東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

蒲郡日記 10月31日

2018年10月31日 23時54分00秒 | 全日本インカレ2018


こんばんは。今日は30785スキッパー吉武の誕生日です!宿でメロンパンナちゃんケーキを作りました、4年水石です。なんか狂気を感じる仕上がりになった。

今日は朝レース用セールで出艇して風が上がったので着艇、計測の準備と整備をし、計測の後主将会議、開会式が行われました。全日本インカレ開幕です!工藤、磯野、小野、大橋、落合が来て最初の倍以上の人数になりました。
午前中走り合わせをしていた時間は一時間もないのですが、浅川いわく一日分疲れたというくらい濃い練習になったようです。レースメンバーの集中力は言わずもがな、淡青リーダー西坂が熱く頼もしく、一昨日までよりも断然たくさんの指摘をスナイプにしてあげられます。今日蒲郡にいるなかで最強のマネージャー(西坂水石はマネージャーとしてパンフに載っている)だと思います。明日もレースメンバー6人淡青6人陸4人全員が勝つ気でいます。私は全日本で結果を出したい気持ちがレースメンバーだった去年より強くて面白いなと。
1日目の配艇です。

13 31418 高山・田原
14 31308 浅川・多賀谷
15 30785 吉武・阿部
淡青 西坂・水石・戸沢・野村・永田・天木
陸番 小野・塚田・大橋・落合

予定では10:00 470第一予告で3レース、どうやらこの4日間乗ってきたような風でのレースになりそうです。淡々としたレースを、できるようなサポートを、していきたいと思います。
応援よろしくお願いいたします。


蒲郡日記 10月30日

2018年10月30日 23時12分00秒 | 全日本インカレ2018
31日朝の追記
私昨日の永田君のブログを上書きしてしまったらしいのですが、もちろんそんなつもりは全くなく、私は自己満足で書いてるだけなので蒲郡にいる人に書いてほしいに決まってるんですよ。本当に申し訳ありませんでした。永田さん覚えてたら書き直してください…


こんばんは。名古屋行きの夜行バスの中にいます、4年水石です。今日は顕微鏡のなかの63μmくらいのものを見ていたので広い海が恋しいです。
昨日から今日にかけて蒲郡には浅川、西坂、塚田、天木、永田が到着し、一気に賑やかになりました(たぶん)。昨日まではほぼスナイプチームだけで練習していましたが、サポートメンバーが入ったことでいよいよ部全体での遠征という雰囲気です(写真を見る限り)。

…私今日これ書く意味ない気がするな。

蒲郡に来て淡青から練習を見ている時、レース艇のいてほしいところにいるように、欲しい情報を渡せるように、と考えていますが、時々、雑念が湧いてくることがあって。リーチング楽しそうとか走り合わせしたいなーとか千葉大もっと前走ってとか学習院早く来いとか。まあそんないろいろを感じるために来ているところもあるので、470の下級生にとってはこの全日本が、私の2年生の秋インみたいになるのかもしれないなとふと思いました。

昨日まで、自分が出ないからかわかりませんが思った以上にいつも通りの気分です。レースメンバーはもしかしたら緊張高揚があるのかもしれないけど見た目そうでもなく、葉山の4年生部屋でごろごろしていたようにスナイプ部屋で無駄話をしていたり、夜明日のお昼を買いにコンビニ行ったり、海で考えていることもたぶんいつもと同じと思う。高山の口が悪いのも田原がお疲れモードなのも多賀谷に話が通じないのも戸沢が意味わからないのも阿部がタメ口なのも大善が長電話してるのも吉武がラテンのリズムで歩いてるのもいつも通りですね。悪くないんじゃないかと思います。田原さんは今日明日でよく休んでほしいが。あと私も、顕微鏡を覗いたまま寝る、鍵を蒲郡に忘れて家に帰れなくなる、と平常運転すぎて困ったので、明日の受付、計測、開会式からの大会期間はもう少しまともにいきたいと思います!


蒲郡日記 10月29日

2018年10月29日 23時03分43秒 | 全日本インカレ2018

こんばんは。東京行きの夜行バスの中にいます、4年水石です。明日は学校に行かないといけないので、サポートは西坂くんにバトンタッチして一時帰京します。浅川、永田を乗せたにしざカーはそろそろ宿に着く頃でしょう。今日の夕方にはマネージャーの塚田が蒲郡に着き、明日からも少しずつ人が増えてくる予定で楽しみです!

