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6巻34ー35章

2024-09-28 04:31:30 | 世界史

【34章】
ローマ軍が複数の戦争に勝利すると全面的な平和が訪れたが、国内の争いが悪化した。貴族の暴力が激化し、平民の苦しみが増した。平民が借金を返済しようにも、支払いを待ってくれなかった。どうすることもできないでいると、判決が下されてしまい、彼らの素晴らしい名前と身体の自由を引き渡さなければならなかった。借金を払えない者はこのように処罰されるのだった。平民の中の特に貧しい者だけでなく、指導的な人物さえもこのように恐ろしい運命に落ちるのだった。その結果、活力があり、野心的な平民はいなくなり、貴族と肩を並べて執政副司令官になろうとする者がいなくなり、護民官になろうとする者さえいなかった。つい最近初めて平民出身の執政副司令官が誕生したというのに(379年 、6巻30章)、今や遠い昔のことのように思えた。ここ数年貴族の威信が失われ、平民の進出を許していたが、貴族は絶えず自分たちの威信を取り戻そうとしていて、ついに成功したようである。限度を超えた貴族の横暴を抑止する役割を果たす事件が起きた。事件自体は些細な出来事だったが、しばしばそうであるように、重大な結果をもたらした。貴族の一人、M・ファビウス・アンブストゥスは貴族の間で絶大な影響力を有していた。また彼は平民を見下さなかったので、平民の間でも信望があった。彼には二人の娘がいたが、姉娘は Ser・スルピキウスと結婚し、妹は C・リキニウス・ストロと結婚していた。C・リキニウスは平民であるが、傑出した人物だった。M・ファビウスはこの婚姻を下位の者との結びつきと考えていなかったので、M・ファビウスは大衆の間で人気が高かった。ある日、姉妹はスルピキウスの家にいて、会話をしていたが、中央広場から帰ってきた執政官が通りかかり、彼の付き人がいつものように形式的に杖でドアをノックして、去った。スルピキウス婦人である妹は慣れない習慣に驚いた。すると姉は妹の無知を笑った。「そんなことも知らないの」。
姉の笑いは侮辱として妹の胸に突き刺さった。妹は些細なことで興奮する性格だった。ちょうど大勢の召使が女主人の命令を伺いに来ていた時だったので、彼女は姉より下位に見られるのは我慢がならなかったのだろう。この出来事をきっかけに、妹は自分の結婚は失敗だった、と考えるようになった。「姉は幸運な決結婚をしたのに」。
妹がこの悔しい事件から立ち直れないでいる時、彼女の父 M・ファビウスが訪ねてきた。「元気でいるかね」と父は娘に言った。
娘は姉によそよそしく、自分の夫を尊敬していない様子だった。娘はその理由を隠そうとしたが、父は優しく、しかしはっきりと、娘の様子がおかしいと告げた。娘はついに悲しみの原因を告白した。「私は自分より低い身分の男性と結婚してしまった。名誉と無縁で政治的な影響力もない人と結婚したの」。
ファビウス・アンブストゥスは娘を慰め、「元気を出しなさい」と言った。「そのうちお前が嫁いだリキニウス家は姉の嫁ぎ先に劣らず名誉ある、立派な家だとわかるよ」。
この日以来、父ファビウス・アンブストゥスは娘の婿と共同で計画を立て、L・セクスティウスに相談した。セクスティウスは積極的な若者で、貴族でないにもかかわらず、際限のない野心を持っていた。
【35章】
恐ろしい借金の重圧に後押しされて、変革の気運が訪れた。平民は自分たちの階級の人間を国家の最高の地位に押し上げない限り、借金の重圧から逃れることは不可能だった。この目標に到達するためには、最大限の努力をしなければならないことを、平民は理解していた。実際平民はこれまでの努力のおかげで足掛かりを得ており、あと一押しで最高の地位を獲得し、貴族と同等の権威を持つようになれるだろう。勇気という点で、彼らは既に貴族と同等なのである。とりあえず、C・リキニウスと 
L・セクスティウスは護民官になることにした。護民官という立場で二人はもっと高い一地位を得るための地ならしができるだろう。護民官に就任すると、二人の行動のすべてはは貴族の力と影響力との戦いに向けられ、二人は平民の利益を増進するよう最大限の努力をした。彼らはまず初めに借金という差し迫った問題に取り組み、利子として支払われた金額を元金から引いた。そして残りの借金は三分の一ずつ三年かけて払うことにした。護民官となった二人の次の仕事は、国有地の占有を500ユゲラに制限したことだった。さらに重大な三つ目の仕事は、執政副司令官の選挙をやめ、最高官を二人の執政官に戻し、貴族と平民から一人ずつ選ぶようにしたことである。以上の三つはどれも極めて重要な決定であり、激烈な闘争なしに実現することは困難だった。
この三つは土地、お金、名誉に関係しており、貴族の感情を刺激せず済むはずがなく、血を見る争いが起きるのは確実だった。実際貴族は護民官のあまりの大胆さに呆然とした。元老院と貴族の私邸で激しい口論が交わされたが、以前の闘争で採用した手段以外、良い考えが思いつかなかった。それは毒を毒で打ち消す方法、つまり二人以外の護民官に拒否権を行使させることだった。二人が出した三つの提案を否決するよう、貴族は残りの護民官たちに働きかけた。リキニウスとセクスティウスが部族会議を招集し、投票を求めようすると、貴族乗って下の護民官が貴族の警護団に取り巻かれながら現れ、法案の読み上げを中止し、平民が投票又は決議する際のその他の手続きを差し止めた。部族会議は数週間から開かれていたが、まだ何も決まっていなかった。話し合われた議題はすべて死産となった。それでもセクストゥスくじけなかった。彼は言った。
「よし、わかった。拒否権がこれほどの力を持つなら、今度は私がこの強力な武器を平民の保護のために使ってやろう。次の執政副司令官の選挙が良い機会だ。貴族の使い走りをする護民官が貴族の利益のために発した、あの言葉『私は禁止する』を、今度は私が連中にぶつけよう。貴族の諸君、恐ろしい一撃を覚悟してくれ」。
セクストゥスの言葉はから脅しではなかった。護民官とその補佐官の選挙が実施され、リキニウスとセクストゥスは再び護民官に選ばれた。すると二人は最高官の選挙をさせなかった。平民は繰り返し二人を護民官に選び、二人は繰り返し、執政副司令官の選挙を中止した。こうして、執政副司令官の不在な年が4年続いた。

