浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

ようこそ兎さん 長旅を終えて

2007年08月02日 | 洋琴弾き
長旅から帰って来た。ほっと一息つきたいところだが、兎さんがやって来る。2週前に続いて遠来の客人だ。兎さんはなかなか元気そうだ。兎さんに暴れられると我が家は持ちこたえることができないかも知れない。少々不安だ。

長旅の間は音楽をゆっくりと聴く時間が普段よりも少なかったのは当然だが、最近の世の中は便利になったもので、僕の持つ携帯電話にはCD200枚分もの音楽が録音できる。ちなみに、持参した録音は、オスカー・フリートの「悲愴交響曲」「胡桃割り人形」、ドリーブ「シルヴィア」、クレンペラーのマーラー「復活」、デリアス合唱曲集、ブルックナーの「アヴェマリア」他モテット集、バルビローリのチャイコフスキー4番他、ベームのモーツァルト40番リハーサル、G&T1900-07年の録音集、デムスのシューベルト&ショパン・リサイタルの9枚のCDである。中でもG&Tのパッハマンと、トランクに忍ばせた芋焼酎「はちまん」が友達だった。そのせいか、アルチュウハイマーが随分と進行したやうだ。旅で見聞を広めたはずだが、どういふ訳か、丁度その7日間だけ記憶が無くなってゐる。

記憶を無くしたのには、アルコール以外にも理由が考えられる。一つは、以前から苦しんでゐた持病の慢性脳不全による記憶喪失。もう一つは、そもそも記憶すべきことがらが何も無かった可能性。しかし、今となっては確かめようもない。

ところで、パッハマンのG&Tのショパンは衝撃的であった。衝撃的だった理由は実に単純で、以前に聴いてゐた記憶が消えたからである。更に、アレクサンダー・ミハウォフスキーのショパンが衝撃的だった。この理由も実に単純で、本当に一度も聴いたことが無かったからである。

ミハウォフスキーとパッハマンが同じ「子犬のワルツ」を録音してゐる。パッハマンの演奏で仰天した人はミハウォフスキーを聴くと卒倒する。2人にはそのくらいの違いがある。なにしろ、自身が楽譜どおり弾けなかったショパンの作品を、作曲家の意図を察して楽譜どおり弾かない巨匠の果たし合いのやうなレコヲドなのである。

ミハウォフスキーが生まれた1851年は、ショパンが他界して僅か2年後である。現代では聴くことができない、ショパンの息のかかった演奏を愉しむことができる。

盤は、英國Appian P&Rによる蝋管の復刻CD APR5531。


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