東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

ラストイヤーに向けて

2022年12月30日 21時56分23秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。

新4年スナイプスキッパーの千田綾菜です。

 

「ラストイヤーにかける想い」ということで、去年の先輩方が書いていたブログを読み返してみました。色々なものをヨットに懸けていて部のことも考えていて、本当にすごいなとぼんやりと思っていましたが、決意とかそういうものが見えて身が引き締まる想いです。

 

1年前と今を比較してみると、良くも悪くも思うところが違います。

1年前の方が純粋にヨットが好きでした。

1年前の方がガツガツ自主練スタンプを押していました。

冬の練習にも臆していませんでした。

春合宿が非常に短く感じました。

自分のことしか考えていませんでした。

 

ラストイヤーはそういうことを後悔しない1年にしたいです。ありきたりな言葉ですが、これに尽きると思います。

私はキャパの大きい人間ではなく、2つのことを並行してどちらにも全力で取り組むことは非常に苦手です。中高を思い返してみると、恋と勉強は両立しないタイプです。

 

ですが、来年小戸で部旗を掲げている姿を想像するとワクワクするし、みんなが同じ方向を向いて結果に一緒に悔しがったり喜んだりする姿は、素敵で良いチームだなと思います。

来年小戸で、1年間やってきたことを後悔したくありません。

 

全てが終わった時に、あの時こうしていればよかった、と思うことはきっと色々あると思います。この1年でさえたくさんありました。

でもそこに努力を惜しむようことはしたくありません。

 

崇拝してやまなかった先輩の◯◯ッ◯◯ー◯◯ー理論で、今年一年走り抜けていきたいと思います。

 

遅くなってしまいましたが、引退された先輩方、本当にありがとうございました。この場を借りて感謝いたします。

 

それでは皆様、体調にはお気をつけて、素敵な年末をお過ごしください。

良いお年を。

 

新4年スナイプ 千田綾菜


結果にこだわるということ

2022年12月29日 23時44分00秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。


4年スナイプクルーの柳澤球大朗です。


ラストイヤーにかける思いということで最上級生としての1年間、自分自身の意気込みをここに綴っていきたいと思います。


正直去年1年間、思い返せば悔しい思いばかりしていた気がします。


今まで、経験値も実力も足りない自分は、ただ自分が成長することだけを考えて部活に臨んでいました。


それがチームのためになると思っていたし、それしか自分にできることはないと思っていました。


しかしそれでも自分はプレイヤーとして1年を通していい成績を残せませんでした。


自分の成長ばかり考えていたせいか、チームとして他艇の成績がいい時も、全日本が決まった時も、自分が足を引っ張った悔しさでちょっとだけ虚しい気持ちがありました。


何もできなかった無力感。応援してくれるメンバーに対して申し訳ない気持ちでハーバーに戻った記憶は今でも鮮明に覚えています。


全日本で残ってしまったプレイヤーとしての悔しさは、プレイヤーとして成績を取ることでしか晴らすことはできないと思っています。


たとえ人間的成長ができても、人生の教訓を得ても、部活で楽しかった思い出ができても、最後にプレイヤーとしての結果を残せなければ残るのは悔しさと虚しさだけです。


足りない部分はまだまだありすぎるくらいです。この1年はひたすら厳しく結果にこだわる自分でいたいと思います。


自身のことについてもまだまだ余裕がない自分ですが、最上級生であるということも忘れてはいけません。


それは自分の結果にのみこだわるのではなくチーム全体の結果にこだわれるよう視野を広げなければいけないということです。


他艇が伸び悩んでいたら親身になる。結果が出ずに困っていたら助ける。470チームが立ち止まっていたら手を差し伸べる。スナイプチームが苦しい時は470チームに助けを求める。どうしたらもっといい結果が出るか考え続ける。


とても当たり前のことのように感じます。ですが切羽詰まった時こそこういったシンプルなことを忘れないようにしていきたいと思います。


さて、年内は1年生と乗ることが多かったですが、本当に1年生と乗るのは楽しいです。みんなやる気があっておもろいやつらで、吸収が早くてどんどん上手くなっていくので見ていてとても楽しみです。


下級生クルーもみんな厳しい練習によくついてきてくれています。最上級生クルーとして全日本で得た経験をみんなにもっと還元して自分も一緒にステップアップしていきたいなぁと思っております。


自分もチームもまだまだ伸びしろしかないです。来年はどんな1年になるか楽しみです!


これからも応援よろしくお願いします!


みなさん、良いお正月をお過ごしください〜


決意表明

2022年12月28日 16時43分58秒 | ラストイヤーにかける想い

平素からお世話になっております。

4470クルーの松尾一輝です。

新体制では、主務を務めます。

プレーではチームの主戦力として引っ張り、主務としては部の下支えをすることが今年の使命だと思ってます。

 

 

まず、最上級生としての想いを書きます。

 

どんな寒い冬も暑い夏も、しんどいレースも、精神的な柱になれるよう成長してしていきたいです。

 

強いチームがどういうチームか考えた時、最上級生が一番頑張るチームだと思います。技術的にうまいという意味ではなく、一番上に立つ人が一番努力することが大事だと思います。実際昨年は、4年生が誰よりも自主練してヨットと真摯に向き合っていて、それに応えなければという思いが自分の原動力になりました。

特に調さんは、僕が2年の時の自主練と昨年のインカレシーズン、誰よりも真摯にヨットに取り組む姿を真近で見せてくれて、僕を引き上げてくれた存在でした。

 

代替わりして間もない自分たちの代には、そういう気迫がまだ足りていないと思うので、自分から意識していきたいです。

 

また、精神的支柱であるということも4年生としての使命です。縁起でもない話ですが、来年のインカレで誰かがリコールしてしまったり、大きく叩いてしまった時に、自分がチームを前に向かせられるかと問うた時、今の自分の言葉と背中には説得力が足りていないと思います。

