東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

寒過ぎません?

2018年11月29日 10時59分11秒 | 通常練習

470クルー一年の廣瀬です。ブログを書くのは新入生自己紹介ブログ以来となります。なので、前回の練習を振り返る前に新体制後のこれからの自分の目標をまずは書かせてもらいます。

簡潔に言うと秋インの時に自分がチームに不可欠な人になっていたい!ということです。そのためにはまず自分のクルー力(とりあえず動作からですね)をあげていこうと思っています。そして今度こそ全日本に両クラス出場を果たしたいです。

さて、前回の練習ですが、1日目と2日目は平均5〜6mくらいの風が吹いてて470はトラッピーズに出るコンディションでした。新体制後は延々と微風の中での練習が続いていたので、久しぶりに風が吹いてて楽しみだなぁなんて出艇前は能天気に考えていましたが、逆ジブで沈したり、トラッピーズのリングをかけるのに手間取ったり課題が山積み...(陸シミュもっとやらないと)。おまけに1日の練習が終わると疲れてミーティング中には猛烈な眠気と格闘していました。3日目は打って変わって微風コンディションとなりロールタックやスタートの練習をしました。小松コーチによると次の全日本インカレの開催地となる西宮は強風になることが少ないとのことなので、微風の中での練習をこれからさらに大切にしていきたいです。

今週末は一年生のデビュー戦でもある東北大学戦です。直すべきところが多く、レースでミスをしないか正直今から不安ですが、他大の一年生と比べて自分が今いる場所を理解できる数少ない機会ですので楽しみたいと思っております。

最後までお読みいただきありがとうございました。どんどん寒くなっていますが、皆さんも体調には気をつけてください。

実は駒場祭をやってたらしい

2018年11月27日 14時16分24秒 | 通常練習
こんにちは。新人スナイプクルーの長岡誠と申します。今週は僕が練習を振り返ってみたいと思います。


いやー、きつかった。金土は風が強かった(曰くそこそこらしいですが泣)ので、ハイクアウトに出ることが多く腹筋と太ももがプルプルでした。
筋力がないということはまずあるんだと思いますが、ハイクアウトの正しい姿勢が取れていなかったり、装備が雑魚かったりとそういったこともあるのかなと思います。一定時間クローズをはしる機会もありましたが、ずっとハイクアウトの姿勢をキープするのは無理で、しばしばサイドステイとガンネルをつかんでお休みさせてもらいました(その間スキッパーがハイクアウト頑張ってるんだろうなと思いながらも「あーもうきつい〜」などと言ってて申し訳なかったです)。
ただその分弱風の日曜日は、僕の肉体的には天国でした。ロールタックは難しかったですけどね。周りがあまり見れてない分、船の回るスピードとかが分からず、ロールのタイミング、逆ジブの程度に四苦八苦しました。


以前から思っていましたが、今週痛烈に体をつくらないといけないなと思いました。
上記しましたが、強風時にしっかりハイクアウトするためには筋力が不可欠です。クルー志望の身としてはやっぱりヒールトリムにはこだわっていきたいと思いますし、何よりヒールが入っている時に上級生スキッパーが頑張ってハイクアウトをしているのをチラ見していると心が痛みます笑
普通に筋力がつけば体重も増えて、起こしやすくなりますしね。あと、ウエットを着る上でムキムキだと見た目がカッコイイですから笑

あと、陸シュミやんないと行けないですね(アタリマエダ٩(◦`~´◦)۶)。今までは漠然と動作の練習という感じでやってきましたが、ここ何週間か練習してだいたいの風域は経験して、風域ごとにミスするところや気をつけないといけないことが把握出来てきましたので、そういったことを考えつつやっていきたいです。

それから艤装解装覚えなくては…。時間がない朝時間を確保するために艤装をさっさっと済ませるのは必須ですし(コンタクト入れるのに時間かかるんですよね僕泣)、船の構造を早く覚えなくてはいけない。解装は遅いと早くシャワー浴びたり着替えたりしたい先輩方の気がお立ちになってしまう(主観)ので、覚えるのは急務ですね。うん。
にしても、どうやら僕はどうやら爪が弱いみたいなので、ロープをほどくのが大変。解装のもやいや本結びをほどいたり、曳航のもやいをほどくのがすごく遅くてつらい…。これも訓練ですかね。とほほ。


何だかまとまりが皆無の文になったような気がするけど、気にしない。
最後に1つ。
今週の練習は凄く寒いぞと直前に脅されていた(好意でのアドバイスを貰っていた)ので、上はある程度揃えてありましたが、下が手薄だった僕は「これは死ぬんじゃないのか」と心底心配していましたが、案外余裕で乗り切れて安心しました(昼ご飯を食べる時に震えが止まらなかったり、寒いのと時間がなくてシャワーを浴びれないのとでイライラしてたりしたくらいでした。余裕ですね)。某先輩はヨット部を続けるための最大の関門は冬だとおっしゃられていましたので、確信しました。僕はヨット部続けれます!
最近ホントにスナイプ楽しいですからね。正直今まではホッパーの方が楽しいと思っていました。多分知らず嫌い(cf.食わず嫌い)だったのでしょう。精進していきたいです。


追伸
何故かこの真冬(こんなもんじゃない?)の海にラッシュガードやジャージで船に乗り込む同期のS、O、Kが大変心配です。むしろ呆れてます。
早急に海着を買ってもらいたいです。

