東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

あっという間に

2020年10月31日 19時35分00秒 | 引退ブログ


お久しぶりです。

4年マネージャーの松島です。


年始の意気込みブログを書いた1月からあっという間に月日が経ち、今や引退ブログを書いて居ることに正直まだ実感が湧きません。


2年から土曜授業が始まったり、学内のボランティアサークルの幹部を務めたことで、ヨット部に十分な時間が割けない時期もありました。

やっと4年生では、土曜授業や幹部も終わり、集大成として悔いのない1年にしようと思っていた矢先に、新型コロナウイルスが蔓延し活動自粛期間が続きました


今年は、当たり前が当たり前でないことを痛感させられた1年間でありました。


私は、マネージャーという立場は始めてでしたが、この4年間多くのことを考え学ぶことが出来た貴重な時間でした。


今回は、特に思ったことを2つ紹介します。

1つ目は、「マネージャーの在り方」について考えさせられました。

この4年間楽しいこともたくさんありましたが、思い悩むこともありました。


選手は成長が成績として残るため、やりがいを感じることができますが、マネージャーの仕事は形に残りにくく、自らの成長を感じられずもどかしい時期がありました。

特に私は、陸マネージャーだったため、真冬に海で凍える選手を見て温かい飲み物を渡したり、悩んでいる選手がいてもただ見守ることしかできませんでした。

また、自分自身がヨットに乗った経験がないため、何も的確なアドバイスもできないため、マネージャーって何だろうって考えることが多くありました。

真に支えるマネージャーって何だろう?


まずは、少しでも食事の時間だけでもリラックスしてほしいと思い、選手の好みに合わせるなど工夫をしました。


この4年間様々な試合をしていく中で、選手と喜怒哀楽を共にしていたこと気付きました。

マネージャー・プレイヤーという名は違っても、掲げた目標に向かって様々な形で、目指すことには変わりないと思います。

だからこそ、選手が喜んでいたら私も嬉しいし、悔しんでいたら私も心が痛みます。


今年は、ほとんど活動ができず、応援も直接海に行くことが出来ませんでした。悔しい、悲しいという気持ちと共に、何もできなかったなという不甲斐ない気持ちもあります。


しかし、プレイヤーはこんな時期でも最後まで突き進んでいる姿が本当にかっこよく素敵でした。


2つ目は、「マネージャー業」について考えさせらました。

私たちの代のマネージャーから多く入ったことで、1人がする仕事が少なくなり、手持ち無沙汰になってしまいました。しかし、多かったからこそ食事作り以外にもマネージャー業の幅が広がり、海マネージャーや小網代に派遣することが出来ました。それを試行錯誤し、提案してくださった先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。

同期マネージャーが多いからこそ、たくさん一緒に笑い合い、支えあったことで私にとって誰一人欠けてはならない存在になりました。

今や立派な海マネージャー・陸マネージャーの後輩がおり、今後の活躍がさらに楽しみです。


このヨット部の経験から、「多様な価値観を認め合い、大切に想う気持ち」と「自分にできることを考え自ら環境を変える」ことの大切さを学びました。


このような実り多き学びができたのもヨット部に所属したからこそだと常々感じます。

いつも一生懸命目標に向かって突き進んでいるプレイヤーの元で、マネージャーとして活動できたことにとても幸せです。

特に、みんなのきらきらな目と素敵な笑顔が好きでした。

ヨット部に入部するきっかけになった先輩には感謝しかありません。


「温かい優しさ」に触れ、助けられた4年間でもありました。

ポンコツな私をいつも助けてくれた先輩、同期、後輩には感謝をしてもしきれません。

支える立場の私が逆にいつも誰かに支えられていたと実感しています。


最後に、こんなにも楽しく素敵な経験ができたのはLBの皆様のご支援があったからです。ブログでの御礼になってしまいますが、心から感謝申し上げます。


長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。

早くコロナが収束し、部員のみんなが生き生きと部活動ができることを祈っています。

今後は、LBの立場として陰ながら部員の活躍を応援していけたらなと思います。

この4年間、私に携わってくださった全ての方にこの場をお借りし、感謝申し上げます。



マネージャー  松島 優季




日本一美味しいマネご飯

2020年10月30日 23時58分00秒 | 引退ブログ

4年マネージャーの丹羽美森です。


「引退ブログ」をいざ書くとなると、何だか切なくなりますね。写真を見ながら4年間を思い返すと、いろいろな思い出が蘇ります。


私がヨット部に入ったきっかけは、女子新歓での、ある素敵な先輩との出会いでした。ヨットに惹かれたというより、その先輩に惹かれて、先輩のようになりたいという思いで入部を決めました。新歓も、もちろん楽しかったです。今でも鮮明に覚えています。また、高校までは習い事を最優先し、部活に入ったことがなく、そのことを後悔していたので、学生の間しかできない部活をやりたいという気持ちがありました。