今年一年、態度でチームを引っ張り、同期と共にチームの精神的な拠り所になります。

 

最後に、東大ヨット部はこれまで人格者の集団でした。間違いなく。

こんな不器用な自分も見捨てることなく、大切に大切に育ててくれて、そのおかげで最後の一年まで来れたと思います。

今度は自分が後輩を大切に育て、東大の良い文化を繋いでいきたいです。

 

続いて、一人のプレイヤーとしての意気込みを書きます。

 

話は全日本インカレの最終日に遡ります。

無風の中APAとなり、曳航で帰ってきた時はすごく虚無感に襲われました。

レースが行われなかった呆気なさや、明日から現実に戻るんだなぁという不思議な感覚からくるもので、地に足のつかない気持ちでした。レースの中身や、成績に関してはあまり何も考えてなかったです。

 

それから東京に戻り、ふと我に帰るように、インカレを冷静に振り返る節がありました。このとき、一気に後悔や無力感が込み上げてきました。全日本インカレで、1日目は無難な順位ではあったものの、2日目は前を走れないレースが続きました。その時に、自分がその状況を打破するような引き出しを持ってなかったこと、そして普段からそういう意識で練習してこなかったことに後悔を覚えました。

 

去年の春にレースメンバーから外れて以降、悔いが残らないよう、それぞれの局面でなるべく自分を厳しく律して、実際悔いのない想いで全日本を迎えましたが、終わった途端、心に残ったのは後悔だけでした。

 

練習への姿勢や、レースに対する臨み方には反省するところも多く、そのツケが回ってきたのだと後ろ向きな気持ちになりました。

 

それから心機一転、

琵琶湖で感じた悔しさ、無力さは、小戸で晴らすと決めました。

 

自分が艇を引っ張り、全日本で前を走る。

 

自分のためであり、先輩方の悔しさを晴らすためでもあり、後輩に良い景色を見せるためでもあります。

 

1年間モチベーションを保つことは容易ではないですが、甘えに負けそうになった時は、インカレのイメージを憑依させて、走り切ります。

 

 

1年間応援よろしくお願いします。

4年主務

松尾一輝


Be cool to be faster, be tough to win

2022年12月27日 19時04分46秒 | ラストイヤーにかける想い
お世話になっております。
SNIPEチームリーダーの大野達也です。


ついに僕も「ラストイヤーにかける想い」というテーマでブログを書くことになりました。

東大ヨット部員としてだけでなく、中学からはじめた学生セーラーとしても最後の一年だと思うと感慨深いものがあります。


この複雑な想いを全て言語化するのは難しいですが、あえて二つに大きく分けるとすればSNIPEチームリーダーとしての想いとSNIPEスキッパーとしての想いがあります。この二つの想いは似ているようで相反するものでもあるのかなって思います。

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SNIPEチームリーダーとして

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僕はつい先日にSNIPEチームリーダーとなり、日々チーム運営に負われながら大変さを味わっております。去年は引退した四年生を見て自分ならもっと上手くやれるのになと思っていましたが、実際その立場になってみるとその難しさを痛感しております。いかに去年が四年生の庇護の元、気楽にできていたかが分かり、先輩たちには感謝しかないです。



僕はこのSNIPEチームリーダーとしてみんなに何を伝えていきたいのか。
思い浮かんだのは「辛いこと9割、楽しいこと1割」という言葉でした。

一見、この言葉は否定的でネガティブなものだと感じる方も多いでしょう。でも、僕はこれこそがヨット、いやスポーツの本質であり素晴らしさだと思うんです。


実際に自分のヨット人生を振り返っても辛くて上手くいかない事ばかりでした。 

心臓も凍るほど寒い真冬の練習
自然の猛威を感じるタフなコンディション
どんなに頑張ってもレースで前を走れない経験

そして高校の時、レギュラーになれなかったこと


僕だけでなく、ほぼ全てのセーラー、そしてスポーツマンが似たような経験をしているはずです。

それでは、なんのためにこんな想いをするために貴重な学生時代の時間を削ってるのか。


その答えが「楽しさ1割」なんだと思うんです。



長い冬合宿の中で感じる春の到来
荒れ狂う波と風の中で船を乗りこなせたこと
ラッキーでも良いから1上をトップ回航したこと

そしてチームの一員として少しでも戦績に貢献できたこと。



辛い経験をすればするほど、そんなたった1割の成功体験が眩いほどの輝かしい思い出になり、自分を突き動かす原体験になるんだと思うんです。
そしてこの経験は閉鎖された教室やサークルでは味わえないもので、iPhoneやSNSによってチープな娯楽が蔓延る今だからこそより強い光を放つんです。



そしてこの経験をするために必要なのが「仲間」なんです。


1人では抱えきれない辛い経験なら、みんなと一緒に2分の1にでも3分の1でも10分の1にでもして、
みんなで勝ち取った1割の楽しさを2倍、3倍、10倍にして分かち合えばいいんです。



そんなチームが僕の考える


「Fun for the win, Fan for the team」


なんです。




目の前に険しい道と楽な道がある中で、easyな「らく」な道を選ぶんじゃなくて、険しい道をenjoyして「たのしむ」。それこそがFunだと思うんです。



これが僕のSNIPEチームリーダーとしてみんなに伝えたいことであり、僕の願うチームの姿です。



次にSNIPEスキッパーとしての想いも書きたかったのですが、既に良くまとまった文章書けたと思うので終わりにします笑



また機会があれば…




大野 達也


真剣勝負

2022年12月25日 18時46分01秒 | ラストイヤーにかける想い
クルーザー班主将の伊東秀晃です。

年明けにかけて新4年生による連載ブログ「ラストイヤーにかける思い」が投稿されます。プレーヤー、マネージャー、各々の決意が綴られます。是非お読みください。



11月の全日本選手権は呆気なく終わってしまった。今年は勝てるという予感がしていただけにハーバーへの帰路もずっと結果を呑み込めなかった。ああ、このメンツでレースに出るのも最後なのか。そんな終わり方でした。「自分にはまだ次がある」という、どうしようもない甘えがあったからなのかもしれません。和歌山からの帰路は、そんなことを考えて、不甲斐なさ、4年生への申し訳なさで何ともいわれぬ複雑な気持ちでした。

