探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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中島君招魂碑の前で三郎助生誕祭

2020-02-01 21:51:24 | イベント
会員のカトケンです。
先週土曜、朝早く起きて一路浦賀へ。

中島三郎助生誕祭に参加するためだ。てっきり初かと思ったら第2回だった。

知らない方々ばかりだったらどうしようかと初めて出るイベントに行く前はいつも緊張する。

浦賀に着いて大衆帰本塚を見ていたら時間がなくなってきた。途中同じ目的地に向かっているであろう女性2人を尻目に、西浦賀の愛宕山公園へ通ずる「浦賀園」の看板のある入口(=写真)から急な階段をずんずん登ると、中島君招魂碑の前にもうたくさんの人が集まっていた。



着くと、「なあんだまるで同級会みたい」と誰かが後で話したとおり、何人もの知った顔が参加していて内心ホッとしたことだった。

挨拶も束の間、そのうちに地元の方とおぼしき女性の司会で生誕祭が始まったーーご遺族中島さんはじめゆかりの深い方々からの献花、ご挨拶に加え、甘酒で献杯。筆者も献花の機会を与えられる。

ご挨拶の中で遊ぶ会の大内会長からこのような催しは建碑以来ではないかというお話や郷土史家山本先生から今回、依田学海が別に建碑の構想を持っていたことが分かったというお話が印象的だった。

後でお聞きしたところ、40名ほど集まったようである。
その後、場所を移してご子孫の挨拶(=写真。背後の三郎助像は美術部の中学生の手作り)、榎本武揚のご子孫の名代として黒船研の中山さんのミニ講演とも言えるご講話に続き、自ら脚本を書かれた俳優さんによる2人芝居(中島門下の桂小五郎との掛け合い風のものだった)、昼食後2Fの展示パネルを担当した方による講演があり、充実した生誕祭となった。



中でも中山さんのお話は、榎本武揚が中国との平和を志向したと目から鱗が落ちるもので、もう少しその先を聞いてみたかった。

講演終了後、武揚のご子孫が到着、しのぶ会で使ういつもの梅本にて、生誕祭を一貫して取り仕切った安斎さんをみんなで慰労した。この一杯のためにがんばったと言わんばかりの飲みっぷりに、皆の顔がほころびるーーここにも小杉伸一さんの志が継承されていることを感じずにはいられない。

三郎助の建碑由来碑(=写真)の撮影がしたくて車で移動する参加者のみなさんとはぐれてしまい、第2会場と早合点した浦賀コミュニティセンターから件の同じ目的地に向かうであろうと知りつつ尻目にお声かけさえしなかった女性2人が、実は浦賀コミュの職員であり、次の会場となる浦賀行政センターまで送ってもらうという、なんとも気恥ずかしい事態とあいなってしまった。



『三郎助文書』をいただいたお礼に訪れた浦賀の方々の情熱と親切に触れて忘れ難い訪問ができた。(写真=中島君招魂碑前)


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