ち帰る計画は頓挫しました。僕は芝生の草を体操服の後ろポケットに忍ばせ帰還しました。

今となってはその草がどこに行ったのか分かりません。

 

高校は大阪教育大学附属池田です。東大志望者における合格者の割合が60%(3/5)と超進学校のはずですが、なぜかこの話をすると鼻で笑われます。

 

ヨット部に入った理由は新歓の際に海の楽しさに触れたからです。4年間頑張ります!

 
次は誰しもが下の名前で呼びたくなる、山本丈夫君です
よろしくお願いします!

7月第1週 練習報告

2023年07月07日 22時46分30秒 | 通常練習
お世話になっております。4年スナイプの千田です。

先週末、2年スナイプの遠藤くんがクルーザーの自主練をしたいということで、「朝焼けを見ながらセーリングしましょう」と誘ってきたので、日曜日の練習終わりに小網代に行き、翌朝4時半起床で6時に出艇しました。
すでに日は高く、朝焼けは見られませんでした。
しばらくして風もなくなり、10時に着艇しました。
遠藤くんは1時間ほどクラゲと遊泳していて楽しそうだったので何よりです。

その日の夜、縁あって、カトラリーを外側から使うタイプで粋な間接照明のあるレストランでディナーをいただき、その日2度目の船に乗り、東京湾の夜景を見ながらクルージングをしました。
4時半起床と右党が効き、ああここで眠ってしまいたいなあ、アルコールって確か短期的にはθ波が多いレム睡眠が減るんだなあ、でも長期的にはδ波が多いノンレム睡眠が減って睡眠の質が落ちるんだなあ、などと考えながら、大学に行かねばならない翌朝を憂鬱に感じつつ帰宅しました。

私は現在睡眠の研究室に配属されています。ショートスリーパーになりたいとずっと思っていたので、少しでも近づけるかなと考えています。前の研究室は私を含めて3人しかおらず、人骨やら獣骨やらが大量に収蔵された博物館の資料庫で、常に教授にマンツーマンでご教示いただいておりました。現在は院生から秘書まで豊富に在籍しておりまして、TAの方が懇切丁寧に教えてくださるおかげで、教授と関わる機会があまりなく、遠い存在になってしまいました。

7/1(土)-2(日) の練習報告をさせていただきます。
7/1は大雨強風のため出艇はせず、ミーティングや合宿所の掃除を行いました。

7/2は北から徐々に南に回る風で帆走練習を行いました。江ノ島でのレースシーズンが一段落し、最後の追い込み時期を見据え新たな可能性を探ろうということで、ペアを変えて練習を行いました。
私は春からなかなか伸びず、それを指摘されることも多々あり、それどころかえっらい退化している気がします。チームが全日本優勝に近づく最善の選択と行動をしたいですが、おそらくそれは結果論なので、今できることを精一杯やっていきたいと思います。そして最後は余裕を持つことを目標に、残り数ヶ月を過ごしていきたいと思います。

まずは七大学戦、完全優勝を目指し、運営も大成功となるよう頑張りたいと思います。

それでは失礼いたします。

4年スナイプ 千田綾菜

新入生自己紹介 2023 part17 藤本滉平

2023年07月06日 22時30分29秒 | 新入生自己紹介

林さん紹介ありがとう!
先週の練習で紹介文で書くことがないと悩んでましたが、なんとか捻り出せたようでよかったです。

皆さん初めまして、理科1類の藤本滉平です。
生まれは大阪府ですが、生まれて2、3年で群馬県に引っ越したため、大阪時代の記憶は全くないです。3歳から7歳まで群馬で過ごした後、小1から小6まで親の仕事の関係でベルギーに住んでいました。ベルギーではフランス語の現地校に通っていました。知らない人も多いと思うので説明すると、ベルギーはチョコとワッフルで有名なヨーロッパにある小さな国です。初めは周りの言っていることが理解できず、勉強にもついていけずで辛い思いをしましたが、振り返ってみると濃い小学校時代を過ごすことができました。
中高は群馬県に戻って公立の中高一貫に通いました。中高はテニス部に所属していて大学でもテニサーに入っています。


僕がヨット部に入った経緯について説明します。ヨット部はテント列で初めて知りました。大学で新しいスポーツを始めたいと考えていた僕にピッタリだと思って試乗会に申し込みました。初めてヨットに乗って、久しぶりに見た海の青さと風を切る爽快感に魅せられた僕はこれしかないと思って入部を決めました。
まだケーストラブルで周りに迷惑かけてばかりの僕ですが、いつかヨットを乗りこなせるように頑張りたいです。


次は1年生ながらヨットレースに出場経験のある実力派の守屋くんです。お楽しみに。