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アウルンキ戦・困窮した平民が大胆な行動

2021-01-29 12:01:54 | 世界史

 

==《リヴィウスのローマ史第2巻》==  

                 Titus Livius   History of Rome

                                  translated by Canon Roberts

                           【26章】

ヴォルスキ族との戦争の直後サビーニ人がローマに恐怖を与えた。彼らはローマを急襲したが、掠奪のためであり、戦争するつもりはなかった。サビーニ人がアニオ川まで来て略奪している、と知らせガあった。周辺の農地は荒らされ、焼かれているということだった。ラテン戦争の時の独裁官ポストゥミウスがすべての騎兵を連れて直ちに現地に向かった。執政官セルヴィリウスは選抜された歩兵を連れて後を追った。あちこちちに散らばっていたサビーニ兵はローマ騎兵に囲まれた。サビーニ兵はローマの歩兵部隊と戦おうとしなかった。サビーニ兵は長い距離を歩き、略奪したので疲れていた。彼らの大部分は農家にいて、大量の食糧とワインの所有者になっていたので、逃げる気力もなかった。

サビーニ戦争は一夜で終わった。これで平和になったと思われたが、今度はアウルンキ族の使節が来て、ローマにヴォルスキ族の領土から撤退するよう要求した。「拒否すれば戦争である」と使節は脅した。使節がローマへ出発した直後に、アウルンキ軍は進軍を開始していた。アウルンキ軍がアリチアを通過したという知らせがローマに届くと、ローマ市内は大騒ぎになり、混乱した。元老院は議論する時間がなく、既に進軍を開始している敵に対し、交渉の余地はなかった。

ローマはすぐに戦争の準備を始めた。ローマはアウルンキ軍を撃退するため、アリチア(アルバ湖の南)に向かった。

 

 

アリチアの近くで戦闘になり、ローマは勝利した。一回の戦闘で戦争は終結した。

                            【27章】

ローマは数日間でいくつもの戦争に勝利し、最後にアウルンキ族に勝利した。そこで平民は中断されていた交渉を再開した。彼らはこれらの戦争の勝利に貢献したのであり、以前の約束の実現を期待していた。執政官は元老院の承認を得て、困窮者の救済を約束していた。執政官アッピウスは独裁権力を欲しており、人望のある同僚執政官を失脚させようとしていた。債務者が連れてこられると、アッピウスは厳しすぎる判決をした。身体を抵当として借金していた者は次から次へと債権者に引き渡された。抵当として差し出す財産を有しない者は強制的に身体を抵当とされた。このような状況で、ある兵士がもう一人の執政官セルヴィリウスに訴えた。セルヴィリウスの周りに群衆ができた。群衆はセルヴィリウスが以前約束したことを追求してから、祖国のために戦い、傷を負ったと訴えた。

「法令を元老院に提出してほしい。あなたは執政官なのだから、市民を助けてほしい。司令官として兵士を保護してほしい」。

セルヴィリウスは彼らに同情したが、同僚執政官の方針を無視できず、その場しのぎの返事をした。執政官アッピウスは正反対の政策、つまり無慈悲な政策を頑固に推し進めたが、貴族全員が彼を支持していた。セルヴィリウスは中間的な立場を取ることによって平民に嫌われ、貴族に憎まれた。貴族はセルヴィリウスを性格が弱く、平民の人気取りをする人物とみなした。平民は彼を嘘つきと考え、アッピウスを憎むのと同じくらい彼を憎んだ。

二人の執政官はどちらがマーキュリーの神殿を建てるかについて争った。元老院は建造者の選定を市民に委ねることにした。そして元老院は神殿の建造者にトウモロコシ市場の支配権を与え、商人組合を組織すること許可することにした。元老院は大神官の立会いの下に、これらの特権を授与した。

