東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

淡青色の矜持

2021年11月19日 01時02分00秒 | 引退ブログ

大学生になって、ろくに休みの土曜日や日曜日を過ごしてきませんでしたが、先週ようやく満喫できました。自分の近所の人形町の休日の人通りはここまで多いものかと圧倒されましたね。

大通りの一角にあった、自分が愛用していた定食屋が、100均ダイソーに建て替わっておりました。老舗が潰れて、新しい店に変わっていく様は、東京に来て随分と見てきた光景ですが、自分の住んでいる街が発展していることの証で喜ばしい手前、どこか寂しいものを感じます。


4年間を振り返ります。


1年目の入った当初は、同期が30人近くいて、賑やか過ぎるほどでした。しかし、時がたつごとに一人また一人と部を去る人がいて、気づいた頃には半分に満たなくなっていました。代交代が行われて、ヨットに乗る機会がぐんと増えました。

自分が思い描いていたものとは真逆で、ヨットはここまで泥臭いスポーツなのかと驚かされたのは今でも忘れられません。寒い中朝早く起きて、出艇時間に追われ、海上ではタックとジャイブの動作を繰り返し、16時に着艇した時にはヘトヘトになり、頭がよく回らないままミーティングを行って、陸シュミして、布団で力尽きたように眠る。この繰り返しは本当にキツかったなぁ。

今思えば代交代前はまだ新歓のふわふわした雰囲気から抜けられてなかったのかもしれません。この寒くて厳しい冬の練習によって人数がより少なくなる反面、ヨット部に残された我々同期一同は、覚悟というかヨットに対する姿勢がより引き締まったように思います。



2年目は、幸運なことに、自分はレギュラーに選ばれました。しかし、経験が浅いために、周りの上級生クルーと同じ働きができるはずもなく、ペアを組んで下さった4年生の塚本さんには苦労をかけてしまいました。

それでも、他の先輩クルーに追いつくべく、誰とでもクルーとして乗れる日には乗って、練習時間をできるだけ長く確保してきました。動作を人並みにできるまで、頭の中でどれほど再現し、イメトレをしたことか。

こうした努力が実った(と自分が勝手に落とし込んでいるお調子者なのですが)のか、西宮の全日本の舞台で6位で東大のスピンを届けた時には感無量でありました。自分の成長を近くで見守ってくださり、誰よりもストイックに練習をこなす塚本さんのクルーとして一緒に走れたことは今でも誇りに思っています。



3年目。コロナの自粛によって、思うように練習ができません。一番ヨットが楽しいであろう3年生の時間を奪われてしまったことは、今でも大変残念に思います。

しかし、ヨットから離れることで、今まで当たり前のようにヨットをしてきたけれども、全然当然ではないこと、蓋を開けてみればヨットという競技は本当に多くの人の支えと後押しによって成り立っているスポーツなのだと痛感できる1年でもありました。

座学や動画研究によってできない練習を埋め、知識を蓄え、数少ない練習をより有意義にして、最後まで諦めずに前を向き続けた先輩方には本当に感謝したいです。

ここまで尽くしてくれた4年生の先輩方に恩返ししたい、関東インカレで引退させたくないという一心で、ヨットを走らせていたのですが、あともう少しのところで全日本への切符を手にすることができず、非常に悔しい思いをしました。



4年目。自分が最上級生になったら、こうしよう、ヨット部のこういうところは改善したいというものを持ち合わせていましたが、いざ練習期間となると出艇時間と各々のタスクに追われ続けてしまいます。

スローガンとしてこの1年『凡事徹底』を掲げたのですが、実際に徹底できていたのかというと、自信を持って頷くことができない始末。

ヨットのプレイヤーとしての自分と、主務としての自分と、最上級生としてのチーム運営に口を出す自分。忙しない練習期間の中で、これらにどう折り合いをつけ、どのように振る舞うのか。難しい1年でございました。

春に3年生の調と組んだ時には、全然思い通りにレースで走らせることができず、苦しい思いをしました。でも、ああでもないこうでもないと試行錯誤しなから、活き活きとヨットに臨む調と一緒にいて、ヨットの本来の楽しさを再認識させられました。彼が春の悔しさをバネに秋には我々4年生と遜色ない走りを見せてくれて、本当に嬉しかった。