完璧ではなかった。チームとしての完成度が高まってきていただけに、その事実に甘えてしまっていたのかもしれません。自分も、チームも。まだまだ上を目指せるのに、もっと高い目標を持つべきなのに、「まあいいか」そんな甘えがあったのかもしれません。

とりわけクルーザー班は、甘えとの戦いを追求し続けなければならないのです。一艇での練習をしなければいけないときもあるから、とにかく自分と戦い続けなくてはいけない。艇のレベルがポジションごとのレベルに帰されるから、自分で責任を負い切らなくてはならない。はるかな経験の差がある社会人チームに戦いを挑み続けなくてはいけない。どこかで妥協しようと思えば、妥協できてしまう。だからこそ、自分たちに厳しくあり続けなくてはならない。

今年度のクルーザー班の目標は蒲郡の全日本選手権で5位に食い込むこと、後輩たちに世界選手権への切符を渡すこと、と定めました。決して簡単な事ではありません。寸分の甘えも許されない。完璧を求め続けなくてはなりません。まさに真剣勝負です。

ヨットというスポーツに限ったことではないですが、気合だとか気持ちだとかそんなものだけでは結果は出てきません。だから、この目標も言葉だけで終わってはいけないのです。誰でも、大仰な口を叩くことはできる。結果を出さなければなんの意味もありません。

今年、いよいよ主将という立場を預かり、このチームに指針を示し続けなくてはなりません。ヨットを走らせているだけでは勝てないのと同じで、チーム運営をしているだけでは結果もついてきません。イニシアチブの取り方はまだまだ模索している段階ですが、自分なりのやり方で勝てるチームを創っていきたい、そう思っています。

日頃からお世話になっているLBの皆様、社会人チームの方々、その他かかわりのある多くの方々にはこれからもご迷惑をお掛けすることかと思います。東京大学ヨット部一丸となって努力を重ねて参りますので、変わらぬご支援とご声援を宜しくお願い申し上げます。

東京大学ヨット部クルーザー班主将
伊東秀晃

fun for the win, fan for the team

2022年12月24日 20時29分32秒 | ラストイヤーにかける想い
ディンギー班主将の西尾拓大です。

初めに、日頃からLBの皆様をはじめ、保護者の皆様、企業の皆様、関係者の皆様から、並並ならぬご支援・ご協力を賜り、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。
代替わりをしましたが、引き続き東大ヨット部をご贔屓いただけるよう、お願い申し上げます。

「ラストイヤーにかける想い」と題して、新4年が毎日一人ずつ、最後の一年を迎えるにあたって、今感じていることや、この一年の気合いを表現していきたいと思います。
ぜひお楽しみ下さい。



今回のブログを書くにあたって、ついに「ラストイヤーなんだ」って、感傷に浸ってました。兄に連れられハーバーに行くようになったのは、おそらく年少のころでした。それから、常に僕の生活の中心にヨットがありました。どんな時も、暇を作っては海に出る。もちろん、クリスマスも!まだまだ続きそうな気がしてしまいます。


でも、ついにラスト一年。


やっぱり気合い入ります。
でも、率直に言って、代替わりしてからというもの、やっぱり僕が思っているようには、順調にいかないですね。チームをまとめてきて下さった先輩方には頭が上がりません。

あれもしたい、これもしたい、と夢ばかりが広がる僕ですが、容量良い訳でもないし、
何かと、アップアップしています。

高校まではシングルハンドで個人活動していたので、他の部や団体を客観的にみる機会が多く、「こういう風にすれば、もっと上手く行くのにな〜」と、他人事ながら考えていたのですが、いざチームに所属してみると、そう単純ではないですね。
自分が思っているよりずっとずっと多様な価値観があるし、
どんなけ話しあっても妥協できないところはあるし、

でも、一人一人考え方や価値観が違うことは、至極当然なことだと思います。逆に、全く一緒だったら怖いですよね… 
全員が僕みたいだったら、それこそホラーです。
いろんな考えがあるからこそ、纏まるのは大変だけど、その苦労した分チームに柔軟性が出てくる、そういうもんだと思います。これからも立場や学年関係なく、話しあえる機会を大切にしたいです。

でも最近気付くのは、「大変だ」、「忙しい」、とか言ってる割には、すっごく楽しんでる自分がいるってことですね。
色々悩んでしんどくなったり、時間なくておにぎり片手に昼休みに課題をやったり、周りからはどう思われているかはわからないですが、毎日が楽しくて楽しくて仕方がないです。今までの中で一番、楽しんでる気がします。

部のこと、ヨットのことなら、どんなけ疲れてても、パワーが湧いてくる。不思議ですね。

一見、部のために、誰かのために、頑張っているように見えるのかもしれないけど、むしろ究極的には自分のために頑張ってるんじゃないかなあと思います。楽しいからやる、至って単純ですね。

不器用でなかなか上手くいかなかったとしても、泥臭く、走り回ってるのって、自分らしい気がするし、たとえカッコ悪くても、そういう姿勢をこの1年間貫けたらと思います。

さてさて、自分語りもこの辺にしたいところですが、あと一つだけ。(すみません、また長々となってしまいました。。。)