今日は418, 785, 563の3艇で、午前中は東北大学と北海道大学、午後は早稲田大学のコース練習に参加しました。マークが打たれると海にいるほぼ全ての艇が集まってきて自ずと大規模のコース練になります。午後は数えたらスナイプだけで44艇いて、海面もインカレと同じ場所を狙っているはずなのでかなり本番に近い練習になっています。惜しいのは予報によれば昨日今日のような風が吹くのはレース初日だけで二日目からは微風軽風になりそうなことで、せっかくならこの風でレースしたいなぁと思ってしまいます。あとリーチングやりたいし一回くらいは自分たちでコース練運営したくなってきた(昨日と言ってることちがうけど淡青二人いればいけそう)けれど、明日は私いないのでした。東大はそこそこの位置で走ることもあれば後ろの方に固まってしまうこともあり、スタートの成否が結果に出ているという印象です。それぞれ順位を上げられるレグ、落としがちなレグがあるようですが、4番艇戸沢が順位を上げてこられることが多くて見ていて楽しい。明日は永田に代わるかもしれないけど二人とも自分がレース出るつもりで頑張ってほしいです。
レース前なのでオフの日を作ったり早めに着艇する学校もあるようですが、我々はコース練が終わったあとも16時ぎりぎりまで練習するようにしています。走り合わせを見ていてスナイプのセールに目が慣れてきました。昨日も言いましたが4番艇までちゃんといて1人欠けても3艇で走れるのいいなと思って。八景にいる470の3、4、5番艇候補たちもがんばれ。今日は出艇も一番で気持ちよかったです!スロープで他大学に先を行かれそうになったのでめっちゃ急かして写真取りました。疲れも溜まってくるので明日以降はは早めに着艇するなどすると思いますが、朝は一番を目指していきたいです個人的には。また、朝イチで出艇できるのは今のところ艇のトラブルが起きていないからでもあるので、出艇時間にこだわりつつも焦らず(17時にはハーバーの門が閉まるのであまり時間がないのです)毎日こまめに確認して、レスキュー含めてレース当日変なことが起こらないようにしたいです。

ここまで書いている間に、正確には途中で寝落ちて寝落ちて気づいたら、朝になっていました。純合宿所スタイルで東京駅に降り立つことになるので暗いうちに電車に乗って弥生に逃げようと思います。
蒲郡のみんな今日も楽しんで!

水石さおり

蒲郡日記 10月28日

2018年10月28日 23時28分00秒 | 全日本インカレ2018
こんばんは。Facebookでは気配を消していますがじつは蒲郡にいます、4年水石です。
今日の蒲郡組は浅川、高山、田原、多賀谷、阿部、戸沢、大善、吉武と私の9人。人数が少ないので少し寂しいですがそれでもスナイプ4艇出せています。自分が淡青に乗ることで一艇増やせると思うとちょっといい気分になれるので、ぎりぎりの人数というのも楽しいですね。

午前は早稲田のコース練習に混ざり、午後は京大主催の合同コース練に参加しました。午後の運営メンバーは京大、東北、東大、阪大、九大と聞いていたので7月に不成立だった七大戦やりなおしin蒲郡かと思っていたら、参加校がずっと増えてスナイプは40艇弱、470も20艇以上のレースでした。すぐ隣(というか思いっきり被ったところ)でも別の合同練習が行われていて狭い範囲にとてもたくさん艇がいます。遠征先でこれだけ大きなコース練習を仕切れる、仕切ろうと思えることに、人数の力もそうですが全日本への慣れやチームとしての行動力を感じました。東大はまだ、人数的にも自分が練習することで精一杯ですが、コース練一本一本で多くを掴める4艇だと思うので、明日以降もたくさん海に出ていきたいです。
午後の練習では淡青はアウター(本部船を真ん中にした3点スタートラインの上側の方)を打っていました。スタートラインがフィニッシュラインを兼ねていてすることは多かったわりにアンカーがとてもかかりやすい場所だったので余裕もあり、通り過ぎていく470艇団を見てこの中入りたかったなぁと時々思ったりしてました。一緒に淡青に乗ってくれた九大の4年生はサポートのプロという感じで引っ張ってくれ、とても助かりました。仲良くなれて嬉しかったのですが、彼女によれば東大といえば(面識ないけど)下重さんらしいです。レセプションMVPさすが。

明日は浅川がいませんが、3艇でしっかりやっていこうと思います。

水石

海上で感じたこと

2018年10月24日 17時34分47秒 | レース反省
470チーム一年、木村海大です。遅ればせながら、僕が一年生としてこの秋インカレを通して感じたことを書かせていただきたいと思います。

僕は今回の秋インカレで、先輩方に指名していただき、予選から決勝まで通してサポートメンバーとして淡青に乗りました。一年生は1人しか乗せず、曳航などの海上の動作に慣れているという理由で僕が選ばれたということに先輩方のインカレにかける真剣さを改めて感じ、レース以外で生じるトラブルで先輩方の気を散らしてはいけないなと気を引き締めてサポートに臨みました。