ヨット部は部活であって、サークルではないので、マネージャーだから休んでいい訳ではないのですが、私は学内の茶道愛好会やボランティアに積極的に参加したり、卒業後教職に就くために小学校で働いたりと、部活を休んでやりたいこともやってきました。それなので、ヨット部第一で真っ直ぐにマネージャーを頑張ってきたわけではありませんが、そんないい加減な私が時々部活に顔を出しても、温かい雰囲気で迎えてくれ、その度に感激するとともにヨット部は私の居場所なのだなと思うことができました。


私のヨット部の好きなところは、何と言ってもアットホームな雰囲気です。こんなに仲の良い部活は、稀有だと思います。そして、部員全員がヨット愛に溢れていて、全力を捧げている、本気なところが素敵です。


今年度はコロナという未曾有の事態に直面し、同期プレイヤーは悔しいを超えて絶望的な気持ちだったでしょう。ですが、限られた時間の中で練習を重ね、最後までやり抜いた姿はとても誇らしく、かっこよかったです。


秋イン決勝数日前に、3年生マネのあみちゃんに手伝ってもらいながら4年マネで分担して作ったお守りを渡しに、久しぶりに葉山に行きました。お守りは喜んでもらえました。小松さんにご挨拶をしに行くと、「東大のご飯は日本一美味しいってみんな言っているよ」といつものように褒めてくださり、その言葉がじーんと心に滲みました。正直、私がマネージャーとして部に貢献できたことは何だったのか、はっきり答えが出ませんでしたが、小松さんの言葉で、元気の源を作ることができていたのかなと思うことができました。ご飯作りは、先輩方にたくさん教えていただき、献立、作り方などは、引き継いできた長年の結果です。最後には、「ご縁があったのだから、いつでも顔を出して」と言ってくださいました。 


そして今年、こんな状況にも関わらず、2年マネが頑張ってくれて、3人の1年生マネが入部してくれました。本当に嬉しいです。人数が増えれば、自ずと部活は強くなっていくと思います。マネージャーの可能性も広がっていくことを期待しています。


東大ヨット部の一員になれたことは、私にとって財産です。これからも変わらず、ヨット部が部員全員の居場所であり続けることを願っています。4年間、ありがとうございました。


丹羽美森


沢山のありがとう

2020年10月30日 22時26分20秒 | 引退ブログ

いつもお世話になっております。

4年マネージャーの濱田眞珠です。

LBの皆様、4年間ご支援いただき誠にありがとうございました。ヨット部に入らなければ出来なかった経験、生まれなかった価値観を得る機会がたくさんありました。それは、LBの皆様のご支援があったからこそだと、感じております。本当にありがとうございました。

ヨット部に入ったのは、4年マネージャーで私が最後でした。実は、新勧に一度も行ったことがなく、葉山の合宿所で豚キムチを美駒さんと作ったのが私の新勧です。
その後、美駒さんの楽しそうな姿、レスキューから見た470のスピンが水平線に並んでいる美しさにも感動し、その日のうちに入部宣言しました。

どこのサークルにも、部活にも入る気がなかった私に、声をかけてくれた松島と丹羽に感謝しかありません。彼女が「先輩たちもみんな素敵だし、行ってみるだけ行こう!」と声をかけてくれなければ、こんなに素敵な時間を過ごすことはできなかったと思います。

入部後、美駒さんにたくさんの事を教えていただきました。私たちがだいぶホワホワしていたので、接し方が難しかったのではないかと思います。加えて、美駒さんが2年生からは、上級生が1人という立場です。歳を重ねる毎に思いますが、どんな時も大人でいてくださった美駒さんに、本当に感謝しかありません。

また、3年次は病気をしてしまい参加できない時期が続き、「いつ治るかもわからないし、中途半端なら迷惑だし辞めた方がいい。」と思っていました。そんな私に、「待ってるからね!大丈夫!1人じゃないよ!」と言ってくださった、先輩方・同期のみんな・後輩に、とっても助けられました。