今年度は、去年の戦績を上回る「全日本総合入賞」という高い目標を掲げている上に、七大学戦、六大学戦の主管校をつとめ、さらにはLBCHヘ活動拠点を移す予定です(多大なるご支援、誠にありがとうございます)。

こんなにも盛り沢山な年は、きっとないでしょう。どれか一つを成し遂げるだけでも大変ですが、恵まれたことに沢山の課題があります。

これらを成功させるためには、みんなの力が必要です。
しかも、普段の自分たちの力よりちょっと背伸びするくらい。

でもきっと、その「ちょっと」が重要なんだと思います。
1年間、誰しも200%力を出し続けることは不可能です。でも、101%ならできるかもしれないです。その1%が、誰かの1%を引き出し、そしてその1%が積み重なって、誰かを幸せにすることができる気がします。

ハイクアウト、ちょっと頑張ったり、
今日のランニングの最後の10m、いつもよりちょっと頑張ったり、
落ちているゴミをちょっと拾ったり、
自分に与えられている役職をちょっと工夫したり、

僕も、その「ちょっと」を生み出していけるように頑張りたいなあと思います。
普段の自分をちょっと越えられた瞬間って、最高に楽しい気がします。

それを体現できたら、僕らのスローガンの
「fun for the win, fan for the team」
に辿りつけるのではないでしょうか。
それぞれのペースでいいし、それぞれのやり方でいいから、
各自のmaxパワー+αでやっていって、このスローガンを実現し、
最終目標の「全日本インカレ総合入賞」を成し遂げたく思います。

僕らのサクセスストーリーは、全日本インカレで総合入賞を果たし、たくさんのfanの方々とおおっきな円をつくって、その真ん中に部旗をはためかせながら、最高の笑顔で「東の海」を合唱すること。



なんか、見えてきた気がします。



そして、最後の最後に。
こんなにも自由に、そして伸び伸びと自分たちの目標に向かって、活動できているのは、同期に恵まれ、チームに恵まれ、先輩たちが部を築き上げてくれ、L Bさんに支援してもらい、親から応援してもらい、全部をここであげるのは無理ですが、本当にたくさんの方々が支えて下さっているからだと思います。
その感謝の気持ちを忘れず、ラストイヤー駆け抜けたいと思います。

応援のほどよろしくお願い致します。

ディンギー班主将
西尾拓大










メリークリスマス!!!

全ての出会いに感謝

2022年12月23日 20時40分23秒 | 引退ブログ
ご無沙汰しております。
昨年度スナイプチームリーダーをさせていただきました大根田智也です。
早いもので全日本インカレから1ヶ月以上が経過しました。といっても、引退後も色々な形でヨットに関わっていたので、ようやくヨットから離れた日々が訪れたという感じです。
ヨット部の存在がどれほど大きなものだったのか、この退屈な日常を過ごしているときに思い知らされます。
最後の1年間はヨット部のことを考えていない日はなかったように思えます。本当に毎日チーム運営を考えてコーチや同期と連絡をとり続けていました。そうしたLINEの通知がなくなり、引退したことを特に実感します。


さて、引退ブログなのですが、何を書こうか非常に迷ってここまで来ました。全日本を振り返るか、1年を振り返るか、4年間を振り返るか。色々書き始めましたが、うまく言語化していくことができなかったです。そんなわけでだいぶ遅い投稿となってしまいました。申し訳ございません。


このブログを書くにあたって、リーダーとしてチームの目標も部の目標も達成できなかった自分が最後に後輩に言い残せることは何か考えていました。チームの目標の達成のさせ方とか強くさせ方とかは正直最後までわかりませんでした。いろんなことを考え相談し、最善だと思うことを選択してきたつもりでしたが、それがあまり正解ではなかったことは結果が物語っているのかなと思います。正直、悔しかったです。
クラス優勝という目標も達成できず、最終日に最高のレースをして東大スナイプの力を見せつけようと話していたがそれもできず、最終日にAPAのフォーンがなった瞬間は素直に喜べませんでした。
ですが、一緒に乗っている古山や418と308の4人、レスキューに乗っているチームのみんなが笑顔でいてくれて、「ああ、みんなが喜んでくれてる」と思い、最低限の責務は果たせたのかなと思い、笑みがこぼれました。


こうやって、インカレを終えて、後悔していることがあるとすれば、自分が1年間、総合入賞という点に重きを置けていなかったということです。スナイプチームを勝たせることが総合入賞につながると思って、スナイプチームのことばかり考えてきてしまいました。調が主将として総合のことをこだわっていたのに自分としては自分のチームのことばかり考えてしまいました。正直余裕がなかったし、なんとかしてその余裕を生み出そうともできていなかったと思います。470チームの泣いている姿とか悔しがっている姿を見て、自分は何かできたのではないかという思いが込み上げました。
ライバル視していた京大が総合3位を手にしてチーム全体で喜んでいる姿とか、早稲田が総合優勝して円陣して歌っている姿を見ると羨望の気持ちでいっぱいになりました。
改めて全日本インカレは総合を目指すことに大きな意味があると思い知りました。正直、近年のインカレではそういう経験ができなかったと思います。後輩たちにはぜひ総合を目指すことの尊さ、そして達成した時の喜びがどれほどのものなのか、琵琶湖を思い出して忘れないでほしいと思います。どうか470とスナイプ、ディンギーとクルーザー、プレイヤーとマネージャーの垣根を越えて視野を広く、余裕を持って部活動を見つめられるようになってほしいです。そういった文化がやがて東大の総合優勝につながると信じて...。