決勝では、陸上との連絡をしレース毎に変動する順位を各艇に伝えることが主な仕事でした。なかなか予定通りにはレースが行われないものの、着実に結果が積み重なっていき迎えた最終日、呑気にもこの日も海に出れることを喜んでいた僕は意気揚々と淡青に乗り込みました。それでも海上で470各艇が本船の周りに集まりオレンジ旗の掲揚を待つ段になると、「今日で決まる」という緊張感が全大学の選手の顔つきから感じられ、今日も東大470がスムーズにレースを行えるよう全力を尽くそうと強く思いました。

最終レースを前にして東大は7位で8位の学習院、9位の千葉大とはほとんど差がありませんでした。
そして迎えた最終レース。
ものすごい緊張感は淡青の上にも漂い、固唾を飲んでレースを見守りました。フィニッシュに向かい、着順を取る。予選から何度となくやったそのことの裏に祈りをしのばせて電話口にリコールナンバーを読み上げていきました。着順を取り終えた時点では結果は全くわからない状況でした。淡青が西坂さん・天木さんの艇に横付けした時にもまだリザルトは送られて来ず、緊迫感に耐えられずに珠屋担当の一年生にラインで催促しました。
LB角出様と西坂さんがお話しになっている時、リザルトが送られてきました。東大は9位、8位の学習院とは4点差。その情報だけ読み取るとお伝えしようと顔をあげましたがすぐには喋れませんでした。思わず角出様の顔を見てどうすれば良いかと目で訴えてしまいました。角出様に「いいよ、言って」と優しく促され、西坂さんにリザルトをお伝えしました。西坂さんは黙って頷いて淡青から離れていき、淡青はほかの艇にもリザルトを伝えに行かなければなりませんでした。リザルトをお伝えするたび、悔しさがにじむ先輩方の顔を見るのはつらかったです。

470を曳航してハーバーバックする途中、角出様がおっしゃった、「木村は海上で先輩の悔しさを見た。だからそれを同期と共有して次につなげてほしい。」という言葉は心に残りました。いままで、一年生練習でヨットに乗る機会を豊富に提供していただいていましたが、自分のヨットに乗るモチベーションは「楽しいから」がほとんどでした。その姿勢は最終日に淡青に乗り込む時の能天気さにも繋がるものだと思います。これからももちろん、純粋にヨットを楽しむ気持ちは忘れないながらも、選手として、チームの一員としてスキルアップしていかなければ行けない、という真剣さをやる気の底支えにして練習に励んでいきたいと思います。

470チーム一年 木村海大

冬に向かって

2018年10月20日 06時37分14秒 | レース反省
みなさんこんにちは。2年470クルーの大橋です。
先週の土日に江の島で六大学戦及び五大学戦が行われました。

以下リザルトです。

〈全38艇、オープン艇込み〉
(*はオープン艇)

4692 塚本・天木/水石 14-19-23/-22-30 計108点 23位
4579 松前・斉藤/天木 33-31-DNS/-33-31 計167点 35位
4452 小野・水石/西坂 31-27-30/-32-28 計148点 31位

*4357 西坂/斉藤・大橋 22-22-22/-34-33 計133点 27位


まずこのレースが代変わり後初の活動でした。そのため、今後の可能性を探るため秋インとはペアを変えての出場でした。1日目と2日目でも乗り代わっているのもそのためです。僕は初日は4年の西坂さんと2日目はスキッパーで初めてレースに出た2年の斉藤と出場しました。どちらも久しく一緒に乗っていないスキッパーだったので新鮮な気持ちでレースをすることが出来ました。

2日間ともノーレースになった最終レース以外は北風の強風で秋イン決勝の3日目と似通ったコンディションでのレースでした。2週間が経って気持ちの整理もついたので少しだけ秋インカレを振り返りたいと思います。

僕は4452の強風クルーという位置付けでした。そのため1日目と2日目は出場機会がなく強風だった3日目だけレースに出ました。自分ではそんな緊張もせず落ち着いて臨めているつもりでしたが、緊張感のあるレベルの高いレースにいきなり出て1レース目から叩いたこともあり、少し自分が消極的になっていたかと思います。最終レースは水石さんと乗り替わり淡青の上からレースを眺めていましたが、最後までどちらが勝つかわからない展開で祈るような気持ちで見ていました。結果として全日本には行けず、西坂さん、水石さんと一緒に蒲郡に行けなかったことは多分一生の心残りになると思います。来年、再来年は同じ後悔をしないよう1年間練習していく所存です。


470チームはスナイプより一足早く1年生の練習が始まります(このブログ書いてるうちに始まってました(笑))。1年生を見ていると去年の下手だった自分を思い出します。1年間で身につけたことを後輩に伝えつつ共に成長できたらと思います。

