帰りたい空

野ねずみ探検隊は、いつかは帰りたい無何有の郷を探して活動チュウ。
山に登り、地を馳せ、温故知新の旅記録です。

赤狐号走る 土手と空の間を・・・

2011年03月27日 16時30分00秒 | 野ねずみ作戦活動記録
ユーミンの歌が聞こえてきそうな筑後川の堤防を走って、赤狐号とプチツーリング。

午前中の探鳥会後、先週、吉井のうどん屋さん”井戸”に忘れてきた眼鏡を取りに行く事を理由にして、隊長の許可をもらい、15時から出発。
だって、いい天気!。もったいないよねぇ(^o^)丿。

福岡から吉井まで単車で行くならこのルートだ!。最高のルートがこれ、下道の渋滞脇をするする抜けて筑後川までたどり着いたら
・・・さあ、もう、怖いものはない\(^o^)/。”♪土手と空の間を ♪風が渡った・・・”


吉井の街中で、雰囲気のいい神社発見。あれ、名前わかんないよ~・・・。

                     
うどん屋”井戸”は右の建物。今日は既に閉店で、母屋のお父さんが鍵を開けて眼鏡を取ってくれた。御手数かけました。


”井戸”の奥の建物が母屋で、ここには由緒あるお雛様が展示してある。一見されたし。


来た道をそのまま引き返す赤狐号。菜の花が笑う春の道を風のように・・・。

野ねずみ野鳥探索 油山自然観察の森の日本野鳥の会最後のイベント

2011年03月27日 13時30分00秒 | 野ねずみ作戦活動記録
昨日土曜日は休日出勤で仕事、そして本当は今日まで若干残った作業を心苦しくも会社の同僚にお願いして、今日はこの探鳥会に参加した。
どうしても参加したかったバードウォッチングは、実はとても記念的行事だったのだ。

これまで油山自然観察の森の運営を委託され、スタッフを送り込んでいた(財)日本野鳥の会が、来年度から撤退する事になったのだ。

観察の森が作られて22年間、ずっと野鳥のサンクチュアリだったこの森の観察や保護やそして市民への橋渡しの営みを、これからは行政の
下請け事業体に任せるらしい(ーー;)。

野ねずみ探検隊にとって、衝撃的なこのニュースは全体像を隠したまま、密かに闇の中で囁かれ漏れ聞こえてくる・・・。

・・・いったいどーなるんだろう!?。本当に福岡の大都市近郊というきわめてめずらしい立地条件に恵まれた、この美しい森の自然を
これから守っていけるのか?。
これはこの目で確かめる必要がある。隊長が立ちあがる「野ねずみ探検隊、発進!」、オー!(^O^)/。

 
それで、9時過ぎに到着した油山自然観察の森。やっぱりいつもよりはかなり多い参加者だ。
早速カワラヒワのお出迎え。しばらくみんなで眺める。



 
なかなか鳥影がなくて、静かな森。やっぱり愚かな人間ドモの営みにガッカリしているのかもしれない・・・。
草むらに隠れるようにカシラダカやミヤマホウジロガご飯中だけど、上手く隠れるもので、よく撮影できないねー。

表題写真はやっとまともに撮れた30~40m離れた場所にいたモズのお嬢ちゃん。「ベッピンさんねー!」と隊長の評価よし!。



 
探鳥会を終えて、いつもの鳥合わせ、あんまり見なかったようで結構見ていたねー。
日本野鳥の会福岡代表のO野さんと、観察の森レンジャーのウッシーの掛け合い漫才(ちがう、説明会!)が楽しいねー。
でも、楽しいひと時はあっという間に終わる。そして22年もの歴史を刻んだサンクチュアリがその扉を閉じる時が来た。
ウッシーは北海道の釧路へ転勤だ!、愛媛の自然の森へはミノリン、仕事先を替えて福岡に残るアイチーさんはしばらくお別れだねー。お世話になりました。
そして、消えそうな灯火を守る防人として、職を変えても一人ここへ残る決断をしたグッチ!。
「ああ、グッチが残るなら、むちゃくちゃにはならんだろう」と、誰かが呟いていた・・・と隊長。
そうだねー、頑張れグッチ。この大きな波を乗り越えて将来、みんなで「あーあんな時もあったね~」と笑える日がきっと来る。
そう、野ねずみ探検隊は信じている!。・・・ああ、無理しないように、のんびりね(~o~)。また遊びに行きまーす。

野ねずみ探索記 HOKUSAI THE GREAT 卍

2011年03月21日 12時00分00秒 | 野ねずみ作戦活動記録
今日の作戦は隊長命令。数日前から福岡市博物館で始まっている「大北斎展」の探索だ。

名前は知ってるけど、作品もいくつか覚えがあるけど、今ひとつイメージがつかめない偉人の生涯と、ものすごい数と質の作品群、
そしてその活動の大きさに驚いたのだ。何かの書物で見たことがある作品がまた多いこと。
何と、世界の重要人物100選に日本人でただ一人選ばれているという。確かに天才的な作品にただただ圧倒されるね。