さて、改めてこの4年間を振り返ると本当に多くの人たちに助けてもらい、成長させてもらったと思います。この場を借りて感謝申し上げたいと思います。

まず、家族。家族はどんな時も味方でいてくれました。どんなに部活がしんどくても、家に勝手親が作ってくれた食事を食べれば、なんとかなりました。そして琵琶湖まで応援にきてくれてありがとう。今までのスポーツ人生では引退時に悔しすぎて泣いていたけど、最後に笑顔を見せられてよかったです。これから恩返ししていきます。

同期は本当にヨットが好きな人の集まりでした。最初はついていけませんでした。こいつらオフの時までヨットのことを考えて大丈夫かと思っていました。それでも日が経つにつれてその熱量に感化されたし、本気でヨットをやる上でこの上ない環境だなと感じさせられました。本当にありがとう。そして、こんなにもめんどくさいプレイヤーたちを最後まで支えてくれたマネージャーには感謝してもしきれません。ありがとう。本当はここで個別に感謝したいですが、ありえないくらい長くなってしまいそうなのでやめます。これからもよろしく。

先輩たちは強く厳しく、自分たちの憧れとなる人ばかりでした。自分がヨット部が好きになって最後まで続けられたのは先輩方が築いたヨット部の雰囲気あってこそだと思います。こんな自分を育てあげてくださってありがとうございました。今後もまだまだ甘えさせてください。

後輩たちは良い意味で生意気で明るい人が多くて助かりました。時に衝突する時もあったけど、最後までついてきてくれて本当にありがとう。自分たちの悔しさはきっと彼らが果たしてくれると信じています。頑張ってください。特にペアを組んだ西尾と大野には感謝しています。西尾と組んでいた時は何もかもうまくいかず、大変な時期を過ごしました。自分の実力不足を思い知り、努力をしてくることができました。大野はめんどくさいやつで、いつもメンタルブレブレで一緒に乗ると苦労しかなかったです。それでも、一緒に上を本気で目指してくれたからこそ、いい景色も何度か見られました。秋インで1上トップ回航した時はめちゃくちゃ興奮しました。そして、二人はペアを組んでいたこともあったからか本当に物怖じせずに意見をしてくれました。リーダーとして本当に大変だったけど、君たちのおかげでマシなチーム運営ができたのかなとおもいます。助かりました。ありがとう。

そして、LBの皆様。私は4年になって改めてLBの皆様がどれほど偉大な存在なのか、どれほどの人たちが自分たちの活動のために動いてくださっているのか実感しました。不自由なく、活動できたのは皆様のおかげです。これからも皆様と一緒に現役の活動を支援していきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

小松さんには4年間お世話になりました。ヨットのことを何も知らない時から根気よくご指導してくださいました。そして、セーラーとしてのあり方、自然の恐ろしさ、セーリングの奥深さなど様々なことを教わりました。4年になって何度か迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。これからも東大ヨット部をよろしくお願いします。

矢野さんには最後1年間本当にお世話になりました。優柔不断でいろんなことを考えすぎる自分は鬱陶しいリーダーだったと思います。それでも最後まで寄り添い、相談にも乗ってくださり、そしてヨットの楽しさや勝つことの厳しさを教えてくださり、最高のコーチでした。厳しくも愛のある言葉にいつも助けられました。少しは矢野さんに認めてもらえる存在になれていたら嬉しいです。今後もよろしくお願いします。

京大OBの村山さんには1年生の時に少し一緒に乗せてもたっただけの存在の自分に対して、引退までいろんな相談に乗っていただきました。特に秋六大戦が終わった後に電話で自分の悩みや不安を聞いてアドバイスしてくださった時は自分の気持ちの整理ができ、インカレに向けて良い再スタートができました。本当にありがとうございます。

きよみちさんは全日本スナイプの期間にお世話になっただけなのに自分を大きく成長させてくださりました。あの1週間は自分の不甲斐なさに情けなく、何度も涙を流してしまいました。ですが、あの1週間のおかげで最後の夏で自分は大きく成長できたと思います。もっと早く出会いたかったと思っています。ありがとうございました。

最後の1年間はいろんな他大学の同期や後輩と関わらせてもらいました。みんなを知れば知るほど負けたくないという気持ちにさせてもらい、自分のケツを叩き直すことができました。関東スナイプ飲みしようという話が止まってしまったけど、ぜひやりましょう。



ここでは述べきれなかったけど、本当に人に恵まれたヨット部生活でした。
こんなにも幸せな4年間を過ごさせてくれてありがとうございます。ヨット部に入部したことに何一つ後悔はありません。





前スナイプリーダー兼副将  大根田智也

年末って、夕焼けのイメージですよね。。

2022年12月22日 23時36分02秒 | 通常練習
お世話になっております。
3年470スキッパーの安藤です。

早いもので、今年の正規練習は紅白戦、大掃除、東大W杯という恒例の楽しいやつをやって、終了となりました。これからは強化練習期間に入り、2月10日の春合宿まではしばらく、ヨット部が全員揃った練習はお休みとなります。

僕は12月に入った頃から、クルーザーのPre Anior's Cupへのディンギー班からの派遣で、小網代に行っておりました。実はディンギー班年内最後の正規練となる12月18日にはプレアニが開催されるはずだったので、年内最後のヨットは蒲郡で過ごす予定でした。残念ながら強風予報のためプレアニは中止となってしまったので、八景での練習に参加いたしました。しかし、結局レースには出られなかった訳ですが、クルーザー班にて練習したこの数週間では、結構色々なことを学べたんじゃないかな、と思います。クルーザー班の、一人一人に照準を合わせてチーム全体が練習や反省をできるという環境は、ディンギー班での練習とはかなり感覚が違って新鮮でした。そういった経験は今後ディンギー班にも還元していきたいです。クルーザーには一年生の6月以来全く乗っていなかった僕を受け入れてくれて、貴重な経験をさせてくれたクルーザー班に感謝です。