とりとめもなく書いてしまったので読みにくい所もあると思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

まだ夏のまま

2018年10月13日 00時14分15秒 | レース反省


3年470スキッパー小野です。


ブログを書こうと思うまで5日かかりました。レース直後に書いていたら読むに耐えない陰鬱なものになっていたかもしれないですが、六大学戦のレセプションで一発芸を見て笑った今なら少し落ち着いて書けそうです。


秋イン決勝後、LB1年の中田さんが「腐ってもいいけど、また元気に活動してくれれば」と言葉をくれました。
その言葉の通り、今は絶賛腐り中です。

基本的にずっと寝ていたいし、這いつくばって学校に行っても、異常に焼けた肌と髪が浮き、季節を忘れた私だけまだ夏の装いで、日常から切り離された感覚を覚えます。
予想していた未来を歩めない現実に、心が置き去りにされています。


私がふて寝し続けている1番の理由は、4年生から次の舞台を奪ってしまったこと。
決勝が終わった次の日の朝、何度も何度も頭をよぎったのは、全日本で走る2人の姿でした。
絶対に全日本に行って輝くはずだった西坂さんとさおりさんから、私自らがチャンスを奪ったことが許せなかった。


決勝が終わって2人に出会った頃を思い出しました。
西坂さんと葉山で初めて会った時、高校でヨットをやっていた私に西坂さんはもじもじしながら「僕のレギュラーも奪われちゃうのかな?笑」って話しかけてくれました。その時は歴史を作るようなエースになるなんて正直思っていませんでした。ごめんなさい。
さおりさんの初対面の印象は「海で生きるために生まれて来たような人」でしたが、今もそれは変わっていません。さおりさんとは1番たくさんレースにでました。1年生の頃から女子レースに出続けて、最初はダメダメペアだったと思いますが、本当に私たちは成長しました。今年の女子イン、全日本470、全女は強風だらけでしたが、さおりさんとなら絶対に沈しない自信があったし、関東470のベストクルー賞と女子インでもらえた賞状はこれからも心を救ってくれる気がします。


この夏私が「他力本願」であったことは否定できません。
今年西坂さんは圧倒的エースとして育っていたし、ペアのさおりさんも本当に上手で、その2人がいる限り全日本には行けるものだと思ってしまっていた。
決勝だって自分の役目は叩かず無難な順位で帰ってくることだという自覚を持っていました。
自分も死ぬ気で前を走らないとチームとして勝てないというのに気づいたのが遅すぎたのかもしれません。

とはいえひとつだけ言えるのは、この夏練習量には一切妥協しなかったということ。さおりさんとでた全日本470のレース後も、 レース委員長に許可を得て一艇だけ再出艇したし、台風オフ以外にはほとんどオフがなかったんじゃないかというくらい自主練をしました。それが辛かったことはないし、ただ時間を使っているだけにならないよう、内容にも気をつけたつもりでした。
強風クルーの2年大橋と軽風クルーのさおりさんと3人で組んでいた私は、自分がクルーを使い分ける器用さがないと自覚していて、その分2倍練習しなきゃと思っていました。
どんだけ練習しても人の2倍は不可能で、不安なまま秋イン本番を迎えてしまったことは事実です。他の2艇に前を走ってもらって自分は耐え忍ぶレースをしようと思ってしまった。

決勝最終日、信じられないほど後ろを走っていた私に西坂さんは「俺らが走るから大丈夫!自分の走りをして!」と言ってくれました。その言葉は心の底から信じられたし、涙が出そうなほどありがたかった。それでも走れなかった。西坂さんのことは信じられたのに、自分たちのことは信じられなかった。その弱さを、この夏克服したかった。いっそのこと不安を晒してしまえば改善できたのかもしれない。



決勝が終わって、本当に2人の4年生と離れなければならない事実が受け入れられませんでした。自分はこんなに2人のことが大好きだったのかと思い知らされました。2人はいつもあまりに真っ直ぐな目をしていて、その目が見ていたはずの全日本という未来をかき消してしまったことがあまりに辛く、レース後は2人の目を見ることができませんでした。



スナイプの全日本が終わるまでは私は腐ったり復活したりを繰り返すかもしれません。許してください。でも絶対復活します。ヨット部はせわしない部活で、いつまでも腐っている暇はないので。笑

このレースで心はズタズタになった一方で、私は東大ヨット部に入って本当によかったと思いました。
こんな私でも来年に期待してくれる先輩がいて、私を無理に奮い立たせることなく心を休ませてくれる先輩もいて、これほどありがたいことはないです。
LBの皆様も、こんなに情けない結果しか出せなかった私にも温かい言葉をくださり、私が前を向けるようにしてくださいました。本当にありがとうございます。