そんなこともあり、今年は絶対に頑張りたいなと思っていた矢先、コロナが流行しました。雨の日も雪の日も、手が切れて血がでても、ずっと頑張っていた同期を思うと、コロナが憎らしいほどです。私が想像してもしきれないほど、様々な心情が混ざっていると思います。
残念ではありますが、みんなが気がかりなくレースを楽しめる時期がくるよう、また、その姿が応援できるよう、毎日を大切に前進していけたらと思います。

最後にはなりますが、4年間大変お世話になりました。出会ってくださった全ての方々に感謝申し上げます。

→前の投稿で、青柳がオフショットをあげていたので、私は集合写真にしました!


4年間のマネ生活を振り返って

2020年10月30日 14時39分00秒 | 引退ブログ

お世話になっております。

4年マネージャーの青柳佳保里です。

はじめに、今までの活動を通して関わってくださった皆さまに感謝いたします。


まず、ヨット部を常に応援し、支えてくださったLBの皆さまに感謝を伝えたいです。1年の入部当初の頃、観覧艇に乗せていただ際には、クルーザー班の練習風景を見させていただいたり、三浦で美味しいマグロ丼をご馳走になった幸せな記憶を今でも思い出します!


そして、次に料理やヨット部での生活の基本を教えてくださったマネージャーの先輩方、あみちゃんをはじめとした後輩マネージャーの皆、そして、同期のマネージャーにはお世話になりっぱなしでした。本当に感謝しかありません。

私は上級生になっても、後輩のマネを引っ張っていけるような力もなく、常にのんびり過ごしてしまったために、後輩マネには助けられることが多かったです。いつも部活に行くと、必ず皆が「かほりさんだ!」と、駆け寄ってきてくれてたので、とても愛を感じていました。笑


同期マネとの思い出は沢山ありすぎて、ここには書ききれないのですが、明確なのは皆がいなければ、続けられなかったということです。それくらい私にとって皆の存在はすっごく大きかったです。それぞれ個性があって、とても心優しい同期マネが大好きです!


また、プレイヤーからも学ぶことが沢山ありました。ヨットに真摯に向き合う皆を陰ながら4年間支えられたことで、強いやりがいを感じることができましたし、何よりもマネージャーをチームの一員として考えてくれていたことがいつも感じられて嬉しかったです。本当に東京大学運動会ヨット部のマネージャーとして入部してよかった、と胸を張って言えます。


今年こそ沢山練習に参加するぞ!と意気込んでいましたが、コロナの影響もあり、全く参加できなかったことが唯一の心残りです


年々、マネージャー改革も進み、今までよりも様々な場面でヨット部を支えることができると思うので、これからの活躍も楽しみです。


最後にはなりますが、プレイヤーのみんなが悔いのないヨット生活が送れるように祈っています!マネージャーのみんなも、今まで以上に楽しくお仕事できますように!


これからはLBの仲間入りをさせていただきながら、ヨット部を応援していきたいと思います。本当に4年間ありがとうございました。






↑(久しぶりに同期マネが集合できましたが、きちんとソーシャルディスタンスしました!photo by戸沢)




4年マネージャー 青柳佳保里




霜月

2020年10月30日 00時06分21秒 | レース反省

お久しぶりです。クルーザー班3年の中野です。

 

先日開催されたフリートレースを振り返らせていただきます。朝から風待ちを続け、午後ほのかに入ってきた南風の中1レースが行われました。リザルトは以下の通りです。

 

月光

月光DIANA

仰秀

SARASA

Pink kiss

オリーブ5

VICKY

リップル

エスペランサ2

エスペランサ5

Speedy blue (DNS)

 

入部以来最高の3位でフィニッシュしました。素直に嬉しかったですね。

タクティシャンとしてスタート前に考えていたのは主に3つ。

①微風でレグが極端に短いので、可能な限りタック2回で上マークを目指す

②艇団にポートレイまで連れ出されないために艇団の上からスタートする

③左海面のブローを掴む

スタートの時点で②はできていたものの、徐々に左前方の船に吸われ始めたため③を早々に諦め右海面へ。結果的に右からも風が入り、気がつけば11位回航。右奥でのタック後に入ったリフトのおかげで①の2タックを守れたのが大きかったですね。

