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イスラム国の進撃 6月 モスル占領

2015-02-18 00:06:02 | イラク

シリアでは、イスラム国は数ある反政府勢力のひとつにすぎなかった。しかし20146月以降、イラクで目覚ましい戦果をあげ、北部と西部を制圧した。イラク北部はシリアのハサカ南部と一体になり、イラクとシリアの国境線は消滅した。この国境は第一次大戦後、英国とフランスが設定したものである。。

イスラム国によるイラク北部制圧の最大の出来事は「モスルの陥落」である。

 

モスルの下町で、爆弾を積んだ自動車が爆発し、大きな噴煙があがった。続いて、イスラム国の部隊が市内に入った。スンニ派の住民は、彼らを歓迎した。バグダードのシーア派政府がスンニ派を差別し、抗議すれば弾圧していたからである。スンニ派住民はモスル市内に駐留している政府軍を、シーア派のごろつきとみなし、嫌っていた。

政府軍は、一日中机に座って酒ばかり飲んでいる、月給泥棒だという評判だった。

こうした背景があり、イスラム国はスンニ派に手引きされ、モスルを制圧した。

                      イスラム国の支配地                     

   

                ameblo tasogarekinnosuke2

 3日間の戦闘の後、6月11日、イスラム国の強さが明らかになり、モスルの政府軍は敗走した。政府軍の全面的な敗北だった。勝利者となったイスラム国は、人口200万の大都市モスルを占領した。

モスルを攻撃したイスラム国の兵士は、たった800名である。これに対し、守る側の政府軍は2個師団3万名という大軍であった。少人数で大軍勢を破る、劇的な勝利である。

ある政府軍の将校は言った。「われわれは、勝てない。敵(イスラム国)は市街戦に熟練している。不意に現れて撃ってくる。そして消えてしまう。妖怪のようだ。彼らはプロで、我々は未経験だ。」

相手の強さがわかると、政府軍の兵士は、さっさと逃げ出した。銃を捨て、軍服を脱ぎ捨て、平服に着替えて逃げた。政府軍2個師団は敗れたというより、蒸発したごとく消えた。

イスラム国の兵士たちは、あっけない勝利に驚いていた。たった3日間の戦闘で、彼らはイラク第2の都市モスルの支配者となったのである。

               <正規軍の武器をそっくり手に入れたイスラム国> 

政府庁舎と警察署にイスラム国の黒旗が翻った。支配者となったイスラム国は軍事基地から武器を奪い、銀行から4憶8000万ドルを奪った。

巨額の現金を手に入れたうえに、イスラム国が2個師団分の武器をそっくり手に入れたことは、空恐ろしいことである。イスラム国の戦士たちは、正規軍用のの武器を倉庫ごと手に入れた。それらはソ連製と米国製である。彼らは多数の重砲とミサイルを手に入れた。さらに機関銃7万丁、装甲車2300台という、驚くべき数量の武器・装備を手に入れた。

とりわけ、旧式のソ連製T-55戦車を30台、最近まで最新鋭だったT-72戦車10台を手に入れたことは、脅威だ。イスラム国はもはや国家の軍隊並みだ。空軍と海軍は欠如しているが。

               T-55                                     Jacob H Smith /US Army

          

     

                   T-72                                               Jacob H Smith/US Army 

         

2012年、シリアの反政府軍は小銃だけで戦った。対戦車砲がまれにアサド政府軍の戦車に命中すると、大戦果をあげたように喜んだ。対戦車砲は射程距離の短いRPGであり、ミサイルではない。少人数の部隊は、RPGさえ持たず、文字通り小銃のみであった。

2014年秋の動画で、イスラム国の戦車10台が次から次と通り過ぎてゆく様子は、国家の軍隊に等しかった。

イスラム国が手に入れたのは、戦車だけでなく、野戦砲とスティンガー・ミサイルを手に入れた。

移動車両も軍隊にふさわしいものになった。悪路に耐える四輪駆動車で、厚い装甲でおおわれている。ハンヴィー( Humvee)という名前の軽装甲車である。これまでは中古の軽トラックを乗り回していた。

         Wikipedia

(参考)   As ISIS Routs The Iraqi Army, Here's A Look At What The Jihadists Have In Their Arsenal

  <http://www.businessinsider.com/isis-military-equipment-breakdown-2014-7?op=1>

          <戦禍から逃れる人々>

 イスラム国との戦闘が始まると、50万人の市民が逃げ出した。「モスルは地獄のようです。いたるところ炎と死体です」と子供を連れた母親が言った。路上には兵士と警官の遺体が散らばっていた。市民の多くはチグリス川を渡り、北方のクルド地域に向かった。数千の家族が家を失った。

 

モスルを制圧すると、イスラム国の戦闘員は監獄を開放した。1500人が服役中だったが、その中のシーア派600人を殺害し、残りのスンニ派とキリスト教徒の囚人を連れ去った。

イスラム国の戦闘員はトルコの領事館に押し入り、領事と24人のスタッフを連れ去った。地元の警察の大佐が問い質すと、戦闘員は「彼らは我々と一緒の方が危険がない。彼らを安全な場所に移す」と答えた。

            

                                                                                        Newsweek                                                                                                                                                     

バグダッドの政府高官はショックをうけていた。彼らは軍の裏切りを怒り、モスルの略奪と秩序の喪失が、北部国境地帯を不安定にすることを恐れた。

イラクは10年前の米軍よるイラク侵攻以来、最大の危機に直面した。イスラム国の電撃作戦はイラクとシリアの国境を消滅させ、地域全体に戦火を拡大する勢いを示している。イスラム国の次の目標は首都バグダッドの攻略である。マリキ首相は米国に、空爆による支援を要請した。