市民が選出しこのは歩兵第一百人隊の隊長ラエトリウスだった。この選択は百人隊長に身分不相応の高い栄誉を与えることが目的ではなく、二人の執政官の両方を否認するためだった。執政官の一人アッピウスと元老院はとても怒った。平民は勇敢に行動するようになり、これまでと違ったやり方をした。執政官も元老院も助けにならないとわかったので、平民は自分たちで問題を解決することにした。借金を払えない者が裁判に引き出されると、平民が一斉に押し掛け、大声で叫んだり、騒いだりして、執政官の判決が聞こえないようにした。また誰も判決に従わなかった。さらに彼らは暴力を用いたので、債権者は恐怖を感じ、生命の危険さえあった。債権者は執政官の目の前で、手荒に扱われた。債権者と債務者の立場が逆転した。

このような状況下で、サビーニ人との戦争が迫っていた。徴兵が布告されたが、誰も出頭しなかった。怒り狂ったアッピウスは「同僚の執政官が平民の機嫌を取ったためだ」と非難した。そしてアッピウスはセルヴィリウスを共和国への裏切り者として告発した。

「債務者が連れてこられた時、セルヴィリウスは判決を下さなかった。もっと悪いことに、元老院が徴兵を命令したのに、彼は軍隊を編成しなかった。それでいて彼は、すべての平民が兵役逃れをしたわけではない、執政官の権威がないがしろにされてはいない、と平然としている。執政官と元老院の権威を失わせた責任は彼一人が負うべきだ」。

毎日集まっている群衆がアッピウスを取り巻いていた。群衆はますます節度を失い、大胆になっていた。アッピウスは騒動を扇動している人物を逮捕させた。護衛兵が扇動者を連れ去ろうとすると、彼は上訴すると宣言した。上訴すれば民会が開かれ、そこでの判定は明らかだった。アッピウスは民衆に憎まれることを恐れていなかったので、上訴を無視すると思われた。しかし彼は慎重さと元老院の権威への配慮によって、自分の頑固な性格を抑制し、上訴を認めた。彼は群衆の威嚇に屈したわけではない。

これ以後民衆の尊大な態度は日々増大し、広場で騒ぐだけでなく、自分たちだけで会議を開いたり、さらに危険な秘密の話し合いをした。ついに、平民から嫌われていた執政官は二人とも辞任した。セルヴィリウスは貴族と平民の両方から嫌われ、アッピウスを嫌ったのは平民だけであり、貴族は大いに彼を信頼した。

                          【28章】

辞任した執政官に代り、ヴェルギニウスとヴェトゥシウスが執政官になった。平民はどのような人物が新しい執政官になるか疑っていた。中央広場で考える時間も与えられず、さっさと執政官を承認させられるのを、彼らは嫌っていた。平民がそう考えるのはもっともだった。それで平民はエスキィリンの丘やアヴェンティーノの丘に集まり、執政官を誰にするか、何度も話し合った。新執政官は平民の動きを危険だと考え、元老院に正式に報告した。確かに、執政官の選定は民会の承認を必要としたが、執政官を選定するのは元老院であり、平民が勝手に執政官を選出するなどというのは、論外だった。元老院はこの問題について討議しようとしたが、邪魔された。民衆が元老院を憎み、興奮し、騒いだのである。また民衆の怒りは執政官にも向けられた。執政官は自分たちの権限を執行すればよいのに、元老院に判断を求めたからである。

「もし国家に本当の最高官が存在するなら、市民の会議を超えた会議は存在してはならない。すでに国家は分裂し、1000人の元老院と複数の市民集会が存在している。エスキリーン丘には一つの集会があり、とアヴェンティーヌ丘には複数の集会がある。執政官以上の人物であるクラウディウス・アッピウスは何故これらの集会を即座に解散させなかったのだろう」。

二人の新執政官はこのように批判されると、「では諸君は我々にどうしろというのか?」と質問した。新執政官は元老院の意向に従い断固たる行動をするつもりであり、徴兵を急いで実施する、と布告した。なぜなら平民は暇なために、ますます野放図になっているのだ、と新執政官は考えたからである。新執政官は演壇に立ち、兵役の義務がある市民の名前を読み上げた。しかし、自分の名前を呼ばれても、誰も返事しなかった。人々は正式な会議藻場で、恐るべき宣言をした。