1下は2位のダイアナを抑えようと中盤で2ジャイを挟む間に、左海面のラインブローをノージャイで走る月光に抜かれ2位回航。ただあの2ジャイがなければ逆にダイアナにインサイドを取られて2位回航になっていた気がするので、誤った判断ではなかったと思っています。

2上は風が左に振り切っており、ポート1本のリーチングレグと化しました。上マーク直前までは前後の艇との位置関係はほぼ変わらず。しかし最後のタックポイントを奥にしすぎてしまい、後続のダイアナにインサイドを取られ、前で回航されます。

2下は長いスタボレグでのラフィングマッチ。ここの駆け引きを経験できたのが個人的に一番の収穫だったと思います。正直自分は振る舞い方が分からず、スピンホイストの判断含めトリマーの太朗さんがほぼ主導していました。結果的にこの勝負に敗れ、3位フィニッシュ。

上で素直に嬉しかったとか書きましたが、こうやって改めて振り返ると悔しさもありますね。ただ、とにかく「前を走る」経験ができたのは良かったと思います。特に今のメンバーはほとんどその経験がなく、今回のレースで負け癖のようなものを払拭できた気がします。(船底塗料を塗り替えることは大事ですね、本当に。

 

気がつけばもう11月。ディンギー班の先輩方がもう引退されたという実感が湧かないのが正直なところです。最初のホッパー練で戸沢さんに沈させられたのは一生忘れません。あの日以来自分は「ヨットはたくさん失敗しながら上手くなればいいんだ」と自分に言い聞かせてやってきました。学生マッチ期間にまた小網代で皆さんに会えるのを楽しみにしています。

我々クルーザー班もあと3週間余りで4年生の2人が引退となります。最近は自分も代交代に向けてヘルムスマンの練習を本格的に始め、その楽しさと難しさを感じながら毎週練習しています。

 

日に日に気温も下がり、相模湾でも北風の吹く日が多くなってまいりました。皆さんもお体ににお気をつけてお過ごし下さい。それでは。

 

クルーザー班3

中野


秋が終わって

2020年10月27日 10時00分00秒 | 引退ブログ
4年470クルーの大橋です。


僕らが関東インカレ決勝で9位となり、全日本に届かず引退が決まってからもう2週間が過ぎようとしています。いまだに実感は湧きませんが楽しかったヨット部の生活が終わってしまいもう戻れないのだと思うと少し寂しいです。


3日間あったはずのレースも1日しか海に出れず、一発勝負のような緊張感が当日は漂っていました。でも海に出てみれば自然とレースに入ることができましたし、今までのインカレでは一番落ち着けていたんじゃないかなと思います。それでも結果は他の人が書いている通り6点差で全日本を逃しました。どんなレースでももっとこうすれば良かったと思う部分がありますが、今回ほどその重みを感じたレースは今までありません。結局詰めが甘かったから負けたのだと今は痛感しています。小さなミスさえなくしていけばきっともっと前に行けたし、2レースだけしかなかったとはいえ11点上の6位の背中は今までになく近く感じられました。全日本に行けなかったとはいえ入賞まであと少しのところを後輩に見せられたことは少しだけ満足しています。



つくづく自分は恵まれた年に入部したと感じています。1年生の時は33年ぶりの両クラス全日本インカレ出場を目の当たりにして全日本が手に届く範囲にあると疑うことはなかったし、2年生の時はインカレでレギュラーとして出させてもらってその時は全然上手く行かず全日本出場を逃してしまいましたがこの時の挫折や悔しさは今でも忘れていないし、3年生の時は同期ペアで自由にやらせてもらって迷惑もかけたけど前を走ることができてちゃんとインカレを戦うことができたのを実感したし、全日本インカレでもいい走りはできなかったけれど良い経験をさせてもらえたし、と自分の上の代が多くなかったこともあって早いうちからいろいろなレースに出させてもらえていました。そのおかげでインカレ特有の雰囲気にのまれることなく今年は堂々と戦えたと思っています。

