【34章】
ローマ軍が複数の戦争に勝利すると、ラティウム地方とその周辺に平和が訪れたが、国内の争いが悪化した。貴族の暴力が激化し、平民の苦しみが増した。平民が借金を返済しようにも、支払いを待ってくれなかった。どうすることもできないでいると、判決が下されてしまい、彼らの素晴らしい名前と身体の自由を引き渡さなければならなかった。借金を払えない者はこのように処罰されるのだった。平民の中の特に貧しい者だけでなく、指導的な人物さえもこのように恐ろしい運命に落ちるのだった。その結果、活力があり、野心的な平民はいなくなり、貴族と肩を並べて執政副司令官になろうとする平民がいなくなり、護民官になろうとする者さえいなかった。つい最近初めて平民出身の執政副司令官が誕生したというのに(379年 、6巻30章)、今や遠い昔のことのように思えた。ここ数年貴族の威信が失われ、平民の進出を許していたが、貴族は絶えず自分たちの威信を取り戻そうとしていて、ついに成功したようである。しかし限度を超えた貴族の横暴を抑止する役割を果たす事件が起きた。事件自体は些細な出来事だったが、しばしばそうであるように、重大な結果を招いた。貴族の一人、M・ファビウス・アンブストゥスは貴族の間で絶大な影響力を有していた。また彼は平民を見下さなかったので、平民の間でも信望があった。彼には二人の娘がいたが、姉娘は Ser・スルピキウスと結婚し、妹は C・リキニウス・ストロと結婚していた。C・リキニウスは平民であるが、傑出した人物だった。M・ファビウスはこの婚姻を下位の者との結びつきと考えていなかったので、M・ファビウスは大衆の間で人気が高かった。ある日、姉妹はスルピキウス家(=姉の家)にいて、会話をしていたが、中央広場から帰ってきた執政官が通りかかり、彼の付き人がいつものように形式的に杖でドアをノックして、去って行った。姉の家に来ていた妹は慣れない習慣に驚いた。するとスルピキウス婦人である姉は妹の無知を笑った。「そんなことも知らないの」。
姉の笑いは侮辱として妹の胸に突き刺さった。妹は些細なことで興奮する性格だった。ちょうど大勢の召使が女主人の命令を伺いに来ていた時だったので、彼女は姉より下位に見られるのは我慢がならなかった。この出来事をきっかけに、妹は自分の結婚は失敗だったと考えるようになった。「姉は幸運な決結婚をしたのに」。
妹がこの悔しい事件から立ち直れないでいる時、彼女の父 M・ファビウスが訪ねてきた。「元気でいるかね」と父は娘に言った。
娘は姉によそよそしく、自分の夫を尊敬していない様子だった。娘はその理由を隠そうとしたが、父は優しく、しかしはっきりと、娘の様子がおかしいと告げた。娘はついに悲しみの原因を告白した。「私は自分より低い身分の男性と結婚してしまった。名誉と無縁で政治的な影響力もない人と結婚したの」。
ファビウス・アンブストゥスは娘を慰め、「元気を出しなさい」と言った。「そのうちお前が嫁いだリキニウス家は姉の嫁ぎ先に劣らず名誉ある、立派な家だとわかるよ」。
この日以来、父ファビウス・アンブストゥスは娘の婿と共同で計画を立て、L・セクスティウスに相談した。セクスティウスは積極的な若者で、貴族でないにもかかわらず、際限のない野心を持っていた。
【35章】
恐ろしい借金の重圧に後押しされて、変革の気運が訪れた。平民は自分たちの階級の人間を国家の最高の地位に押し上げない限り、借金の重圧から逃れることは不可能だった。この目標に到達するためには、最大限の努力をしなければならないことを、平民は理解していた。実際平民はこれまでの努力のおかげで足掛かりを得ており、あと一押しで最高の地位を獲得し、貴族と同等の権威を持つようになれるだろう。勇気という点で、彼らは既に貴族と同等なのである。とりあえず、C・リキニウスと L・セクスティウスは護民官になることにした。護民官という立場で二人はもっと高い地位を得るための地ならしができるだろう。護民官に就任すると、二人の行動のすべてはは貴族の力と影響力との戦いに向けられ、二人は平民の利益を増進するよう最大限の努力をした。彼らはまず初めに借金という差し迫った問題に取り組み、利子として支払われた金額を元金から引いた。そして残りの借金は三分の一ずつ三年かけて払うことにした。護民官となった二人の次の仕事は、国有地の占有を500ユゲラに制限したことだった。さらに重大な三つ目の仕事は、執政副司令官の選挙をやめ、最高官を二人の執政官に戻し、貴族と平民から一人ずつ選ぶようにしたことである。以上の三つはどれも極めて重要な決定であり、激烈な闘争なしに実現することは困難だった。
この三つは土地、お金、名誉に関係しており、貴族の感情を刺激せず済むはずがなく、血を見る争いが起きるのは確実だった。実際貴族は護民官のあまりの大胆さに呆然とした。元老院と貴族の私邸で激しい口論が交わされたが、以前の闘争で採用した手段以外、良い考えが思いつかなかった。それは毒を毒で打ち消す方法、つまり二人以外の護民官に拒否権を行使させることだった。二人が出した三つの提案を否決するよう、貴族は残りの護民官たちに働きかけた。リキニウスとセクスティウスが部族会議を招集し、投票を求めようすると、貴族の手先となった護民官が貴族の警護団に取り巻かれながら現れ、法案の読み上げを中止し、平民が投票又は決議する際のその他の手続きを差し止めた。部族会議は数週間前から開かれていたが、まだ何も決まっていなかった。話し合われた議題はすべて死産となった。それでもセクストゥスはくじけなかった。彼は言った。