東北大戦に向けて

2018年11月22日 20時58分15秒 | 通常練習
東北大戦に向けて
470 1年 クルー 齊藤崇

代替わりを迎えて早くも2週間が経ちますが、私は今でも、そしてこれからも、引退した4年生の、ヨット部全員の期待を背負って出艇する勇姿を鮮明に覚えています。純粋にかっこよかった、、とその1言に尽きます。一年生だから仕方がないというところもあるでしょうが、もう少し彼らと関わりたかったというのが今の私の思うことです。が、それでもヨット部の色々なことをあまりわかっていなかった自分にとっても、彼らの引退はとても大きなもので、心の中で響くものがありました。

最近になってヨットに乗る機会が増えて、より自分がいかに下手であるか、まだまだ先輩方には歯が立たないことを実感してます。ヨットは難しいのももちろんですが、ヨットにおける強さとは実に多彩で、スピンアップダウンなどの動作における敏捷性、船に合わせてタックやジャイブ、ヒールトリムをする力、風のフレ、ブローの位置、敵の動きなどを見てうまく戦略を立てる力、東大の部としての団結力、などなど、たくさんありますが、恥ずかしながら(というか、一年生だから当たり前なのかもしれませんが)、今は一つ目の動作を先輩方から言われていることをこなすのに精一杯で、船の周りを見ることもままならないですが、それでも日々少しずつ成長してることは実感してます。

今まで主に見ることでしか繋がることができなかったヨットの試合を来月の上旬にある東北大戦で実際に参加できることになって、嬉しさ以上に不安が多々ありますが、自分なりに精一杯頑張れたらいいなあと思っています。

部活楽しすぎる件

2018年11月22日 16時41分04秒 | 通常練習
こんにちは、スナイプ班一年クルーの白江です。寒くなってきましたが、私たちヨット部は東北大学戦に向けてバリバリ海に出ています。うーー寒い。僕ら一年生にとっては記念すべきレースデビューとなるのですが、まだまだ動作慣れしておらず、ミーティングでのダメ出しラッシュも相まって、皆、ヨットの上で必死に練習しています。僕は先週、ジャイブでミスをして戸沢さんを完沈させてしまい、さらにセンターボードを流しかけ、結局、淡青に助けてもらいました。悔しい、、、

新体制になってからはや2週間、どこか寂しさが残っていますが、いつも通り変わらず活気のある部です。四年生の皆さん、私たちは小野主将の下でしっかり活動しております。大臣も決まり(ちなみに僕は天気&エール大臣)、しっかり引き継げているので安心してください。お時間があれば、またヨット部に顔を出していただけたら嬉しく思います。あ、あと、先輩方の遺品のおかげで、一年生の装備は結構グレードアップしました(笑)。僕は高山さんからいただいたヘリハンの下半身2ミリウエットとラッシュガードのおかげで快適にヨットに乗っております。

また四年生の皆さんにお会いしたいです。

早起きしてヨットに乗りまくって、さらには筋トレ...。ハードな土日を過ごしておりますが、一人前のセーラーになるためです、なんてことないです。とにかくヨットに乗るのが楽しい!!
上達したらどれだけヨットが楽しくなるのだろうか、と期待に胸を弾ませながら部活に励んでおります。

来週の東北大学戦、楽しんできます!!




新体制発足、初練習してきました

2018年11月16日 18時56分01秒 | 通常練習

こんにちは、スナイプチーム一年の古関です。


全日本インカレで4年生の先輩方の最後の試合を見送ってからまだ10日ほどしか経っていないのですが、先週末には早くも新体制が発足し次を見据えて練習が始まりました。今回はその新体制について、そして練習の感想などを報告したいと思います。

 

スナイプチームのスローガンは【よく笑う】、目標は【関東インカレ5位、全日本インカレ8位】となりました。ミーティングも自由な雰囲気で、スローガンの通りめちゃくちゃ明るいチームになりそうな予感がしています。そして、先の大会では達成できなかった目標である関東6位を超える、という意気込みの目標となりました。僕も目標を達成できるようにチームの一員として貢献していきたいと思います。

 

また、全体ミーティングも行われて部活としての改善を目指した話し合いをしました。小野先輩をはじめとした3年が細かいところまで気を配ってくれているのが伝わってきてありがたく感じました。個人的には葉山合宿所が住みやすくなりさえすればいいかな(笑)

 

日曜日は出艇ということで、スナイプ1年はかなり久しぶりにヨットに乗る機会になりました。元々スナイプに乗る機会がそこまで多くなかったので動作など全然出来なくて、改めて先輩の凄さが身にしみたように感じます。本当に。全然上手くできなかった。思い出していたらどんどん悔しくなってきてしまいました(笑)この悔しさをバネに成長していきたいですね。1年生にとってはモチベーションが急増した、そんな一日だったと思います。

 

以上が東大ヨット部新体制第1周目の活動の様子の報告となります。とても濃い週末だったなぁ。これから3年間ヨットに乗り続けると考えると楽しみでしょうがないですね

 

最後に個人的な目標を。ヨットに思う存分乗ってどんどん上手くなっていく、そして学連でも戸沢先輩の後を追って活躍していく、そんな1年にしていきたいです!

