やぁーどうも、
やぁーやぁーやぁーのビートルズ。
元気だった?
儲かってる?
ぼちぼちですか。
ほぅーそうですか、
このご時世でぼちぼちなら、
そりゃー良かった。
あれやこれやと毎度のことで、
いつもいつもご苦労様です。
まっ無理しないで、
ぼちぼち、
やってくださいな。
暗雲立ち込めて、
なんだかエヴァンゲリオンでも、
出てきそうな雰囲気です。
世の中阿呆な話が続いていますが、
私は、
動けない私は、
さらにもっと阿呆なのであります。
しばらくじっと待っていても、
エヴァンゲリオンは出てきませんでした。
お腹の虫が、
ぐーっと鳴きました。
なにから話せばよいのか、
どこから話せばよいのか、
解らなくなって来て、
じっと黙って、
あなたの顔を、
見詰めたりしています。
ピオーネをヨーグルトに投入して、
ぐちゅぐちゅに掻き混ぜてみると、
とても甘かったのです。
さつま芋をレモンと蜂蜜で煮たのですが、
スプーンに付着した蜂蜜を、
拭き取る代わりに勿体無いと思って舐めたら、
とても濃厚で爛熟なお味がしたのでした。
このごろは、
やたら甘いものがお好きなのであります。
10月のマイブームは、
「勝手にしやがれ」となっております。
もはや為す術もなく、
言うこともなにもないのです。
ゴダール監督の映画も懐かしいですし、
あのベルモンドさんも逝ってしまいました。
そう言えばジュリーこと、
沢田さんも歌っています。
「せめて少しはカッコつけさせてくれ」
そりゃーそうです。
そじゃないですか、
おまいさん。
これは朝日です。
読売ではありません。
ちっとも、
面白くないですね。
漱石先生の「門」を読んでおりましたら、
状袋(じょうぶくろ)だの今度(こんだ)だの、
と懐かしい言葉が溢れているので、
少し嬉しくなったりしたのですが、
それこそ今度(こんだ)からは、
も少し上達をと思っています。
それにしても、
最近では新聞や本を読んでも、
ちっとも、
感動しないのです。
これも困ります。
同じようなことばかり、
繰り返し繰り返し、
何度もやらされていると、
やがては飽きても来るし、
それから逃れられないとなれば、
犬も人間も諦めるようになる。
諦めることができたなら、
悟りが開かれるのであれば話は早いのであるが、
それはまた違う話であるようで、
そこが悩ましいところなのである。
結局(けっきょく)薬局やっきょく、
またしても、
じっと見るのである。
手も足も指も爪も、
じっと見て、
じっと眺めるのである。
そうなのであーる。
ので®(あーる)
®®®®®®®®®®
つい昨日のお昼くらいまでは、
秋の来ない眩し過ぎる夏でありましたが、
突如北風ひゅうひゅうがたごとがたごと、
の冬になってしまいました。
ポールダンスを踊りたいのですが、
ポールに隠れて北風を避けています。
本日は肉じゃがに致しました。
最近は里芋の煮っころがしや、
南瓜に蓮根の煮物、
茶色いお料理ばかりを作っています。
まさにおばあちゃんの味です。
じっと手を見ます。
世の中は犬(人間)は、
面白いものであります。
呆(あき)れてしまうのですが、
リベンジ消費だのと言っています。
理解に苦しみます。
悲しいかどうかは兎も角、
いよいよ世間の動きとは乖離した、
私になってしまいました。
もう既に捨てられているとは思うのですが、
念には念を入れて、
私も刀で切り捨ててしまいます。
ばさっ、
ばすっ、
どさっ。
ださっ。
愛し合うふたりに、
言葉はいらなーい。
呆(ほう)けて呆けて、
ずっと呆けて遊ぶのです。
今から7年前の10月は、
こんな嬉し楽しの朝もあったのでした。
こんなでれでれお顔で、
ふやけていたのでございます。
昨日の日曜日は、
コロナなんぞはお構いなしで、
人で溢れかえった大大密な「道の駅」では、
大トロは既に店頭からは消えてしまい、
養殖本鮪の赤身しかなかったのでした。
食べたい時に大トロなし、
やはり、
予定の実現は叶わなかったのであります。
まさに「孝行したいときに親はなし」
であります。
大トロは次回のお楽しみとして、
私は養殖本鮪赤身を買い占めて、
あたふたと立ち去ったのでありました。
朝からの作業完結です。
あまりビューティフルではないのですが、
がしがしかきこんで、
いただいたのでした。