じゃあクルーザーで具体的に何を学んだのかというと、色々ありますが、まずは船の上での一人一人の専門性の高さです。2人で乗って動かすディンギーでは、よくも悪くもマルチタスクにならざるを得ないです。しかし6人で動かすクルーザーは、スタート、アップウィンドの帆走、上マーク回航、ダウンウィンド、全てにおいて個々人がすることが専門化されています。それぞれの場面で各々が自分の役職に専念できるため、各々の動作、仕事に関しては上達速度が違うな、と感じました。また、6人が同じ船に乗って動作を分担するため、結果的に船の上では12個の目のうち半分以上は海や他艇を集中してみていられます。なんなら僕は動作が少ない2番の位置だったので、ほぼずっと海を見ていました。そうやって、船の上で3人以上が常に海を見ている、それをドライブチームに常に共有する、という環境は、とても刺激になりました。
また、タクティクスやストラテジーも、常に複数人が相談しながら議論しながら決めていくことができます。タブルハンドなら一人の人が頭の中で考えて決めて船を動かす、と言ったことも、言葉に出して共有していくので、必然的に「誰かに説明する」という形で船を動かす、といった形になります。それもまた今までとは違った新鮮な体験であり、これからにも活かしていきたい学びです。これまでそういったことを意識してこなかったわけではないですが、クルーザーの上での情報共有は練度も量も違いました。これからヨットに乗るときは、そこに近づけていけるように、思ったことはなるべく言葉に出して、言語化して説明できるようになっていきたいと思います。

そんなこんなで、今年も暮れていきます。

今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

安藤

あっという間でした

2022年12月22日 17時51分00秒 | 通常練習

お世話になっております。新3年スナイプスキッパーの中静勇輝です。


12/17(土)、12/18(日)の練習報告をさせていただきます。


17日(土)は午前中は北西微風の中、動作練やラウンディング練習を行いました。

この日はオランダからの留学生のMaryn(マライン)君が体験練習に来ました。マライン君は幼少期からセーリングを嗜んできたということでそのセンスは素晴らしく、初めて乗るというスナイプも乗りこなしていました。海外セーラーを見るのは初めてだったので少し興奮しました。彼なりのセーリング理論があるらしくそれを教えてもらおうとしましたが、自分のカタコトの英語ではあまり聞き出せませんでした。もっと英会話をやっておけば良かったです。

その後のトレーニング、夕ご飯(この日は鍋でした。おいしかったです。)も楽しんでくれているようでした。



18日(日)は紅白戦が行われました。

470の人がスナイプに乗ったり、その逆もあったりして、楽しそうなペアがたくさん生まれていました。

僕はオープン艇(観覧艇)としてホッパーで出ました。あまりディンギーの邪魔をしないようにしようと思っていましたが、気づいたらミート時に「スターボおおお!」と叫んでいました。すみません。でも、久しぶりにホッパーに乗れて楽しかったです。あの水面との近さがたまらないんですよね。

その後陸上でのポートボールも紅組と白組対抗で戦い、とても盛り上がりました。PKの末、今年の紅白戦は白組が勝利しました。


また、この日は大掃除もしました。合宿所や艇庫が見違えるようにキレイになりました。

それに、なんといっても布団を干せたことが大きかったです。数年間陽の光を浴びて来なかった布団たちをマリーナの屋上に引っ張り出し、バサバサしたりファブったりしました。

マリーナの屋上は景色も良く、気持ちよかったです。



今週で2022年の練習は終わりとなりました。

ここからしばらくオフとなりますが、1月には任意参加の《特別強化練習》があります。それに参加できるよう、今から少しずつ勉強しようと思います。


今年も1年間ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。



中静勇輝


今までの人生で一番楽しい時間でした

2022年12月22日 00時19分52秒 | 引退ブログ
どうも。LB1monthの藤田郁と申します。




古山クンの鬼長引退ブログでハードルがあがってしまい、みんなのほとぼりが冷めるまで待つことにしたら、自分のほとぼりも冷めてしまい、こんなに遅くなってしまいました。すみません。ところどころ雑ですが許してください。







2019年4月、上クラの中野さんのアタックを受け、試乗会に行きました。中野さんは新歓のプロだったので、ボート部のスタッフで心が決まりかけていたくれはを誘って一緒に来るよう命じてきました。同じクラスで、すでに入部していた調べクンから「ヨット部には女子プレーヤーが必要なんだ」というアツい新歓を駒場の食堂で受けたりもして、レスキューの運転も楽しかったし、入部することになりました。


1年生八景練がはじまって、ムキムキのしっかりしてる先輩に、ホッパーの艤装を教えてもらいました。その日の午後に、それが工藤クンという同期だったことを知りました。


ホッパーに山本パパや古関さんと乗って、いろはを教えてもらって、1人で乗りはじめたら、もうあっという間にヨットに夢中になりました。沈は怖かったし、出着艇はやりたくなかったけど。
土日が楽しみで、そのおかげで平日の勉強も捗るくらい、ヨットが、ヨット部が好きになりました。




サポートの間は、ヨットレースのこともイマイチよく分からずに1日レスキューに乗ってました。眠いときもあったけど、つまらないということもなくて、同期よんななまラーズと一緒に3年後こうなってるんかねぇ、と合同コース練をながめていました。



代交代後、470に乗り始めて、スキッパー初日の最初のタックで沈して、そのとき一緒に乗っていたちかさんはその先が思いやられて絶望したと思いますが、大丈夫大丈夫!と明るく励ましてくれました。ここで舌打ちとかされていたら今のわたしはなかったかもしれません。こんな下手っぴが自主練したいと言ってもずっと来てくれ続けた、470クルーの先輩たちの横顔(クローズ帆走中)がかっこよくて。自分が先輩になってもこうなろう、とこのとき心に誓いました。