 

スナイプ1  古関


354日後に向けて

2018年11月16日 08時03分55秒 | レース反省


新4年470スキッパー小野です。
今年度ディンギー班主将を務めさせていただきます。
新体制のご挨拶を兼ねまして、先日蒲郡で行われた全日本とこれからについて、ブログを書かせていただきたいと思います。



今年の全日本ですが、ご存知の通り私の属する470チームは4点差で出場を逃し、私はスナイプチームのサポートとして蒲郡へ行ってまいりました。


もちろん、死ぬほど全日本には行きたかったのですが、主将になる前にサポートメンバーとして参加したことは自分にとって有意義なものでした。


レースの最初2日間は陸上で得点計算やSNSの更新をする「たまや番」をしていました。
実に1年生の秋イン振りです。当時は確かたまやの中心で働いていていました。懐かしい。あれから私が海に出続けている2年の間に、たまやもだいぶ変わっていました。独自の得点計算シートを使ってすぐにいろんな順位が出るようになっているし、すぐ海上に伝えられるようにみんな必死で働いていて。
自分がレースのことばっかり考えていた2年間、東大は強くなるためにちゃんと進んでいたんだ、みんなが進めてくれていたんだと思いました。ただし全日本ではそうした面でも敵わない大学がたくさんいて。そんな大学がもってるものすごい「組織力」を、東大も自分たちの方法で得たいと思いました。


そしてレース最終日はレスキュー艇に乗り、海上でスナイプチームのサポートをしました。誰かの大一番を見守るということ自体がかなり新鮮なことでした。今までサポートされっぱなしの競技生活でした。
レスキュー上のサポートメンバーたちは、レース前やレース間は選手がベストを出せるように、気持ちよくレースにのぞめるように考えて行動し、レースが始まると祈る気持ちで、そしてひたすら選手を信じてフィニッシュを待ちました。自分にもいつもこういう目を向けられていたんだ、と思うと、今までのレース中の自分の態度はどんなだっただろうかと自問自答せざるをえません。同じ船に乗らずとも、レースメンバーの感情はひしひしとサポートメンバーに伝播するし、そしてそれはまたレースメンバーに返っていく、そんな気がしました。


ここまで私のサポートとしての経験を書きましたが、総括として、全日本という舞台が何より教えてくれるのはヨットには「総合力」が必要だということ。ヨットは至極複雑なスポーツです。特に団体戦のインカレは。選手間、サポートメンバー間、選手とサポートメンバー間、先輩と後輩間、OBと現役間、コーチと部員間、など無数の相互作用を経て1つのレースに臨みます。いかにして全員で本気で挑むか。それを目指すのは本当に、本当に難しい。けれどそのために必死で考えるのは人生においてかけがえのない時間であると思います。


そして、私はそうした相互作用が「見える」主将でありたいと思っています。自分が思っている以上に部活の中では様々な思いが渦巻き、人の繋がりも複雑であると思います。それらは時にチームの強さとなり弱さともなる。自分がなんでも感じることが出来る人間だとは思いませんが、少なくともそこに目を向けようとする姿勢は失いたくない。理想論ですみません。

そして自分はリーダーとして「黙ってついてこい!」という威厳はどうやら持ち合わせていない気がします。だから、ピラミッドの頂点に立ち皆を上に引き上げるというよりも、輪の中心に立ち皆を内側に引き込む、その方が性に合っているように思います。みんなが近くにいてくれた方がよく見えるし。

そして、そういう自分にしかできないこともきっとあるんじゃないかと思っています。 私に与えられた1年は、東大ヨット部の歴史の中ではすごく短い。今やっておかないともう二度と東大ヨット部では実践されないかもしれない、トライ&エラーをするならいまがチャンスだ、そう思えることをやってみたいと思います。

先週新体制ミーティングをして、これからどうなりたいか、何をしたいか、目の前のスケッチブックを無理矢理「白紙」にしてみんなで色々描き込んでみたい、と思いました。「それじゃあ我々が遺したものは!?」と思っている4年生や5年生もいるかもしれません。多分大丈夫です。たとえ白紙にしたところで、描き手には先輩が遺した血が色濃く流れている。



なんだか、今はどんな部にしたいかばかりを考えてしまいますが、もちろん結果は本気で求めます。結果を求めずして過程を良くしようとするのは難しいですから。


主将である前にいちプレーヤーですし、勝負から目をそらすつもりはありません。私は毎年燃え尽きる勢いで1年過ごしていて、先輩が引退するたびに「なんで私はまだ引退しないんだ…」って思ってしまうのですが、今年が本当に最後です。小松コーチはレース後に、「もし、神様がもう一度レースをさせてくれたらどうするかを考えなさい」とおっしゃいます。自分はプレーヤーとして、「神様がもう1年くれたんだ」と思って最後の年を過ごしたいと思います。


以上、長々と語ってしまいました。リーダーが心の内を見せるのは良いことか悪いことかわかりませんが、初心を残しておくのは後々何かに繋がるのではと思い、ここに記しました。



1ヶ月後、半年後、1年後。この文章を読んで自分が何を思うかわかりませんが、これからの1年間、その時々でベストを尽くすよう努めることは変わりません。全日本の最終日に後輩に誓ったように、私は同期とともにこの1年間本気で過ごします。