ですが今の470チームには3年生でもインカレに出たことのないメンバーがいます。レスキューボートに乗ってくれていた面々は十分インカレに出られる実力があるのに人数の関係で出場できませんでした。確実に2年生の頃の僕よりも上手いのにです。全日本インカレに行ければきっとインカレデビューをすることができただろうしその経験を持って最後の1年をより充実したものにしてくれただろうなと思います。そのためにもレースに出ている僕らが特に4年生であり経験豊富な僕と松前のペアが結果で引っ張っていかなければならないと思ってレースに臨んでいました。結果として全日本に連れて行くことが叶わなかったのは本当に残念で申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今年はスナイプも関東で敗退したため僕が入ってから初めて全日本インカレに東大ヨット部が出場しません。先輩が灯してくれた全日本に出続けるという火を自分たちの代で一度消してしまったというのは4年生として責任を感じます。それだけに後輩たちが来年もっと大きな火を灯してくれることを期待しています。



自分はどんな引退ブログを書くんだろうと前々から思っていましたが、やっぱり今書くとインカレに関わることばかりになってしまいました。でも改めて4年間を振り返ってみると素敵な先輩方、素晴らしい同期、頼もしい後輩たちに恵まれ、楽しかった合宿生活や海上での様々な出来事が思い出されます。ヨット部に入って本当に楽しい4年間でした。関わってくださった全ての人に感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。


東京大学運動会ヨット部 大橋徹也



最大で最高の恩返し

2020年10月27日 00時44分17秒 | レース反省

どうも。3470クルーの齊藤です。遅ればせながら、先日行われた秋季関東インカレ決勝について自分の所感を書かせていただきます。

結果はご存知のとおり、6点差で惜しくも全日本枠を逃し、9位という悲しい結果に終わりました。


全日本へ行けない悔しさ、サポート陣への申し訳なさ、今までの積み重ねてきた努力が実らなかった切なさ。惜敗という事実はこれらの思いをより一層強めるものです。レースが終わって2週間が経つ今でも、感極まる思いで振り返ります。



レース1日目、雨が強く、ハーバーに着いたら安定して10mの風が吹いていました。波の音や海の色を見て、あー、これは相当強いなと確信しました。そして、喜びました。風が強いフィールドでは、安全志向が強い東大には利がある、そう思っていました。

この日は結局強風のため出艇はできなかったのですが、チーム部員総動員で、雨と強風を前に怯えることなく、出艇をまだかまだかとハーバーで奮い立っていた様は、とても心強くなるものであったし、このチームで良かったと心底思えるものでした。


レース2日目は台風の影響で、前日から中止が公表されておりました。コロナ禍で合宿ができないので、各々家にいて、顔も合わせることもなく、1日が経つのをただ待っていました。適度に緊張もしつつ、適度に休息をとって、3日目に向けた万全の準備をしていました。


レース3日目。とうとうやってきました。インカレのレースが1日のみというのは、自分にとっては初めてのことで、残酷であり、だからこそ面白いとも思っておりました。風は1日目とさほど変わらない強風でしたが、レース委員会はなんとかレースをしたかったのでしょう。しびれを切らして12時にD旗が掲揚され、待望のレースが行われました。


スタート後、自分たちはとにかくまっすぐ走ることに専念していました。というか、周りのことを気にする余裕がなかったと言った方が正しいでしょうか。クローズでもランニングでも、もちろんリーチングでも、沈しないことで必死でした。



とにかく走って走って、走り続けました。

そして1レースが終わり、2レースが終わりました。




そして、負けていました。



あっという間でした。

今まで1年積み重ねてきたものが、こうも静かに静かに終わりを遂げてしまうのかと。。



レースの反省としては、北風なので風のフレや強弱も小刻みにありましたが、全体を通してどっちが伸びたなどはなかったように思えます。

風が強いとヨットレースは至極単純で、肝心なのは、動作とボートスピード、この2つに尽きるのでしょう。


そして、自分たちはいかにタックやジャイブで止まらないか、いかに安定したボートスピードを出せるか、これらにおいて8位以上の大学に劣っていました。


自分は敗因を練習不足にするのは嫌ですが、どうやら認めざるを得ないようです。タックで止まり、ジャイブで止まり、クローズでヒールが強すぎて止まり、、それらの積み重ねで、速い船とは差が出たんだろうなと思っています。



思えば2年前、4点差で470が全日本へ行けない場面に直面しました。当時の自分は1年生で、ヨットのヨの字も知らないような身分だったので、先輩方がどういったレースをして、どういった負けをしたのか、点数という客観的な数値でしかわかりませんでした。

しかし、涙を流しながら引退される先輩方の背中を見て、インカレに本気で臨んでいる姿勢をしかと受けとめる一方で、やはりどうしてここまで頑張っている先輩方が全日本へ行けないのだろうと心痛くなる自分がいました。


