おと 終わったね、
私 ずいぶん、遠いところに来たね。
おと 近いのかもしれない、
私 あれ、そうだったかな。
おと まだまだ、途中だけど、
私 遠くても近いし、
近くても遠かったりして、
おもしろいね。
おと もう少しだよ、
私 短いと思っても、長いよ。
おと 長いと思っても、短い?
私 そういうこと、だね。
強い風が、吹いたよ、
お散歩だ。
しとしと、雨も、降ってきた、
さあ、お散歩だ、
お散歩に行こう。
はらはら、雪も、舞ってきた、
さあ、お散歩だ、
ほんとは、行きたくないけど、
さあ、お散歩だ、
お散歩に行くよ。
思いは、溢れても、
喋ることは、億劫だし、恥ずかしいのです。
そんな時、思い出したのが、
井上陽水さん、
「結詞」です。
浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空
それもこれも、
全ては、
遠き遠き道の途中でのこと
なのであります。
全く、余裕なのですが、
師も走る、のですから、
走っています。
原始、女性は太陽であった。
平塚らいてうさん、
雑誌「青鞜」での言葉です。
いささか、
ぼんやりした顔ではありますが、
元気です。
あたたかくて、
どちらかといえば、しわすらしくない、
つよいあめが、ずっと、ふっています。
わたしは、もうぬれることも、ないのですが、
だれかさんは、
かささして、ぬれて、
おさんぽしないのは、
うれしかったりもするようです。
それでも、おたんじょうびは、
やっぱり、さびしかったりするみたいで、
あそんで、わぁーわぁー、
はしゃいで、いたようでした。
きせきてき、なことばかり、
あったらしくて、よろこんだり、
かなしんだり、していたのでしたが、
げんじつとうひ、のとくいなひとで、
しんぱいです。
あまりさむくもなく、
なんともおだやかな、
あさでした。
あさね、あさざけ、あさゆが、
だいすきで、
それで、しんしょう、つぶした、
おはらしょうすけさん、
になりたい、
とおもったのでした。
ようやく、雨のあとから、
寒くなって来ましたので、
昨日のお昼は、ひさしぶりに、
ラーメンをいただきました。
なんと、豚肉に白菜、
人参と玉ねぎも、入っているのです。
その昔、悲しい訳ではないのですが、
ラーメン食べる悲しい気持ち、と言って、
lamentableという単語を、
覚えたことがあるのを、
思い出しました。
有名店の、ラーメンの味は、
全く、知りませんが、
悲しいどころか、
これほど美味しいとは、と思うほど、
とても満足、
の一杯なのでありました。
田舎ですが、
ぞれでも、
ずいぶんと、年末らしくなってまいりました。
クリスマスのイルミネーションも、
きれいに輝いています。
時代も、変わっているようで、
年末年始に、
店を開けるとか、開けないとか、
騒がしいようです。
私的には、余程、暇みたいで、
少し寂しく、恥ずかしいのですが、
年末年始のお仕事、
全然、大丈夫なのであります。
でも、そうじゃない人もいるのでしょう。
勿論、閉めることは、その店の自由です。
どんどん、お休みくださいね、
なのであります。
国とか客、その他大勢が、
兎や角、言うことではないのです。
ただ、売上が、落ちるだけ、
その日の売り上げは、確実になくなるだけ、
それを、どう考えるか、
それだけ、なのです。
明け方、朦朧として、
ポンポン船の、
ぽんぽんぽん、の煩い音を聞きながら、
私は、何時死んでしまったのだろう、
9月だったかしら、もしかして10月?
と思っておりました。
最早、無関係ではありますが、
私の誕生日は、クリスマスの日、でした。
もうすぐ、です。
おとは、私は、もう死んでしまってから、
十年くらいは経っている、
と思っているみたいです。
凛として、
遠吠えです。