最後になりますが、日頃より多大なるご支援をいただいているLBの皆様、保護者の皆様、コーチ、また切磋琢磨していただいている他大学の皆様、昨年度は本当にありがとうございました。どうか今年度もお力添えよろしくお願いいたします。



(ちなみに、354日後は全日本インカレの初日ではなく最終日です。)



東京大学運動会ヨット部
3年 ディンギー班新主将 小野万優子


これから

2018年11月15日 14時14分57秒 | 通常練習

470チーム一年、童菲です。

 

今週は新体制一週目、何時間ものミーティングを経て、一年間の反省と改善点、またこれからの新しい制度などの話し合い、 大掃除をして環境も気持ちも一新しました。ここで私も、自分の代替わり後の変化や、目標について語っていきたいと思います。

 

470チームの今年の目標は秋インカレ入賞6位、全日本10位。でも目標を実現するためにも、それより大事なのは、一人一人が決めた自分の目標があると思います 。

 私にしては、ヨットをずっと楽しむこと、それがずっと単純ながら一番大事な理由でした。これまでも、どんなにきつくても、恥ずかしいことがあっても、面倒だと感じることがあっても、ヨットに乗ってる時の気持ちよさや不思議な気持ちを忘れずに、ずっと努力しようと決めていました。

 でも、おそらくこれだけではないんじゃないかと思いつつあります。

これまでは、一年生の人数も多いし、私のじゃんけんとあみだの漠然の弱さで(ブログでは当たるのに)正直毎週、ヨットに乗れることさえ期待を持たなくなっていましたが、いざレースに出るための練習となったら、それと同時に突然、勝つ、という目標が浮かんできます。だって、努力したのに負けるのが、一番悔しいから。努力するなら、勝て。そう思いたいです。そのためにも、相手は経験者だからしょうがないとか、そんなことは言ってはならない。できる範囲は完璧にできるように、そして、もっと賢く学んでいかなきゃいけない。多分その方がきついけど、挑戦的で、ワクワクさせてくれる楽しいこと。私はこれをも目指しているのだと思います。

 

だから、海に出る時の自由感とか、ハーバーバックで綺麗な夕日を眺めるとかそういう楽しさももちろん、レースに負けないための、その緊張感も苦さもじわじわ味わい、失敗してもちゃんと反省して、もっとたくさん失敗して反省して。海に出ていない時でも、たくさんヨットを学んだり。そして最後は、「勝利」を味わいたい。たとえ、結果で負けても、勝ったと思えるように努力したいと思います。

 同期の男子よりはラッキーなのか、頑張ったら来年女子インカレに出場することができる状況にいる自分は、誰よりも早く成長したいです。

今の自分はまだ、 よく間違えたり、よく考えずに行動してしまったりしています。当たり前のことですが、艤装を一つ一つよく考えて理解しないといけない。動作もどうしてこういう動きをするのか、どんな姿勢が一番いいのか、乗ってる時に人形になれるのは、今だけで、だんだんと言われなくてもできるように、ヨットをもっともっと理解していかなきゃいけないとも痛感しています。

 入部して八ヶ月、 ヨットに乗せてもらえる機会が増えてきて、やっぱり好きなことをしているということには間違いないと確認しました。本番はこれからなのだから、これからの自分成長にこれまでよりも投資していかなければいけないと思っています。私たちの可能性は誰にも予想できないのだから、どこまでいけるかワクワクしながら、私はこれからもヨットを、ヨット部を、楽しんでいきたいです。

 

470チーム一年 童菲

 

 

 


いつかまた

2018年11月12日 01時15分01秒 | 引退ブログ

こんにちは、4年の西坂です。

 

前回の記事で引退ブログを匂わせていましたが、こっちが本当の引退ブログです。

一番伝えたいことだけをスパッと短く伝えられる人は本当にかっこいいと思います。

ただ、自分にはその能がないので、だらだらといろいろ書いていきます。基本自分語りなので恐縮ですが、よろしくお願いします。

 

 

 

2018/11/4。蒲郡の地にて、無事引退することができました。

あっという間だったというにはあまりにいろいろありすぎた4年間、でも長かったかと問われると、本当に楽しくてあっという間だったような気もします。

 

入部を決意したのは、4月の最初の試乗会、入学式よりも前でした。

ヨットについて楽しそうに魅力を語る部の雰囲気が良くて、青木さんと霜山監督におだてられていい気になっていた自分は、簡単に入部を決めてしまいました。

もちろんその選択は正解だったと胸を張って言えます。4年間をかけるつもりで入部した場所ですが、思っていた以上に4年間をかける価値があったし、その選択をしなかった自分を想像すると恐ろしいです。

入部当初のブログを読むと「将来的にはヨット部の全日本出場に貢献し、そのヨット力で部員を牽引できるような選手になれるよう努力していこうと思います。楽しみにしていてください!」なんて書いています。どうなんでしょうか、過去の自分の期待には応えられたのかな。結果はどうであれ、青春を海に投げ捨てたことは自分の誇りです。そこに一切の悔いはないです。

 

4年間で得たものはたくさんあります。

ヨットの技術はもちろん、死と隣り合わせのスポーツだからこその安全管理のシビアさにふれたりだとか。今までなんだかんだ言って実感してなかった、自然のおそろしさ、偉大さを身をもって経験して。