秋からは、昨年に続けて古橋と乗ることになりました。3年生の時は互いに気楽にまっすぐ走らせていただけでしたが、4年生になって最上級生としての、470リーダーとしての、1番艇としての覚悟と責任感を背負うた別人でありました。

大胆でがさつな自分とは異なり、何事にも妥協なく、「反復、継続、丁寧」が似合う彼は、シーマンとして立派だとつくづく思わせられてきました。最後まで楽しかったなぁ。古橋、ありがとう。全日本470で、全日本インカレの雪辱を果たすことを心待ちにしております。



こうやって振り返ってみると同じヨット部の4年間と一口に言っても、毎年毎年で色があって、十分に充実していたと今では思います。

1年生の時に、自分たちが最上級生になった時には同じ船に乗ろうと誓っていた同志が、ヨット部からいなくなってしまった時は、それはそれは辛かった。

でも、彼らよりも絶対に充実した4年間を過ごしてやる、楽しんでやるぞという意地で、ヨットから離れないことを自分に課し、今でも自分のその選択は間違ってはなかったと、心から思えます。



東大は年々強くなっている。悔しくも最後の全日本インカレの舞台で、それを結果として表現できることはできませんでした。シングルを目標として、実際は18位。有終の美は飾れませんでした。

3年生の秋インカレを通して、ケーストラブルをなくそうと誓い、練習中も口酸っぱく言ってきた我々自身が、1日目に文字を多くつけてしまい、全日本インカレを引退の記念レースにしてしまった。

応援してくれていた下級生やLBの方々の期待に答えられず、本当に申し訳ないと思っております。


その敗因は、自分は全日本で初めてを経験することが多かったことにあると思っています。

大きなレースではじめてUFDをつけてしまった。初めて自艇に抗議が出されて、面食らい、必要以上に焦ってしまった。

そういうところからどんどん全日本の緊張の雰囲気に飲まれてしまい、最初のレースでできていただろう大胆なレース展開や本来のボートスピードを引き出すことができなくなってしまった。これも実力だったと思う反面、やはり後悔は残ります。


それでも、東大はいいチームになっている、そう思わされる場面がありました。出艇からの曳航のスピード、海面につくまでの手際の良さは東大は1番でした。

1年生から上級生まで一丸となって、蒲郡の過去のレースのトラックトラックを分析してくれました。

レギュラーだけではなく、サポートメンバーが責任感と使命感を持って、一人一人が結果に貢献しようという雰囲気がありました。そしてそれを表現できるには十分の舞台だった、それだけでも全日本には大きな意味があったと思います。



3年生以下にはもっともっと高みを目指して欲しい。一人一人が東大ヨット部に"誇り"を持って欲しい。まだまだヨットに乗る機会がある、東大ヨット部を表現する舞台が残されている彼らを自分は素直に羨ましいと思います。

いつしかブログで書かせてもらいましたが、自分は後輩には本当に恵まれてきたとつくづく思っています。サポートも上で書いた通りだし、平日の自主練の頻度も人数もちょっと前では考えられないくらいに多くなっています。

そんな彼らの成長と挑戦を近くで見守っていられる自分は幸せだと思いますし、ずっと応援していきたいと思っています。


長くなってしまいました。拙い文章ですみませんでした。


ヨットは4年間通して、どこまでも魅力的なスポーツでありました。

ヨット部は、自分にとってどこよりもくつろげる居場所でありました。


4年間、随分とぜいたくをさせていただきました。


ヨットのいろはから丁寧に教えてくださった先輩方、チームを期待以上に支えてくれた後輩、多大な支援と応援をしてくださったLBの皆様、いつも練習に付き合ってくれてヨットの楽しさと過酷さを教えてくれた小松コーチ、そして共に戦友として4年間そばにいてくれた同期、本当にありがとうございました。


風をめいいっぱいに受けたスピネーカーのように、勇気と希望を自分の中に孕ませ、今後の残りの人生を歩んで行きたいものです。

来年から社会人になって困難なことに立ち向かっても、自分の携帯の中にある淡青色のスピンを見返して、この4年間を思い返し、誇らしく、力強く生きていきたいと思います。


東京大学運動会ヨット部4年 齊藤崇