この時期はひたすら腕の筋力との戦いです。1月オフに怠けていたせいで、2月の最初の練習で腱鞘炎になり、強風の日はメインシートを持つだけで痛い状態が続きました。おじいちゃんの家の近くの外科医(のちにヤブ医者と知る、)には、2週間は安静にしろと言われました。でもこの最初の大事な時期に同期と差がつくことだけは嫌だったので、無視して乗ってました。翌週に家の近くの整骨院に行ったら、サポート器具を使ってヨットに乗り続けられる方法を考えてくれました。あのときヤブ医者の言うことを律儀に聞かなくてよかったです。


中風以下の風のセーリングが好きになりました。なのにこの年の八景レースも東北大戦も南風爆風で、セールを破いたりレース中に沈したりで、心の中でずっと「練習とちがーーーう!!」と叫んでました。でも、この普通に生きていたら絶対にしないような経験をして、命からがら陸に戻ってきたときの、人生の糧になった感が、ちょっとだけ好きでした。これからピンチに瀕する時があっても、ちょっとだけ、過去から力を分けてもらえる気がします。





活動停止になってからは、毎日走って、たまに料理して、週2のミーティングに出て、二重跳びをしていました。50回連続で飛べるようになってやめました。でも、いつ終わるかも分からない状況に耐えられなくて、6月はほとんど家から出ませんでした。ずっとドラマを見てました。


活動再開して、初日に熱中症でぶっ倒れたりしながらも、太陽の下、海の上でセーリングできることが純粋に幸せで、ずっとエンジョイセーリングをしていました。セーラーっぽくなりたくて、裸足で470にのっていました。(日焼けが痛くて嵩のある狭いお風呂にVの字で入らなければならなくなって、面倒だったのでやめました)


あれよこれよという間にやってきた秋インは、わたしはハーバーにも入れず、家から入部したての1年生とzoomをつないで、オンラインたまやをしました。爆風の2レース決着で、数点差で全日本にいけなくて、そして天木さんの代最後のミーティングも、みんな号泣していたらしいけれど、参加できず、そのまま引退されてしまいました。感じたのは、こんなに他人事な引退あるか??っていう疎外感でした。



でもその直後から葉山での自主練で、わたしと調べと高原に、小松さんと天木さんとちかさんとしゅうさんが来てくれて、とんでもなく練習の質が高かったのを覚えています。01が1番角度が取れるね、バウが重いからかな、なんて話をしてた気がします。




このころに、クローズでプレーニングもできるようになって、それまで強風なんて苦痛でしかなかったのに、6.7mの風が少しだけ好きになりました。



八景に戻ってからは、後輩と乗るようになって、もうエンジョイセーリングどころではありませんでした。ハーバー内沈からはじまり、今までまったく見てこなかったところで下級生がトラブってたり、質問されたりで、頭の中はずっとワイワイパニックでした。

でも、自主練で少しずつ、まわりをみて、クルーにアドバイスすることができるようになりました。そういや、この時期の自主練のペアも、藤田丸山と調べ松尾が多かった気がする。小松さんと2人でレスキューに乗ることも多くて、セールセットやマストベンドなどの真面目なことも教えてもらったし、世界のおすすめセーリングスポットや外人セーラーとのエピソードなどもたくさん教えてもらいました。話が盛り上がってヨットほったらかしのこともありました。ヨットや海のことを知り尽くして、時には過酷な思いもして、それでも海に出続けるほどに魅力のある世界なんだと、小松さんの半生や、海のことを考えるたびにわくわくしてました。




3年生、純粋にヨットが好きでした。少しずつコース練でも戦えるようになってきて、先輩の指摘も高度なものになっていって、自分の中で理論も構築されてきて、なんのプレッシャーもなくて。しゅうさん、ちかさん、まるちゃんとたくさん乗ってました。春は5番艇、秋は4番艇で、インカレにレースメンバーとして出ることは叶わなかったけれど、レースメンバーもみんな大好きだったし、東大ヨット部として成績が良ければ純粋に喜べる性分だったので、あっさり、真剣に、サポートしてました。
(1番気楽で楽しかった時期ゆえにこれしか書くことがない)



3年生の夏は、大好きな4年生があと3ヶ月後にはいなくなる、という寂しさに打ちひしがれることが多かったなぁ。面倒見がよくて気前がいい、ザ・先輩という人だらけだったので思う存分甘えていたし、甘やかしてもらいました。いまでも大好きですよ❣️仲良くしてくださいね😃




うわぁ本当に部活こなくなっちゃった、そんな風に寂しがる暇も無く、せかせかわたしたちの代が始まりました。1個上の代のとき、サポート頑張れたのはレースメンバーがみんなナイスガイだったからなんよなぁ、だから、みんなが好きになれるチーム、居心地がいいチームを作りたい、そんなことを幹部ミーティングでみんなに伝えました。


調べクンはヨットの上で笑わなくなっちゃったし、高原は相変わらず何考えてるかよくわかんなかったけど、工藤は相変わらず声デカくて、とりあえず4人で470チームを引っ張るの、なんだか胸熱なものがありました。自分にできることをしようと思って、下級生のお悩み相談に乗ったり、海上でチョけたりしました。必要だと思ったから、チョけてたんですよ?