組織運営というのも初めてでした。合宿生活も新しかった。能天気な自分は人間関係に悩むことは幸いなかったですが、24時間他人と一緒にいるっていうのもなかなかできない経験ですよね。そして、歴史ある組織に所属するという意味。伝統の重み。

いろいろなことを学びました。

 

 

ほんとうにいろいろあったなぁ。

 

 

一年生の冬、初めて東大に小松さんが来て。スキッパー始めたばかりのころの自分はコーチングしてもらえるレベルではなかったですが、小松さんが来てから少しずつチームが戦う集団に変わっていくのが、下級生ながら印象的でした。

 

二年生の夏の東大主幹だった七大学戦は、一つのポジションを任されて、初めて人の上に立つことがどういうことか深く考えた瞬間でした。漠然とリーダーは人を引っ張る人という認識だったのが、リーダーはどうあるべきか自分の中のリーダー像が定まったように思います。

 

二年の秋は、入部以来お世話になり続けてきた海野さんの代が引退して。みんなで悔し涙を流したのをはっきりと覚えています。引退するまであの日の涙は自分にとってずっと大きな原動力で、7位で関東を突破できなかったことに対する申し訳なさ、そこだけは現役生活に思い残すことです。あの日をかろうじて知っている小野の代に託すしかありません。

 

代替わり後は、4年生スキッパーが3人抜けて。急に自分が最上級生スキッパーになりました。一個下には経験者の塚本と小野がいて。急に自分が一番先輩になってコース練習とかでも負けられなくなったのに、下二人は自分よりヨット歴が断然長いから当然負けたりして。プレッシャーに耐えられなくて、自分はエースじゃなくてもいいや、なんて思ったりもしました。

 

三年の夏前、それまで470リーダーを務めていた主将の角出さんから470リーダーを任されることとなりました。急なことでしたが、いろいろ海上でも考えることが増え、ヨットがうまくなるきっかけになってくれました。みんなに何かを説くのなら自分はそれに反することは絶対にできないという緊張感も、プレッシャーに強くなるきっかけだったかもしれません。エースであることにこだわり出したのもこのあたりからです。チームの4年生だった角出さん、中田さんはもどかしい思いを何度もしたかもわかりません。それでも、辛抱強く自分をリーダーに起用し続けてくれたことは、本当に感謝しかありません。4年生の前でミーティングするのはかなりのプレッシャーでしたが笑。

 

三年の秋、33年ぶりの全日本両級進出を決めました。入部した直後に、関東の予選で敗退していた東大のチームを知っている自分にとって、それは本当に信じられないくらいうれしいことでした。東大ヨット部が強くなってからではなく、強くなる課程で在籍できて良かったと思いました。初めての全国の舞台は、周り皆がうまく見えて。大会の名前に圧倒されすぎていたように思います。

 

そして、自分たちの代が一番上になりました。打ち出したスローガンは「強い東大」。結果を見ると、去年より悪くなってしまっていますが、組織としては強くなる下準備は出来てきたのではないかと思います。去年は全日本を目指して、関東インカレにすべてをかけていた。今年は、全日本に焦点を置いて関東インカレは通過点だった。強風の日は「蒲郡はこんなもんじゃない」が部員の口癖だったし、トレーニングをさぼるようなことがあれば諭す文句は「そんなんじゃ蒲郡で走れないよ」でした。常に部員は蒲郡に目を向けていたように思います。そこは決して間違っていなかった、と思っています。

新体制は大変でした。新4年生5人、新3年生3人、新2年生たくさん。みんなよく頑張って成長したのではないかと思います。

 

4年夏の七大学戦は、大会不成立に。4年生になって七大同期とガチンコでやりあえることを楽しみにしていただけに、ヨット競技の儚さを改めて目の当たりにして、帰りの帆走中人知れず涙を流しました。来年は名古屋が復活参戦するらしいです。羨ましいですね。

それでも、七大学の友達は特別で、他水域のレース結果に力をもらったり、蒲郡のハーバーでブログ読んだよって声かけてもらったり。自分にとってはいい刺激になる友人たちでした。

 

4年の夏は、全日本個人戦にも出場しました。絶対に自分が出たかった大会。この大会は3年の全日本と違って、ハイレベルのレースを全力で楽しめました。もう一回全国で戦いたいと強く思いました。いろんな人が結果を褒めてくれましたが、すごく悔しかった自分にとってそれは若干拍子抜けで、小松さんのもと自分たちがより高い意識でレースに臨めていたことがわかりました。もう一年やらせてもらえたら自分はもっと上手くなれるのに、と思いつつ、4年間で散りゆくから楽しいんだろうなぁともなんとなく思いつつ。

 

そして、4年の秋は以前ブログに記した通りです。

 

それから、ついに引退。引退したら解放感とかあるのかなとか思っていましたが、実際はそんなこともなく、毎週八景島に行きたいくらい。今は新体制が頑張っている時期ですから、行きたい気持ちをぐっと押さえて、現役に求められたら行こうと思います。

 

 

 

ここには書かなかったことも本当にいろいろありました。

 

 

そこで思うのは、この経験をしっかり下の代に伝えられているのか。

小松さんがいなかった時代を知っている現役はもういません。スナイプが復活したばかりのころを知っている現役ももういません。何が変わってどんどん強くなってきているのか。そこをしっかり下に伝えないと、衰退の道を歩んで行ってしまうように思います。