「よし、わかった。拒否権がこれほどの力を持つなら、今度は私がこの強力な武器を平民の保護のために使ってやろう。次の執政副司令官の選挙が良い機会だ。貴族の使い走りをする護民官が貴族の利益のために発した、あの言葉『私は禁止する』を、今度は私が連中にぶつけよう。貴族の諸君、恐ろしい一撃を覚悟してくれ」。
セクストゥスの言葉はから脅しではなかった。護民官とその補佐官の選挙が実施され、リキニウスとセクストゥスは再び護民官に選ばれた。すると二人は最高官の選挙をさせなかった。平民は繰り返し二人を護民官に選び、二人は繰り返し、執政副司令官の選挙を中止した。こうして、執政副司令官の不在な年が5年続いた。
ーーーーーー(日本訳訳解説)ーーーーーーーーーー
紀元前146年ローマはカルタゴを滅ぼし、地中海帝国への道を歩み始める。しかし国家の急激な拡大はローマの社会を激変させ、閥族貴族は広大な領地の経営により、ぼう大な富を蓄える。その一方で、自営農民の多くが没落し、消滅した。このような社会の激変を背景に、ローマは「動乱の一世紀」に突入する。紀元前133年、護民官となったティベリウス・グラックスは農民救済と大土地所有の制限に乗り出す。しかし、この時代の大貴族は紀元前4世紀前半の貴族より狂暴になっていた。彼らは護民官の一部を抱き込んで、拒否権を行使させ、グラックスの法案をつぶした。それでもグラックスが引き下がろうとしなかったので、閥族貴族は 彼を暗殺してしまう。ティベリウスの死後、弟のガイウスが兄の遺志を受け継ぎ、土地改革を実現しようとするが、彼の試みも伝家の宝刀「同僚護民官の拒否権」の行使によりつぶされる。そして結局、ガイウスも暗殺されてしまう。ローマが世界帝国へと乗り出した直後に起きたグラックス兄弟の事件は非常に印象的である。それはローマ社会の矛盾を鋭く反映した事件だからではないだろうか。改革者のグラックス兄弟と大貴族の間に歩み寄りはなく、残酷な形で決裂したことも、この事件が鮮烈な印象を与える原因となっているのだろう。グラックス兄弟を暗殺したことで、この問題は片付いたように見えたが、実はそうではなかった。この問題は根深く、グラックス兄弟の事件は動乱の世紀の始まりに過ぎなかった。動乱の世紀はカエサルの死を経て、オクタビアヌス政権の誕生で終わる。
同時に共和制 が終わり、元老院は最高権力者の地位を皇帝に譲ることになる。カエサルを殺し、厄介払いした元老院だが、結局絶対的な地位を失う。
グラックス兄弟を挫折させせたのは、同僚護民官による拒否権の行使である。最高官の執政官が二人いるのは、万一片方が暴走した場合、もう一人がブレーキをかけるためであり、ローマの民主制を保障する巧妙な仕組みである。同じように護民官も複数いて、全員に拒否権が与えられている。それは護民官の誰かが暴走するのを防ぐためである。民主主義のすべての仕組みは根本的な変革を困難にしている。貴族と平民の利害が対立している場合、貴族は護民官の一部を抱き込み、拒否権を行使させればよいのであって、平民は貴族の利益に反することは何もできない。護民官に与えられている拒否権が、いかに護民官を無力にするか、グラックスの250年前のローマ人は知っていたのである。紀元前376年の護民官 C・リキニウスと L・セクスティウスはグラックスと同じ挫折を経験していた。リヴィウスは護民官に認められている拒否権がいかに護民官を無力にするか、よく描いている。貴族に抱き込まれるのをよしとする平民が護民官に選ばれるのを許すなら、平民の地位の向上を目指す、いかなる努力も否定されてしまう。つまり護民官の制度が無意味になってしまう。護民官に認められている「拒否権」は護民官という制度の根幹に関わる問題であることを、リヴィウスは紀元前376年の記述の中で指摘している。リキニウスとセクスティウスの大胆な3つの改革が同僚の拒否権によってつぶされ、二人は挫折を味わったと思うが、セクスティウスは並外れた胆力があり、新たな挑戦に取り掛かる。しかしこの新たな挑戦は不可解である。すべての護民官が有する拒否権は同僚の行動を阻止する権限である。執政副司令官の選挙は国家の規定であり、誰かがこれを中止することはできない。最高官を執政副司令官ではなく、執政官又は独裁官に変更する権限もっているのは元老院である。執政副司令官、執政官、独裁官のいずれも選ばないというようなことは誰にもできないが、唯一それをできる者があるとすれば、元老院である。護民官の拒否権は同僚の決定を撤回する権限であり、元老院の決定を否定する権限ではない。しかし不思議なことに、二人の護民官が最高官の選挙を止めたという古い記録が存在したようである。歴代執政官のリストは古い記録とリヴィウスの記述に依拠して、紀元前375ー371年の5年間は最高官が不在としている。この5年間について、執政官のリストには執政官の名前も執政副司令官の名前も書かれていない。
かなり異常であるが、5年間最高官が不在だったことは事実であるようである。ただし、それは護民官が拒否権を行使したからではなく、平民が熱狂的にリキニウスとセクスティウスを支持していたので、貴族が平民の反乱を恐れて日和見したのだと思う。また影響力のある有力貴族ファビウス・アンブストゥスが二人の護民官を応援していたので、貴族たちは一歩引いたのだろう。ファビウス・アンブストゥスはリキニウスとセクスティウスを単に応援していただけでなく、そもそも彼が重要な改革を二人に働きかけたのであり、首謀者だった。
ーー---ーーーー(解説終了)
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