たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

5巻37ー39章

2024-01-23 16:06:06 | 世界史

【37章】
運命の女神は狙いを定めた人間を盲目にする。計り知れない災難が国家に降りかかろうとしている時、それを避ける努力がなされなかった。フィデナエやヴェイイなど近隣の国家との戦争の際、多くの場合最後の手段として独裁官が任命された。しかし、見たことも聞いたこともない僻遠の民族が海と地の果てからローマに迫っていたのに、独裁官は任命されず、いかなる対策も取られなかった。無謀な行為により戦争を引き起こした三人が司令官となり、これまでにない多数の市民を徴兵した。三人は今回の戦争の規模を理解せず、戦争回避のための交渉を考えなかった。一方でガリアの大使は帰国し、ローマに軽くあしらわれたと報告した。「我々の要求は無視され、国際法に違反した者たちに栄誉が与えられました」。
ガリア人は感情を制御できない民族だったので、ローマに対し怒り、軍旗を取って急いで進軍を開始した。彼らが行軍する音を聞いて、通りすがりの都市の市民は慌てて武器を取り、郊外の人々は避難した。ガリア人は人数が多く、人馬の群れが遠くまで続いた。ガリア人は大声で「ローマを滅ぼしてやる」と叫びながら進んだ。ガリア人がローマに向かっているという噂や報告を最初に伝えてきたのはクルシウムの人たちだった。その後、他の都市が次々に同じ報告をしてきたので、ガリア人の進軍の速さが分かり、ローマの市民は恐怖におののいた。急いで二つの軍団が編成され、ただちに出陣した。ローマからわずか17kmのところで両軍が衝突した。そこはクルストゥメリウム山から勢いよく流れ下るアリハ川がテベレ川に合流する地点で、街道の下が戦場となった。このあたり一帯ににガリア人が押し寄せていた。勢いに乗ったガリア人は不気味な叫び声をあげ、不調和な音をたてるので、ローマ兵は恐怖を感じた。
【38章】
ローマ軍の司令官は陣地の設営場所を確保せず、兵士が身を隠す塹壕も掘っていなかった。司令官は神々に無関心なだけでなく、敵の戦闘力についても無関心で、神々が示す良好な兆候もなく、戦闘を命令した。敵に回りこままれないよう、ローマ軍は戦列を左右に広げた。それで縦の厚みが薄くなった。中央部においてガリア軍のほうがはるかに優勢であり、ローマ軍は対抗できなかった。右翼側の地面が少し高くなっており、ローマ軍の司令官は予備の部隊を投入して右翼を増強した。劣勢が明らかな中央のローマ軍は放置され、彼らは見捨てられたように思い、逃げだす兵士もいた。優勢な右翼はローマ兵の支えとなり、逃げた兵士にとって安全地帯となった。ガリアの首長ベンヌスはローマ軍の中央部の兵数が少ないのを見て、罠があると感じた。中央を攻めていると、敵の予備部隊が側面と背後から襲ってくるかもしれない、とベンヌスは考えた。そこで彼は「ローマの増援部隊を攻撃せよ」と命令した。注意を要するのは丘の上の増援部隊だけであり、それを叩き潰せば、ガリア軍が圧倒的に優勢だった。勝利は容易だ、とベンヌスは考えた。運命の女神が野蛮人に味方していただけでなく、野蛮人の戦術も勝っていた。ローマ軍の側には、特筆すべき司令官も兵士もいなかった。ローマの兵士は恐怖のあまり、逃げることばかり考えていた。恐怖に支配された彼らは、ローマに向かって逃げず、テベレ川を渡ってヴェイイに逃げた。地続きのローマより、川で隔てられたヴェイイのほうが安全だと思ったのである。一方で、丘の上ローマの増援部隊は有利な場所にいたので、しばらく持ちこたえたが、隣の部隊の近くでガリア人の叫び声がした。続いて背後からもガリア人の叫び声がしたので、増援部隊は慌てて逃げ出した。この部隊はまだガリア人と戦っていなかったし、敵の顔も見ていなかった。彼らは敵の声を聞いただけで逃げ出したのであり、対抗して掛け声を上げることさえしなかった。彼らは戦っていなかったので無傷だったが、密集して互いに押し合いながら逃げているうちに、敵に追いつかれ、殺されてしまった。一方、ローマ軍の左翼の兵士たちは、全員が武器を捨てテベレ川の岸に沿って逃げた。しかし、多くの者が殺された。川に飛び込んだ者は助かったが、泳げずに溺れた者、また甲冑の重さのためテベレ川に流された者がいた。無事にヴェイイに逃げた兵士たちは首都の防衛に参加しようとしなかっただけでなく、ローマ軍の敗北を報告すらしなかった。増援部隊以外の右翼の兵士たちのはテベレ川からは遠く、丘のふもとに近かったので、ローマに向かって逃げた。市内に入ると、彼らは門を閉める余裕もなく、砦に逃げ込んだ。