そして信じられないくらいありがたいことに、私にはあと1年残されています。


これまでずっーと妹分だった私ですが、来年はちゃんと主役になります。
みんなを主役にできるような4年生を目指しながら、自分も主役になります。




西坂さんを超えるスキッパーになりたい。さおりさんを超えるクルーを育てたい。


私の最後の一年、あと少しだけお付き合いください。


3年470スキッパー
小野万優子




前を向いて

2018年10月12日 11時38分56秒 | 通常練習

こんにちは 3470スキッパーの塚本です。

 

秋インカレ決勝が終わりました。結果はご存知の通り入賞という目標はおろか全日本出場にも一歩届きませんでした。

去年は6点差で勝って全日本に行け、今年は4点差で負ける。この全日本ボーダー上の争いはいつも激しくて厳しいものとはわかっていて、だからこそ強い東大を見せつけて全日本の壁を悠々と超えられるところをお見せしたかったのですが

 

最後のレース、UFD。フィニッシュの後に知らされるまで思いもよらなかったです。絶対にやってはいけないことをやってしまいました。

 もちろんこれだけではなく、ケースで2回転もし、あれだけ小松コーチに言われていたノーケース、ノートラブル、ノー文字を一つも達成できませんでした。

 

最後のレース、たしかに自分たちが文字がなければ勝っていた。そう言ってしまえばそれまでですが、7位の学習院は文字2つ付けてなお勝ったというのも一つの事実。レース全体を見通して学習院の3艇の地力が勝っていたというのが妥当なのでしょう。来年に向けてみんなが冷静にこのレガッタを見つめなければなりません。

 

今年の一年間は正直に言いますと精神的に辛かった、自分のメンタルがあまりに弱かったと自覚せざるをえない一年でした。(この後書くことは少し驚く方もいるかもしれませんね)

 5、6月あたりは最悪でした。インカレ自体、なぜ僕らはこんな不毛な戦いを繰返しているのかと思っていたし、もう470に乗りたくないとすら思っていました。日常生活、学業の面でもうまくいかないことが多くて、自らカウンセリングに行くくらい思い悩んでいた時期もありました。こんな自分がいたのではチームに迷惑がかかるだけで辞めた方が良いかもしれないと考えていた頃もありました。こんなことを考えてしまう自分が情けなすぎてまた自己嫌悪の繰り返し。それでもチームのためと思って練習には出て、小松コーチに「翔び立て!」と声をかけられるたびにこの人たちを裏切ることは許されないなと何度も思い直していました。

秋インカレ直前期では授業日程の関係や新艇の整備などもあって、なかなか練習ができなかった、他の二艇に比べて明らかに練習不足でした。ただ練習不足になるのはずっと前から分かっていたことで、貴重な練習時間を大切に使ってきたつもりでしたがまだまだ詰めが甘かったのでしょう。ほとんどぶっつけ本番のような形で予選に入り、決勝もレースの初めはなかなか調子が上がりませんでした。

 

こう振り返るとこんなんで勝てるわけないだろ、と思う方ばかりでしょう。僕もそう思います。ただ自分はこのぐらい弱くて、この弱い人間がこれからチームのリーダーをやらないといけないわけです。二年生以下にはどうかこんな自分を助けてほしい。いきなり西坂さんの代わりができるとは思っていません。みんなで新しい470チームを築きあげて、強いチームをつくりたい。今はそう心から思っています。

 

西坂さん、水石さん、これを読んで僕を蔑むかもしれないですね。西坂さんはリーダーとしてチーム作りがまだ行き届いてなかったと思うかもしれませんが、そうではなく大人になりきれていない僕個人の問題です。謝ってもどうしようもないことですが申し訳ありません。そしてこれまでチームを支えて頂きありがとうございました。

 

さぁ、過去は過去、これから前を向いていかなければなりません。戦いはもう始まっています。

 

470リーダー

塚本将史

 

P.S.