「平民は今後兵役の義務がない。国家が平民との約束を実行するまで、執政官は一人の兵士も得られない。すべての市民は自由であり、そ生まれた土地や同朋のために戦うが、独裁者のためには戦わない」。

元老院で雄弁に話す人々はこの場にいないので、平民の気持ちがわからない、と執政官は思ったけれども、元老院の指示に忠実に従った。平民との容赦のない対立は避けられなかった。執政官は最終的な手段をとる前に、元老院に再び相談することにした。執政官が説明を始めると、多くの若い元老たちが立ち上がり、執政官の席に詰め寄った。「執政官の権威を行使する勇気がないなら、さっさと辞任すべきだ」。

                 【29章】

執政官は平民を押さえつける努力を重ねてから、元老たちに温和なやり方をするよう求めた。

「皆さん、これまで知らせずにいましたが、非常に大きな暴動が間もなく起きるかもしれません。たった今我々を臆病者と非難した方々にお願いします。徴兵の実施に協力してください。我々は皆さんの意思に従い、前例のない断固たる行動をするつもりです」。

それから執政官は民衆のもとに戻り、徴兵を再開した。執政官は目に留まった市民の名前を呼んだが、その市民は返事をしなかった。他の市民が彼を取り囲み、彼が逮捕されるのを妨いだ。執政官が護衛兵を呼ぶと、市民たちが護衛兵を追い払った。執政官のそばにいた元老たちが怒りの声を上げた。

「とんでもない、不敬な態度だ」。

そして元老たちは急いで演壇を降り、護衛兵を応援した。群衆の憎しみは元老たちに向けられた。護衛兵は逮捕を強行しなかったため、平民から憎まれず、忘れられた。執政官が間に入り、両者をなだめた。争いは叫び声と言葉の応酬に留まり、石も投げられなかった。武器の使用もなかったので、負傷者はいなかった。

元老院が招集されたが、大荒れとなり、審議は混乱した。平民に手荒に扱われた議員は裁判を要求した。気の荒い議員は彼らを支持する投票をしたが、その際叫んだり、音をたてたりした。興奮が収まると、執政官は彼らに注意した。

「元老院が広場の民衆と同程度に騒がしいものになってしまった」。

その後落ち着いて議論がなされ、3つの提案が出された。ヴァレリウスは述べた。

「現在の問題は全般的なものではなく、ヴォルスキ・アウルンキ・サビーニ戦争の際に執政官セルヴィリウスが市民に約束した内容が問題になっている。平民に対し、これらの約束を実行すればよい」。

ティトゥス・ラルキウスはこれに関連して述べた。

「時間がたっており、従軍した者だけを救済するのでは、問題は解決しない。平民全体が借金で破産しかかっている。全般的な救済措置が取られなければ、問題は解決しない。平民を分断しようとしても、新たな紛争が起きるだけだ」。

3人目の発言者はアッピウス・クラウディウスだった。彼は気性が激しく、平民を憎んでおり、また元老たちの賞賛が欲しくて、次のように述べた。

「暴徒が勝手に集会を開いているのは、貧困が原因ではなく、我がままなだけだ。平民は怒っているのでではなく、羽目を外しているだけだ。上訴の権利を悪用して、やりたい放題をしているのだ。市民に上訴の権利があるため、執政官は権限を十分に行使できない、犯罪人は仲間の犯罪人に上訴して、無罪になるのだ。元老の皆さん、独裁官を任命しましょう。独裁官の決定は絶対であり、不服を申し立てることはできない。そして燃え広がる火のような狂気はすぐに静まるでしょう。もし、護衛兵の背後に生殺与奪の権力を持つ者がいると知っているなら、護衛兵に対してふざけた行為をする市民はいないだろう」。

