あれから一年経ちました。
去年の深夜、
紫蘇の林の中で座り込んでいた、
しもぶくれの狸さんは、
どうしているのでしょうか。
今年の紫蘇のみなさんは、
とてもこじんまりとまとまっていて、
残念ながら狸さん、
座って隠れる場所もありません。
今年は去年よりも暖かい、
と思うのですが、
もしかしたら、
体調や気持ちのせいかもしれません。
神社の下の道をお散歩しておりました。
斜面に草が生えているので、
しばらく佇むことも多かったのです。
カメラ嫌いの私らしく、
知らん顔して後ろを向いた写真が、
正真正銘最後の写真でありました。
これからどんどん寒くなります。
おとの卵焼きの腕前は、
果たして上がったのかしら、と思います。
美味しい卵焼きを食べたい、
期待に小さな胸を、
ふくらませているのです。
大雨の予報でしたが、
雨は降っておらず、
廃油を燃やしたような臭いが漂う朝でした。
私は犬族ですから、
たぶん私だけが、
敏感に感じるのだろうと思います。
去年の今ごろにはもう、
ずいぶんとよたよたしていたのです。
あっという間に、
一年が経ってしまいました。
どうしましょうね、
ため息です。
新規投稿の欄に、
昨日書いたものが残っていたので、
仕方なく公開するを押したら、
いただいたコメントが、
消えてしまいました。
編集画面で閲覧するを押したら、
私は読めるのですが、
その場限りであります。
よくよく見れば、
最新コメント欄にも表示されているので、
そこから入れば読めるのではありますが、
こちらはやがて、
見えなくなってしまいます。
世の中難しいことばかりです。
ラインにフェイスブック、
はたまたツイッターやインスタグラム、
お付き合いしようかと思ったのですが、
なんだか落ち着かない気持ちです。
新しいことばかりじゃないのです。
昨日気がついたのでしたが、
「まごにも衣装」の「まご」でございます。
これは孫に着せるのじゃないので、
気をつけましょう。
正解は「馬子」であります。
どんな人(犬)でも良い物を着て整えれば、
立派に見える、
という意味なのであります。
ではコメント復活作業、
再開致します。
(ただ今、解決できました
二重になっていたのです 10:20)
なかにし礼さんの作品に、
「夜と朝のあいだに」という歌があります。
こちらは意味深長でありますが、
「朝と夜の間」の昼間もやはり同じで、
昼間の諸活動は心身ともに、
疲労蓄積するものなのです。
最近では夜はもう、
なにもできない状態です。
早く眠るに限ります。
それがそうならないで忙しくするのですから、
どうしようもないのです。
朝起きてしまっても、
まだ眠たくてエアーお散歩も、
忘れがちになってしまいます。
遅起き無用、
早寝有用?にしないと、
身体も脳も壊れてしまいます。
そして夜は壊れているのですから、
勝負は朝に限ります。
料理も人間(犬)も演出は必要、
ということなのでありましょう。
小分けした酢の物は、
野菜しか入っていなくても、
飽くまでも主観的見解ではありますが、
きれいに見えるのであります。
それでも、
レシピの胡瓜ワカメは勿論、
加えて生姜と紫蘇に茗荷、
おまけのハチミツ、
まで入っているのです。
味見ですか?
まだしていません。
嘘さえも言えなくなって、
演出を忘れてしまいそうになった私は、
歌を忘れたカナリアみたいに、
裏の山に捨てられそうです。
昨日の「りん」は、
冷蔵庫のドアを一晩中開けっ放しにしたくらいの?
大きなミスをしておりました。
名前を間違えていたのです。
夕方気付いて、
お詫びもしないで訂正を致しました。
追加のリクエストがあって、
止せば良いのに、
パスタを急遽茹でて、
トマトスープを流し込みました。
これからタバスコとチーズの、
出番となります。
今朝は突如、
「無用」という言葉の響きが気になって、
半世紀ほど前の「無用ノ介」という、
岡林信康さんの曲が入っている本を、
探したのでしたが行方不明です。
どうやら私は「有用」なものを「無用」
と勘違いして断捨離する傾向にあります。
困ったものでございます。
ところで果たして、
「無用」とはどういうことなのか、
トマトスープを、
てきぱきぱきぱきと作りながら、
いじいじと考えておりましたが、
やっぱり答えは簡単、
「無用」は当たり前に不要であり、
要らない、ということなのでした。
余韻もなんにもないのです。
いっそ最初からなんにもなければ良かった、
のであります。
なんとも辛い言葉でございます。
でもしかし、
ああそうなのかやっぱりねー、
なのでございます。
ちーーーーん。
今朝、梅さんが、
「やってみりん」
と五郎さんに言っていたので、
「やってしょうゆ」とか、
「やってさとう」はないのかな、
意地悪な私は、
思ったのでした。
みりんに醤油と砂糖を使い、
レンジで作った、
肉じゃがであります。
人参の形は、
敢えてこうしているのです。
来生えつこさん作詞、
弟のたかおさん作曲、
「セカンドラブ」を思いの丈を込めて、
歌っております。
なかなかうまくいかないのが、
人(犬)生とは言え、
もう少しなんとかならないものか、
そう思いながら、
だらだらずるずるしております。
いたずらに頑張ることは、
ある意味考えものではあるのですが、
敢えて本日は、
「がんばりん」なのであります。
台風が通過をしていたので、
せっかくの涼しさは何処へやら、
蒸し暑さばかりが、
どんどん募ってしまいます。
そんな時には炊き込みご飯。
高級松茸やアワビが、
入っていそうですか?
うーんどうでしょう。
松茸やアワビが、
突然消えたり出てきたり、
世の中不思議なことや、
不可解なことばかりであります。
いささか悶々として、
悩んでしまいます。
あっと言う間に、
季節なんて変わるのです。
待ってくれーぃ、
と言っても知りません。
果たして、
距離感の問題でしょうか。
だれかが知らん顔するし、
風は冷たくなってくるし、
葉っぱも茶色になってきそうだし、
夕暮れどきは胸騒ぎ。
そうそう遅くなりました。
ひさしぶりの、
栗ご飯いただきました。
栗やみかんは明快で、
人間みたいな、
微妙な距離感ないのです。
田舎ではコロナも、
ある意味では日常化してしまったのか、
先日はマスクなしで、
なんとか統計の調査員さんも、
やって来ました。
もしかしたら、
夢だったのかもしれません?
都はるみさん、
あら見てたのねー、
じゃなくて、
あらしないのねー、
と思いましたが、
咄嗟のカウンターパンチ、
のようなもので、
じっと打たれるばかりでございます。
嘘のような話ですが、
思うことの半分も、
私言えないのです。