今レガッタの第2レースで安田賞の基準である関東インカレ決勝5位以内でフィニッシュしましたが、今回はこの安田賞を辞退させていただきます。来年しっかりと安田賞に値する結果を残し、かつ全日本インカレに出場した上で賞を受けさせていただくことを誓います。


残された者の使命

2018年10月11日 23時24分12秒 | レース反省

 関東インカレ団体戦決勝。

 僕たちは負けた。

 目標としていた6位入賞に届くどころか全日本にさえ行けなかった。

 全日本圏内である8位の学習院と6点差、圏外である9位の千葉大とは19点差の7位で迎えた最終レース。団体戦は三艇の合計点で競うのだが、千葉大の前2艇は1マークで両方10番以内と爆発、途中で7位は諦め僕たちは学習院を抑えるレースをしていた。学習院に先行していた東大の前2艇は学習院の前2艇をカバーし、途中で学習院の残り1艇がトラブルでリタイアしたのを見て、僕は全日本行きを確信した。

 このチームで全日本団体戦を戦える。ペアを組んでいる西坂さんともっと上を目指し、八月末の全日本個人戦で負けた人たちにリベンジする。ここ数年では日本最高の未経験者ペアとして歴史を作り、来年以降につなげていこう。来年も楽しみだな、だとかそんな余計な事ばっかり考え、目の前のレースに集中していなかった。気持ちが緩んでしまったこの時点で、もう学習院には負けていたのだろう。

 フィニッシュ直後に東大内で1番順位の良かった4692がリコール(失格)していたことを知らされ、学習院もリコールしていたがリタイア艇と同一の船であったため、逆転され8位の学習院と4点差の9位に転落。一気に全日本圏外となった。


 曳航されハーバーに戻っている時、西坂さんとは何も話さなかった。全日本個人戦に連れていってもらい、秋季関東インカレを戦い抜き、全日本団体戦に向けてペアとしてもっと成長できると決意を新たにした次の瞬間に、もう西坂さんとヨットに乗ることはできないという事実を突きつけられ、僕にはとてもそんなこと受け入れられなかった。

 なにより、僕の中で伝説だった西坂さんの最終レースをあんなものにしてしまった自分に腹が立ってたまらなかった。なぜ最終レースの途中で、学習院がリタイアしたからもう大丈夫です、なんてこと言ってしまったのだろう。学習院だけ抑えて安全に安全にいきましょう、などと言ったのだろう。そんなレースが西坂さんには似合わないことを僕が一番わかっているはずだったのに。とにかく目の前の一艇一艇を抜いていく、西坂さんらしい見る者をしびれさせるレースをしていれば。

 最終日安定した北風の中4レースをこなし、三日間6レースで9位。この結果自体に悔いはない。実力通りだと思うし、僕たちの方が全日本に値したなどとは思ってもいない。ただただ最終レースの途中で気持ちを緩めてしまった自分に、西坂さんのクルーとして全日本に行く資格は無かったと思うだけだ。

 そんな自分が西坂さんより先に泣くべきではない。そう思いずっと涙を堪えた。


 しかし着艇後、西坂さんのご両親が西坂さんに

4年間お疲れさま。ほんとによく頑張ったね。

 と声をかけられたのを聞き、本当に終わったんだ。これでこの人は引退なんだ。そう実感し僕は顔を伏せて泣いた。


 西坂さんの最終レースをあんな失礼な気持ちで終わらせてしまった僕にも

1年間ありがとうね。

 と声をかけてくださった。申し訳ない気持ちでいっぱいになった僕には、とても西坂さんのご両親の顔を見ることはできなかった。


 小松コーチにも

西坂、よく走っていたじゃないか。良い思い出になったんじゃないか。

 と仰って頂いた。とてもじゃないけど僕には小松コーチと目を合わせることはできなかった。あれほど1レース1レースを大切にしろ、自然相手のヨットレースはどれが最後になるかわからないんだから、と言われていたのに。

 最後の最後にそれができなかった。

 もう誰にも顔向けできない、そう思い涙した。



 この一年を振り返れば、やるべきことはやったはずだった。

 昨年秋季関東インカレで、西坂さんは三年生ながら470チームを牽引し、東大は33年ぶりの両クラス全日本進出を決めた。その直後の葉山納会。ほぼ何もヨットを知らないサポートメンバーだった僕に、西坂さんは酒の勢いだったけれど

お前を全国の舞台に連れて行ってやる。

 そう言ってくれた。西坂さんはそのことを覚えていないかもしれないけれど、それ以来僕はその言葉を信じて頑張り続けた。

 一学期。学校があっても僕たちは必ず木金で自主練した。ヨットに本格的に乗り始めて半年かそこらの僕にとって、誰にも言わなかったけれど正直辛かった時もあった。言い出したらキリがないけれど、ぶら下がってるだけだし、西坂さんは誰と乗っても成績を残すと言われ続けた。西坂さんのクルーは自分じゃなくてもいいんじゃないかな、自分別に要らないんじゃないかな、と。でもまずは絶対全日本個人戦に出るんだ、あの言葉を信じついていった。