   ーーーーーー(日本訳訳解説)ーーーーーーーーーー
紀元前146年ローマはカルタゴを滅ぼし、地中海帝国への道を歩み始める。しかし国家の急激な拡大はローマの社会を激変させ、閥族貴族は広大な領地の経営により、巨大な富を蓄える。その一方で、自営農民の多くが没落し、消滅した。このような社会の激変を背景に、ローマは「動乱の一世紀」に突入する。紀元前133年、護民官となったティベリウス・グラックスは農民救済と大土地所有の制限に乗り出す。しかし、この時代の大貴族は紀元前4世紀前半の貴族より狂暴になっていた。彼らは護民官の一部を抱き込んで、拒否権を行使させ、グラックスの法案をつぶしただけでなく、それでもグラックスが引き下がろうとしないの見ると、彼を暗殺してしまう。ティベリウスの死後、弟のガイウスが兄の遺志を受け継ぎ、土地改革を実現しようとするが、彼の試みも伝家の宝刀「同僚護民官の拒否権」の行使によりつぶされた挙句、暗殺される。ローマが世界帝国へと乗り出した直後に起きたグラックス兄弟の事件は非常に印象的である。それはローマ社会の矛盾を鋭く反映した事件だからではないだろうか。改革者のグラックス兄弟と大貴族の間に歩み寄りはなく、残酷な形で決裂したことも、この事件が鮮烈な印象を与える原因となっているのだろう。グラックス兄弟を暗殺したことで、この問題は片付いたように見えたが、実はそうではなかった。この問題は根深く、グラックス兄弟の事件
は動乱の世紀の始まりに過ぎなかった。動乱の世紀はカエサルの死を経て、オクタビアヌス政権の誕生で終わる。
同時に共和制 が終わり、元老院は権力者の地位を皇帝に譲ることになり、カエサルを殺し、厄介払いした元老院だが、結局絶対的な地位を失う。
暗殺はともかく、グラックス兄弟を挫折させせたのは、同僚護民官による拒否権を行使である。最高官の執政官が二人いるのは、万一片方が暴走した場合、もう一人がブレーキをかけるためであり、ローマの民主制を保障する巧妙な仕組みである。同じように護民官が複数いて、全員に拒否権が与えられているのは護民官の誰かが暴走するのを防ぐためである。民主主義のすべての仕組みがそうであるように、根本的な変革を困難にしている。貴族と平民の利害が対立している場合、貴族は護民官の一部を抱き込み、拒否権を行使させればよいのでって、平民は貴族の利益に反することは何もできない。護民官に与えられている拒否権が、いかに護民官を無力にするか、グラックスの250年前のローマ人は知っていたのである。紀元前376年の護民官 C・リキニウスと L・セクスティウスはグラックスと同じ挫折を経験していた。リヴィウスは護民官に認められている拒否権がいかに護民官を無力にするか、よく描いている。貴族に抱き込まれるのをよしとする平民が護民官に選ばれるのを許すなら、平民の地位の向上を目指す、いかなる努力も否定されてしまう。つまり護民官の制度が無意味になってしまう。護民官に認められている「拒否権」は護民官という制度の根幹に関わる問題でことを、リヴィウスは紀元前376年の記述の中で指摘している。リキニウスとセクスティウスの大胆な3つの改革が同僚の拒否権によってつぶされ、二人は挫折を味わったと思うが、セクスティウスは並外れた胆力があり、新たな挑戦に取り掛かる。しかしこの新たな挑戦は不可解である。すべての護民官が有する拒否権は同僚の行動を阻止する権限であり、執政副司令官の選挙は護民官の権限と無関係である。護民官の拒否権は執政副司令官の選挙を中止することはできない。しかし「執政副司令官の不在な年が4年続いた」というリヴィウスの言葉は正しいようである。歴代執政官のリストでも、紀元前375ー372年の4年間は執政官の名前も執政副司令官の名前ももなく、4年間最高官が不在だった理由として、リヴィウスの説明が引用されている。執政官のリストはリヴィウスのローマ建国史に依拠しているのかもしれないが。4年間最高館が不在だったことは事実として受け入れるとしても、それは護民官の拒否権行使によるものではなく、平民が熱狂的にリキニウスとセクスティウスを支持していたので、貴族が平民の反乱を恐れて日和見したのだと思う。また影響力のある有力貴族ファビウス・アンブストゥスが二人の護民官(リキニウスとセクスティウス)に同調していたので、貴族たちは一歩引いたのだろう。
  ーー---ーーーー(解説終了)


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