ここ数年LB会の援助があって、新しい船、新しいセール、最高のコーチと、本当に恵まれた環境でやらせてもらっています。今の自分たちはそこに甘えているだけ。何かが欠けたら、全日本には到達できなかったのは確かです。いつまでもこの環境が続くわけではないですから、その恩恵を一番受けた自分が現役を支えていかなければと思います。

 

 

後輩たちには無念を託すことになります。

ただ、自分は自分たちの目標を達成できなかったという無念を託したいという思いはあれど、その目標の内容を強制するつもりはありません。

現役のみんなが本当に目指したいところを考えて、自分たちと一緒に頑張ってきたみんながその目標を最後に叶えることができたなら、それで自分たちの代も報われるような気がします。

そんなきれいごとにはいかないのかな。どうなんでしょう。未来の自分のみぞ知ることではありますが、今はそういう思いでいます。

まぁでも、自分たちの無念を晴らすためにみんなが同じ方向を向く材料の一つになってくれるなら、それはそれで素敵なことだなとも思います。

 

 

そういえば、今年の一月のリレーブログで「引用句」という記事を書きました。他大、部内で意外と好評で、自分でも力作だと思っているのですが(笑)、そこに、「現在の自分は、未来の自分が作る」というものがあります。この無念を、どう料理してこうかしっかり考えていきたいですし、自分たちの真価は後輩たちの活躍次第というところでもあるので、皆よろしく頼んだぞ。笑

 

 

月並みな表現になってしまいますが、今までたくさんのひとに支えられてきました。特に多大なる支援、指導をしてくださった監督含むLB会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。最後まで至らぬ4年生で、ご期待に添う事も出来ず申し訳ありません。

 

小松コーチには本当に献身的に指導していただきました。小松コーチに出会えたことはヨット部に入った大きな成果の一つです。人間として本当に尊敬でき、いつか小松さんのような人になりたいです。本当は小松さんの最高傑作になるのが目標でしたが、それは叶わずとも、小松さんの言う「派手さはないけどそつのない選手」には近づけたのではないかと思っています。また、今年の後半は本当に選手として小松さんが自分を信頼してくださっているのがわかり、すごくうれしかったです。頑張ってきたかいがありました。小松さんと来年は若手コーチとして西宮に来るよなと約束したので、しっかり約束を守ろうと思います。そうでなくても、小松さんと出会って自分は選手育成という部分にすごく興味を持ったので、近い将来小松イズムの伝承者としてヨット部に戻ってくる所存です。

 

自分とオーバーラップしている先輩方の存在は本当に心強かった。十川さん、海野さんの代はちょくちょく練習に来てくれ、特に青木さんはことあるごとにメッセージをくれました。ずっと気にかけてくださっていることが、非常に嬉しく、頑張ろうと思ってきました。角出さんの代は、何回も部活に顔を出してくれ、うまく言ってない時はよくご飯に誘ってくれました。自分もこういうOBになりたいと思いつつ、遠慮しないでもっと部活に来てもらえばよかったというのが本心なので、ぜひ後輩たちは遠慮せず呼んでくれたらなと思います。

 

多大のライバルたちの存在も大きいです。七大のライバル、関東水域のライバル。みんなで意識しあって高め合ってきた。そして、ずっと一緒に練習してくれた早稲田大学。日本一のチームと一緒に練習できて、本当にありがたかったです。今年の日本一が決まった時、本当に嬉しかった。

自分を信じてついてきてくれた470チーム。特に、小野と塚本はずっと3人一緒でずっと切磋琢磨してきた大切な存在。かわいい妹分の小野と、お互いリスペクトしているけど弱みを見せたくない男兄弟みたいな塚本。来年彼ら二人が楽しそうに前走るところをみたい。太朗、大橋は短い間だけどペアを組んだ。もっといろいろ教えてあげたかった。教えてあげられてない分はまた八景島で。松前は、自分を目標にしてくれているかわいい後輩だった。自分よりもっともっと活躍する選手になってほしい。

 違うチームだったけど、仲よくしてくれたスナイプチームの後輩たち。妙に頼りがいがあった。全日本の経験を無駄にしないでほしい。

 マネージャーのみんな。たくさんの気遣いが本当にありがたかった。特にみくちゃん。スーパーマネージャーとしてうちの代に欠かせない存在でした。

一年生のみんな。まだヨットのことよく分からないと思うけど、これからも必死に頑張ってほしい。ヨットはうまくなればなるほど、違う楽しさがどんどんわかっていくスポーツ。大変でも頑張る価値はあります。

 

同期のみんな。なんだかんだ残ったメンバーで必死に頑張ってきた。入部当初は関係性がドライと言われたり。それでも、みんなで協力して乗り切ってきた4年間は自分の宝物です。もっと、しっかりみんなとぶつかっておけばよかったっていうのが後悔です。

 

今年一年間ペアを組んでくれた天木。何とか天木を育てなくてはと必死で、常に高い要望を与えてきたけど、よく頑張ってついてきてくれました。本当にうまくなった。技術だけじゃなくて、リーダー艇としての振る舞い、レースへの臨み方、いろいろなものを見せてきたつもり。将来チームの主軸となってくれるであろう天木を育てたのが、数少ない自分の成果だと思っています。これからに期待してますよ。

 