米国が10年を費やして訓練した、有能で統一された軍隊という評判は一瞬にして崩れた。イラク侵攻と占領の過程で、米国は1兆円を費やし、4500人の兵士の命を失った。イラク側の死者は10万人を超えた。

              <イラク軍敗北の衝撃>

 3万人のイラク軍が800人のイスラム国軍に敗れたことは、米国にとって衝撃だった。イラク軍は正規軍としての訓練を受けてきただけでなく、戦車と戦闘機を保有している。通常であれば、イラク軍が勝利して当たり前である。最悪の場合でも、軍事施設と銀行は守り切れるはずである。それさえも捨てて逃げた。イスラム国の兵士が熟練した強兵であることは事実だが、イラク軍は戦意が乏しかった。

イラク軍60万人がモスルの3万人と同じく「張子の虎」なら、話は深刻である。イラクという国家に軍隊が存在しないも同然である。イラクは国家消滅の危機にある。北部のクルド国家は事実上独立国であり、南部のシーア派もバグダッドと南部を守り抜く過程で、両地域の支配権を自覚するだろう。西部の貧しい地域はスンニ派の部族地域として捨て置かれる。

 米国は新生イラク国家の支えとして、15個師団からなる陸軍に加え、空軍と海軍を整備・訓練した。これに警察と国内治安部隊を加えた総数60万人は、国内の反乱と国外からの侵略に対処できるはずであった。イラク政府がこの兵力に費やす予算は、年間56億ドルである。

しかしこの予算は正当に使われなかった可能性がある。2004年に実際にあった話だが、軍の人件費のかなりの部分が消えていた。存在しない兵士に給与が払われていたのである。軍の名簿には登録されているが、出勤しなくてもよい兵士がいる。給与の7割を部隊の上官に渡し、3割を自分がもらい、まったく勤務しない。巧妙かつ破廉恥な、軍末端での汚職である。

軍の上部では、購入されなかった武器に対し、代金だけ支払われた可能性がある。武器は高額であり、国家予算の大きな部分を占める。常に汚職の温床である。

          <イラク軍が弱かった理由>

 モスルはサダムの将校の町と言われ、多数の旧軍将校と旧バース党員が住んでいる。彼らがイスラム国を招きいれたのかもしれない。

それ以外にも、イラク将兵の心理に問題があった。2006年にイラクの国家警察を訓練した経験がある人物が回想する。

「今回のことは予想された。ある時モスルの知事が、軍の部隊にある町へ行けと命令した。すると大隊長は、その町は危険だから行かない、と答えた。命令に従わないのは、一般的な風潮だった」。

イラク軍将校のこのような傾向は、国民性によるかもしれない。イラク人は、命令に従わなければ即刻銃殺されるという状況でない限り、上官の命令を拒否するようだ。普通の軍隊では、ありえない。

 イラク軍がまれにみる弱軍になってしまったのは、政府が分裂していることにも原因がある。将校は、戦闘に対する気迫と能力を求められず、政党に対する忠誠度によって評価されるので、将校たちは、軍事のことを考えなくなった。シーア派政党の実力者と良好な関係にある将校は出世が約束され、金もうけに熱中し、軍事を忘れた。

 

            <シーア派独裁政権>

米軍の撤退後、マリキ政権は米軍が築き上げたスンニ派との協力体制を変更し、スンニ派を排除した。マリキ政権は、スンニ派の部族長を逮捕し、裁判所や中央銀行にシーア派を配置し、フセイン政権に代わる新たな独裁政権となった。軍隊についても同様で、スンニ派の軍人を粛清した。軍の上層部にとどまらず、連隊長以上をほとんどシーア派で固めた。2013年にスンニ派の不満は爆発寸前だった。マリキ退陣を要求する声は強く、国家は分裂に向かっていた。

したがって、モスルの将校と兵士の中のスンニ派は、最初から、戦う気がなかった。シーア派の政府のために自分の命を危険にさらすのは、まっぴらごめん、と考えていた。

       <モスルを陥落させたのはサウジアラビアだ >

イスラム国がイラク北部を制圧したことについて、マリキ首相は「サウジアラビアの陰謀だ」と発言した。イラン日本語放送が同様のことを伝えた。

ーーイラクのマリキ首相が、この数日、何度も明らかにしてきた陰謀には、一部の国が関与しています。このような見方を裏付けているのが、イラク北部のモスルにおける、サウジアラビアの情報関係者の存在です。

イラクのニュースサイトは、同国の治安筋の話として、「サウジアラビアの情報将校150人が、シリアとの国境からモスルに入った」と伝えました。この150人は、イラクの情勢を把握すると共に、イスラム国とも接触し、この組織を「革命的な」グループと呼んでいます。このような措置は、イラクの政府高官の強い反発に直面しました。様々な報道は、サウジアラビアの軍事・メディアの関係者が、イスラム国のテレビ局の開設に協力するため、モスルに派遣されたと伝えています。

こうした中、CIAおよびイスラエルの諜報機関とイスラム国とのつながりが明らかになりました。地域の軍事筋は、「イスラム国の指導者が、イスラエルで、諜報機関モサドのもとで軍事訓練を受けた」としています。また数々の証拠から、このテロ組織の指導者たちは、アメリカの諜報機関と常に連絡を取り合っていることが分かっています。イスラム国が使用している各種の武器は、地域や世界の国々の支持者から供与されています。

 

これらの事実は、このテロ組織の本質を示しています。このグループは、アメリカとサウジアラビアの資金によって創設され、現在、地域で陰謀を企てています。  

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