 そして迎えた関東個人戦。あの納会以来1番の目標にしてきた、全日本個人戦のかかった大会。いつも通りヘラヘラしていて表には出さなかったけど、今までのヨットレースで一番緊張した。
 第1レース。1マークを20番付近で回ろうとしたところで僕が落水。順位をだいぶ落とし焦っていた僕に、西坂さんは怒ることなくまだ大丈夫、落ち着いていこうと声をかけてくれた。
 最終レース。上有利の中上1即タックでセオリー通りのコースを引き、1マークは10番ほど。前にも後ろにも強豪校の名の売れた選手しかいなかった中、後半順位をさらに上げ、100艇近く出ているレースで6位フィニッシュ。関東17位で全日本個人戦への出場権を勝ち取った。
 この人についていってほんとに良かった、そう思った。

 待ちに待った全日本個人戦。この大会に備え週7でアホみたいに練習した。全日本デビューで緊張するかと思ったけれど、実際はめちゃめちゃ楽しかった。全国から予選を勝ち抜き結集した強者たち。少しのミスが命取りとなるシビアな世界で、2度の10番台をとり全国で25位と、自信をつけて葉山に戻った。

 葉山に戻ってからはトラブル続きであまり練習できなかったけれども、全日本個人戦での経験をチーム全体に上手く共有し、直前のコース練習でも手応え十分。チームとして関東で入賞を狙える力はあると思った。僕自身成長してブローもだいぶ見えるようになってきたし、動作の熟練度も上がって常に反対海面を観察する余裕もできた。

 そしてはじめにも振り返った秋季関東インカレ団体戦決勝。西坂さんは、たまに派手なレースをするのではなく、エースとして安定して良い成績を取り続けることを自らに課して臨んだ。結果は、ほぼ常に10番前後で安定し、個人成績11位。もし3艇共この成績であれば関東で4位入賞の成績だ。全日本に行けた、あと1ヶ月は西坂さんから多くの経験を吸収しつつ自分の弱点を改善していくことができる、もっと上にいける。残り1ヶ月が楽しみで仕方なくなった直後の9位転落という悪夢。

 こんなところで終わるはずじゃなかった。

 レース途中で全日本に行けると確信してしまったあの時。ほんの少しの気の緩み。そんな自分が許せなかった。お調子者の自分に下された天からの鉄槌。そう思った。

 最後は気持ち。今までバカにしていた言葉だけれども、結局はこの言葉通りになった。



 この1年間、西坂さんと一緒にヨットに乗って2人とも大学で始めたとはとても思えないような成績を出し続け、本当にただただ楽しかった。ここ数日、この一年を思い出す度に涙が止まらなくなって初めて、ヨットが知らぬ間に自分の中でこんなにも大きな存在になっていたことに気がつかされた。ヨットの楽しさ、奥深さを教えてくださった先輩方、特に西坂さんには感謝してもしきれない。

 宝物をありがとう。

 これまで、小松コーチ含め多くの方々に支えられてヨットに乗ってきた。それにも関わらず、結果はどうあれ最後の最後に気持ちを緩めてしまった自分がとにかく腹立たしくてたまらない。正直もう支えてくださった人たちに顔向けできないと思った。けれども、この1年僕はめちゃくちゃ楽しかった。この経験を後輩のみんなにも必ず味わってもらいたい。というか、味わせてあげたい。

 西坂さんと前を走った経験。一時代を築いた西坂惇之のクルーであり、関東470ベストクルー水石さおりの直系の後輩。まだまだ未熟だけれども、大きなものを背負うだけの覚悟はできている。

 今度は僕がみんなを楽しませる。

 それが残された者の使命。

 いつまでもクヨクヨしてはいられない。

 来年の秋に向けて。もう新しいチームは始まっているのだから。

東京大学運動会ヨット部2年
470クルー
天木 悠太


引退ブログではないです。

2018年10月10日 19時27分26秒 | レース反省

4年470クルーの水石です。

週末に関東インカレ決勝が行われました。6位まで入賞、8位までに全日本出場権が与えられますが、470は9位という結果でした。入賞を目指していた総合は8位。スナイプは8位で全日本インカレに進みます。

 

470(15 45)

49 4692 塚本・斉藤 43-2-23-36-18-UFD(46) 168
50 4579 西坂・天木 14-15-6-8-17-20 80
51 4452 小野・水石/大橋 33-20-32-43-42-32 202

 

1早稲田大学 135

6位 法政大学 296点

7位 千葉大学 424点

8学習院大学 446

9東京大学 450

 

成績表 https://kantogakurenyacht.jimdo.com/%E6%88%90%E7%B8%BE%E8%A1%A8/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%98%E5%B9%B4/

 

 