チーム内唯一の同期の水石。3年の時の一年間、お互い初めてのレギュラーでペアを組んで。最初のレースでは沈するわ、冬は異常に沈するわ、ダメダメだったけど、秋にはエース艇に成長できた。水石と組んでいる時の艇内の雰囲気は最高で、一番リラックスしてレースに臨めるペアでした。水石はよく俺のレースメンタルを絶賛してくれるけど、それは水石との絶対的な信頼関係があったからです。同じチームでずっと支えてきてくれて、蒲郡3日目何もできない自分が悔しくてメンヘラになっていた俺の気持ちを汲み取ってくれたり、最後までずっと助けられっぱなしでした。自分にとってのベストクルーです。本当にありがとう。

 

愛艇4579。2年秋から丸々2年タッグを組んできた。最初は船に見合うスキッパーではなかったけど、79に育てられて最後は79の魅力を発揮できるスキッパーになったのではないかなと思います。酷使してごめん。後輩たちは、大切に使ってあげてください。

 

そのほか、部活にずっと理解を示してくれていた家族、応援してくれた友人たち、みんなにお礼が言いたいです。

本当にありがとうございました。

 

 

 

次ヨットで泣くときは、自分が歩めなかった未来を歩む後輩たちが羨ましくてうらやましくて仕方なくて悔しくて、そして何よりも嬉しくて涙を流したい。

将来後輩たちがすごい選手になって、そんな選手に関われたことを誇りに思いたい。

そんな新しい夢を持ちながら、これから先絶対に自分の体から引き離すことができないヨットと付き合っていきたいです。

 

自分はヨットが嫌いになってヨットをやめるわけではありません。

ヨットが大好きです。

またこれからも長いヨット人生を歩んでいきます。

 

話が飛んだりして無茶苦茶なように思いますが、、、

これで引退ブログとさせていただきます。

4年間自分を育ててくれてありがとうございました。

お世話になりました。

 

 

東京大学運動会ヨット部 前副将

西坂惇之

 

 


全日本所感。

2018年11月12日 01時12分39秒 | 全日本インカレ2018

ついに最後のブログとなりました。

全日本でのこと、今までのこと、これからのこと。

書きたいことはたくさんあるように思います。

それでもなかなか筆がすすまないのは、最後のブログなのに伝え残しがないか、言いたかったことをちゃんと言えているかいちいち考えてしまうからで。

そんなことを考えていてもきりがないので、田原ではないですが、徒然なるままに、書いてみることにします。

                                                                                                                              

 

 

…と思っていましたが、書いてみたら全日本のパートが長くなってしまったので、今回は全日本のブログです。引退ブログは次の記事です。ご容赦ください。

………………………………………………………………

こんにちは、4年の西坂です。

 

今からちょうど一週間前、第83回全日本学生ヨット選手権大会が閉幕し、自分たちの代は引退する運びとなりました。

 

すでに秋の関東インカレで現役選手として引退していた自分は、今回の大会はサポートとして臨みました。

秋インカレで敗れたときの感情はもちろん吹っ切れているわけはありません。その時の感情については、その当時ブログで書いた通りなので割愛します。それでも、その時の悔しさだったりとか、無念だったりとかが今大会に臨むうえで自分にとって強い原動力となっていました。

負けて改めて気づく勝ちへの執念。関東で負けたからこそ、代の引退を迎えるこの全日本の舞台では絶対に勝ってやろうと。自分にはサポートしかできないなら、勝ちたいという思いはチームで一番強く持ってやろうと、思っていました。

サポートという役回りをしたのは、二年生の秋以来二年ぶりでした。サポート能力はずっとサポートをしてきてくれていた後輩たちが優秀で、自分は自分にしかできないことをやろうと思っていました。セーリングに関するアドバイス、注意喚起をしてやってくれ、ということはコーチや先輩から頼まれていました。ただ、自分が一番やるべきことはサポートチームの士気をいかに高められるか。レースメンバー以外の全員を集めて、士気が高まるような言葉がけを意識して話してみたり。自分はこんなにサポートに本気なんだぞっていう姿勢を見せるように意識していました。

でも、やっぱり強い学校のまとまり具合はうちのチームよりはるかに上で、個人個人がそれぞれ自分の役割、やるべきことをはっきり認識できていることがはたから見てもわかる。

即興でサポートに回った自分の非力さを痛感しました。

 

そして、海上ではもっともどかしい思いをすることになります。

レース艇と接触できる機会は限られていて、海上にいるほとんどの時間、自分は何もすることができない。できることと言ったら、回航順位を取ったり、レース展開を観察したり、海面の情報を集めようとしてみたり。でも、自分が直接レースを助けてあげることはできない。なにも出来ない自分が悔しくて仕方がない。なんてサポートってつらい役回りなんだろうって思いました。

でも、そこであることに気が付きます。自分はレギュラーである時、サポートメンバーの心情を推し量ったことがあったのか。なぜ今初めて気が付くのか。

自分は、レースメンバーであったとき、サポートのみんなも同じ方向を向ける、全員が本気で勝ちたいと思える、そんなチームであったらいいなと思っていたし、強いチームとはそういうチームだと思っています。確かにそういうチームであったらいいと思っていたはず。