【39章】
ガリア人は突然の大勝利に、あっけにとられた。勝利を信じられれず、彼らはしばらくその場にとどまった。気持ちが落ち着くと、彼らは騙し打ちを警戒した。それもないとわかると、ローマ兵の死体から首を取ると,彼らの慣習に従い、生首を山のように積み上げた。周辺に敵がいないことを確認すると、ガリア人は行進を開始し、日没前にローマに到着した。隊列の先頭を進んでいた騎馬兵が首長に報告した。「ローマの城門が開いていて、見張りの兵士もいません。城壁の上に守備兵がいません」。
簡単な勝利に続き、ローマの無防備はガリア人を驚かせた。彼らは罠を恐れると同時に、知らない都市で夜の市街戦は危険だと考え、ローマとアニオ川の中間で野営することにした。ガリア人は偵察兵を派遣し、他の門と城壁の周囲を調べさせた。敗北したローマ軍は最後の防衛に必死なはずであり、彼らがいかなる策略を考えているか知る必要があった。一方ローマの人々は、大多数のローマ兵がヴェイイに逃げてしまったことを知らなかった。ローマに帰ってきた兵士だけが生き残りだと彼らは思った。すべての戦死者と負傷者のためにローマの人々は嘆き、悲しみがローマの街を覆った。ガリア人が近くに来ているという報告があり、人々の悲しみは恐怖に変わった。間もなく、荒々しい叫び声や雄たけびが聞こえてきた。壁の外をガリアの騎兵たちが走り回っていたのである。敵が今にも攻撃してきそうなので、ローマ市民がはらはらしながら夜を過ごしているうちに、夜が明けた。敵が城壁まで来た時は、すぐにも攻撃が始まると市民は思った。攻撃の意図がなかったら、敵はアリア川に留まるはずだからである。(アリア川はテベレ川の小さな支流、ローマの北16km)。また日没前にも、攻撃が始まると感じた。暗くならないうちに攻撃してくるかもしれなった。夜になると、敵は大規模な夜襲を計画しているのかもしれないと心配した。夜が明けると、市民は恐怖のあまり理性を失いかけた。門から敵の旗が入ってくるのを見て、市民の恐怖は頂点に達した。緊張の連続で精神が限界に来ていたので、最後の一撃となった。それでも、市民は兵士と違って踏みとどまった。アリハ川がテベレ川に合流する地点の戦闘で兵士は逃げ出してしまったが、市民は抵抗を決意した。わずかな兵数でガリア人に正面から立ち向かうことはできなかったので、砦とカピトルの丘の防衛を強化し、ここを拠点に防衛戦をすることにした。兵役の年齢の市民に加え、身体が丈夫な元老たちが妻子と共に陣地に入った。大量の武器と食料を運び込み、戦闘に備えた。これはローマの神々と自分たちを守る戦いであり、ローマの偉大な名声を守る戦いだった。国家の神聖な品物が戦火と殺戮に巻き込まれないよう、神官と巫女たちがこれらを遠くへ運び出さなければならなかった。生き残ったローマ人が最後の一人となっても、国家の宗教を守らなければならない。神々が住む砦とカピトルの丘を守り抜けば、市民の精神的な支柱である元老たちが生き残るのである。国政を導く元老に加え、兵役の年齢の市民の何割かが戦闘を生き延びるなら、たとえローマが破壊され、市内に残った老人たちが殺されても、ローマはは滅びないだろう。老人は戦禍がなくても、残された年月は少ない。平民の老人たちが残酷な運命を受け入れ安くするために、かつて執政官を務め、ローマに勝利をもたらした人々が「自分たちも彼らと運命を共にする」と表明した。「年老いた肉体で武器も持てず、戦えない我々が兵士たちの負担となるのを避けたい」。

 


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