春インはまるちゃんと。とても乗りやすかったです。お互いを気遣いあう、いい関係性のペアでした。でも、2人ともはじめてのインカレで、独特の空気に口数も少なくなってしまって、いつも通りにはいきませんでした。でも、2日目第1R、5位でフィニッシュして、それまでの微妙な成績もわたしの中で、無事帳消しにされました。笑


5-7月は加藤とペアを組みました。いつでも、どんな時も、平然と加藤のままで、戸惑いの連続でしたが、逆にレースも本当にいつも通りでした。本番でもほぼ練習のときみたいなパフォーマンスができて、コセン、七大戦ともに、そこそこ走りました。加藤ありがとうねぇ。






4年夏。
調べクンに夏合宿の目標を聞かれたとき、余裕を持つことだと即答しました。結局今までのどの長期合宿も、最後の方は疲れて、何も考えたくなくなって、他の人のことを気遣うことはできなくなっていました。だから、最後だけでも、470チームも、スナイプチームも、ペアも、同期も、下級生も、1年生も、みんなのことを気にかけよう。そう思って臨みました。


できてました……かね?笑
ちょっとでもいくちゃんいて、いくさんいて、いくちゃんさんいて、合宿助かったなぁなんて思ってくれる人がいたら、嬉しいですね。




8月からはまた、まるちゃんとペアでした。春のときより、船を引っ張ろうという意識を強く持っていて、頼もしくなっていました。そして、春のときより、遠慮がなくなって、ギスギスするときもある、悩めるペアでした。楽しかったけど。



たかまが怪我をして、3番艇争いがなくなりました。
自分が走らないと、直接、チームの成績は悪くなる、という立場になりました。逆に自分が走ればチームでいい成績を残せる、だからもっと上手にならないといけない。9月からはそのモチベーションで頑張ることになりました。


でも、それは、本当につらかった。焦りと不安と、なのに成績が奮わない虚しさで、なにかに押しつぶされそうでした。秋インも1レース目にリコールして、しんどい展開になって、もし負けてこのまま引退したら自分ヨット部嫌いになりそうだなぁ、なんて心のどこかで考えてました。


なんとか全日本につなげることができたけど、その後の10月の練習も、なんなら全日本でも、立て直すことはできませんでした。






やっぱり切磋琢磨できる存在がいるって大事だなって。それでスランプに陥ったのはどうやったって自分の落ち度ではあるんですが。自分がダメなとき、いまの自分よりいい成績を残せそうな人が控えていることの安心感はきっと計り知れない。


だから、全日本で、叩きまくって、たかまと加藤に交代しようと言われたとき、悔しいより先に、ホッとしました。ホッとしてしまいました。





正直なところ、全日本の間のメンタルはもう、ぐっちゃぐちゃでした。何かを考えるたびに涙がでてきて、慌てて隠して、審問で負けたあとなんかは、宿でひとり、声を押し殺して号泣していました。


わたしもしんどかったけど、まわりの人にも(特にまるちゃん)、シンドい思いをさせ続けてしまったと思います。ごめんなさい。



支えてくれた各位、本当にありがとうございます。励ましの言葉をくれたり、無言で背中を叩いてくれたり、そっと慰めてくれたり、関係ない明るい話題で上を向かせてくれたり。わたしを支えた心当たりなんてない、画面の向こうのそこのアナタにもきっと、わたしは支えられていました。



つまるところ、わたしは自分のためには頑張れませんでした。ヨット部のみんなのおかげで、最後まで前を向いて戦うことができました。
最終日、結局レースはなかったけれど、またスターティングメンバーになってからは、本当に前だけを、次のレースのことだけを考えていました。



まっっっったく満足できる結果ではなかったし、これが実力だ、と潔く笑顔で終えることもできなかったけど、でも1年間、いやヨット部に入った時から全日本まででお世話になった人みんなと一緒に戦うことができたと、改めて東大ヨット部が好きになった大会でもありました。






積み込みを終えて帰りの新幹線、くれはと、あのとき試乗会にいったのが始まりだったねぇ、と思い出話に花が咲きました。ながかった、ながかった4年間が、そこでようやく締めくくられました。













最後にひとつだけ。









今年の年初めのリレーブログです。



やっとのことで新歓で手に入れた1年生が、部を離れてしまったことを憂いながら書いた気がしますが、最後の文言はそれから9か月、頭の中で反芻しつづけてきました。

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わたしの人生にとってヨット部はかけがえのないもので、ヨット部の歴史にとってもわたしはかけがえのないものでした。出会えてよかったね。
引退の日に、そう思いたいものです。


マッチング・ショット - 東京大学運動会ヨット部

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わたしの人生にとってヨット部はかけがえのないものでした。






ヨットというスポーツや合宿で揉まれて、大学に入る前には想像もできなかったような、たくましくて、いろんな経験を乗り越えた人間になりました。


ヨット部を通じて先輩、同期、後輩、LBの方々、コーチ、他大ヨット部、他の運動会部員などなど、いろんな人と出会いました。それぞれが、わたしの人生を彩って、ヨット部に入る前の自分より、明るくて、責任感と、闘志と、負けず嫌いを併せもった自分に導いてくれました。







ヨット部の歴史にとっても、わたしはかけがえのないもの、だったでしょうか?




いまいち自信はないのですが。わたしがヨットに乗ったことで誰かが上手になったり、わたしが新歓で入部させた誰かが活躍したり、わたしが励ました誰かが辞めるのを思い留まったり、わたしが癒しで部活頑張ろうって思ったり(…これは冗談です)、そういうものではいくらか貢献できたと、思っています。それは今の成果にとどまらず、これから先、わたしがいなくなったあとのヨット部でもその痕跡が垣間見れれば嬉しいです。


全日本の最終日、調べクンも言ってたとおり、わたしはこの全日本での悔しさを後輩に託すことができます。4年間何してたんだろ、何の結果も出せなかったじゃないか、と自暴自棄になることなく、自分の4年間が後輩にとっても価値のあるものだったと信じて、跡を継いでもらうことができます。丸投げに聞こえるけど、これから、わたしがヨット部にかけがえのないものだったと証明してくれたら嬉しいです(^ー^)














出会えてよかったです。ありがとうございました。













東京大学運動会ヨット部
藤田郁