                    【30章】

アッピウスの言葉は多くの元老にとって残酷で非人間的なものに思えた。一方でヴェルギニウスとラルキウスの提案は危険な先例になりそうだった。特にラルキウスの案、すべての債務者を救済するという提案は信用制度を破壊することだった。これに対し、ヴェルギニウスの案は対立する両者に配慮しており、穏健で、合理的だった。しかし思慮深い人間にとって嘆かわしいことだが、党派心と個人の利益への配慮が優先され、アッピウスの主張が勝利した。そしてアッピウスは独裁官に任命されそうになったが、そんなことをすれば、平民の怒りが爆発するだろう。とりわけ今は最も危険な時期だった。ちょうどこの時、ヴォルスキ族、アエクイ族、サビーニ人が一斉にローマを攻撃しようとしていた。執政官と老齢の元老たちの計らいで、絶対的な権限を有する独裁官に任命されたのは温和な人物だった。ヴォレススの息子のマニウス・ヴァレリウスが独裁官になった。

平民は「独裁官の任命は自分たちを押さえつけるためだ」とわかっていたが、独裁官に就任した人物には恐怖の念を持たなかった。彼の兄弟が平民を守る制度、上訴の権利を実現したので、同じ家族の者が残酷で抑圧的な行為をするとは思えなかった。間もなく独裁官は就任の演説をしたが、その内容は平民の信頼を裏切らなかった。独裁官の布告はセルヴィリウスの法令を踏襲したに過ぎなかったが、人々はヴァレリウスと彼の言葉に多くの信頼を寄せた。平民は抗争をやめ、徴兵に応じた。そして、これまでで最多の部隊が編成された。10個の軍団が出現し、執政官はそれぞれ3個軍団を指揮し、独裁官は4個軍団を指揮することになった。戦争が迫っており、アエクイの軍隊はラテン人の土地に侵入していた。ラテン人の町の使者が元老院に来て、ローマ軍を派遣してほしい、それができないなら、自分たちが戦うのを許可して欲しいと述べた。ラテン人を武装させないのが安全だと思われたので、執政官ヴぇトゥシウスと彼の軍団がラテン人のもとに派遣され、アエクイ兵による略奪を終わらせた。アエクイ軍は撤退した。しかし撤退は一時的なもので、彼らは様子を見る方がよいと考え、丘の頂上で待機した。

もう一人の執政官はヴォルスキ軍に向かって進軍した。彼は自分まで敵の引き延ばし作戦にはまってはまずいと考え、ヴォルスキ族の土地を略奪し、敵軍を引き付けた。両軍は平原に進み、それぞれが陣地を設け、防御柵を築いた。その後両軍は柵を出て、戦列を組み、向き合った。両軍の兵士の数はヴォルスキ軍のほうが少し多かった。そのためヴォルスキ軍は勢いよく前進したが、彼らは不注意で、戦列が乱れていた。ローマの執政官は軍を進めず、ローマの兵士は敵の掛け声に負けずに叫ぶだけだった。執政官の命令により、兵士は槍を地面に突き立て、敵が近づくのを待った。敵が目の前に来た時、ローマ軍は一斉に攻撃した。敵がおびえて動けないでいるように見えたのでヴォルスキ軍は襲いかかったのだった。ところが敵は頑強に反撃し、敵の刃が目の前で光った。ヴォルスキ軍は叫びながら走ったので疲れており、突然伏兵に襲われた時のように、恐怖を感じた。彼らは反転し、逃げ出した。しかし彼らは戦闘の前に走り、それから戦ったので疲れていた。反対にローマ軍は戦闘前に立っていただけなので、元気で余力があり、すぐにヴォルスキ兵に追いついた。ローマ軍はヴォルスキの陣地を占領してから、ヴェリトラエまで敵を追いかけた。ローマ兵とヴォルスキ兵はほぼ同時にヴェリトラエ(アルバ湖の南の都市)になだれ込んだ。市中で戦場より多くの命が失われた。死者は異なる国の国民だった。武器を所有しないで出頭した、わずかな人々は安全な場所に収容された。

こうして、ローマは戦場でヴォルスキ問題に決着をつけた。

 

 

(訳注)ヴェリトラエはラテン地域にあるが;ヴォルスキ族が支配していた。

(英語訳注)「上訴の権利」が認められたのはこの時期間だけであり、その後消滅した。


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