こうした経験があるからこそといってもいいのでしょうか、一番お世話になった代である天木さんたちを、こうさせたくはなかった。関東で引退させたくなかった。


今年はコロナ禍で練習ができない中でも、天木さんたちは470チームのことを第一に考えてくれていたと思います。毎週行われていたオンラインでのミーティングはその最たるものです。練習ができない中でも、部員がセールシェイプに対して造詣が深くなることができたことは不朽の財産であります。


練習が再開し、レースが始まって、自分たち3年ペアの結果が振るわない時も、最後まで信頼して、励ましてくれていました。


こうしたものの恩をチームレースの結果で返したいと思っていました。しかし、1歩及ばず、残念な結果になってしまい、自分たちの不甲斐なさを噛み締めております。




さあ、しかし、あと1年、我々に残されました。


自分たちがレースで打つタックひとつをとっても、タクティクスや動作など、先輩方が教えてくださった知恵の結集です。


先輩方から色々継承した自分たちがいい結果を出す。先輩方が、来年レースを見に来ていただいて自分たちを誇らしく思える、そんな走りをする。

それが、これから自分たちが引退された先輩方にできる、『最大で最高の恩返し』であります。


古橋はまだまだ成長すると思うけど、今や自分が誇れる1番艇スキッパーです。クルー陣の層は厚いし、2年生も目を疑うほどの成長を日々遂げています。1年生もこれからが本当に楽しみです。

全日本奪還と入賞、難しいですが、今のチームなら自信はあります。待っていてください。



最後になりますが、インカレにきてくださった塚本様、西坂様、多賀谷様、多大なる支援をしてくださった他のLBの方々、本当にありがとうございました。

今年も寒い冬が近づいていますが、部員一同来年度のレースに向けて練習に励んで参ります。引き続き応援のほどよろしくお願いします。


長文失礼いたしました。


3年 470クルー 齊藤崇




嫉妬で気が狂いそうになってた時もあった

2020年10月26日 19時42分25秒 | レース反省

お久しぶりです。

3年の長岡です。今回は一部員として秋イン振り返りを書きます。

 

まず最初に、大事な時に体調を崩してしまって申し訳ありませんでした。

多くの方が心配してくださり心に染みると同時に、大事な時に一緒に戦うことができない自分が不甲斐なかったです。

レース期間中はずっと部屋でソワソワしていました。葉山新港の風速計に張り付いてレースが行われるのかどうかをずっと伺っていました。意味がないのに。

ただ陸で待つ者の気持ちが分かったことは収穫でした。来年はより出たいのに出れないという人間が増えることが予想されます。自分が仮に出る側の人間であった時に、その人たちの思いを背負って闘うことになる。

奮えますね。いや、反省はしています。

 

レースの振り返り。

は特にしません。リザルトはこれ以前の投稿やFacebookを参照していただければ幸いです。

ど強風でしんどかったです。

 

今年のスナイプチームの完成度は主観的ですがかなりのものであったと思ってます。

このチームで全日本どこまでいけるのか楽しみで仕方ありませんでした。

それがなくなってしまった感情は悔しいというよりも、戦える人が羨ましい。

去年出てみて、全日本で闘うことということの特殊さ、異様さを今となっては感じます。雰囲気とはまた違いますが、見慣れないチームがワンサカいる中でその中でレースをする高揚感、ハイレベルな展開。

なんだか異様に楽しかった思い出があるのです。個人のリザルトが良かったからでもあるのですが。

全日本という舞台で、自分を含めた自慢のチームがどこまでやれるのか。いいチームだろと見せびらかしたかった。

すごく残念です。

風が違ったらいけたかもしれません。いけたと思います。

でもあの風で短期決戦で今年の秋インは成立して、そこで走れたやつが勝者。残酷ですね。

(強風だから、正直ぐうの音も出ませんが)

 

切り替えて新体制、そして個人戦もあるので、そこで今年の集大成を見せていきたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

長岡


悔しさをバネに

2020年10月26日 19時21分50秒 | レース反省

お久しぶりです。2年スナイプクルーの大根田です。

 

今回のインカレでは4番艇のクルーに選んでいただき、サポートメンバーとしてレスキューボートからレースに関わりました。

 