このだるま絵は、わずか半日で書き上げたらしい。しかも興行イベントにして見物人を集め地域の賑わいに大いに貢献したとか。
要するに、デザイナーでイベンティターでプロデューサーでディレクターな訳だ。

90歳過ぎまで絵を描き続けたすごい人物を垣間見た日だった。

野ねずみ探索記 国菊酒蔵開き

2011年03月20日 17時00分00秒 | 野ねずみ作戦活動記録
午前中は建築中の野ねずみ探検隊本部基地の緊急打合せが健康住宅本社であった。
なんと、東北関東大震災の影響で、いくつかの部材に欠品が出て、変更を余儀なくされたのだ!。
しかし、オデたちの影響はそれくらいだが、被災地では家どころか命さえも失った方々が沢山おられる。
毎日の報道になんとも、心が痛む。

さて、打合せを終えて午後は今日酒蔵開きの案内が来ていた朝倉の篠崎酒造へ。年一度の国菊の新酒は最高なのだ。
少し高いけど、数日間の楽しみにいただいて帰った。

 
篠崎酒造へ行く前に昼ごはんはここ、吉井のうどん屋「井戸」。久しぶりなので少し迷って到着。おいしいうどんを頂いて酒蔵へ。
・・・で、新酒を大事に抱えて我が家へ帰ってから、眼鏡を忘れたことに気がついた(@_@;)!。
ありゃー・・・。電話したらオバチャン、「めがねやろ~、あるよ~(^。^)。預かっとくね~。」どーもすいません・・・。(~_~;)。


野ねずみ山日記 マンサク紀行ふたたび 猟師岩山への道

2011年03月19日 15時00分00秒 | 野ねずみ作戦活動記録
先週も歩いたマンサク探索の道。開花状況から今日辺りが一番いいのではないかと隊長。そう、またまたマンサクに逢いに同じ道へ出動の命令だ。

今日は、先週行った鬼ヶ鼻岩からさらに背振縦走路を先に進み、猟師岩山を目指した。この道にマンサクが多いとの作戦情報があったのだ。

マンサクは、春になったら他の花に先駆けて「まずさく」からマンサクという名前になったという。
作戦はドンピシャリ!、照準はぴたりとマンサクの開花時期に合っていたのだ。

鬼ヶ鼻岩から猟師岩山にかけて、空に溶けていきそうな花達を楽しんで歩いた野ねずみ探検隊。
日本の、地球の、はるか遠くで災悪と戦っている人たちへの応援を、春を知る花達に頼んできたよ。

最も、どうも猟師岩山と思い込んで昼ごはんを食べて引き返したピークは、実はターゲットのわずか手前であった事を、途中の登山客から
ご教授いただいたが、なーに、ノープロブレム!、「作戦は大成功だ!」と、隊長。ソーダ、ソーダ!(^o^)丿。

 
先週と同じように山行準備して入山する。0945時。

            

 
椎原から少し入ると既に山神の聖域。メタセコイアの林が荘厳な空間を創る。





 
1052時、椎原峠に到着。時間に余裕があるのでスープを作って小休止。



                       
1125時、鬼ヶ鼻岩のマンサク達に逢う。やっぱり控えめな彼女たちらしい満開(^v^)。




 
                


鬼ヶ鼻岩から猟師岩山への縦走路は、こんな状況!。いやー、毎週同じとこ行ったら馬鹿みたいなんて・・・、オデはもう言わないm(__)m。


マンサクの花はこんな花、変ってるよねー(^。^)。目の前に咲いている。

                  
ずいぶん歩いてきて12時前、あれー?おかしいなー?、この辺りが猟師岩山なんだけど標識もないぞ?。まあ、いいや!おなか減ったので開店!。
”カフェ猟師岩”で、ミソサザイがチョコっとさえずっていた。猟師岩山付近でミソサザイのさえずりを聞く




道は鬼ヶ鼻岩の手前まで戻って、展望所発見。おおー鬼ヶ鼻岩を見下ろしてここも絶景!。沢山登山客が楽しんでいるねー。

 
気持ちがいい縦走路をたどって、1334時、椎原峠帰着。さあこれから椎原谷のせせらぎ道を下るのだ。
椎原谷の静けさの音

                   

 
1407時、林道を跨ぎ、1423時、鬼ヶ鼻岩直登ルート(すごいらしい)の別れを過ぎると、山神様の結界から出る。

 
1432時、登山口で待つX-T探索機に帰着。今日はマンサクが300点でミソサザイが50点・・・と隊長は帰りの車内で採点。