でも、もし本当にそういうチームだったとしたら、一番つらいのはサポートメンバーのはず。直接海上で戦っているレースメンバーよりも、勝ちたいと強く思っているのに、陸上でその戦いを見られない陸番のメンバーや、直接戦えないサポートボートメンバーの方が、辛い思いをしていたはず。

自分は、レースメンバーであったとき、サポートメンバー1人1人にまっさきに感謝の言葉とねぎらいの言葉を伝えていたのか。一部の人に伝えることはあっても、合宿所のミーティングで全員にまとめて伝えることはあっても、着艇後すぐに全員には伝えてこなかった。

サポートメンバーがいるから、自分たちはレースに集中できるし結果が残せると、感謝しているつもりになっていた。でも、見えていたのは実利的な部分だけで、最後の最後まで何も気が付かなかった自分が恥ずかしい。

こんな人間が理想とするチームを作れることがないのは、あとから考えれば明白です。

チームのメンバーには未熟者の先輩を反面教師として、これから強い、全員のためのチームを作ってほしいです。

 

 

今回の全日本でもう一つ痛感したことがありました。

片クラスで戦わなくてはいけない難しさです。

たまに「東大片クラスにしたら強いんじゃない?」って言われることがあります。確かにレギュラーは3,4年でも余るくらい層は厚くなるなぁとは思いますが、スナイプ、仰秀を復活させた先輩方を見てきた身としては、どんなに人数が少なくても両クラスで戦って総合を目指すことが東大ヨット部のプライドだと思ってきました。

でも、今回初めて両クラスで戦えないレースを目の当たりにして、両クラスで戦うことの大切さを今まで以上に実感しました。

今回、スナイプチームは孤独に戦っているように映りました。おそらく、同じ海面で違うフリートで戦っている仲間がいるというのは、与える安心感が大きいと思います。

実際関東のインカレなどでは、自分自身スナイプチームの結果を気にしながら戦い、違うフリートで戦っている仲間を思うことで、自分たちも頑張ろうと思っていた。オレンジ旗が上がってしまってからもそう。サポートボートが近づけない状態で、近くにいる仲間と健闘を祈りあう時間はすごく心強かったように思います。

自分はサポートボートに乗りながら、自分はサポートボートに乗っているよりも470であの海面に一緒に浮かんでいる方がよっぽどスナイプチームの力になれるのに。そう思っていました。

実際スナイプチームがどう思っているかはわかりませんが、両クラスであることの意味は、それぞれのチームに与える結果という面でも、重要だと思います。

来年以降は、なんとしても両クラスで全国の場に立って、助け合いながら上を目指してもらいたいです。

 

 

全日本で久しぶりにサポートをして、思っていたことを書いておこうと思ったら長くなってしまいました。

頑張って戦ってくれたスナイプチーム、サポートチームは、本当にお疲れ様でした。

(次記事に続く)

 

4年前副将

西坂惇之


独り言

2018年11月10日 12時35分09秒 | Weblog

こんにちは、マネージャーの塚田です。

こうしてブログを書くのはいつぶりでしょうか。去年のリレーブログ以来な気がします。

関東の決勝が終わってからずっと書こう書こうと思いながらついに代交代してしまいました。引退ブログに割り込んじゃってごめんなさい。全然言葉がまとまらないんだもん。今もまとまってないし幼稚なワードしか出てこないけどとりあえず書いてみます。

 

関東の決勝で470が全日本に行けないってわかった時、すごく辛かった。プレヤーの気持ちを完全に理解することはできないし、知ってるふりをするつもりも同情するつもりもないけれど、やっぱり辛かった。全日本の出場は通過点で、蒲郡でのレースをイメージして練習しているのを少なからず知っていたつもりでした。みんなのブログを読んでまだまだ私はわかってないなって思ったけど。これから少しでも寄り添うことができたらいいな。

スナイプが一緒に行けないことを悲しんでいたのも印象的でした。チームだな、チームっていいなと思いました。こんなチームに入れてもらえて幸せだって思いました。

 

全日本で470チームがサポートしている姿はとても心強くかっこよかったです。ときどき、自分たちもこの舞台で戦いたかったなって思いが見えるのが本当に辛かった。来年は両クラスで全日本行かなきゃって本当に思いました。

私たちマネージャーにできることは小さいことかもしれないけど両クラス全日本にいくために少しでも力になりたいと思います。

 

4年生の存在はすごく大きくて、大好きな人たちだったから引退されるということが全然受け入れられません。けれどこれから自分たちが最高学年として引張っていかなきゃいけない。いつまでもくよくよしているわけにはいきません。大好きな同期が一生懸命、本気で最高の一年にしようとスタートしています。人数が少なく、大変なことも多いかもしれないけれど、少しでも同期の助けになれればなと思います。大好きな同期、後輩とともに1年間走りきりたいと思います。ぜひ今年も変わらぬ熱い応援を宜しくお願いします。

 

個人的には同期や先輩に相談できないことも、あいつに言ってみるかなー、ちょっと話に行ってみようかな、ダル絡みしてやろう、そう思われる存在になれたらいいなあなんて思ってます。

 

拙く、支離滅裂なものとなってしまいました。

 

まあ簡単に言うと

4年生のいない寂しさに耐えられるか不安ですが頑張っていきます。

ということです。

最後までおつきあいありがとうございました。

引退の時にはもうちょっとマシな文章書けるようになっているといいな、、、

 

マネージャー 塚田美駒