スナイプ級は当初の予定の10/9-11には強風のためレースが実施できず、予備日の10/17に3レース実施されました。

以下リザルトです。

49   31308 吉武/長岡 22-27-21   70

50   30785 永田/阿部 38-32-26 96

51    31418 戸沢/野村 32-25-29 86

合計 252点 11

10/9-11ではレギュラーに欠員が出て自分が出場することになっていましたが強風のためレースがなく、10/17でもレース直前まで自分が出場するかもしれないという状況でしたが結局出場することはなく、自分のインカレデビューはお預けとなりました。

 

そんな話はさておき、秋インカレ決勝の振り返りをしようと思います。

スナイプチームは関東2位を目標にレースに臨みましたが、結果は皆さんご存知の通り、11位となり、全日本インカレの出場を逃しました。

 

10/17のレースはかなり沖で実施され、大雨、強風、大波という過酷なコンディションで行われました。レース前、このチームなら本当に関東2位が取れると思えるそんなチーム状況でした。しかし、蓋を開けてみれば第一線でスタートを切れない東大の姿、普段ならいるであろう順位の艇団におらず下位で回航している東大の姿が目の前にありました。本当の実力が現れた、そんなレースでした。

 

着艇後、レースメンバーが口を揃えていうのは「練習不足」「実力不足」。確かに、コロナ禍での練習中断やなかなか強風の中で練習できない八景島という環境ではありました。しかし、同じ状況でありながらも全日本出場を決めた大学もあります。もしかしたら、東大スナイプが全日本常連となる中で我々のどこか過信、慢心があったのかもしれません。限られた環境で万全の準備をしていたつもりだが、もしかしたらもっと詰められるところがあったかもしれない。終わった後に「もしかしたら」の話をしてもしょうがないのはわかっています。しかし、そういったことを考えてしまうのが自分は悔しいです。

 

幸いにも自分には来年、再来年があります。先輩方の雪辱を果たすことができます。新体制のスナイプチームは今年のレースメンバーが殆どいなくなり、簡単に全日本を目指せるチームではなくなります。だからこそ、新体制ではより一層「全日本で良い成績を残すためのベストを尽くせているのか」、そんなことを意識しながら日々の練習を大切にして励みたいと思います。

 

これからも応援の程よろしくお願いします。

 

東京大学運動会ヨット部2年  

大根田智也


30位の壁

2020年10月23日 19時27分18秒 | レース反省

2470クルーの工藤光生です。

秋インでは、淡青のレスキュー隊長を務めさせていただきました。リザルトは以下の通りです。

 

【秋季関東インカレ決勝 国際470級】

全45艇
49 古橋・齋藤 24-17 41点
50 松前・大橋 25-25 50点
51 天木・廣瀬 35-18 53点
合計144点
大学別順位 全15校
1位 日本大学 23点
2位 早稲田大学 30点
3位 明治大学 60点
4位 慶應義塾大学 95点
5位 中央大学 103点
6位 明海大学 133点
7位 横浜国立大学 137点
8位 法政大学 138点
9位 東京大学 144点
10位 神奈川大学 161点

 

実際にレースに出ることは出来なかったけれど、レースの雰囲気を味わいながら全体を俯瞰して見ることができ大変勉強になりました。その中で感じたのが、

30位の壁」

というものでした。

 

これは単純に、今年の470チームは30位付近よりも上の順位が取ることが難しかった、という意味です。

レギュラーでもない2年が何を上からと言った感じですが、個人戦から団体戦まで全てのレースを見ていた中で強く感じました。

 

1上で良い順位でもフィニッシュでは25位まで下がってしまう。逆に、ケースを起こしてしまったり沈をしても35位には上がってこられる。

 

個人選、団体戦ともにしっかりと風が吹いた中で、浮き沈みはあっても最終的には実力が出やすかった。その中で、東大は勝つことができませんでした。自粛が明けてから必死で練習に取り組んで参りましたが、冬場に練習が思うように積めなかったことやコロナ自粛などによる練習機会の不足が響いたのだと思います。

 

僕はと言えば、先日行われた関東470に同期ペアで出場した際、第4R110位、第5R120位で回航したもののどちらもフィニッシュは50位前後でした。30位どころか50位が僕ら2年ペアの実力です。

 

来年は、実力を底上げして関東でハラハラすることなく全日本で戦いたい。

そのためにも、これからの冬場、いくら寒かろうと、練習ができることに感謝し濃密な練習を積んでいきたいです。

 

応援よろしくお願いいたします。