6位入賞、8位全日本、を目指していたけれど、本当をいえば自分の中で一番意識していたのは2年前逃した7位で、そして今年こそいけると思っていました。79は関東個戦のあたりからイケイケで実際今回も走っていたし、他2艇も練習ではそう変わらず、ライバル校とコース練習した感触でも勝っていると思っていた。去年は正直ちょっと負けているかなと感じていたけれど今年は、一日目終了時点でもレース数さえこなせばいけると思ってました。別にそれで慢心があったとは思いません。じっさい、夏休みは相模湾に全然ヨットがいない中で東大は他のどの大学より練習したと思います。その中でも4452ペアは全日本470も女子レースも出たし、蒲郡も行ったし、1艇でも自主練したし、一番練習した。というか私は9月は海に出てないと不安でそうするしかなくて、それで秋イン予選の頃にはシードの千葉にも明治にも勝つ自信を持ってました。3艇チーム15校のインカレで勝つ力が足りていないことには気づけなかった。私たちは文字を付けて、そしてそれは絶対してはいけないことだけど、学習院も2つ文字を付けていてそれでも負けて、普通に向こうの方が強くて私たちが弱かった。ライバル校と比べて3艇のまとまりが売りだったのに、真逆のレースをしてしまった。

 

第1レース、もっとちゃんとスタートすれば。2上で後ろを走っているのに中途半端なところで内に入れてしまったあのタック。第2レース、オーバーセールで抜かれた3艇。最終第6レース、一下まで学習院に勝っていたんです。ランニングで抜いた学習院の2艇目はすぐ近くにいて、押さえてればいいだけだった。千葉は最終レース走っていて確実に抜かれていた、明治は点数が空いていた、だから後ろの学習院1艇だけカバーしてればよくてめちゃくちゃ単純だったのに、それができなくて2上で抜かれて合計点でも負けました。

52は風域でクルーを変えていたけど、途中で乗せ変わるクルーが大変なのを私は去年から知っていたし、加えて大橋は2年生で初めての秋イン、レースの日も普段ももっとしっかりケアしてあげればよかった。クルーがレースによって変わる小野のストレスも想像できるのに、私が最上級生で乗せかえ経験もあるのに、3人チームなのに、ほとんど自分が乗る時のことしか考えてなかった。7月には西坂塚本に置いていかれていた強風も、夏の練習で遜色なく走れるようになったんです。小野大橋で4452で、あんなに後ろを走るわけない。

たくさん海には出たけど、全然頭使わないで練習していた日もあった。二人で話して作戦を立てて毎回シビアにスタート練習していれば、”目も当てられない”スタートばかりしなくなれたはず。特定の艇を見るのが下手ってずっと思っていたのだからもっと早くから意識してレースに出ていれば、毎レース毎コース練ちゃんと振り返って蓄積できていれば、最後の2上みたいなことはしなかった。 

 

心残りがありすぎて合宿所の座敷童になりそうです。

最終日は前半淡青に乗ってましたが、強風で1上10数番で回って前に強豪校しかいないのにそっからさらに上げてくる西坂天木は本当にかっこよかった。個人成績11位、絶対に全日本に出るべき艇です。ついていけなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。小野さんは本当はもっと早いのに、最後走らせられなかった。動作もコースもスキッパーメンタルトリムもいまだに全然ぽんこつで、去年代替わりの時に私がエースクルーとかやばいなって思ってたまま一年経ってしまったような。もっと上手になりたかった。あと一ヶ月がんばろって思ってたんだけどな。

 

それでも、スナイプチームが全日本に行ってくれて本当によかったです。これで引退だったらもっとどうしようもなくなってたと思う。スナイプも満足できる結果ではなかっただろうけど、とにかく蒲郡に行かせてくれてありがとう。レースメンバーと一緒に前入りしてサポートするので、総合順位は目指せなくなってしまったけどスナイプチームで各艇で納得のレースをしてほしいです。

470チームは最終日レースの反省を終えたところで新体制となりました。新チーム最初のレースは今週末の六大学戦です。西坂も私も出ますがしっかり引き継ぎをして、新チームとして目標をもっていいスタートを切ってほしいです。私は(まだ確定ではないかもですがたぶん)もう一度小野と出るので今度こそいいレースをしたい。全女の時に、おのさんと強風でレースするのはこれが最後かなと思ったけど全然そんなことなかったね。予報によれば今週もわりと吹きそうです。

 

このブログ、レース終わった二日後に上げたら一番だろうと思ってたのに、今回はみんな書くの早いな。今年はブログやSNSの更新が滞りがちで、応援してくださる皆様、楽しみにしてくださっていた皆様、去年たくさん催促してくださったLB一年目の先輩方に、失礼な状態となってしまいました。千葉大はインカレ中も毎日ブログを書いていて、そういうところも負けていた。来年はブログ文化を復活定着させられるよう、まずこの一ヶ月、しっかり発信していこうと思います。10月27日から蒲郡日記書くので読んでいただけたら嬉しいです。

水石さおり